M-235 沿岸漁業の指導だって?
昼間は3王国で会議を行っているらしい。
結果を夜の会議で知らせるとのことだったから、入り江の沖にカタマランを留めてのんびりと漁具の手入れをしている。
マリンダちゃんは少し離れた場所で甲羅を海面に浮かべた神亀の背中に、子供達を順番に乗せている。
ザバンを漕いできた両親の見守る先で、子供達が甲羅の上をはしゃぎまわっている。
「神亀の背に乗るというのはネコ族では名誉なのよね」
「子供達なら微笑ましいけど、トリティさんも乗ってるんだよな。前回もグルリンを海中で突きまくったらしいけど」
「きっと、子供のように純粋な心の持ち主なのよ」
かなり好意的な言い回しだ。悪く言えば子供っぽいということになるんじゃないか? まあ、トリティさんだからと納得してしまうところはあるんだけどねぇ。
「アオイ殿はこちらだと聞いたのだが?」
「俺がアオイです。甲板にどうぞ。何か御用でしょうか」
俺と同年代の男が笑みを浮かべて甲板にザバンを寄せてきた。
ナツミさんがベンチを用意すると、すぐにお茶の準備を始める。
「オウミの筆頭のグルネイという。何度か遠くでアオイ殿を見たことはあったのだが、我等が氏族の島に来たのなら挨拶はせねばと思ってな」
ベンチを勧めると、ナツミさんが近くのベンチを移動して俺達のテーブル代わりにしてくれた。その上にお茶のカップを並べて俺の隣に腰を下ろす。
「こちらこそ申し訳ありません。本来なら俺の方から挨拶するべきなのですが、族長会議の命を優先させてしまいました」
「そっちの方が大事だ。族長会議の下に氏族はあるのだからな。それで、先行きは?」
早ければ、今夜にでも新たな協定が結ばれることを教えてあげた。
戦をどうにか回避できたことは長老に教えておけばいいだろう。
互いの漁の話をしながら1時間ほど滞在して帰って行った。孫を神亀の背に乗せるためにやって来たんだろうな。俺のところには、そのついでといったところだろう。
それでも、筆頭漁師が挨拶をしにやって来たことはありがたい話だ。トウハ氏族の筆頭はネイザンさんなんだからね。
「オウミ氏族は問題が無さそうね。皆頑張っているみたい」
「サイカ氏族だけが問題だったんだが、今回の交渉で船団を作れるだろう。東に向かえばトウハ氏族の大型船団の漁場とぶつかりそうだが、その先を目指すなら何ら問題はない。それに上手く行けばリードル漁が出来る」
オウミ氏族の小さなリードル漁場を譲って貰ってはいるが、得られる魔石は低級が数個というところだろう。氏族の維持に全て使われていそうだ。
「それで、大陸の王国は沿岸漁業を始めるのね?」
「南と北の王国なら、重金属の汚染が深刻ではないと思うよ。海流を確認した結果を伝えたし、1年は犬や猫に食べさせて問題がないことを確認するように伝えてある。とはいえ、陸地が見える距離で、サビキや小魚目当ての延縄になるんだろうな」
あまり大勢で魚を獲ると直ぐに枯渇してしまいそうだ。その辺りも今夜注意しておこう。
「ニライカナイとの住み分けはきちんと記載してもらうよ。それにしても同盟を一方的に宣言された時には焦ったよ」
「神の恐ろしさを、知っているということなんでしょうね。ネダーランド王国はそんな機会を持たなかったのかもしれないわ。でも南北の王国が同盟を宣言した時には、良くもショック死しなかったと思うわ」
もう少しだったかも知れないぞ。
となると、今頃はかなり厳しい条件を突きつけられているのかもしれないな。
「昨夜の感じでは、俺達の要求通りということになりそうだけど、1割は何とかなるのかな?」
「大型の遠洋船団となれば、それぐらいは何とかなると思うわ。本当なら食料と獲物を運ぶ輸送船も欲しいところだけど、1つの商船を丸ごと保冷船にすればかなり詰め込めるんじゃないかな」
燻製後の輸送だから、場合によってはカタマランの保冷庫も使えそうだ。だが、水と野菜や果物の補給も考えなくてはならない。1回の航海は2か月を超えることは無いんじゃないかな。
「どんな船にするかは、ナツミさんが考えてくれるんだろう?」
「それぐらいは何とかしたいわ。商船の改造型の船だけど、乗員を増やすのは問題でしょうし……。思い切って島で暮らす老人達に委任しようかしら?」
思わずお茶のカップを落とすところだった。
せっかく悠々自適の生活を楽しんでるのに、働けるまで働かせるというのかな?
パイプを取り出してタバコ盆で火を点ける。
俺の老後はのんびりと漁を楽しみたいところだけど、ナツミさん達はそれを許してくれるんだろうか?
何となく灰色の未来が見えてきたぞ。
「漁のことなら族長会議に任せておけば良いと思うよ。込み入った話に入らない方が良さそうだ」
「そうね。上手く運べば今夜で交渉が終わるでしょうから、氏族の島に帰ってゆっくり考えてみるわ」
現在の大型船の改造もナツミさんが手がけているから、似た構造になるのだろう。外輪船をいまだに踏襲してるけど、あれだと速度が出ないんだよね。
どんな駆動方式を取り入れるか、ちょっと楽しみだな。
その夜に、商会の若者が俺を迎えに来た。
どうやら、結論が出たのかもしれない。どんな結論になろうとも、3つの王国が納得し、かつ俺達に無理が出ないようなものであれば良いのだが……。
昨夜と同じ部屋に入り、勧められるままに円卓に着く。
ちらりと3王国の交渉人の表情を見ると、硬い表情ではないから戦端が開かれることは無さそうだ。
「ネダーランド王国のには感謝しなければいけませんね。アオイ殿の条件を3王国で分担します。漁果は1割増しと行きたいところですが、新たな船団の漁果で十分です」
「1割を超えるとは思えませんが?」
商会ギルドの理事の話に、思わず問いかけてしまった。急に俺達に有利になるとなれば、別の条件が付加されることになりそうだ。
「漁果の分配は、ネダーランドが半分。ノルーアン、ソリュードで残りの半分を等分にする。これならネダーランドの男爵も恥をかかずに済むだろう。その上で協定書に付け加えたい。我等2王国の漁師に漁を教えて欲しい。むろん、ニライカナイの領海には入らぬつもりだ。岸が見える距離での漁なら、互いの漁師が海上で顔を合わせることも無かろう」
かなり譲歩してくれたようだ。
署名するには問題は無いだろうが、沿岸漁業の指導をどうするかも考えないといけないな。
「毎年、数家族を派遣していただければ漁を指導できるでしょう。ですが、獲物は小さいですよ?」
「小さくとも魚は魚だ。領民が今よりも食する機会が増えれば、それで十分」
ノルーアン王国の交渉人が、そう言って俺に笑みを見せる。
どれぐらい獲れるか分からないけど、暮らしが立つことが条件になりそうだな。
「漁師の暮らしは慎ましいものです。俺達は、動力船を手に入れるために魔石を取ることができますし、漁が振るわない時には魔石を売ることで暮らしを立てているぐらいです。沿岸での漁は小魚主体、果たして暮らしが立つかどうか……」
「王都の貧民対策の一環として行えば、私達の援助も可能です。収入は少なくとも、自分で働いて家族を養えるならば王国の福祉政策とも整合が取れるでしょう」
王都の貧民に働く場を提供するということなんだろうな。小さな漁村もあるのだろうが、王国の肝入りで漁業を行うならそれなりの漁果を得ることが出来るだろう。船団の漁果の半分を2つの王国で分配することになっても十分だと判断したに違いない。
「全権を委任されてはいるのですが、氏族間の調整も必要になります。もし、ニライカナイで2王国の漁師を受け入れられない場合は、俺が指導に向かうということで了解願えませんか?」
「ニライカナイにたった2人の聖痕の持ち主が、直々に指導してくださると?」
「王国の民をニライカナイに受け入れるのは、それぐらい難しいことでもあるのです」
つい、指導するための受け入れを口にしてしまったけど、長老は渋るんだろうな。
代案を出して了解を貰っておけば、選択の余地ができる。
「漁師の指導は口頭の約束事で結構です。ですが、よろしくお願いします」
「承りました。商会を通して調整を図ればよろしいですね」
証書を5つ作って3王国と商会ギルド、それにニライカナイの代表である俺がそれぞれ署名を書き込む。
1つずつ証書を受け立ったところで、商会の娘さんが俺達にワインを運んできた。
これで面倒な交渉が終わったことになる。
新たな船団は、どれぐらい漁果を得ることが出来るだろうか?
甚だ心もとないところもあるけど、トウハ氏族の遥か東で漁をするならかなり期待もできそうだ。
「ところで、さらにトロッコの輸送が増えると、漁果の不足に悩むことも考えられます。大陸には湖や、川での漁は行わないんですか?」
「あるにはあるんだが、漁が思わしくないんだ。廃業する者も多いと聞く」
ノルーアンの交渉人の言葉に、他が頷いている。
俺達はどうにか凌いだが、内陸の漁は資源の枯渇が現実となっていたようだ。
「漁師の数を制限して、漁の期間、場所を限定しなければ、全ての漁師が廃業になりますよ。漁を考える上で、資源の維持をいかに図るかも施政上考慮すべきことと考えます」
「とりあえずは規制せよ、ということか。規制すればその保証も考えねばならんが、無策では漁が出来なくなるということに繋がると……。これは大きな課題だな。だが、教えには感謝したい」
生産量を越えた収奪が問題なんだよな。その場所の生産量がどのぐらいなのかを見極めなければならない。
経験的なところもあるかもしれないが、少しずつ様子を見ながら漁をして、それを見極めることになるのだろう。




