M-205 アキロンが女の子を連れてきた!
乾期の漁も順調だ。たまに同行を希望する若者がいるんだが、断ることはない。一応、新たな漁場を探すことが目的だと、事前に説明して同意は得ているのだが、氏族の島に戻った時の漁果は銀貨1枚前後になっているようだ。
「ラビナスの指導を卒業して、俺のところに来る間の連中だな。もう少し腕を上げたいと思っているに違いない。上手く指導してやってくれよ」
「もう少し、漁をする日数を増やせばいいんですが……」
「次に、その漁場で活躍できるでしょうから、今のままで十分だと思います。アオイさんに付いて行ったカタマランが、次には仲間を引き連れて出掛けるのをよく見かけますよ」
俺のカタマランを訪ねてきたネイザンさんとラビナスに状況を話すと、彼らなりの返事が返ってくる。
やはり筆頭漁師の船団に加わるのは、それなりの腕が必要ということなんだろうな。若手を指導するラビナスの船団を離れたら、その先が少し不安定になるようだ。
「だが、昔から比べると漁の指導体制が出来てるように思えるな。バレットさん達の時代では同年代同士で競い合ったんだろうけどね」
「今度は、グリナスさんも参加するんですよね。俺達も楽しみにしてるんです」
「長老達はなるべく格差を無くしたいんだと思うよ。氏族の皆が同じように暮らせることが大事なんじゃないかな?」
「1回の出漁で銀貨1枚の差が付くようでは問題だろうな。もっとも、アオイには当てはまらないぞ。それにアオイの豊漁についてはトウハ氏族内で不満が出たためしがない。今度の簡易カタマランを揃える話でも、1隻を寄付するぐらいだからな。俺達の為に漁で得た報酬を使ってくれることを誰もが感謝している」
タープの下で、のんびりとココナッツ酒を酌み交わしながら話をする。
嫁さん達は小屋の中でスゴロク大会をしているようだ。たまに楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「それで、アキロンは?」
「夕暮れ前には帰ってくるはずです。南に島を2つ越えた辺りで漁をしてますよ」
「アキロンがカタマランを手に入れたなら、すぐさま俺の船団に加えたいところだ。あの辺りの海域で1人で漁をして50Lを下回ったことが無いんだからな」
「ネイザンさんの前に、俺のところがありますよ。アオイさんに漁を教えて貰おうという若者は減っているでしょうけど、アキロンなら世代が近いですからね」
その前に、グリナスさんがいるはずだ。アキロンが漁をしている海域がグリナスさん達の漁場になるはずだからね。先行して漁場の開拓をしていると思えばいいんじゃないかな。
「俺も気を付けないと、タリダン達に追い付かれそうだ。あいつらを中心に船団を組ませたいが、そろそろラビナスの船団から離してもいいんじゃないか?」
「その辺りの気配りを今期に教えています。船団を率いるとなると責任も出てきますからね」
次のリードル漁を終えたなら、数隻を率いることになるということだろうか? それはいくら何でも早すぎないか?
「ネイザンさん達の思惑は理解できますが、後見人を別に用意すべきでしょう。俺達の時にだって、オルバスさんやケネルさんが船団の後ろに控えてくれてましたよ」
「そうだったな。気負ってばかりで当時は頭がいっぱいだったが、アオイの言うように後ろでしっかり見守ってくれていたんだよな」
これからがネイザンさんの腕の見せ所だ。誰を彼らの後見にするか……、仲間の中からそれを見付けねばならない。
「それより、また釣竿を作ってるのか?」
「ヒヨッコ達への贈り物です。おかず用の釣竿と根魚用の仕掛けぐらいは用意してあげようと思いまして。アキロンはおかず用の釣竿でシーブルを結構釣り上げてるんです」
「まったく、頭が下がる話だな。そうなると、俺とラビナスも考えないといけないぞ」
「どうでしょう、ザルを用意してあげるのは?」
ラビナスの提案に、ネイザンさんが笑みを浮かべてラビナスの肩を叩いている。今夜の氏族会議にそんな話をするのだろう。長老達も喜んでくれるに違いない。船を持つと色々と物がいりようだからねぇ。全て彼らに揃えさせるのも問題だろう。
炭焼きの爺さん達も、若者の将来を楽しみに、格安で丈夫なカゴを編んでくれるに違いない。
「次のリードル漁が終われば、ここにグリナスも加わるんだな。できれば出漁期間を調整して酒を飲みたいところだ」
「漁場の調整もしたいですし、是非ともそうしましょう」
結局、昔に戻る感じだな。
オルバスさん達も似たところがあったから、これがトウハ氏族の伝統なのかもしれない。
友人関係は一生続くということだ。
バタバタと桟橋を乱暴に駆ける足音が聞こえてきた。それも1人ではない、次々と桟橋を先端に向かって走っていくようだ。
「どうしたんでしょう?」
ラビナスがベンチから立ち上がって入り江を眺めようとしていると、家形からナツミさん達が飛び出してきた。
俺達に目もくれずに屋根に上って行ったし、マリンダちゃんはその上の操船楼にまで上がって入り江に顔を向けていた。
「何だ何だ! 何が起きてる?」
「アキロンが帰って来たにゃ。神亀がヨットを乗せてるにゃ!」
オペラグラス片手にマリンダちゃんが教えてくれた。
怪我でもしたんだろうか? ちょっと心配になって、俺もベンチの上に乗って入り江の入り口に目を向ける。
甲羅は余り見えないけど、ヨットが完全に船体を見せているから、間違いなく神亀の登場だ。
後ろに目を向けると、浜も大勢の人がその姿を見ようと集まっている。長老も、あの小さな広場に出て眺めてるんだろうな。
「アキロンだけじゃないぞ。誰かを乗せている」
「でも2人だけですよ。カタマランが故障したのなら、もっと乗せてくるはずです」
事故があったということではないのだろう。
入り江から離れすぎて戻れなくなった子供を保護したんだろうか? だが、それなら直ぐに俺達に捜索の指示が長老からやってくるはずだ。
「こっちに来ますよ。アキロンが乗ってる以上、このカタマランに来るのでしょうが」
「神亀が潜ったぞ。……いや、海底が浅いから押しているようだな。それにしても神亀は大きいな」
ゆっくりと俺達に向かってアキロンのヨットを押してくる。
帆柱に手を掛けてアキロンが立っているのだが、その隣にいるのは髪の長い女の子のようだ。金色に輝く髪を首の後ろで束ねている。
着ているものは、アキロンの着替えに見えるな。王国の人間なんだろうか? だとしたら、ニライカナイは少し騒がしくなりそうだぞ。
ナツミさんが下りてきて、甲板の端に立っている。
しばらくしてヨットがカタマランの甲板に横付けされると、ヨットの2人が神亀に手を振った。
海面に顔を出した神亀が、安心したように小さく頷くとその姿を海面から消し去った。
しばらくは声も出ない。
甲板に下りてきた2人を見て、ナツミさんがアキロンから女の子を引きはがして家形の中に連れ去った。
着替えさせるんだろうな。今着てたのはアキロンの着替えだったからね。
「漂流者なのか?」
「漁をしていたら、神亀が連れてきたんです。彼女が俺のヨットに飛び乗ったら、いきなり神亀がヨットを持ち上げて、ここまで運んでくれました」
ちょっと、微妙な話になってきたな。
今夜の氏族会議で経緯を話さねばならないだろう。場合によっては、カヌイのおばさん連中の裁可も必要になるんじゃないか。
神亀と共にやって来た女の子だとすれば、俺達と同じようにトウハ氏族として迎えてくれるとは思うんだが……。
「出掛けて来るわ! 女の子とマリンダちゃんも一緒だからね」
「ああ、了解だ……」
俺の返事は聞こえなかったかもしれないな。ナツミさんが桟橋を浜に向かって駆けだしていく。その後を女の子を連れたマリンダちゃんが歩いていくんだけど、女の子の足取りがちょっと怪しいところがある。やはり遭難したんだろうか?
「慌ただしく出掛けて行きましたね。後は長老の裁可ですか?」
「仮にも神亀と共にやって来たんだ。氏族に加えるに何の不都合もないと俺は思うんだが、ナツミが向かっているのはカヌイの婆さん達のところだな。何か相談することがあるんだろうか?」
「たぶんカヌイのおばさん達も、先ほどの状況を見たはずです。後々問題が起きないようにとのことだと思いますよ。女の子ですからねぇ」
理由は別にあるはずだ。あれほどナツミさんが焦ったんだからね。
今夜にでも話してはくれるだろうけど、その前に彼女を連れて長老に合わねばならないだろう。
ナツミさん達が帰ってきたら、アキロンを一緒にして出掛けてみるか。
「後で、教えてくれよ」と言って、ネイザンさん達は帰っていった。
残ったアキロンと一緒にナツミさんの帰りを待ちながら、もう少し詳しい話を聞くことにした。
アキロンの話しでは、裸で神亀の上に乗ってヨットに近づいてきたそうだ。
ヨットに飛び乗った女の子に、慌てて着替えを着せたそうだが、アキロンのヨットでは豪雨になったらタープと変わりないテントだからなぁ。いつも着替えを船に積んでいたようだ。
「俺に向かって、『やっと会えた』と言ったんだけど、その後はずっと無言だったんだ」
「前に会ったことがあるってことか?」
「ナツミ母さんと同じだよ。マリンダ母さんのようにこんな耳もないし、尻尾だってないんだ。あったことは無いんだよな」
そうだろうな。どう見てもネコ族ではなく、人間族だ。だが、人間族ならこんな場所にいるわけがない。
そうなると、俺達と同じように向こうの世界から来たということになるんだが、ナツミさんの慌てようは尋常じゃなかったからねぇ。
俺達とは少し違うということになるんだろう。やはりナツミさんが帰るまでは、余計なことは考えないことにしよう。




