M-195 アキロンを呼ぶのは誰なんだろう
トリマランに戻って来た時には、ナツミさん達が帰っていた。
グリナスさんのところでダイブ長居していたからかな? アキロンは浜に遊びにでかけたらしく、姿が見えない。
「ザバンそのものとはいかないようで、次の寄港時に届けると言ってたわ」
「アルティ達は元気に暮らしてるらしいよ。グリナスさんやラビナスが様子を見ていてくれてるようだ」
「なら安心にゃ。お腹を空かしてるようなら夕食を届けようと思ってたにゃ」
さすがに飢えてることはないだろう。
マリンダちゃんが渡してくれたカップのお茶を頂き、パイプに火を点けた。
夕食までには間があるし、ナツミさん達も一緒にベンチに腰を下ろしてお茶を飲んでいる。
「あまり変わったヨットでは……」
「だいじょうぶ。初心者用のヨットを模擬したものだから、1人でも操船できるわ。とはいえ、入り江の中では速度を上げて欲しくないわね」
ヨットって、そんなに速度が出せるものなのだろうか? 10ノットも出せれば凄いと思うんだけどね。
グリナスさん達が一緒に漁をしたがっている話したら、ナツミさん達が嬉しそうに目を輝かせている。
「今度は調査した漁場をじっくりと攻める番ね。元々は大型船の船団を考えていても、船団の数が少ないから十分にデータを活用できるよ」
「3日も漁をしたら保冷庫が一杯にゃ」
雨期の漁には都合の良い話だ。
大型が出るから、仕掛けを改めて作り直しておこうかな。
食料を補充しながら、島で2日間の休養を取ったところで、再びトリマランを出航させた。
もう少しだ。長老達も、次のリードル漁の前までには終わると伝えたら、嬉しそうに頷いていたんだよな。
「今度はシメノンが釣れるかな?」
アキロンに作ってあげた釣竿はリールが交換できる。前回は根魚をたくさん釣ってくれたけど、生憎とシメノンの群れに遭遇出来なかったのが残念らしい。
「シメノンは専門に狙うことができないからな。たまたま群れに遭遇して釣り上げるんだ。とはいっても、遭遇しやすい漁場はある。もう直ぐ海域の調査が終わるから、そしたら皆で出掛けてみよう」
「きっとだよ!」
嬉しそうに声を出すアキロンに、マリンダちゃんが操船楼から顔を出して笑みを浮かべている。
コウイカ釣りを趣味にする人も、向こうの世界ではいたくらいだ。ナツミさんもその一人なんだけど、彼女の父親の影響なんだろう。
ナツミさんが持ち込んだスピニングリールを模したリールが少しずつ普及しているけど、大型人向かないのが唯一の欠点だな。
「皆、このリールは使わないんだよ。道糸を早く巻き取れるし、何と言っても遠くに仕掛けを飛ばせるんだからね」
「父さんは、砂浜の釣りに使ってたよ。15YM(4.5m)の竿をつかえば、300YM(90m)以上仕掛けを投げられるからね」
昔の投げ釣りの話を、目を大きくして聞いてくれる。
あの時代に帰ることはできないが、この世界では経験を生かすことができる。
もっと爺様の話を聞いて、色々と経験したかったな。
「もう直ぐ、豪雨がやって来るにゃ!」
操船楼から頭を出して俺達に教えてくれた。
アキロンが家形の中に走っていく。俺はタープを船尾まで引き出して、張綱を一回りしながら確認する。
「父さん、中は閉めておいたよ」
「よし、次は……、まあ、それで十分だな。することが無ければハンモックで寝ててもいいぞ。食事時には起こしてやるから」
俺の言葉に笑みを浮かべると、家形の中に入って行く。
いくらでも寝られるのは羨ましくもある。俺もいつの間にかこの世界の暮らしが馴染んできたようで、今では日の出前に目を覚まし、日没後3時間ほどで眠くなってしまうんだよな。
豪雨と晴天が交互にやって来る。
乾期と比べて、豪雨の頻度が高いのが雨期だから、これは諦めるしかないのだが、操船楼の2人にはストレスが溜まる時期らしい。
俺やアキロンに当たらないのがせめてもの救いだけど、女性らしからぬ悪態を吐いているのがたまに聞こえてくる。
トリティさん達も似たところがあるから、ナツミさんも今ではこの世界の住人とそれほど変わらなく思える時がある。
昨夜から続いていた豪雨がピタリと止むと、トリマランの速度が一気に上がっていく。
思わずアキロンと顔を見合わせてしまったけど、これで少しはストレスが軽減されるだろう。
豪雨のせいで3日掛かる航程が、4日も掛かったのは雨期であるとともに俺達の調査が終盤を迎えているからに他ならない。
今回は調査期間を延ばして、全て終了させることを考えている。
その原因は、次のカタマランがそろそろ納品されるからなんだが、最後なんだから丁寧に調査を行いたいところだ。
「これで最後の調査にしたいわ。真っ直ぐに西に向かい、少し南下して引き返しましょう」
「西に5日は必要だぞ」
「それで残りの2回分が終わるなら十分よ」
氏族の島への帰島は14日後ということかな?
まあ、長く調査をしてきたんだから、これが終わればのんびりできるだろう。
次の動力船はカタマランだと言ってたから、変な仕掛けも無いんじゃないかな。
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どうにか調査が終わって帰路に就く。
雨期の割には天気も安定しているから、ナツミさん達の機嫌も良さそうだ。
夜の航行を避けて、夕暮れ前に近くの島にアンカーを下ろして休める。
今回は、途中での漁を止めて真っ直ぐに帰島するらしい。直ぐに長老に渡せるようにと、夕食後は家形の中で海図に漁場を描き込んでいる。
2部作って1分を氏族に渡し、もう1部は自分達で使うことにしてるみたいだな。
革製の海図バッグを特注したらしく、その中に折りたたんで入れているけど、それがナツミさんにとっては宝物ということになるのだろう。
トウハ氏族の島を中心にした大きな海図には、マリンダちゃんが漁場を落とし込んでいた。今回はその作業をしないで、ナツミさんを手伝っているから、あの海図では圏外ということなんだろう。
「何とか出来たわね。長老の持ってる海図への記載は守り役の人がやってくれるんでしょう?」
「マリンダちゃんの持ってる海図よりも大きな海図に落とし込んでいたよ。オウミ氏族の海図も別に持っていたから、大型船の責任者はそれを見て自分の海図に書き込まなければならないね」
バレットさん達は、きちんと写し取れるんだろうか?
場合によってはカヌイのおばさん達に、きちんと写し取って貰った方が良いように思えるんだけどね。
明日の昼前には氏族の島に帰れるという距離で、無理をせずに近くの島にアンカーを下ろした。3時間も航行すれば到着するのだろうが、家族が少なくなったからねぇ。無理が大きな間違いを引き起こしかねない。
「明日はトウハの島に着くけど、次はどこに?」
「そうだな。リードル漁が近づいてるから、出掛けても6日程度で帰島したいね。オルバスさん達も戻ってくるからどんな状況なのかも聞きたいし」
不漁とは聞かないから、それなりの漁果を上げているのだろう。
先行した俺達が漁場を見付けていることも良い効果があると思いたい。
そんな話をしていると、ふとアキロンの様子に気が付いた。
黄昏る年代でもないし、時間でもない。だが、アキロンは東の海をジッと見つめたままだ。
「アキロン、何か見えるのかい?」
「……いや、見えるんじゃなくて、聞こえた気がするんだ。それで声のした方を見てたんだけど、何も見えないね」
「たぶん、誰かに呼ばれたんだと思うけど、姿が見えない時は返事はしない方がいいわよ。私達に良くしてくれる神亀や龍神なら姿を現すはずだから」
アキロンとナツミさんの話しと合わせると、何か都市伝説の様な話だな。
この世界には神がいるぐらいだから、その対極をなす存在だっているのかもしれない。
アキロンに呼び掛けたのは、そんな存在なんだろうか?
前にも誰かに呼ばれたような話をしていたけど、その延長なのかもしれない。
「父さんもナツミ母さんに賛成だ。この世界には神がいるのは知ってるだろう? となれば、その反対の者達だっているはずだ。幸いにもネコ族には龍神の覚えがめでたいこともあって、そんなぞんざいは近づかないかもしれない。だが、万が一ということも考えなくちゃならないからね」
「うん、分かった!」
アキロンが俺に頷くと、家形の中に入って行く。
だいぶ更けたからな。俺達もそろそろ寝るとするか。
「そんなことは、聞いたこともないにゃ!」
マリンダちゃんがナツミさんに珍しく声を上げている。
「戻ったら、カヌイのおばさん達に聞いてみましょう。さっきの話は、ここだけの話にしてね。そもそもニライカナイは神の領域だから、魔が入り込むことはないと思うの。でも、そう言えば、アキロンも少しは気を付けるでしょう?」
難しい表情をマリンダちゃんがしているのは、アキロンがどこかに行ってしまわないかとナツミさんが気を使ったと分かったからなんだろう。だけど、その伝え方に問題があるということかな。
もう1度ワインをカップに注ぎ、少し考えてみよう。
呼び掛けに答えるべきか。その場所を探してみるか……。
ん? 待てよ。
そもそもアキロンを呼んでるのは男なのかな。それとも年若い娘さんなんだろうか?
明日にでも聞いてみるか。
難しい話はナツミさん達に任せておけば良いだろうし。俺としてはそっちの方が気になるんだよな。




