M-189 組合ができても、暮らしが変わるわけではない
氏族の島で2日休むと、再び北西の海域に向かう。
前回調査した海域の東を調査するのだ。1回の調査で確認できる海域は、カタマランの巡航速度で半日にも満たないが、地道な調査はいずれ役に立つだろう。
4回の調査が終わった時には、氏族の島にオルバスさんが帰っていた。
次の4回は俺達家族だけになってしまったが、これは仕方のないことなんだろうな。
それでも、全く漁場が見つからないことはなく、魚価が銀貨1枚を下回ったことはない。
「いつも同じ場所に行ってる気がするにゃ」
「少しずつ東に移動してるわよ。ほら、ここまで調査が終わってるの」
ナツミさんとマリンダちゃんが海図を見ながら、次の調査区域を確認しているようだ。
図面化はナツミさんに任せているから、俺は余り出番が無いんだけどね。
ナツミさんの細かな書き込みは日本語で書いているから、こっちの言葉にマリンダちゃんが部分的に書き込みをしている。
かなり書き込みがあるから、新たに海図を手に入れて情報を追記するのが俺の仕事になってしまった。
原図は俺達で管理して、写しを長老に提出することになるんだろうな。
だけど、漁場に着いては漏れなく記載してる。俺達だけの秘密は持たない方が良い。
十数回の調査が終わったところで、リードル漁の季節がやってきた。
残念なことにオルバスさんは西に向かったままだけど、島に残ったバレットさん達の成果を分配するらしい。
「オルバスが西に行かなくともよくなったら、最後のカタマランを買うにゃ。ここの桟橋を離れて、あっちの桟橋で暮らすことになるにゃ」
トリティさんが腕を伸ばして教えてくれた先は、いつも小さなカタマランが泊まっている桟橋だ。老人達が集団で住んでいるのだろう。
「陸で暮らす人もいるにゃ。でも私等は海の上が一番にゃ」
トリティさんの話しは、ちょっと寂しくもある。
福祉が充実している島だから、老後も安心して暮らせるのだろう。
ナツミさん達が島のお店で買い込む野菜は、老人達が島の奥の畑で育てたものだし、動力船のカマドで使う炭は、爺さん達が頑張ってるんだよな。
ある意味、働く喜びを持たせるためなんだろう。
俺達もそうなるのだろうが、他の仕事も考えておいた方が良いのかもしれないな。
「けど、それはずっと先にゃ。それまでに島1つの制限に戻して欲しいにゃ」
「形が小さくなったということで、島から1日以上で漁をしてましたからねぇ。その辺りの調査もした方が良いのかもしれません」
10年以上経過しているんだから、資源は回復してるんじゃないか?
その調査は、形が小さいと嘆いていた漁師にやってもらうのが一番だろう。カゴ漁の母船も、最初の位置に戻すことも考えた方が良いのかもしれない。
「バレットさんに、その辺りの調整を頼んでみます。あれからだいぶ経ってますからねぇ。魚だって大きくなってるはずです」
俺に笑顔を見せたのは、アルティ達を率いて素潜りができると思ったんだろうか?
50代の半ばを過ぎているように思えるんだけど、いつもトリティさんは元気なんだよな。
リードル漁が終わって2日程経つと、あれほど入り江に集結していた動力船の姿が数えるほどになってきた。
いくつもの船団を作って入り江を出て行ったのだろう。
俺達も、次の調査を行おうと準備をしていると、バレットさんが訪ねてきた。
元筆頭漁師だけあって、島に帰ってきても色々と忙しいらしい。あまり漁に出られないと俺達に零している。
「アオイに頼まれた話は、諸手を上げて賛成していたぞ。丁度俺達がいるということで、俺に仕事が回ってきたが、どれぐらい形が良くなったか楽しみだな」
「カゴ漁の方は?」
「あっちは少し面倒だが、10日もあれば最初の崖近くに戻せるはずだ。カタマランで半日以上、東に移動していたらしいからな」
カゴ漁の母船は外輪船だからね。補助の船が何隻か、カタマランモドキに代わりつつある状態だ。
「解禁になったとしても、島3つは離したいと長老が言っていたな。氏族の島から島1つ以上は変らねぇが、その先島2つ分は船団を組まぬ年寄りに限定すると言っていた。俺達がもう直ぐ該当しそうだから、オルバスにもきちんと話ておかんといかんだろう」
俺達も老後は近場でのんびりと釣り三昧で過ごせそうだ。
そうなるとどんな船になるんだろう? さすがにトリマランにはならないと思うけどね。
1年ほど掛けて、バレットさんやオルバスさんが調べた結果は、十分に元に戻っているらしい。
40cm以上のブラドが群れを成していたと言っていたから、解禁はすぐそこまでに迫っている感じだ。
アリティ達が14歳になったお祝いに、新しいリール竿をプレゼントした。ナツミさんとマリンダちゃんは、ネコ族の風習に従って裁縫道具の入った小箱を渡したみたいだ。
トリティさんが、誰のところに嫁に行くかとリジィさんと話していたけど、まだまだ嫁には出さないからね。
「いつ話が舞い込んできても良いように、背負いカゴに少しずつ用意をすることにしたわ。これからは半人前の手当てもあるから、アルティ達も準備はするんでしょうけどね」
「早すぎないか? まだ14歳だよ」
「トリティさん達は16歳でオルバスさんに嫁いだと言ってたわよ。リジィさんだって18歳前だと話してくれたから、数年後には孫を抱けるかもよ」
そんなことを言って笑い出した。
まだまだ、お爺ちゃんにはなりたくないぞ。40歳前なんだからね。
とはいえ、その時になって反対すると周囲から笑われそうな気もするんだよな。
嫁入り道具に銛も持たせてやろう。昔は女性が潜ることは稀だったらしいけど、津波襲来以降は、嫁さん達も可能な範囲で素潜りをして魚を獲っているからね。
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「……ということじゃ。次に来る商船が、トウハ氏族の島から漁果を買い取る最後の商船になる」
「すでに2隻の高速船が就航しておる。島の店も倍の大きさにしておるからのう。商船で買い物をせずとも必要な品は手に入るじゃろう」
ついに、組合による組織だった流通を開始するようだ。
ナツミさんが散々骨を折ったようだけど、それを理解できたカヌイのおばさん達に頭が下がる。
これで商船がトウハ氏族の島を訪れるのは、リードル漁の後だけになってしまったが、生活に必要な品はお店で扱うことになるし、お店に無い物は高速船が運んでくれる。
「これからは鮮魚ではなく燻製と一夜干しになる。ロデニルだけは専用の船になってしまうのが問題ではあるな。まあ、それは仕方のないことじゃ」
漁果は全て世話役とカヌイのおばさん達が引き取ってくれる。それを燻製にするのは今まで通り老人の仕事だ。
大きな保冷庫が新たに作られたから、入りきらないということにはならないだろう。
「力仕事はサイカ氏族が若者を出してくれるのか……」
「漁場が狭まっておるからのう。船を増やせば共倒れになりそうじゃ。アオイの考えてくれた大型船に全てサイカ氏族の船を伴わせるわけにもいくまい」
サイカ氏族はオウミ氏族と一緒になるのだろうか? オウミ氏族は海人さんの時代に2つの島に分かれたらしい。その中の1つの島に将来は一緒に住むことになるのかもしれないな。
「先ずはやってみることになる。上手く行かねば、今の戻せば良いのじゃからな。大陸の王国も見ておるようじゃが、商会ギルドが間に入っては動きも鈍いようじゃな。砲船の内、リーデン・マイネは拠点に待機ということじゃ。それでも2隻の砲船が睨みを利かせておる」
この状況で戦を始めるのは、よほどの大馬鹿ということになる。
大陸東岸の3つの王国の内1つが俺達の海域に襲来すれば、他の2王国への魚の流通が途絶えることになるのだ。
介入する理由付けはできるだろうし、領地の拡大も望めるんだからおいそれとは俺達に食指を伸ばすことは不可能だろう。
「軍船を退いてもだいじょうぶなのか?」
「組合が出来て、大陸の商会ギルドと直接取引ができるならアオイは可能だと言っていたぞ。ワシ等も最初はいぶかったのじゃが、どうやらギルド組織が我等を守ることになるらしい」
これは俺からも説明しといた方が良いのかな?
「組合ができれば、漁果を大量に、一度に取引ができるようになります。その利益は莫大なものになるでしょう。その利益の源泉を失うことが分かれば、ギルドはどのように動くでしょうか? 俺は戦を阻止する方向にギルドが動いてくれると思っています」
「金の卵を産む鳥を手元に置きたいってことか?」
中々に良い例えだ。
大きく頷くことで、その例え通りであることを告げる。
「まあ、その辺りはアオイに任せておくに限るな。カヌイの婆さん達の発案で族長会議で了承されたなら俺達はそれに従えば良いだけだ。今と何も変われねぇように思うぞ。どちらかと言えば、いつでも酒の買える店ができただけにも思えるんだが」
「嫁さん連中に文句がねぇなら、俺達の仕事は今まで通りってことか? 要するに、世話役が俺達の漁果を買い込んだその後が変わるってことだな」
ぶっちゃければその通りだ。
漁をする俺達の生活が大きく変わることはない。
だけど、ナツミさんはこの後を考えているんだろうな。
三権分立をどうしようか? なんて言っていたけど、さすがにそれは無理なんじゃないかな?
カヌイのおばさん達、氏族会議、族長会議を上手く活用することを考えるべきだろう。それに、ネコ族に犯罪ってあるんだろうか?
泥棒の話を聞いたことが無いんだよな。




