M-188 バレットさん達の危惧
夫婦3人でサンゴの穴の縁を巡るように素潜り漁をする。
40cmほどのブラドを20匹近く突くことができたから、ここは良い漁場と言えるんじゃないかな。
トリマランに戻り、ザバンを引き揚げるのは俺の仕事だ。結構重いから、こっちに巻き上げ機を付けて欲しかった。
どうにかザバンを船首に乗せて固縛したところで家形の屋根を伝って船尾に向かった。
甲板に下りる前に周囲を眺めると北東の方向から、何かが近づいてくるのが見えた。
たぶん神亀に違いない。カタマランなら波を切る飛沫が見えるんだが神亀はそれが無いんだよね。
「トリティさん達が戻ってきたよ。やはり溝に向かったみたいだね」
「まったく困った人にゃ。神亀で漁をするなんて」
リジィさんが、ぶつぶつ言いながらも近寄ってくる神亀に手を振っている。
それに応えて手を振っているのはアルティ達だな。
「リジィさんの方も10匹近くバヌトスを上げてるわよ。アキロンもカマルを頑張ったみたい」
「グルリンを釣ったんだよ!」
嬉しそうに教えてくれたアキロンの頭をゴシゴシと撫でてあげる。
俺でさえ、おかず用の竿でグルリンは釣ったことはない。得意になるのは仕方がない。それだけ釣りが上手くなったということなんだろうな。
「大漁にゃ!」
甲板の真ん中に、トリティさんがどさりと背負いカゴを下ろした。
どれどれと覗いてみたら、ブラドにバルタス、シーブルと30cmを超える魚体が入っていた。
「直ぐに捌くにゃ、マルティ、カゴに入れて台に持ってくるにゃ!」
トリティさんの魚の捌き方教室が始まるみたいだな。昔はナツミさんが教えて貰ってたけどね。
呆れた表情の俺達にリジィさんがお茶を入れてくれた。
台で包丁を振るっているアルティ達を眺めながら、船尾のベンチでお茶を飲むことにした。
「2年も手伝えば何でも捌けるようになるにゃ。それにしても量があるにゃ」
「どんな漁をしてきたんだろう? 獲物が色々あって想像できないんだよなぁ」
「参考にはならないわよ。アオイ君だって神亀を使った漁をしようとは思わないでしょう?」
神亀はネコ族の人達の信仰の対象だ。龍神の使いとして位置付けられている。その背中に乗って漁をするなんて、かなり恐れ多いことに違いない。
聖印の持ち主ならば……、という思いがあるんだろうな? 誰も止めろとは言わないのが不思議に思える時もある。
それ以上に、トリティさんを乗せてるのが不思議なんだよな。
ナツミさんは、保護者だと思ってるんじゃないかと言ってはいるんだけどね。
「溝のどの辺りで漁をしたのか、教えて貰いましょう。でも、この海域の漁場が分かったことも確かね」
「次に来るときは、この島の東の探るにゃ!」
いつの間にか、ベンチを持ち出してきたナツミさん達が海図に書き込みをしている。
漁場の調査が目的だからね。漁は魚影を確認するためのものだ。
それにしても、アルティ達の作業はまだ続いているぞ。いったいどれだけ突いてきたんだろうな?
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漁を終えてから2日後に、トリマランはトウハ氏族の島のいつもの桟橋に停泊した。
トリティさんとナツミさん達がカゴで一夜干しを商船に運んでいる。ついでに買い物もしてくるんだろうかな。
のんびりとリジィさんと2人でベンチでお茶を飲んでいると、バレットさんとネイザンさんがやって来た。
バレットさんがヒョイと持ち上げたのはワインのビンだ。昼間から飲むつもりなんだろうな。
リジィさんがバレットさん達に席を譲り、真鍮のカップを持って来てくれた。
ベンチの1つをテーブル代わりにして、並べたカップにワインを注ぐと、1つをリジィさんに渡している。
リジィさんは俺達から離れた船尾のベンチで、話を聞きながら飲むつもりなんだろうな。
「3カゴとは、だいぶ獲れたようだな?」
「銛打ちが大勢いましたからね。1日の成果ですよ。場所は西のリードル漁をする島から北に半日です」
「カタマランなら1日掛かりそうだな。新たな漁場ってことか」
ちょっとがっかりした表情で、ネイザンさんが呟く。
船団を率いていくには少し遠い漁場だ。ネイザンさん達は島から2日の範囲で頑張ってほしいな。
「長老から話は聞いてるぞ。最初から良い場所を見付けたってことだな?」
「そんなところです。向こうで2日間探ったところで最終日に漁をすることにしました」
「となると、だんだんと東に場所を移していくってことか? 俺達にも漁場を教えて欲しいな」
「リードル漁のタイミングで長老達に海図を渡そうと思ってます。少しはグリナスさん達の手助けになるでしょうから」
バレットさん達、ネイザンさん達の状況を聞きながらワインを頂く。
バレットさん達の主な仕事はサイカ氏族の応援をしているようなものらしい。
ニライカナイの西域を哨戒している感じだから、適当に船を停めて漁をしているのだろう。
「素潜りが出来ねぇんだよな。釣れる魚も小魚が多い。それでも見張り以外の全員で釣るから、たちまち保冷庫に溜まってしまう」
「釣竿を使うんでしょう?」
「ああ、小魚だが手応えが結構楽しめる。ネイザンも早めに作っておいた方が良いぞ。アオイのようにおかずを釣るには最高だ」
ネイザンさんが俺に顔を向けたから、小さく頷くことで了承を伝える。
そういえば、ネイザンさんには釣竿を渡してなかったんだよな。
ティーアさんが嫁に行ったときにリール竿を渡したんだけど、今でも使ってるんだろうか? 少し硬めの竿を作ってあげた方が良いのかもしれないな。
獲物が大きいと、柔らかい竿では苦労するとマリンダちゃんも言ってたぐらいだ。
「俺の方は、順調だぞ。もっとも、島からカタマランで2日の距離にある漁場が分かっているからなんだろうが、一緒に行く船の最低の漁果でも50Lを超えているからな」
「その日の運、不運もあるだろうし、銛が得意でない奴もいるんだ。なるべく同じ漁法にならんようにしとけよ」
バレットさんが念を押しているけど、リードル漁が行われる間の期間に、魔石1個を売り払えば十分に暮らしが成り立つんじゃないか。
俺には十分な船団のリーダーと思えるんだけどねぇ。
「燻製船や、大型船の方は状況が見えねぇが、上手くやっているんだろう。何と言っても、普段は誰も漁をしない場所だからなぁ」
「他の氏族と競い合うグリナスが羨ましいですよ。それそれ得意な漁があるでしょうからねえ」
まったくだ! なんて言いながら、バレットさんがネイザンさんのカップにワインを注いでいる。ついでに自分のカップにも注いでいるぞ。
「バレットにゃ! 向こうはどうにゃ?」
「毎日、釣竿を出してるぞ。今頃はオルバスも釣竿を出してるに違えねぇ」
そもそもバレットさんの出掛けた期間内で、王国の軍船を1度も見たことが無かったらしい。
将来的には監視船3隻を残して、砲船は引き揚げることになるのかもしれない。だがそれはまだまだ先の話だ。
トリティさん達が家形の中に入ったところで、再び俺達3人の話が始まった。
どうやら、明日の会合でカヌイのおばさん達と話し合いが行われるらしい。となれば十中八九は、組合に関わる事前調整ということになるんだろうな。
「悪い話には思えねぇんだが、それだとオウミ氏族だけが反映しそうにおもえるんだよなぁ」
「積み込みと荷揚げがオウミ氏族の島では、そうなりそうですねぇ」
バレットさん達の危惧は当然だろうな。それだけ商船が行き来することになる。それに比べて他の氏族の島への商船の訪れは半減しかねない。
だが、それは短期的に見ればの話だ。
リードル漁が盛んなのはホクチ、ナンタ、トウハの3氏族だからね。オウミでもかつてのトウハ氏族の漁場でリードル漁が行われるけど、オウミ氏族の銛の腕はトウハ氏族を凌ぐとはとても思えない。
「ですが、魔石の取引はすべてを任せる必要はないんじゃないですか?」
「何だと! ……魔石は、今まで通りということか?」
「大陸の王国の商会が大勢やって来るんですからね。商会ギルドに所属しているなら問題はないでしょうし、特定の商会を贔屓にするのもネコ族の信条的には問題でしょう」
俺の話を聞いたバレットさんが、ニコリと笑みを浮かべる。
分かったのかな?
漁果をオウミ氏族の島から一括的に販売するとしても、トウハ氏族の魔石の販売量には遠く及ばないのだ。
オウミ氏族を富ましても、他の氏族が没落することはないんじゃないかな。組合の利益の還元をする時には、その辺りを上手く匙加減しなければならないだろう。
「普段はオウミと大陸を結んで商売する商人達も、良い魔石を得たいとなれば各氏族を回らないといけねぇってことか。それが族長会議で了承されれば問題は無さそうだ」
「ですが、相手はカヌイのお婆さん達ですから……」
「落としどころさえ、前もって決めておけば心配ねぇだろう。ネイザンも聞いていたな。少しは手助けしてくれよ」
バレットさんの大きな手が、ネイザンさんの肩をぐっと掴んでいる。
顔をしかめているからかなり痛いんじゃないか?
バレットさんなら、まだまだ筆頭漁師を続けられると思うんだけどねぇ。




