M-177 グリナスさんに率いられて
「レミネィ達はグリナスのところに厄介になるって言ってたにゃ。私とリジィはアオイのところで厄介になるにゃ」
嬉しそうな表情でトリティさんが教えてくれたのは、オルバスさん達がリーデン・マイネの指揮官を務める間、嫁さん達が身を寄せる先ということらしい。
それを聞いて、思わず口元を拭いたのは俺とマルティだけだったけど、ナツミさん達も嬉しそうだ。
ナツミさん達も料理の腕を上げてはいるが、トリティさんには及ばないし、リジィさんの料理だってトリティさんに負けるとも劣らない味だからね。
これを機会に、ナツミさん達の腕が上がってくれるかもしれないし、アルティ達だってそろそろ料理の練習をしなければなるまい。
「カタマランはそのままなんでしょう?」
「戻ってきたら、近場で漁をするにゃ。今のカタマランを替えるのはもう少し先にゃ」
速さを競うようなことを止めて、のんびりと漁をしながら老後を楽しむようにも聞こえるけど、トリティさんだからねぇ。
思わずナツミさんと顔を見合わせてしまった。
「それで、いつからオルバスさんは出掛けるんですか?」
「次の新月にバレット達が出掛けるにゃ。オルバスはその次の新月にゃ」
ずっと先じゃないか。なんか今から心待ちにしてるようにも思えるな。
今夜は半分ほど欠けた下弦の月だから、バレットさん達が出掛けるのは1週間ほど先になるんだろう。
グリナスさんのところも子供が3人もいるから、レミネィさん達がやって来ると大助かりに違いない。
トリティさんがアルティ達を連れて桟橋を歩いていく。
短い釣竿を持って行ったし、トリティさんは木製のクーラーをカゴに入れて行ったから、子供達と一緒に浜でおかずを取るつもりなんだろう。
だいぶアルティ達も大きくなってきたな。最初の銛を作っておいても良さそうに思える。
「どうした? 浜で泳ぐ歳でもあるまいに」
「俺んとこの子供達も出掛けてるんだ。母さんが付いててくれるなら、カリン達は戻って来るんじゃないかな」
オルバスさんとグリナスさんをトリマランの甲板に招くと、マリンダちゃんがお茶を準備してくれる。
子供達がいないから、ナツミさんと一緒にベンチに腰を下ろしたところをみると、俺達の話を聞くつもりなんだろう。
「明日には漁に出たいところだ。俺達の年代が常時3人、リーデン・マイネに乗るとなれば、のんびりと漁の合間を過ごすこともできんだろうからな」
「バレットさんは、ネイザンさん達を連れて今朝方漁に出掛けたんだ」
そういうことか。バレットさんの場合はネイザンさんの筆頭教育ということになるんだろうが、俺達はオルバスさんのように次席としての役割を期待されてはいない。
次席はネイザンさんの友人の1人になるんだろう。俺は今まで通りに補佐的な役割に徹していけばいいのだろう。
「何隻で向かうんですか?」
ナツミさんがオルバスさんに問いかけながら、ポットでお茶のカップに注いだのはお酒じゃないのか?
昼間から飲ませたりしたらトリティさんが怒り出しそうだ。
「今のところ仲間と3隻、父さんとアオイの5隻かな? ラビナスは仲間と南東に昨日出掛けてるからな」
グリナスさんの話しを聞いたナツミさんが、操船楼から海図を持ってきた。
かなり使い込んでいる海図じゃなくて、縮尺が小さいものだ。トウハ氏族の島を中心にしてカタマランで10日の距離を描いているようだ。
サイカ氏族の島を除いた、4つの氏族の島に向かう航路と目印が描かれている。大きな海底の溝や漁場、浅瀬は気が付く範囲でナツミさんが書き込んだみたいだ。
「ほう、これなら周囲の状況が少しは見えて来るな。燻製船の船団はこの海域、ラビナス達はこの辺りだろう。バレット達はこの漁場を目指したに違いない」
「東に向かった船団もあるらしい。さすがに西には誰も出掛けないんだよな。大型船の船団はこの辺りで漁をしてるんじゃないかな」
カタマランで2日の距離が主体だろう。大型船は5日の距離にいるらしいが、ナンタ氏族の漁場に近い場所にいるとオルバスさんが話してくれた。
「そうなると、この辺りが空いてますね」
「東に3日だな。昼夜進ませれば2日で着くだろう。グリナス達のカタマランの魔道機関は皆8石を使ってるのか?」
「広く漁をするということで、皆も8石を使ってるよ。通常型の2割増しの速度は出せるんじゃないかな」
「なら、先頭に立って船団を率いてみろ!」
オルバスさんの言葉に、グリナスさんがちょっと驚いて目を大きく見開きながらオルバスさんを見ていたけど、直ぐに真顔に戻ると大きく頷いた。
ちょっと優柔不断なところがある義兄だけど、根はまじめな人間だからね。
友人達に手伝ってもらえば、十分に船団を率いることができるんじゃないかな。
「明日の朝ってことで、準備するよ。場合によっては2、3隻増えるかもしれないけど、魔導機関の強化が出来てなければ同行は見合わせて貰うつもりだ」
そう言って、ベンチから立ち上がると、桟橋を駆けだしていった。
たぶんカリンさん達に伝えるんだろう。その足で仲間達と相談するのかもしれないな。
「グリナスは次席にはなれんだろう。だが数隻を率いて漁に出る機会は、これまで以上に多くなるだろうな」
「迷った時には相談することができる人ですから、心配はないと思いますが?」
「典型的なトウハの銛の使い手ですよ」
ナツミさんの言葉にオルバスさんが苦笑いを浮かべながら頷いている。その真意が分かったんだろう。
ナツミさんはトウハ氏族の漁師の中で中間的な腕を持つと言ったのだ。正規分布の中間点にいるなら、確かに典型的だと言えるだろう。
「そういうことだ。ネイザンとラビナスは間違いなく上位にいるだろう。だがグリナスの場合は性格が邪魔をしたようだ」
「カリンさんを迎えて頑張ってきましたからね。でも誰からも好かれる漁師ですよ」
俺達仲間のムードメーカー的な存在でもある。グリナスさんと一緒の漁は、皆が楽しそうだからね。
豊漁でも孤独感溢れる漁よりは、ほどほどの漁が皆で楽しくできる方が良いに決まっている。
「アオイがグリナスを立ててくれるのは嬉しく思う。これからも頼んだぞ」
俺の肩をポンと叩いてトリマランを下りて行った。桟橋を浜の方に歩き出したから、長老達と話でもあるんだろうな。
「明日、出掛けるんなら準備をしないとね。水汲みはお願いするわ」
「トリティさんのところも併せて汲んでおくよ。商船に行くんだったら、ワインとタバコをお願いしたいな」
7日以上は出掛けることになる。食料も大変なんじゃないかな。
両手に水汲み用の容器を持って歩き出したら、カゴを背負ったナツミさん達が後を追い掛けてきた。
水汲みが終わったら炭を買い込んでくるように仰せつかったけど、少し多めに買い込んでトリティさん達にも分けてあげよう。
途中の食事作りはトリティさん達が主導してくれるに違いないからね。
その夜。出漁する男達がトリマランにやって来た。
船団の船の順番や、ちょっとした合図の確認をしたところでココナッツ酒を飲みながら雑談が始まった。
やはりトウハ氏族の中堅揃いだけあって、獲物の種類と使う銛が話題になるのは仕方がないところだ。
「すると、ブラドは1YM半(45cm)を超えるということか!」
「バヌトスもそれなりだ。距離的には前に出掛けたガルナック漁に場所に近い。となれば獲物の大きさもあの時を考えればいいんじゃないかな?」
グリナスさんだってリードル漁専用の銛以外に数本の銛を持っておる。銛を研ぐのは一苦労だと言ってたから、カリンさん用の銛だってあるに違いない。
その銛を獲物の大きさによって使い分けるんだが、ブラドの大きさがその目安になるようだ。
45cmほどの大きさを境に中型を狙う銛になる。ハリオなどの大型が来ると別の銛になるんだが、その場合は1m程度が目安値となる。
万能の銛なんてないからね。
とはいえ、少しでも融通しようと銛の改良を行うのは皆同じらしい。
翌日。俺達の船団はグリナスさんのカタマランを先頭にして入り江を後にした。
島から船団が出たところで、船足が速まる。
15ノットは出てるんじゃないかな? さすがは魔道機関を強化したカタマランだ。
少し前までは、航行時に屋形の中にいたアルティ達もこの頃は甲板に出る許可をナツミさんから貰ったんだろう。タープの下に敷き物を広げて座り込んでいる。周囲の景色を3人で飽きずに眺めているところをみると、こんな生活を通して自分達の島の位置を幼いころから覚えることになるんだろうな。
たまにマルティがマリンダちゃんに聞いているのは、島の名前なのかな?
トリティさん達が、海図を見ないで漁場に向かえるのはこんな生活をずっと続けてきたからなんだろう。
やがて先頭を走るカタマランが右手に方向を変える。
ここから1日半、ひたすら東に向かうことになるのだ。
ナツミさんの話しでは、サンゴの穴がたくさんあった場所らしい。数年以上の時が経っても、津波の爪痕は未だに海底に刻まれている。
昔と今で、状況がどれほど変化しているのか確認するのも今回の目的の1つだ。その情報はオルバスさんを通して氏族会議に報告されるから、氏族全体に共有されることになるのだ。
津波の後に粗々の調査は行ったけど、いまだに空白地帯の漁場もあるんだよな。
乾期の漁を頑張れば、雨期にはそんな空白地帯を埋める調査をやることもできるだろう。




