M-175 グリナスさん達の漁果
「カタマランがたくさん見えるにゃ!」
操船楼からのトリティさんの声に、俺達はベンチから腰を上げると甲板の舷側から前方を見た。
「小さいカタマランだ。新人のようだな」
「南に大型船が向かったから、こちらに来たんだろう。豊漁だと良いんだが」
もう直ぐリードル漁だからな。無理せずに漁をしてほしいところだ。再びベンチに腰を下ろすと、パイプに火を点ける。
マーリルを突いた翌日の夕暮れ前には豪雨がやって来た。
その豪雨が止んだのは、ついさっきのことだから、明日の朝に氏族の島に到着というのはかなり難しくなっているようだ。
その遅れを取り戻すべく、トリマランは水中翼船モードで会場を疾走している。
数隻のカタマランとすれ違ったけど、俺達が手を振っていたのを見てなかったかもしれないな。
海面に船底を見せて疾走するトリマランを、呆然とした表情で見送っていたからね。
「晴れてはいるが、西に大きな雲がある。夕暮れ前に再び降り出しそうだ」
「ここまでくれば、もう少しだ。嫁さん連中はかなり速度を上げてるぞ」
ベンチに腰を下ろしたバレットさん達はのんびりとお茶を飲みながら、雲行きを眺めている。
雨期の終わりには、雨具の動きが活発になるからね。その位はトリティさんも分かっているんだろう。晴れてるうちにと速度を上げているのは、バレットさんが言うまでもなく俺にも感じられるぐらいだ。
夕食時は、オルバスさんの言葉通りに豪雨がやって来た。
タープが大きいから濡れることはないんだが、嫁さん連中は速度を落とさなくちゃならないから機嫌が悪いんだよな。
食後のお茶は、自分で入れることになってしまった。
それでも、獲物には十分な気配りをしてるんだよね。朝、昼、夕の3回も、氷を追加している。
そのたびに、俺達で融けた水を汲み上げてるんだけど、保冷庫自体がだいぶ冷えたみたいで、汲みだす量はだいぶ減っているように感じる。
レトロ感が半端ないけど、十分保冷庫として使えるんだよな。
夜間もナツミさんやトリティさん達が交代で操船してくれるから、速度は遅くても着実にトウハ氏族の島に近づいていることは確かだ。
翌日の夜明けには進路を南に変更したし、昼近くになって南に向かって進むカタマランの一行に遭遇した。
相変わらずの豪雨だが、これは諦めるしかなさそうだな。
それでも、前の船団との距離がだんだんと近付いているから、トリマランの方が速度が上なんだろう。
3隻の船団を追い抜こうとした時だった。
「何だ? グリナス達じゃないか!」
「確かにそうだな。レミネィ! カリン達だ。傍に寄せてくれ」
「兄さん達にゃ! たくさん獲れたかにゃ?」
「雨期だから、カリン達に期待するにゃ」
グリナスさんへの、マリンダちゃんとトリティさんの評価は厳しいものだ。オルバスさんが苦笑いをしているぞ。
「ネイザンやラビナス達も船団を組んでいたはずだ。グリナス達だけだとなると……」
「まさかな? 大方、漁果が整わずに遅れたんじゃないのか?」
互いの動力船が数mにまで近寄ったから、グリナスさんが俺達に手を振りながら嬉しそうな表情で成果を伝えてくれた。
「何だと! ガルナックを突いたのか」
「アオイの突いたガルナックよりは小さいけど、それでも6YM(1・8m)はある奴だ。ここまでくればもう少しで氏族の島だから、ちゃんと披露するよ」
「ネイザンとラビナスは?」
「ネイザンさんは、1日前にガルナックを突いて先行してしてる。ラビナスは半日遅れそうだ。ガルナック突けなかったけど、ハリオを5匹以上突いてるんじゃないかな」
ラビナス達も3隻の筈だから、ラビナスもハリオを1匹以上突いたということかな?
それなりに頑張ったということなんだろう。
元々、数が少ない魚だから、連日でガルナックが運び込まれたらそれだけで長老達は喜びそうだ。
「それで、父さん達は?」
「先ずお前達のガルナックを見せて貰ってからだ。長老達が踊りだすんじゃないかと心配になってきたな」
バレットさんがオルバスさんと笑い声を上げている。
レミネィさん達はカリンさんと船速を合わせるようにして進んでいるから、このまま4隻で氏族の島に帰るつもりなんだろう。
「グリナスも一人前にゃ」
トリティさんが笑みを浮かべて、俺達にカップを手渡してくれる。
中身はワインのようだ。ココナッツジュースに蒸留酒を混ぜた酒よりは度数が低いから、1杯だけなら酔うことも無いだろう。
昼過ぎになって、氏族の島が見えてきた。
入り江に入ったところで一端トリマランを停めて、グリナスさん達に浮き桟橋を先に譲る。
浮き桟橋にいた若者が桟橋を島の方に駆けて行ったのは、長老達への報告とガルナックを降ろすための人数を集めるためだろう。
「どれ、先に浮き桟橋に向かうか?」
「そうだな。マーリルを引き上げるんだから、ガルナックの比じゃねぇぞ」
バレットさんが桟橋に大声で迎えに来るように告げると、すぐに少年がザバンを漕いでやって来た。
「先に行くぞ。長老に報告して、丸太を集めてくる。オルバスは人手を頼む」
「分かった。となると、今夜はは浜で酒盛りか?」
「そうなるだろうな。レミネィ! 商船も来てるからな。頼んだぞ」
バレットさんがザバンで浮き桟橋へと向かって行く。
その姿を眺めていると、オルバスさんがポンと俺の肩を叩いた。
「アオイは、ここでじっとしていればいい。俺達で全てやっておくからな。もっとも、ネイザン達がやって来たようだから、彼の手腕をバレットが試すかもしれん」
「だけど、運び出せるでしょうか?」
「先ずは試してみるべきょ。それがトウハの習わしということなんでしょうね。でも、ダメな時は、あれを使うといいわ」
俺達の会話に入ってきたナツミさんが腕を伸ばした先には、商船の荷物積み下ろしの大きな腕木を持った柱があった。
起重機みたいなものかもしれないな。大きな荷物の積み下ろしを行うために船尾に設置してあるんだろうけど、あれならなんとかなりそうだ。
「あれか! 確かに方法ではあるな。皆で担げないようなら、俺が頼んでこよう」
あまり風習に捕らわれないということなんだろう。それでも最初はチャレンジしてみるみたいだ。
パイプを咥えながらお茶を飲む。
グリナスさん達の漁果の荷下ろしは時間が掛かりそうだな。
背負いカゴで何度か商船に往復したところで、グリナスさんのカタマランに若者が集まって来た。
バレットさんと遅れて浮き桟橋に渡ったオルバスさんは、桟橋の端で様子を眺めているようだ。
長老達が桟橋を歩いてくるのが見えた時、ネイザンさんの指揮の元、みこしの様な形に組んだ丸太に吊り下げられたガルナックが運びだされた。
見送るグリナスさん達が笑みを浮かべているし、カリンさん達嫁さん連中も嬉しそうな表情だな。
ガルナックを突いた男は、トウハ氏族の中でも両手で足りるぐらいだからな。旦那を誇らしげに見ているのが、トリマランからでも良く分かる。
「今度は、この船にゃ。あの3隻が離れたら左舷を横付けするにゃ」
「バウ・スラスタの使い方も分かって来たにゃ。この大きさでピタリと着けたら、皆驚くにゃ」
操船楼から聞こえてくる声は、マーリルを見た連中が驚く様子を期待してるみたいだな。アルティ達は雨が降り続いているから家形の中に入ったままだ。
リジィさんが付いていてくれるから、ナツミさん達も安心できるだろう。
「動いたにゃ! それじゃぁ、横付けするにゃ」
操船楼から顔を出して、レミネィさんが教えてくれた。
ゆっくりとトリマランが動き出し、桟橋に横付けしたところで、桟橋にいた若者たちが船首と船尾のロープを桟橋の柱に結んでくれた。
「アオイが突いたのは1匹だけだ。だが、トウハ氏族では……、いや、他の氏族でさえ突いた者はいねぇ。泳ぐ背びれを見た者はいるだろうがな。その姿を見るのも始めてだ。
長老、アオイが突いたのはマーリルだ!」
桟橋にいた男達が歓声を上げる。あまりの大声にいつもの桟橋に横付けしたカタマランからグリナスさんが飛び出してきたぐらいだ。
「バレットが俺達を担ぐとも思えねぇが、どこにそのマーリルがあるんだ?」
「この保冷庫の中だ。先ずは甲板に引き出して、それから担ぐ丸太に乗せればいい。始まるぞ!」
保冷庫の蓋をバレットさん達が開けた途端、それを見た男達の動きが止まってしまった。
「何だ何だ。マーリルがでかいとは酒の話しで聞いたことがあるんじゃねぇか?」
「だがよう……。ガルナックの2倍はあるんじゃねぇか?」
4.5mを超えているからねぇ。確かにガルナックよりは大きいだろう。
だけど、もっと大きなガルナックだっているんじゃないかな?
サメを襲うハタの話は爺様に聞いたことがあるからね。
手を出す者はしばらくいなかった。
長老がやってきて、マーリルの姿に目を見開いて見ていたが、さすがは長老だ。バレットさんに早く運びだすように指示を出してくれたから、十数人掛かりでマーリルを甲板に引き出し、丸太を組んでマーリルを運ぶ井形を作り始めた。
知らせが島中に回ったんだろう。ザバンやカタマランに乗った連中が浮き桟橋を遠巻きにする中、持ち出し作業が続いている。
「それにしても、大きいなぁ。あれを突けるんだからアオイはトウハ一番の銛の使い手だ」
グリナスさんの声に、後ろを振り返るとグリナスさん一家がいつの間にかトリマランにカタマランを寄せていた。
「たまたまですよ。あれ1匹ですからねぇ。銛打ちとしては失格だと思ってます」
「謙遜は良くないにゃ。でも、グリナスがあれに銛を打つ姿は想像できないにゃ」
カリンさんのグリナスさん評価は厳しいな。頭を掻きながらグリナスさんが苦笑いをしているぞ。
「ダメにゃ。まだまだ人手が足りないにゃ」
トリティさんが、近頃の若者は……、という感じでマーリルを担ぎあげられない若者達に呆れているようだ。
とはいっても、300kgは超えてるんじゃないか?
やはり、起重機を使うことになりそうだな。
見かねた姿に、オルバスさんが商船に足を運んでいるのは、協力を仰ぐためなんだろう。
せっかく突いても、動かせないんじゃ話の外だからねぇ。




