M-173 突いた後が大変だ
トリマランが波を切る音が後ろに聞こえる。
銛をお立ち台の手すりに預けて、軽く両手で掴みながらその問いを待った。
さらにトリマランの速度が上がった感じだけど、水中翼船モードにはなっていない。船底から張り出した翼の角度を変えられるのだろうか?
しっかりと水面に張り付いた状態で、トリマランがまた進路を変えた。
かなり頻繁に進路を変えているのは、カジキの後ろをしっかりと押さえているに違いない。カジキの泳ぐ速度は時速80kmを軽く超えると聞いたことがあるから、じわじわと距離を詰めているんだろう。俺達が脅威と思ったならたちまち逃げられてしまいそうだ。
ふと後ろを見ると、家形の船首扉の近くで、トリティさん達がアルティ達を抱きかかえるようにして座っている。家形の屋根の上にはバレットさん達がジッと俺を見ていた。俺が振り返ったら片手を上げて答えてくれた。
「右前方10YM(30m)!」
ナツミさんが叫ぶように教えてくれた方向を見ると、三角の背びれが海面を割って進んでいるのが見えた。
トリマランがゆっくりと右手に進路を変える。
銛を左肩に担ぐように持ち上げると、左手でしっかりと銛の重心付近を持って、右手で真鍮の柵の上部を半円形に取り囲んだパイプを握る。
足元は、滑らないようにマリンブーツを履いた足で、足元の横板をしっかりと前後に踏んでいることを確認した。
左足が後ろで、右足は左足よりも足の長さ分前にある。この状態で、銛を打つときには腹を柵に押し付けるようにすれば体が安定する。
銛を打つ目標点は、海の中に隠れているし、上から見た魚体の横幅は思ったよりも狭いものだ。たぶん30cm以上で50cm以下というところだろう。
ある意味、点に銛を打つにも等しいんだよなぁ。
「近づいてるわ! 準備して」
再び、ナツミさんの声が聞こえた。甲高い女性の声は、こんな時にははっきりと聞き分けられるのがありがたい。
ロープの遊びを確認したところで、腹を柵に押し付けるようにしてバランスを取る。
左手で握る銛の柄を後ろにずらして、バランスが崩れた銛先を右手を添えることで何とか維持する。
あまり長く、この体勢を維持するのは難しいぞ。
腹筋にトリマランが波を切る振動が伝わってくる。
色々な考えが頭を横切るけど、両眼は数m先を泳ぐカジキを捉えて離さない。
まだ銛は撃てないな。
じわじわとカジキとの距離が狭まってくる。
カジキが微妙にコースを変えるけど、ナツミさんはその動きをまるで予測しているように操船をしているんだから凄いと言わざるをえないな。
もう少しでお立ち台の真下だ。
残り2mほどに近づいた時、トリマランが一気に距離を詰める。
カジキがお立ち台の真下になった瞬間、大声を上げながら銛を海中に叩き込んだ。
シュルシュルと音を立ててロープが延び、船首に置いてあった浮きが海面に飛んで行った。
足元のロープが延び始めたから、足に絡まらないように船首に戻って、ほっと息を吐く。
「やったか!」
「背中に、2本刺さってます。大型を突く銛先ですから、外れることはないと思うんですが……」
話の途中で船が急に向きを変えた。
50mのロープを全て引き出したってことか?
「元気な奴だな。だが、しばらくは俺達も手は出せんぞ」
「船の魔道機関は停止したよ。しばらくはトリマランを引いてもらいましょう」
人が歩く速さまでにはならないが、このトリマランを引く力があるんだからとんでもない奴だな。
「かなり大きそうじゃねぇか?」
「12YM(3.6m)は超えてるだろうな。15YM(4.5m)はあるかもしれんぞ」
そんな話をしながら、オルバスさん達は家形の屋根を下りて行った。
家形の船首扉の傍にいたトリティさん達も家形の中に入って行ったから、俺1人になってしまったな。
問題は、次の作業になる。やはり、もう1本の銛を打ち込むか、それともギャフで引き上げるかになりそうだぞ。
足早に船尾の甲板に向かったところで、薄めのココナッツ酒を一口飲んで喉の渇きを癒す。
パイプのタバコを詰め直したところで、火を点けるとグンテをはめて、用意した銛を屋根裏から引き出した。
「それも打ち込むのか? 今度は少し短い銛だな」
「長くトリマランを引いているようなら、これを打ち込んでみます。弱ってきたらロープを引くのを手伝ってくれませんか?」
「引き上げるのか? おもしろそうだ。だが、その前に、もう1杯飲んでいけ!」
前祝には早すぎると思うんだけどなぁ。
渡されたココナッツ酒は思ったよりも酒が混じっていない。バレットさん達もこの後の作業を少しは考えてるのかもしれないな。
「凄いにゃ! 打ち込んだ銛に結んだロープをまだ曳いてるにゃ。グリナスに話したあビックリするにゃ」
「そういえば、あいつらはガルナックを突きに出掛けたんだっけな。今頃はどうしてるのだか」
「まだ見つけられずに、焦ってるんじゃねぇか? それにひきかえこっちは、すでに付いているからな。ワハハハ……」
突いたのは俺で、バレットさん達は後ろで見てただけなんじゃないかな?
それでも、それだけ嬉しそうに笑い声を上げられるんだから、俺達は一心同体ということなんだろう。
「少しロープが緩み始めたにゃ! 銛先が外れないか心配にゃ」
「奴の体内で旋回してるはずだから外れはしないと思うよ。でも、緩み始めたなら、取り込みの準備を始めるよ」
心配そうな顔をしてマリンダちゃんが俺達を見下ろしている。
俺の話を聞いて直ぐに操船楼の中に姿を消したから、安心したんかな?
「俺達は船首に向かえばいいだろうが、操船楼との間に、1人置いておいた方が良いかもしれんな。グレミナ、家形の屋根に上がって、話を繋いでくれ」
バレットさんの声で、グレミナさんが家形から出てきた。小さな麦わら帽子を被ってサングラスを付けてるから屋根の上でもだいじょうぶだろう。
「先に向かうにゃ。アオイも頑張るにゃ。甲板に魚を上げてから皆でお祝いするにゃ」
「そうだな。先ずは姿をこの目で見なけりゃどうにもできん」
バレットさん達がそのままハシゴを上ろうとしたので、ギャフと棍棒を持って行ってもらう。
上手く行けば、その2つで何とかなるし、もう一暴れするような気配を見せたならこの銛で突けばいい。
船首甲板は余り広くはない。邪魔になりそうなザバンを家形の屋根に乗せて、俺達の足場を確保すると、ロープを手に曳き始めた。
緩んでいたロープがピンと張った途端に、再びロープが引き出される。
「やろう、休んでいたな。まだまだ体力が残ってるようだな」
「しばらくはここで様子を見ることになりそうだ」
あの老人は、3日3晩小さな船でカジキと戦ったんだよな。それに比べれば、俺には仲間がいるし、それほど長く戦うことも無いだろう。
老人は釣りだったが、俺は銛での漁だ。今までに、奴もかなり血を流してるに違いない。それだけ体力が奪われているはずなんだが、相変わらずロープを引いているんだよな。
ロープが緩めば3人で引き寄せ、奴がロープを引く時にはロープを握った手を少し緩めてブレーキを掛ける。
そんなやり取りが続いているんだけど、少しずつ手元に引き寄せられるロープが延びてきた。
「どうだ? やはりもう1本銛を打つか」
「ギャフで何とかなるかもしれませんね。引き上げるのは船尾の甲板ですから、もう少し弱らせたところで、船尾からロープを使ってこのロープを引き寄せましょう」
最初から船尾にロープを結んだ方が良かったかもしれないな。
こんな凝ったローラーを、お立ち台に付けなくて良かったんじゃないのか?
とはいえ、俺も突きんぼ船の構造を良く知らなかったからね。ナツミさんも勇壮な漁だとは知ってたんだろうけど、細かなところは想像してこの船を作ったんだろうな。
ちゃんとカジキが獲れたなら、一番ナツミさんが喜びそうだ。
銛を打って2時間が過ぎた。奴の引くロープがだいぶ引き寄せられるようになってきた。今回は、すぐ手元まで浮きが引き寄せられたぐらいだ。
それでも、俺達には奴の姿がまだ見えないんだよな。
「アオイ、甲板からロープを取って来たぞ。これをこのロープに結ぶんだな?」
「次に引き寄せる時に結びましょう。今度は船尾の甲板から引くことになります」
やがて訪れたチャンスに、オルバスさんが船尾から持ってきたロープを奴が曳いているロープに途中に結び付けた。
これで、船尾からロープが引けるし、万が一に手放すことになっても、船首のロープはそのままだから逃げられることはないはずだ。
オルバスさんとバレットさんが先に戻って、船尾の甲板からロープを引き始める。
船尾からのロープがピンと張ったことを確認したところで、俺も銛を持って船尾に急いだ。
「遅いぞ! かなり重いな。皆で引いてるんだが、あまり近寄って来ない気がする」
「済みません。でも少しずつ引き寄せてますよ。ロープは甲板に投げ出さずに、カゴに入れといてくださいよ」
急に暴れたらロープに足が絡んでしまいそうだ。纏めておけば、カゴごと海に投げ込んでも良さそうだからな。
「重いにゃ! ガルナックよりも重そうにゃ」
トリティさんが嘆いているけど、トリティさんはあの時にガル鳴くのロープを引いたんだっけ?
アルティ達が家形の戸口でトリティさんを応援してるから、張り切ってるのかもしれないな。
「だんだん近づいてくるな。これならもう少しで甲板に引き上げることも出来そうだぞ!」
「まだまだ浮きがあそこに浮かんでるぞ。だがもう少しだ頑張れよ!」
近づいてきた浮きが、やがて甲板に引き上げられた。
この先15mに奴がいるんだろうけど、潜っているらしくまだ姿が見えないんだよな。
「バレットさん、姿が見えたら奴の首に銛を打ってくれませんか」
「分かった。アオイの持ってたやつだな。トウハ筆頭の腕を見せてやるぞ!」
「その後は、俺が棍棒を使うんだな。甲板に近づいた時が奴の最後になるぞ!」
その時だ。上の操船楼からマリンダちゃんの大声が聞こえた。
「浮かんできたにゃ! 大物にゃ、15YM(4.5m)を超えてるにゃ」
「なんだと! なら、何としても氏族の連中に見せたいところだ」
オルバスさんの言葉に、俺達は汗だくになりながらロープを引く腕に力を籠める。
大きいと聞いて自然に笑みも浮かぶのは、俺がすでにトウハ氏族の一員となっているからに違いない。




