M-172 見つけた!
トウハ氏族の島を発って2日目の朝。
俺達を乗せたトリマランは、かつてオルバスさん達がマーリルを見たという海域に到着した。
東北東に向かって深みが伸びているらしい。マーリルは、その大きな溝の様な地形に沿って、遥か東の海からやって来るのだろう。
「着いたな。それで、どうするんだ?」
近くの島の砂浜にトリマランを停めて、朝食をナツミさん達が作ってくれた。甲板で輪を作り朝食を頂いてる間でも、オルバスさんはすでに漁が気になるらしい。
いつもなら笑みを浮かべて静かに俺達の様子を見ているナツミさんも、俺に真剣な表情を向けながらスプーンを使ってるし、アルティ達は何か期待しているような顔をしてるんだよな。
「東に向かって進みましょう。漁の支点はあの島が良い目印になりますから」
ナツミさんが腕を伸ばした先には、平たい島の東西に突き出した岩礁に大きな岩があった。直径3mは超えてるんじゃないか?
かつての津波であそこに打ち上げられたのかもしれない。
「確かに目印にはなる。北には、2つの大岩。南の島にも北側に大きく砂浜が広がっているが、この海域の南北は8MMほどだ。戻りには注意するしかねぇな」
MMは300mほどらしいから、およそ2.4kmというところだろう。バレットさんの注意は、豪雨の時には少し北に沿うようにとのことなんだろう。
「私とレミネィで交替しながら東に進むにゃ。見付けたらナツミ達に操船を替わるにゃ」
トリティさんの提案はナツミさんも嬉しいに違いない。
マリンダちゃんと顔を見合わせて笑みを浮かべている。
「まっすぐ、地形に沿って進めばいいのかにゃ?」
「バレットさん達が目撃した時も、カタマランを進めている最中だったと思います。深場に沿って、1ノッチで進んでください。
バレットさんとオルバスさんは上の操船楼に上がって周辺の監視をお願いします。
アオイ君は、お立ち台を伸ばすから、準備をお願いね。残った私達で、甲板のタープを畳んでおきます」
「いよいよだな。最初は俺が見張りだ!」
嬉しそうにバレットさんが声を上げると、家形の屋根に上って帆柱に付けた小さなハシゴをさらに上って行く。
「最初はレミネィに譲るにゃ」
「なら、先端のお立ち台を伸ばしておきますね!」
ナツミさんとレミネイさん達が操船楼に向かった。となれば俺もそろそろということになるのかな。
準備が少し面倒だ、と思いながらも家形の屋根を伝って船首に向かう。
すでに銛を打つお立ち台が伸びている。お立ち台は60cmほどの横幅で台座が前方に延ばされれる構造だ。周囲は真鍮の柵があるんだけど、そこまで渡る足場は板の両側にロープで作った柵があるだけなんだよな。横揺れがあるとお立ち台まで行くのが命がけに思えるぞ。
落ちたら、スクリューに巻き込まれそうだし、このトリマランには船底に何枚も翼が伸びてるんだよね。
家形の屋根の板をめくって、屋根裏から銛を1本取り出す。
銛先が3本に分かれた銛の全長は4.5mもある。水面から2m以上の高さにお立ち台がある以上、短い銛は使えないし、銛の重さで突き差すことになるからね。
竹材を密に束ねた銛の柄は、細い組紐で形を整えてあるし、樹脂でしっかりと塗装してあるから防水性もばっちりだ。組紐だから俺の手に持っても良くなじむ。
銛の先端に付けた回転銛にロープがしっかりと付いているのを確認したところで、銛の先端の輪に通したロープとの接合金具に目を向ける。
2つの鉄の輪が組み合わされた金具に各々のロープを結んでいるから、ロープの太さの違いによって結び目が解けることは無い。
最後に、ロープに結んだ浮きがしっかりと付いていることを、浮きを引いて確かめたところで、ロープの末端が船首の横梁に結ばれていることを確かめた。
これで良いんだろうな? ロープの後半30mは、お立ち台の下に設けた溝におとしてあるし、その溝は左右と上部にローラーが付いている。どんな形でロープを引くことになってもロープはローラーを通して出ていくことは間違いない。
この溝を通ってロープが出るのは、浮きを2個引き出した後になるはずだ。
銛をお立ち台の柵に斜めに置いたところで、船尾に向かう。ここでじっと待つのも退屈しそうだ。
「準備はできたのか?」
「一応です。見付けた知らせで船首に走れば間に合います」
家形の中に入ると、棚から帽子とサングラスを手にする。今回は偏向レンズ付きになるな。動いても落ちないように、サングラスに紐をつけて首に掛けておく。帽子を被る前に大きめのバンダナを頭に巻いておいた。
帽子は風に飛ばされそうだし、外れたら視界の妨げにもなりかねない。お立ち台に立つときはバンダナで十分だ。
タープを畳んだから、甲板は麦わら帽子が必携になる。
俺と同じような麦わら帽子を被って、オルバスさんが船尾のベンチで左右に目を光らせていた。
「上にバレットがいると言っても、監視は多い方がいい。レミネィ達も片方が監視をしてるはずだし、トリティ達もたまに家形から出て来るぞ」
「直ぐに見つかるとは思えませんけど、俺も賛成です。とはいえ、のんびりとしてた方が良いですよ。始まったばかりですし、これから3日は続くんですから」
ネコ族の人達は仕事熱心なんだろうな。それとも戦闘民族として古い時代に知られた種族の特徴なんだろうか? 漁は戦闘と同じということなのかもしれないな。
漁の腕が高い人は、過去の英雄にも匹敵すると思われているのかもしれない。漁で手を抜く人に会ったことが無いかからね。
2時間ほどで、操船をトリティさん達に交代したようだ。上の操船楼にはバレットさんに代わってオルバスさんが上がっている。
「滅多に見ないことも確かだ。マーリルを見たことがある奴は、トウハ氏族の中でもそれほど多くはねぇだろうな」
「俺達が住んでいた町では、周囲に何もない海での漁でしたよ。マーリルがいると周囲に海鳥がいるらしいんです。マーリルの群れが小魚を追い掛けるので、そのおこぼれを狙うんでしょうね。そんな光景を鳥山と呼んで、マーリル漁師は鳥山を見付けることを重視してるようです」
「そういえば……。レドニアが海鳥が群れているとか言ってたな。ちょっと待ってろ!」
昔を思い出すように目を閉じていたバレットさんが、突然俺に振り向いたかと思うと、家形の屋根に上って行った。
屋根の上でオルバスさん達と何やら話をしている。突然漏れに顔を向けるとニヤリと笑みを浮かべた。
ゆっくりとハシゴを下りて、カマド近くのカゴからココナッツを取り出した。喉が渇いたのかな? と思って見ているとどうやらココナッツ酒を造るようだ。
カップ2つにできた酒を注ぐと、1つを俺に渡してくれた。
「やはり、オルバス達も水鳥を見たと言っている。ということは、アオイの言うように水鳥の群れを見付けたところで、マーリルの背びれを見付ければ良いってことになるな」
「必ずしも、水鳥が一緒だとは限りませんよ」
「とはいえ、目安にはなる。それで十分だ。この海域で水面に現れる背びれを探すのは骨が折れるからなぁ」
カップの酒を少しずつ飲むことにした。万が一にもマーリルを見付けた時に酔っぱらっていては、ナツミさん達にどんな言い訳をしても許して貰えないだろうからね。
様子を見に出てきたマリンダちゃんにココナッツジュースだけをカップに注ぎ足して貰った。かなり薄まったから、これなら悪酔いしないで済みそうだ。
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結局、初日はボウズだった。
がっかりするかと思ったけど、皆が明日は何とかという目をしている。
俺としてはかなり確率が低い話だと思っているから、鼻から期待はしていない。とはいえ、ナツミさんは確固たる核心を持った表情をしているのが気になるところだ。
まさか、神亀を使ってこの海域にマーリルを追い込もうなんて考えていないだろうな?
アルティ達やアキロンのこともあるし、ひょっとしたらすでに裏で手を回しているのかもしれない。
それが本当なら、千の島のどの海域でも常に豊漁に恵まれることになるってことじゃないのか?
聖痕どころの恩恵ではないな。まさしく神の使徒そのものになってしまいそうだ。
「すでにかなりの距離を進んでいるわ。この辺りまで来たトウハ氏族はいないんじゃないかしら?」
「ネイザン達が向かったのは、北に5日だったはずだ。どちらかというと北東方向になるからナツミの言うう通りに違えねぇ」
「3日でダメなら、素潜りで漁をするにゃ。氏族筆頭の3人が獲物を持たずに帰るのも問題があるにゃ」
「そうだな。トリマランを停める前に海の状態を見ていたのだが、かなり良い崖を作っているぞ。ハリオを突けるかもしれん」
「生憎と、中型の銛を持って来てしまった。となれば数を上げるってことか?」
まったくめげない性格だよね。
だけど、俺もそれなら賛成だ。一夜干しを作るなら問題なく持って帰れるし、トリマランの足の速さなら昼夜船を進めるなら3日も掛からずに氏族の島に帰れそうだ。
「明日は進路を反転させますが、昼を過ぎてからでいいでしょう。今期がダメでも、来期もありますから」
「まだあきらめるのも早かろう。何と言っても初日だからな。来期に期待するのは明後日の夕方で十分だ」
オルバスさんの言葉に、俺達が揃って頷くことになった。
ナツミさんがちょっと気弱な話をしてたけど、俺達の結束を強めることを狙っただけとも思えない、
ひょっとして、明日は見つかると分かってるんだろうか?
やはり、何らかの裏工作というか、神亀に誘導を願ったのかもしれないな。だけど、それってお願いになるのかな? どう考えてもおねだりに思えてしまうんだけどね。
マーリル漁の2日目の朝がやって来た。
日が昇る前に朝食を終えて、現在はレミネィさん達がトリマランを北東に向けて進ませている。
上の操船楼に上がったバレットさんも、周囲の監視に余念がない。
船尾のベンチでパイプを楽しんでいるのが申し訳なく感じてしまうな。
「さて、今日はどうなるかな? 上手く見つけられればいいんだが……」
オルバスさんが、ベンチから腰を上げて、後方の監視をしようとした時だった。
「いたぞ! 水鳥の群れだ。東南東で渦を巻いている」
上の操船楼からバレットさんの大声が響いた。
家形からナツミさん達が飛び出してくると、家形の上に上って行く。バレットさんと交替するんだろうな。
俺も早めにお立ち台に向かった方が良さそうだ。
家形の屋根を船首に向かって走り抜け、お立ち台に立った。
まだ銛を持つには早そうだ。最後の一服を楽しんだところで、腰にパイプを差し込んだ。
ピィーっと短くとも力強い笛が鳴る。
「マーリルにゃ!」
続いてマリンダちゃんの大声が聞こえてきた。片手を上げて了解を知らせると、銛を手に取りゆっくりとお立ち台まで銛を引き寄せる。
まだ、獲物の姿を目にすることができないが、トリマランの進路が微妙に変わっていくのが分かる。速度もかなり上がっているようだ。




