M-162 ひたすら西へ
盛大に水飛沫を上げながら、西に向かうトリマランはどう考えても30ノット近いんじゃないかな。
トウハ氏族の若者が初めて手にするカタマランの、2倍近い速度は出てるはずだ。
このまま進めば、夕刻には着けるというレミネィさんの言葉を裏切るかのように、西の空の雲行きが怪しくなってきたのは、昼過ぎのことだった。
パイプを咥えて成り行きを見守っていたら、10分も経たずにとんでもない豪雨が襲ってきた。
慌てて、ナツミさん達は子供達と一緒に家形に入り、トリティさん達もトリマランの速度を落とすことになった。
「これだと、それは夜明けになってしまうにゃ」
「豪雨だからねぇ。無理する必要はないよ」
マリンダちゃんが文句を言いながら操船楼に上がっていく。
俺の言葉を聞いたんだろう。こちらに振り向きもせずに頷いている。
確かに、自転車並みの速度に落ちたからね。文句を言うのも分かるけど、俺にはこれフライの速度が丁度良い。
咥えていたパイプに火を点けて周囲を眺めてみたが、先ほどまで見えていた行くt化の島は全て豪雨の中に消えてしまった。
レーダーでも付いてれば安心なんだけど、この世界では自分の目が頼りの操船になる。
100m先も怪しい状態だから、これでも船足は早いと思うけどね。
「予定外の雨にゃ。しばらく続き添うにゃ」
「オウミ氏族の島には、明日の朝ということでしょうか?」
「このまま進めばもっと遅くなるにゃ。でも、昼ぐらいには何とかなるにゃ」
トリティさんが家形の中に入ると、ナツミさんが出てくる。直ぐに操船楼に上がって行ったから、レミネィさんと交替するんだろう。
ちょっと手持ち無沙汰だから、根魚釣り仕掛けの釣り針でも研いで時間を潰そうかな。
漁具を入れた操船楼の下にある倉庫から、仕掛けを巻いた木の枠をとりだす。釣り針を指の腹で鋭さを確認すると、確かに少し鈍っている感じだ。
タックルボックスから地位さんヤスリを取り出して針先を研ぐ。
銛は砥石を使うけど、釣り針はダイヤモンドヤスリを使う。人工ダイヤの粉が塗布してあると釣り具やのおやじが言ってたけど、本当なのかな?
一応、研げることは確かなんだけどね。
「せいが出るにゃ。アオイはいつも手入れを忘れないにゃ」
俺の事を見て、レミネィさんが感心した表情で頷いている。直ぐにカマドに行ってポットでお茶を作り始めたけど、バレットさんも暇な時には漁具の手入れをしてるんだろうな。
「初めは誰も同じにゃ。でも少しずつ腕の差が出るにゃ。道具の手入れも出来ないような銛打ちは、獲物の数も少ないにゃ」
「俺達の生活の道具ですからねぇ。手入れをすればするだけ応えてくれます」
「バレットも、漁場に着くまではいつも銛を研いでるにゃ」
お茶のカップを渡してくれたレミネィさんに、「そうでしょうね」と言いながら頷いた。
人は見かけによらないけど、バレットさんやオルバスさんなら容易にその姿が思い浮かべられる。
それだけ、自分の腕の限界を知っているのだろう。その上でその限界を超える手段として常に道具の手入れをしているんだろうな。
俺も見習わねばなるまい。誰が見ているかは気にせずに、自分の納得した道具で漁に臨みたいものだ。
レミネイさんがお茶の入った竹筒を操船楼に届けると、家形の中に入って行く。
子供達とスゴロクで遊ぶつもりなのかな?
夕食の準備にはまだまだ時間があるからね。
それにしても、豪雨が半端じゃないな。
ネコ族並みの視力をもってしても、島影すら見えない。
レミネィさんの話しでは、西に真っ直ぐということらしいから、ナツミさん達は操船楼でコンパスを睨みながら舵を握っているに違いない。
道具の手入れを終えて家形に目を向けると、マルティが扉から顔を覗かせている。アルティと瓜二つの姿なんだけど、マルティの方がお転婆なんだよな。
「どうしたんだい?」
「おばあちゃん達がお寝んねしたの」
夜通し操船したから疲れたに違いない。
豪雨で甲板は濡れているけど、ベンチを持ち出せばお尻が濡れることは無いはずだ。
子供達を家形から出して、小さな箱を机代わりにしてベンチに腰掛けさせる。
マルティが持ち出した積み木を使って、アキロンに2人で文字を覚えさせようと考えたみたいだな。
まだ5つだからねぇ。どこまで覚えられるかが問題だけど、お姉ちゃん達は容赦なく教育するつもりらしい。
予想通り、30分もしない内に、アキロンが泣き出したからナツミさんが操船楼から下りてきた。
「ダメじゃない。ちゃんと子守ができないと」
「泣かしたのは、お姉ちゃん達だぞ。それで、現在位置は?」
「まだまだ先よ。周囲の島影が見えないから良く分からないけど、レミネィさんの話しでは、昔のリードル漁をした島を今朝方通過したと言ってたわ」
やはり周囲が見えないのは問題だな。
航路的には島の間を上手く西に向かっているのだろうけど、ちょっとした舵の操作がもとで方向が変わってしまうことだってあるだろう。
「でも、少し明るくなってきたよ。一時でも雨が止むなら、状況が分かるんだけどね」
確かに船首と船尾方向の空の色が違っている。
これなら、夕暮れ前に晴れるかもしれないぞ。
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豪雨が急に納まって、南国の強い陽光が降り注ぐ。
4時間ほど仮眠を取った、トリティさん達が家形の上に上って周囲の島を調べて現在位置を確認してくれた。
「島1つ分、北にずれてるにゃ。マリンダに伝えたから直ぐに元の航路に戻せるにゃ」
大きな岩が林から突き出した島を指差して、レミネィさんが教えてくれた。
やはり、前が見えない状態で進むのは問題だったかもしれないな。上手く島と島の間を通りすぎたようだけど、場合によっては島近くのサンゴ礁で船底を損傷したかもしれない。
「そんな顔をしなくとも心配は無いにゃ。サンゴの海が浅ければ、直ぐに分かるにゃ」
トリティさんの話しでは、深さ2m以下のサンゴ礁には、ところどころにもっと浅い場所があるらしい。海面付近の波の立ち方が違うからすぐわかるということだけど、そんな話をナツミさんやマリンダちゃんから聞いたことも無いぞ。
案外、2人とも勘で動かしているような雰囲気があるんだよな。
夕食を作るには少し早いということだから、ナツミさん達と操船を交代して、再び水中翼船モードでの航行が始まる。
「少しでも早く着きたいということなんでしょうね」
「到着が夜だと困ってしまうにゃ」
ナツミさん達が操船楼を見上げながら呟いているけど、当人達は水中翼船モードでの走りを楽しみたいだけだと思うな。
ナツミさん達が、子供達を連れて家形に入ったところで、タープを畳んで甲板を乾かす。
日差しが強いから直ぐに乾くだろう。その間は麦わら帽子とサングラスを掛けて船尾のベンチで、周囲の島を眺めていれば良い。
最初はあまり特徴のない島々だと思っていたが、ちょっとした特徴を覚えておくと、航行が楽になるんだよな。
島から少し離れた場所に大きな岩があったり、林の中から数本の高い雑木が頭を出していたりと色々だ。
操船楼に置いてある海図には、そんな島の特徴をナツミさん達が書き込んでいるに違いない。
「子供達はお昼寝にゃ。起きるのは日が落ちてからになってしまうにゃ」
「夕食は、少し遅らせようと思うの」
家形から出てきたナツミさん達に頷くことで了承を伝える。
1日中、船尾のベンチに座っているだけだから、あまりお腹もすかないんだよね。
「今回は、サイカ氏族の島に行かないんでしょう? でも、サイカ氏族とオウミ氏族は頻繁に行き来してると思うの。サビキ釣りを教えてあげたら?」
「そうだね。夜に明かりを点ければ群れることも教えた方が良いかもしれない。水中ライトをナツミさんは考えたのかな?」
悪戯がバレた様な表情を作って頷いてくれたから、それに見合うサビキ仕掛けということになるはずだ。
夕暮れにはまだ間があるから、2セットは作れるだろう。それを見れば釣りを氏族の主要な漁法にしているサイカ氏族なら理解してくれるに違いない。
夕暮れまでに何とか、3つのサビキ仕掛けを作り終えた。後は使い方を教えれば良いだろう。
ナツミさんの考えた水中ライトは、ノゾキメガネの筒を長くしたような代物だ。筒の長さが1.5mもあるけど、これは内部にもう1つの筒を入れるためのようだ。短い筒の先には金属板が凹面鏡のように付けられてるし、それを先端付近にまで移動するための棒が突き出ているから、何となく大きな水鉄砲にも見えるんだよな。
箱の先に設けたガラス面の保護の為に金網を付けてあるから、トコロテンを押し出す器具にも見える。
日が落ち始めると、西の空が怪しくなってきた。
トリティさん達は、雨がやって来るまで全速で進むようだ。トリマランの周囲に水飛沫が虹を作っているから、2ノッチ以上に魔道機関の出力を上げているんじゃないかな。
夕食が終わったところで、今度はナツミさん達が操船楼に上がる。
しばらくすると、再び豪雨が襲ってきたけど、昼の豪雨に比べればマシに思える。近くの島影が見えるから、視程は500mぐらいあるんじゃないかな。
「あまり速度を上げないにゃ。子供達と早めに寝るにゃ。夜半に起こして欲しいにゃ」
「伝えときます。このまま西に向かって、トリティさん達が、オウミ氏族の島に最終的な舵を取るということですね」
「曲がる場所と、氏族の島を知ってるのは私達にゃ」
そうする外にないだろうな。ナツミさん達はこの辺りの海域に来るのは初めてだし、ましてどれが氏族の島かは分からないはずだ。




