M-161 夜でも見えるぞ
空はトリティさんの言う通り、日が暮れてから急激に良くなった。
少し膨らんだ月が中天に掛かっているから、俺の目でも数km先の島影がはっきりと見える。
ナツミさんも安心して走らせているに違いない。この水中翼船にもだいぶ慣れた感じだな。前のトリマランよりも水面が近いから速度感も増しているように思える。
操船楼からだと、どんな感じに見えるんだろう?
ちょっと気にはなるけど、ナツミさん達の操船に支障が無ければそれでいいだろう。
真っ直ぐに西を目指して進むトリマランの、船尾のベンチに腰を下ろす。
周囲にはまるで明かりが見えない。この辺りはすでにオウミ氏族の漁場なんだけど、生憎と漁をしている動力船はいないようだ。
「かつては、トウハ氏族の漁場だったにゃ。海人様が若者と一緒に銛を競っているころ、オウミ氏族が2つに別れたにゃ。別れたオウミ氏族が東に移動したことで、私達は今の島に移動したにゃ」
レミネィさんが、ワインを飲みながら教えてくれた。
かなり昔の話だな。だけど、かつての自分達氏族の島に向かうというのは、思い入れもあるんだろう。
「そうなると、オウミ氏族の中心となる島はどちらになるんですか?」
「私等が住んでいた島にゃ。最初に入植したオウミの人達が少なかったから、色々と建物を作ったみたいにゃ」
住む人が少ないからというのも、おもしろいな。
今ではニライカナイの最高機関である族長会議の場所であるとともに、海軍ともいうべき各氏族の砲船がいざ鎌倉の時に集結する場所でもあるようだ。
「商会ギルドの商船がいつも停泊して、数家族が暮らしてるにゃ」
「外交の島ってことだね。あまり関わりたくはないな」
「長老に挨拶して、すぐに北に向かえばいいにゃ」
獲物を下ろして、生鮮野菜を買い込んだところで、すぐに出発したいところだ。
「ようやく、眠ったにゃ」
家形から出てきたトリティさんに、レミネィさんがワインのカップを渡している。
互いにライバルだけあって、仲は良いんだろうな。口が悪いのは仕方がないのかもしれない。
「まだ、操船してるのかにゃ? 早く代わってくれればいいにゃ」
そんなことを言いながら、2人でワインを飲んでるんだけど飲酒運転になりそうだ。1杯で止めて、お茶を飲んでほしいな。
「たぶん、月が落ちてからだと思いますよ。そうなると、ナツミさんだと周囲が良く見えなくなりますから」
「カイト様は私等と同じように夜でも周囲を見ることができたと聞いたにゃ。今度龍神が現れたらお願いしてみるといいにゃ」
お願いすれば何とかなるんだろうか?
海人さんもお願いして何とかなったなら、俺達もそうすべきかもしれない。夜目が利かないというのは、色々と不便なんだよね。
トリティさん達はワインを飲み終えると、仮眠をすると言って家形に入って行った。
俺1人が甲板に残った感じだな。
風が心地よいから、パイプのタバコを詰め直して、火を点けたところで家形の屋根に上った。
前のトリマランよりも少し勾配がなだらかに思える。足を延ばして帆柱に背中を預けながら月明かりできらきらと輝く海を眺める。
「トリティさん達は?」
「月が落ちれば代わってくれるだろうと、仮眠しているよ。俺にはこれぐらいの速さがいいな」
「無理はできないから、速度を落としてるの。マリンダちゃんは水中翼モードでも問題ないと言ってるけど」
思わず、ナツミさんと顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
俺達とネコ族の大きな違い。それは夜の操船なんだよな。
現在舵を握っているのはマリンダちゃんだから、やはり物足りなく思うんだろう。
突然、目頭が痛む。あまりの痛さに手で押さえたのだが、痛みは急速に癒えてしまった。
痛みが去った後も、しばらくは目の上に手をやり軽く揉んでいると、隣から声がした。
「何なの!」
「ナツミさんもなのか?」
「アオイ君も!」
互いに顔を見合わせる。ナツミさんは両手で目を押さえてぐりぐりと動かしている。ナツミさんの後ろで、心配そうな表情をしたマリンダちゃんが俺を見ている。
「突然、目が痛くなったの。でも直ぐに納まったんだけど……」
ナツミさんの状況は俺と同じということになる。まあ、痛みが去ればそれでいいんだけどね。病気やケガというわけでは無さそうだから、しばらく様子を見ることになるのかな。
「ねぇ、あの島なんだけど、さっきよりも良く見えるよ」
「どうにか分かるだけだったんだよね。あれだろう?」
ナツミさんが腕を伸ばした先にあるのは、月明かりでどうにか判別できる島だった。俺にもその島の存在は分かったんだけど、形までは分からなかったんだよな。
だが、俺の目に映った島は、先ほどまでのぼんやりした島影ではなく、はっきりとその形を示している。
色まではさすがに分からないけど、かなり木々に覆われた島であることが理解できるまでになっていた。
「先ほどの、目の痛みのせいかな?」
「私達が、マリンダちゃん達と同じ目になったということかしら?」
たぶん瞳孔の開きが平均を越えたということだろうか? その上で、視神経にも若干の補正が加わったということなんだろうな。
「竜神の贈り物かな?」
「たぶんね。私達がこの地で暮らすなら……、ということなんでしょうね。これで私達も夜間の航行が可能になったということかしら?」
「海底でも役に立つはずだ。この辺りの海水の透明度は高いけど、5mも潜ればさすがに太陽光も減衰するからね」
朝夕の薄暗がりでも、海中で漁ができるんじゃないかな。
これまでは日が高くなってからの素潜りだったが、朝早くからの漁だってこなせるだろう。それは漁果を上げるのにも役立つはずだ。
「問題は昼間ね」
「昼間の明るさが増すとなれば問題だけど、それは無いんじゃないかな。マリンダちゃんだって瞳の大きさは俺達と大差がないよ。夜だけ大きいんだよな」
と言っても、倍になるほど大きくはない。ネコの瞳までにはならないのは、人間の姿をしているからなんだろう。
夜半を過ぎたところで、マリンダちゃんがトリティさん達を起こしたようだ。
大きな伸びをしているけど、眠くないのかな?
「後は任せるにゃ。オウミ氏族の島には何度か行ったことがあるから、夜の航行も問題ないにゃ」
レミネィさんの言葉に、トリティさんが頷きながらお茶を飲んでいる。
マリンダちゃんが、ポットに残ったお茶を竹の水筒に注いで、操船楼に運び終えたところで、俺達も家形の中に入った。
途端に速度が上がったように思えるな。一応、長年操船をしてきた2人なんだから俺達よりは信頼できるんだけど、性格が性格だからねぇ。
「20ノットは出てるんじゃないかしら? もうちょっと上げれば水中翼が働くわよ」
「前のトリマランも動かしてたんだからだいじょうぶじゃないかな?」
心配しても始まらない。操船の腕はいいんだから。岩礁にぶつからない限り、このトリマランが壊れることは無いだろうからね。
ハンモックに入って、小さな揺れを楽しみながら目を閉じる。
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突然、胸が押さえつけられるような重みで目が覚めた。
お腹を見ると、マルティがニコニコ顔で俺を見ている。
まったく、体がどうにかなってしまったかと一瞬思ったんだけど、娘の笑顔には勝てないな。
「ちゃんと起こして欲しいな」
「でも、こうすると父さんは直ぐに起きるもの」
誰に教わったんだろう? とりあえず短パンにTシャツ姿で甲板に向かう。
トリマランは停まっているようだ。
島の近くにアンカーを下ろして食事の支度をしているんだろう。
すでに全員が起きてるんだよな。きまり悪げに、おはようと挨拶したところで、甲板からオケに汲んだ海水で顔を洗う。
首に巻いた手拭いで顔を拭くと、マリンダちゃんがお茶を渡してくれた。
「朝食はもう少し掛かるにゃ。母さん達の話だと、夕暮れ前にはオウミ氏族の島に着くみたいにゃ」
昨夜は、かなり速度を上げて走ったに違いない。
「昼も、速度を上げないとダメにゃ。まだまだオウミ氏族の島は遠いにゃ」
トリティさんがカマドの方から教えてくれたけど、外輪船で10日の距離と言っていたからなぁ。
それを3日も掛けずに踏破しようというんだから、トリマランの性能は飛びぬけているとしか言いようがない。
「唐揚げが出来たら出発します。さすがに油料理を航行中に行うのは問題ですから」
「なら、そろそろアンカーを上げてもだいじょうぶにゃ。調理は終わったにゃ」
ナツミさんに答えたトリティさんの話しを聞いて、お茶のカップをベンチに置くとハシゴを上っていく。
直ぐ後をマリンダちゃんが上って来るから、今日の最初の操船はマリンダちゃんということになるんだろう。
アンカーを素早く引き上げて、操船楼のマリンダちゃんに片手を上げて完了を知らせる。
甲板に戻る時には、トリマランが西に向かって動き出していた。
甲板では子供達とトリティさん達が朝食の最中だ。
先に食べて貰って、子供の面倒をみて貰うつもりだな。
となれば、その後でナツミさんとマリンダちゃんに食べて貰おう。その間の操船ぐらいは、俺にもできるんじゃないか?




