M-160 土産には十分だろう
オウミ氏族の島に行く前に、素潜り漁を1日行おうということで頑張っている最中だ。
昼までに、ブラドやバヌトスを3人で30匹以上突いたのだが、まだまだ大きな保冷庫には裕度があるんだよな。
こんな大きな保冷庫を作る必要があったんだろうか? それに、もう1つ保冷庫があるのも問題だろう。
とりあえず、野菜や果物を冷やす冷蔵庫代わりに使っているようだけどね。
「トリティさん。あのバッシェは釣れたんですか?」
「まだにゃ。これぐらいのバヌトスがそれでも4匹釣れたにゃ」
これぐらいって両手を広げて教えてくれたんだけど、40cmというところだな。
「まだ突かないで欲しいにゃ。レミネィと交替しながら頑張ってみるにゃ」
「釣れなければ、次の機会ということで良いんじゃないですか? ちゃんと残しておけば遠くに行く魚でもありません」
う~ん、と言いながら悩んでいるぞ。どうしても釣り上げたいらしいけど、それならもう1つ方法があるんだよな。
「甲板からダメだったら、マルティの竿を借りれば釣れるかもしれませんよ」
「あれは釣り針が小さいにゃ……。もう1つの方にゃ!」
嬉しそうに、俺に向かって笑みを浮かべてくれた。
ナツミさんは笑い出す寸前の顔だけど、当人は釣りたい一心ということなんだろうな。
昼食の炊き込みご飯を山盛りにしてくれたくらいだから、相当に嬉しかったに違いない。
「子供達はおとなしくしてますか?」
「トルティの応援をしてるから、心配しないでもだいじょうぶにゃ」
大好きなおばあちゃんが頑張ってるからだろうな。自分でも竿を持ちたいとは思っていないようだから、少しは安心できる。
釣れないと嘆くようなら、神亀が手伝いに来そうだからね。
ゆったりと食休みをしながらお茶を飲む。
グリナスさん達は、どこで漁をしてるんだろう?
季節的には、曳釣りだから東に向かったとは思うんだけどね。
午後の素潜りは、2時間ほどで中断することになった。西の雨雲が駆け足でやって来る。早めに引き揚げないとザバンが雨水で満杯になりかねない。
甲板にナツミさん達を下ろして、銛と獲物の入ったカゴを渡す。その後は船首に向かい、ナツミさんに手伝ってもらってザバンを引き上げた。
急いで甲板に戻り、半分ほどに畳んだタープを伸ばした時には、既に大粒の雨がタープを叩き始めていた。
ゴォーと音を立てて豪雨が降って来る。
「間に合った」
「あと少し遅いとずぶ濡れだったにゃ」
ホッとしてベンチに座り込んだ俺達に、トリティさんがお茶のカップを渡してくれた。
そういえば、あのバッシェはどうなったんだろう?
「ちゃんと潜って釣ってきたにゃ。アキロン達が大喜びしてくれたにゃ」
「トリティさんの釣りの様子を、しっかりと見られたからじゃないですか?」
「レミネィが同じことを言ってくれたにゃ。あの仕掛けは子供達の漁の勉強にも使えるにゃ」
そこまでの考えはないと思うんだけどなぁ。
でも、多くの子供達があの仕掛けを楽しめるんじゃないかな。
雨が降ると、海底の様子も少し変わるようだ。いつもは岩の割れ目に潜んでいるバンヌトス達も海面が暗くなったのを感じて元気に海底を泳ぎまわっている。
案外、豪雨の方が素潜り漁をし易いのかもしれないけど、この雨だからねぇ。シュノーケルから雨水を吸い込んでしまいそうだ。
トリティさん達は子供達と一緒にココナッツジュースを飲みながら大きな箱眼鏡で飽きることなく海底を眺めている。
たまに、アキロンがトリティさんに魚の名前を聞いているけど、トリティさんは笑顔で教えているんだよな。その隣で、どうやって調理するかをレミネィさんがマルティ達に教えている。
ナツミさん達は獲物を捌くのに忙しそうだ。どう考えても50匹近い獲物だからね。かなり時間が掛かりそうだ。
ある程度捌いた魚が溜まったところで、ザルに入れた魚を海でざぶざぶとゆすいで保冷庫に入れている。今朝取り込んだ一夜干しの区画と違う区画に入れているのは、今夜甲板で干そうというのだろう。
「手伝おうか?」
「だいじょうぶ。それにこれは女性の仕事よ。のんびりパイプを楽しんでなさい」
ナツミさんに丁寧に断られてしまった。
意外と男女の仕事が沸けられているんだよな。素潜りは男の仕事と思っていたけど、この頃は女性の進出もあるようだ。
少しは女性の仕事に俺達も足を踏み入れなければと思っているのだが、操船は男達に譲ろうなんてことは全く考えていないようだ。
調理も、何が出来るか分からないと、トリティさんどころかリジィさんまでもが嫌がってたな。
その辺りのことを、一度長老とも話し合った方が良いのかもしれない。バレットさんやオルバスさん達だと、現状維持を主張しそうだからね。
現役の漁師よりも、漁から足を洗った長老達の方が進歩的に思えることもあるぐらいだ。
「やっと終わったわ!」
「大漁にゃ!」
2人が折り畳み式の調理台を【クリル】で綺麗にすると、ナツミさんが保冷庫にザルを入れて、【アイレス】で氷を作り保冷庫に放り込んだ。
ココナッツを2個持ってきたから、鉈で割ってあげると、3つのカップに注いで俺にも渡してくれた。
「まだ夕食には少し早いよね」
「時計は4時前にゃ。日没は7時ごろにゃ」
操船楼で、ナツミさんに時計の見方を教えて貰ったのかな?
俺の腕時計は今でも時を刻んでいるようだ。俺の方は、太陽の位置で大まかな時刻を知る生活に慣れてしまったのかもしれない。
いつの間にか、正確な時間をあまり気にしなくなっていた。
「アオイ君の時計はソーラーだから電池切れが無いのかもね。私の時計もまだ動いているけど、これはデジタル式だからもう少し長く使えるかもしれない」
時計に可動部分の有り無しが差となるのかな? まあ、氏族の島で時間をそれほど気にする人間もいないだろう。
「日時計を作ってみようかな。船には必要なくとも氏族の島に置いておくのはおもしろそうだよ」
「そうね。少し規則的な生活ができるかもしれないわ」
場合によっては余計なお世話になるかもしれないけどね。
でも、出港の時刻や昼食の時には少しは役立つかもしれないな。
「オウミ氏族の島には明日出掛けるだろう?」
「それが、トリティさん達は今夜出掛けるべきだと言ってるの。そうすれば明日の夕刻には到着できるそうよ。1日のんびりして、翌々日に出掛けれれば、都合が良いと言ってたわ」
長居はしたくないってことなんだろう。
それでも、丸1日をオウミ氏族の島で過ごすなら長老にも会えるだろうし、ナツミさん達はカヌイのおばさん達と歓談することもできるはずだ。
上手く行けば、突きんぼ漁の銛も手に入るかな?
出来れば柄は竹を組み合わせたもので作りたいところだ。真っ直ぐに作れそうだし、何と言っても細くできるんじゃないか。
ガムの弾力を利用するのではなく、俺の力と銛の重さで獲物に突き刺すことになるんだから、持ち易いことが一番だろう。
「正式な訪問ではないし、どちらかというと獲物を他の氏族の島にちゃんと下ろせるかが大事だと思ってる。俺は、それで十分だと思うよ」
「伝えておくわ。私も賛成よ」
氏族間の関係や航行については、トリティさん達にお任せになってしまうな。オルバスさん達も、俺だとその辺りの判断ができないと思って、同行を許可したんじゃないだろうか?
トウハ氏族の筆頭漁師の嫁さんと次席の嫁さんだから、他の氏族にもそれなりの影響力があるのかもしれない。
「夕食を早めに食べて出掛けるにゃ!」
マリンダちゃんから今夜発つことが、トリティさんに伝えられるとトリティさん達が早速夕食作りを始めた。
ナツミさんが手伝ってるけど、マリンダちゃんはこど達と一緒に海底の観察をするみたいだな。
一服しながら研いだ銛を家形の屋根裏に戻して、まだ降り続いている夕暮れの景色を眺める。
これだと、真っ暗な中を進むようにも思えるんだが、ちゃんと周囲を見ることがネコ族の人達には出来るんだろうか?
「だいじょうぶにゃ。西の空が明るいにゃ。出発するころには雨も止むにゃ」
「この雨がですか?」
思わず台所の2人に顔を向けると、笑顔を俺に向けて頷いている。
ちょっと信じられないんだよな。だけど、降り始めから比べれば小止みになってきたようにも思える。
「雨が止めば星空にゃ! それに今夜は10日過ぎの月にゃ」
半月より大きいってことなんだろう。それならネコ族の視力をもってすれば、航海にそれほど差し支えることがないってことだな。
夕食は、カマルの塩焼きが混ぜ合わされたご飯と、ちょっと酸味のあるスープになる。
スープを大きな鍋で作ったのは、夜食に団子スープを作るんだろうな。
食事が済むと、大きな箱眼鏡を水中の金属板が覆っていく。箱眼鏡の上にも板を乗せてスノコを敷けば、いつものリビングに早変わりだ。
食事を終えるころには、あれほどの豪雨が止んでいる。さすがに、ネコ族の天気予報と感心してしまった。
「最初は、私とマリンダちゃんで動かすわ。アンカーをお願いね」
「無理をしないでくれよ。オウミ氏族の島は逃げないからね」
俺の話に頷いてくれたところで、2人が操船楼に上っていく。その後ろに続いてハシゴを上り、船首でアンカーを引き上げた。
操船楼に片手を振ると、ゆっくりとトリマランが回頭を始める。
西に向かって動き出したところで、船尾の甲板に戻る。
「そういえば、一夜干しにしなくてもいいんでしょうか?」
「明日の夜には到着にゃ。【アイレス】で氷を追加しといたにゃ」
俺にお茶のカップを渡してくれた時に聞いてみたら、そんな答えが返って来た。
レミネィさんがココナッツの殻を鉈で割り、子供達にジュースを飲ませている。子供達とスゴロクでもしながら遊ぶのかな?
ランプの1つを持って、子供達を引き連れ家形の中に入って行く。
甲板はマストに釣りあげたランプ1つになってしまったが、別に仕事をするわけではないから、これで十分だ。




