M-134 津波の残滓
夕暮れから始まった俺の長男のお披露目は、氏族総出の賑わいになってしまった。
長老達も一番前の席で、カヌイのおばさんが掲げた赤ん坊を見る始末だ。
左肩を少し見せるようにお包みを解いているのは、そこにある痣を皆に見せようということなんだろう。
普段なら、高く掲げるのだが、背中を見せるように抱いている。
「確かに龍神の姿じゃ!」
「あれが聖姿というものか……。これでトウハ氏族が栄えぬはずがない」
赤ちゃんの背中を指差して、口々にいろんな言葉が飛び交っている。中には手を合わせて拝む人も出る始末だ。
奇異な赤ちゃんという目ではなく、どちらかというと畏敬の目で見ている感じがするな。
「トウハ氏族のカヌイは、この男子に『アキロン』と名付けるにゃ!」
カヌイの長老が大声で宣言した。
少しニュアンスが皆の名前と違う気がするんだが、カヌイの長老が名付けたのなら問題はあるまい。
「アキロンってどんな意味なんだろうね? アキラって呼んだらダメかな」
「後でグリナスさんに聞いてみるよ。納得したように頷いてるからね」
お披露目の終わったアキロンはマリンダちゃんの手に戻ったようだ。ナツミさんと一緒にトリマランに帰るんだろうな。トリティさんが隣に付き添っているから桟橋も安心できる。
「それじゃぁ、お先に戻るわよ。あんまり飲ませられないでね」
「ああ、分かってるさ。どうやら、明日は朝から氏族会議になりそうだからね」
酒よりも料理に主眼を置いてお披露目を乗り切るつもりだ。
早速、回って来たバルタックの姿焼きをバナナの葉に乗せてもらう。塩味が絶妙だな。
酒が回され、料理が運ばれる。
氏族全体で祝ってくれているのが良く分かる。
それでも、夜が更けると少しずつ人が減っていく。そろそろ帰ろうとした時、俺の肩を叩いたのはバレットさんだった。
「明日の氏族会議に出てくれ。少し問題が起こっている」
「起こるとしたら、サイカ氏族ですね?」
俺の言葉に目を丸くする。やはり危惧した通りということだな。
バレットさんが焚き火の燃えさしを使ってパイプに火を点けたところで、俺の隣に腰を下ろした。
「知っていたのか?」
「オルバスさんの帰りが遅いので、ナツミさんとその理由を考えてました。サイカ氏族だけが不漁続きということじゃないんですか?」
「そうだ。その対策を考えねばならん」
河口の三角州が津波で大きく変わったのかもしれない。海流の流れすら変化したんじゃないか?
川の上流から大量の汚泥が流れたことも考えられそうだ。
「どうした? 何か考え付く原因があるのか?」
「原因は1つとは言えないと思います。たぶん、サイカ氏族から詳しい話を聞いたでしょうから、明日は早めに氏族会議に向かいます」
バレットさんに頭を下げて、丸太から腰を上げた。
ナツミさんの危惧は当たってたということだな。となれば、ナツミさんは何らかの対策も考え付いているんじゃないか?
トリマランに着くと、ナツミさんが甲板のベンチでワインを飲んでいた。
帰って来た俺に気が付いて、ワインのカップを渡してくれる。
カチン! とカップを鳴らして、とりあえずはアキロンの名前に乾杯すると、明日の氏族会議の話をする。
「やはり……、ということね。一番考えられるのは、上流からの汚泥が一気に海に流れ込んだということになるのかしら。それに伴って、水中の微量元素のイオン濃度が変化するから、魚がその海域を避けるようになったと思うんだけど」
「微量元素が海水に溶けてイオン濃度が変化したってこと? 魚はイオン濃度の変化にはある程度耐性があると聞いたけど」
「耐性と嗜好は別問題よ。ちょっとした変化で魚の回遊が替わるって、父さんが話してくれたわ」
海水中のイオン濃度は徐々に拡散して薄くなるとは言ってたけれど、供給源の汚泥は津波の引き並みで大量に海に流れこんだとみるべきだろうな。
そうなると、しばらくはこの状態が続くと思って間違いなさそうだ。
「解決策は、新たな回遊ルートを探るということになるのかな?」
「そうなるわね。広く調査をするしかなさそうよ。だけど、位置関係を見ればおおよその見当がつくんじゃない?」
大陸側の影響は大きいだろうが、島の東ならそれほどではないということか?
だが、サイカ氏族の漁は小魚が主体だ。それをどこで補うかが問題だな。
長老が持っている海図でそれを調べてみるか。大陸近くの漁場はしばらくは使えないことを念頭に置けばいいだろう。
ワインを飲み終えたところで、ハンモックに横になる。
明日は色々とありそうだな。
翌日。朝食を終えたところで、オルバスさんと一緒に氏族会議へと足を運ぶ。
どうにか桟橋の隅々まで板が張られたから、かつての浮き桟橋は更に南に係留されている。
浮き桟橋に接岸するカタマランはほとんどないようで、どちらかというと子供達のおもちゃになったようだ。
少し深い場所だから、浮き桟橋の上で大の字になって休んでいる子供達をたまに見かける。上がり降りは、ハシゴを縛りつけてあるから、それを使っているらしい。
「小型の方は子供達に占有されたが、大きい方はいまだに使われている。石の桟橋が前に戻るにはまだまだ時間が掛かりそうだ」
「結構便利に使えますが、浜との連絡がいまいちです。小さな浮き桟橋を連結して結ぶということも考えた方が良さそうです」
俺のアイデアに、オルバスさんが入り江を見ながら確認している。それほど簡単ではないけど、石の桟橋を直すよりは早くできそうな気がするな。
浜から少し奥に入った場所が長老達の住んでいるトウハ氏族の集会場だ。
中に入ると、長老達がいつもの場所に座っていた。氏族の男達も何人か集まってパイプを楽しんでいる。
「来てくれたか。そこに座って待ってくれ。まだ全員が揃わんからな」
「では、遠慮せず」
長老の右側が俺の席らしい。ここに座るのは1人なんだよな。
バレットさんやオルバスさんは焚き火の反対側に座るし、他の男達は長老の焚き火越しにずらりと並ぶ。
バレットさんとオルバスさんが揃えば、氏族会議が成立するというのもおもしろいところだ。前はケネルさんもいたんだが、その席は空いている。
長老に断ってパイプを使っていると、続々と男達が集まって来た。そんな中、バレットさんがオルバスさんの隣に腰を下ろす。これで氏族会議が成立したということになるんだろう。
「揃ったようじゃな。先ずは簡単なところから始めようぞ。カヌイの長老の頼みじゃ。他の4氏族のカヌイの長老に当てた手紙らしい。これを各氏族に届けてほしい」
「届けるだけなら、誰でもできよう。中堅に任せれば十分だ」
「ネイザンとその仲間で丁度いい。確か4人いたはずだ」
「なら、ネイザンに頼むとしよう。守り役に後は頼めいいじゃろう。その間の保証もせねばなるまい」
バレットさんの後方に控えていた守り役が、長老から4通の手紙を受け取って部屋を出て行った。
まだ、ネイザンさん達は漁に出ていないはずだ。ティーアさんのお腹もそれほど大きくなかったから、役目をこなすには十分だろう。
「しかし、カヌイの婆さん達が他の氏族のカヌイと連絡を取り合うのは、初めてではないか?」
「確かに初めてじゃな。カヌイの連中は我等と異なって氏族に根付いておる。そのカヌイが他のカヌイと連絡を取る理由は、昨夜のアオイの長男の披露に関係があるんじゃ。聖姿をワシらは初めて目にした。たしかにあれは龍神の姿そのものじゃな。その意味することを、トウハのカヌイは知らぬらしい。それで、他のカヌイと連絡を取り合うことにしたようじゃな」
「場合によっては、カヌイの長老達がトウハの島に集まるぞ!」
「やって来るじゃろうな。それも将来を思うてのこと。協力することにやぶさかではない」
集まった男の1人が大声を上げたが、長老は叱ることはしなかった。
ざわざわと部屋が煩くなってきたが、それはそれだけ衝撃的なことなんだろうな。
「カヌイの話はここまでじゃ。後はカヌイの方で段取りをするに違いない。バレット達がオウミ氏族で書く氏族の状況を聞いてきたそうじゃ。例の2割増しの話しもあるからのう。
そこで聞いた話では、サイカ族が不漁続きということじゃ。他の4氏族が漁獲高を上げても、サイカ氏族が不漁であれば、2割増しの漁獲は到底不可能。アオイを急遽招いて対策を考えて貰うことにした」
やはり不漁はサイカ氏族だけだったな。となれば、津波の影響が考えられそうだ。ナンタ氏族も漁場が狭ければ、同じ運命にあったかもしれないが、東に広く漁場を広げたのが幸いしたようだ。
「それで、アオイはその原因に心当たりがあるのか?」
さっきまでの騒ぎが嘘のように静まった部屋に、バレットさんの声がやけに大きく聞こえる。
「心あたりというか……、長老は、サイカ氏族周辺の海図をお持ちでしたね。少し各氏族の漁場を調整しましたから、現在の海図を見せてくれませんか?」
「これじゃ。やはりアオイなら、少しは分かるようじゃな」
長老の1人が、後ろにある棚から折りたたんだ海図を取り出すと、世話役の男が俺に持って来てくれた。
俺の席は他に誰も座っていないのをいいことに、海図を広げてサイカ氏族と大陸の関係をもう一度確かめた。
以前にも、大河の河口を探したんだが、今回はそれ以外の島の分布を見ることが目的だ。
しばらく眺めていたが、やはり思った通りということなんだろうな。
河口の出口にできた三角州の広がりに合わせて、小さな島が点在している。
河口近くは、漁はしていないはずだから、氏族の島から大陸の距離のおよそ三分の一程度で漁をしているはずだ。
数カ所の水深を調べると、4YM(1.2m)程度と記載がある。
これではねぇ。津波の残骸がこの辺りで堆積したかもしれないな。となれば、銅の精錬所から河口までの有害な汚泥は、ここまでは流されていると見るべきだろう。




