M-118 旅立ちを皆で祝おう
オルバスさんが新しいカタマランを手に入れたその夜の氏族会議で、ケネルさん達の出発が3日後になることが決まったようだ。
何とか曳釣りの仕掛けを5つ作ってケネルさんに届けると、俺の肩を叩いて喜んでくれた。
「ナンタ氏族は余り曳釣りはしないらしい。俺達がそれを伝えねばならんが、俺達はトウハ氏族から行くんだからな。銛の腕は向こうでも役に立つだろう。アオイの船は高速で進めるんだ。たまには顔を見せるんだぞ!」
「必ず、お邪魔します。ナンタ氏族の釣りは是非とも見てみたいですからね」
うんうんと頷きながら、もう一度俺の肩を叩いて笑みを浮かべている。
ずっと氏族の島で暮らしたかったのかもしれない。でも、ナンタ氏族に援助するのもネコ族としての務めと割り切ったんだろう。
眩しい程の笑顔を浮かべたケネルさんの手を両手で握って、今までのお礼を言うと桟橋を歩いて浜に出た。
明日は、氏族総出で門出の祝いをするそうだけど、トウハ氏族の優秀な漁師がいなくなってしまうんだよな。
俺とナツミさんはこのままトウハ氏族の中で暮らせるんだろうか?
そんなことを考えながらトリマランに帰ることにした。
「おかえりなさい。明日は午後から皆が浜で宴会の準備をするそうよ」
「そうなると、調理する魚が足りないんじゃないか? 津波の被害があると言っても、南の島の向こう側にはサンゴの穴がたくさんあったんだよね。晴れたら、突きに行ってこようか?」
そんな話は直ぐにまとまってしまう。それなら、グリナスさんやラビナスも誘おうか?
夕食後に、暇をつぶしにやって来たグリナスさんとラビナスにその話をすると、すぐに賛成してくれた。
「タクマランなら直ぐだからな。朝食は今日取って来たバナナを蒸かせば良いだろう。昼は、団子スープでも良いんじゃないか? 夜はたっぷりと食べられるはずだ」
グリナスさんの言葉にカリンさん達も頷いている。
やはりトウハ氏族は漁が好きなんだろう。それに魚も大好物だからね。
「それなら、トリティ達も連れて行ってくれ。俺やバレットは氏族会議があるからな。昼前ならトリティ達もすることが無いはずだ」
「朝食と、昼食は任せるにゃ。子供達の世話もしてあげるにゃ」
行けると聞いて、トリティさんは大盤振る舞いだ。隣でリジィさんが微笑んでいる。
「昼前に漁を終えますから、朝は早いですよ。今回は銛で行きましょう!」
「うむ。雨期であっても銛を使わねば勘が鈍る。お前達もたまには銛を使うんだぞ」
オルバスさんの忠告も、俺達には馬耳東風という感じだな。
天気が良ければ今までだってそうしてきたから、いまさらというところかな。
だけど雨期の素潜りは、ザバンを使わないこともあって、数が揃わないんだよね。
翌朝は、甲板の騒がしさで起きたようなものだった。
波を切る音がするし、魔道機関の振動も伝わってくる。すでにトリマランは動いているようだ。
身支度を整えて甲板に出ると、すでに食事を終えているみたいで、皆がお茶を飲んでいる。
「出発する前に起こしてほしかったな」
「ぐっすり寝てるんですもの。それに皆が揃ったのは、星が出ている頃よ。朝食時にどうにか白んできたわ」
ネコ族の人達は朝が早いからなぁ。昼寝をする習慣があるのは、そんなところにもあるのかもしれない。
海水で顔を洗って、少しはシャキっとすると、マリンダちゃんが朝食を渡してくれた。
リゾットのようなご飯にたっぷりとスープを掛けたものだ。
トリティさんが張り切って作ってくれたに違いない。一口食べて味を確信する。やはりトリティさんだな。
「少し南に行ってみると言ってたにゃ。母さん達の操船任せにゃ」
困った母さん達だと言いたげな表情で、操船楼を見上げている。
天気が良いからだろう、操船楼と家形の屋根は嫁さん達が上って賑やかに話をしているようだ。
「アオイのトリマランを操船したいらしいぞ。ナツミ達が許可したから、たまにトリマランが浮かび上がるんだ」
ベンチに座ったグリナスさんの足元には、大きくなった長男がしっかりと足に掴まっている。
人見知りするのかな? 変な顔をして笑わせようとしたら泣き出したことがあるんだよな。の時はたっぷりとナツミさんに小言を言われてしまった。
大人でもいろんな性格の人がいるんだから、子供だって全て同じということではないんだろうな。
俺達の双子を見るとそれが良く分かる。
アルティはおとなしいけどマルティは冒険好きだからな。
「このまま行けば、予定の漁場を通り過ぎてしまいそうですよ」
「それはだいじょうぶだろう。漁場の東を目指してるんじゃないかな?」
だいぶサンゴの穴が塞がってしまったようだけど、大きなものは残っているに違いない。嫁さん達の情報網は俺達の情報交換を凌ぐからね。
数人での情報交換と、百人以上の情報交換では、信頼性も精度も違うんじゃないかな。
案の定、氏族の南の島を通り過ぎると、東にトリマランが進路を変えた。
食事が済むと、ラビナスが俺達にお茶を運んでくれた。
お茶を飲みながら一服を始めたんだが、太陽がまだ海のすぐ上にある。漁場を探し終えたら直ぐにも潜れそうだな。
「今日は、俺達だけでなく嫁さん連中も銛を使うと言ってたぞ。母さんまで銛を運んできたからな」
「俺達を信用してないんでしょうか?」
グリナスさんの話しに、ラビナスが問いかけた。
「それは違うと思うな。ケネルさんの嫁さん達や、氏族を離れる連中の嫁さんとの親交があったんじゃないか? やはり自分達が突いた魚を祝いの肴にしたいと思ったんだろう」
氏族は家族の延長でもあるんだよな。
氏族の絆を薄くしてニライカナイという大きな集団の中での絆を深めようとするのは、間違っているのだろうか?
だけど、大陸の諸王国と対等の外交を図る上では、氏族という小さな集団では対応がとれない。海人さんはニライカナイという国家を立ち上げることで、ネコ族の5つの氏族を代表させることにしたようだが、生憎とその後が続かなかったようだ。
それでも、族長会議の頻度を高めて同族意識を持たせようとしたらしいのだが……。
「ケネルさん達がナンタ氏族に入ると、ナンタ氏族にカタマランが広がるんでしょうか?」
ラビナスの問いは、素朴だけど奥が深い。
ある程度、普及することも考えられるけど、それは彼らの漁の方法に寄るんじゃないかな。
「どうかな。たぶんケネルさん達は最後までカタマランを使うとは思うんだけど、動力船の値段がかなり高いだろう? 漁に便利なら普及するだろうけど、大差ないなら広がらないんじゃないかな? 一応、見掛けだけのカタマランを考えてはいるんだけどね」
「俺達には便利に使えるからな。最初の船を手に入れるのに苦労するから、それを考えたのか?」
まだ教えていなかったかな。
トウハ氏族は商船並みの母船を作って、母船に追従しながら漁をすることを考えていることを説明した。
母船に追従するなら精々半日の距離で漁をすることなる。速度よりも漁がしやすい方が良いに決まってる。
「カタマランは曳釣り、素潜り、根魚釣りと全てに対応できるからな。見掛けだけのカタマランとはそういうことか」
「大きな船で千の島を広く回るんですね。俺達の代にできると良いですね」
たぶん早くて数年というところじゃないかな。
トウハ氏族だけが突出しても問題になりそうだ。他の氏族がそれを取り入れることを内諾したところで始めなければなるまい。
族長会議が紛糾しそうだけど、それは長老に任せてしまおう。
「カタマランの種類が増えると選択に迷いそうだな」
「自分の漁に合った船を選べば良いんですよ。速さだけで選ぶのは問題です。とはいっても、速い船なら遠くの漁場まで行くこともできるんですけどね」
このトリマランが良い例だ。
だけど、1隻だけでは問題だな。ガルナックを突くことなど考えられない。引き上げるための方法を考えないと突くだけになってしまう。それは漁とは呼べないからね。
「漁の場所を探すにゃ! 漁の準備をするにゃ」
操船楼からマリンダちゃんの大声が聞こえてきた。すでに漁場に入ったらしい。サンゴの穴を探し始めたらしいから、ここは早めに準備に取り掛かろう。
家形の屋根から下りてきた嫁さん達に子供を託して、急いで着替えを済ませ買い物カゴから装備を取り出して身に着ける。
銛は1銛先が1本物で十分だろう。たまに大物がいるからね。ナツミさん達には、慣れた銛先が2本の物を使ってもらえばいい。
トリマランの速度が急に遅くなる。どうやら良い穴を見付けたらしい。
ナツミさん達も着替えを済ませて勇ましい格好になってるな。
皆で水底を眺めるんだけど、黒黒とした穴の存在が分かるだけだ。
「余り損傷を受けてないみたい。穴の縁も鋭角よ」
ナツミさんが教えてくれたけど、ひょっとしてナツミさんのマスクのガラス部分は偏向レンズで出来てるのか?
「見えるの?」
「偏向レンズだからね。マスクに合わせて特注したの」
まったく、金持ちの趣味は俺達の想像を超えるところがあるな。
甲板にいる状態で、水中の様子が分かるというのも便利な話だ。ひょっとして俺に追従する漁の腕は、マスクに原因があるのかもしれない。
やがて、トリマランの動きが止まると、船首の方からアンカーを落とす音が聞こえてきた。
「始めるぞ!」
「「おう!」」
一斉に、海に飛び込む。
銛を持っているから、危ないとは思うんだけどね。
少しは気にしてたんだろうな。甲板の左右と船尾方向に2人ずつ飛び込んだ。
先ずは偵察だけど、ナツミさんはすでに穴の底に向かって一直線だ。
やはり、甲板から海底の状態が見えるというのは、一歩抜きんで漁が始められる。
何人かが、さらに潜って行った。
俺も早いところ場所を決めて潜らないと、聖痕の保持者としてのスタンスを保てなくなってしまう。
大きなテーブルサンゴを見付けたところで、息を整えながらゴムを引く。
準備ができたところで、水中にダイブした。
5mほど下のテーブルサンゴの裏には、50cmを越える石垣ダイがいた。
確かバルタックと言って祝いには欠かせないという話だから、ここは慎重に狙わねばなるまい。
幸いにも周囲のサンゴがバルタックの動きを制限しているようだ。
銛先を慎重に魚体に近付け、左手を緩めると頭とエラの中間付近に命中した。
急所近くだけど、かなり暴れるバルタックを無理やりサンゴの裏から引っ張り出して海面に向かう。
トリマランに向かって泳ごうとしたら、事らに向かって進んでくるザバンに気が付いた。手を上げて呼ぶと急に速度が上がる。
「これをお願い!」
「大きなバルタックにゃ!」
ザバンを漕いでいたのはラビナスの嫁さんのレーデルだった。ザバンに放り込んだバルタックを保冷庫に入れると、真っ直ぐにトリマランに向かった。
ザバンで穴の周囲を移動しながら獲物を運んでいるんだな。
他の連中の様子を知りたかったが、それは次の獲物を渡すときで良いだろう。
息を整えながら銛のゴムを引き絞り、次の獲物を探して海底に向かう。




