M-102 リーデン・マイネ
雨期前のリードル漁を終えて2日掛かりで氏族の島に戻ると、入り江の浮き桟橋には2隻の大型商船が停泊していた。
リードル漁前にやって来た商船と同じく、船首と両舷の水車の船首部分も板で補強してあった。
そんなにしてまで魔石を得たい、ということなんだろうな。
改めてこの世界が魔法の世界だということが良く分かる。魔法発動の触媒として魔石は必要不可欠な品なんだろう。
「トリティさん達に魔石を1個。残った魔石の半分をオルバスさんに渡しといたよ」
「今回は特別だからね。でも次もそうした方がいいのかもしれない。ナンタ氏族の動力船とサイカ氏族の動力船は無くてはならないものだから」
20隻は残ったと聞いているけど、残った動力船でさえ無事だとは限らない。修理をするにしても、先立つものは必要だ。
俺達のトリマランは20年以上使えるらしい。その半分の10年は使いたいところだ。
「出掛けられるかにゃ?」
隣のカタマランから、カゴを背負ったトリティさんがやって来た。その後ろからリジィさんがやって来る。ナツミさんのところに行くとアルティを受け取って、俺の隣に腰を下ろした。
俺の抱いているマルティと互いに腕を伸ばして相手を掴もうとしているぞ。
「それじゃあ、久しぶりに買い物をしてくるわ。2人を頼みます」
最後の言葉は、リジィさんに頭を下げての言葉だ。リジィさんが笑顔で頷いたのを見て、マリンダちゃんを連れてザバンに乗り込んでいった。
ずっと、トリマランで暮らしてたからなぁ。たまには2人でショッピングも良いかもしれない。
食料だってマリンダちゃんだけでは運べないだろうからね。
「だいぶ大きくなったにゃ。雨期が終わればオムツも取れるにゃ」
「まだ1歳ですよ。少し早くありませんか?」
「子供はすぐ大きくなるにゃ。このぐらいが一番可愛いにゃ」
まあ、それは認めるけど、大きくなってもナツミさんやマリンダちゃんみたいに元気であってほしいものだな。
「ナリッサもお腹が大きくなって来たにゃ。雨期が終わればお婆ちゃんにゃ」
ちょっと苦笑いを浮かべているのは、孫が生まれるのは嬉しいけど、お婆ちゃんとは言われたくないってことだろうな。
ずっと、リジィさんと呼んで行こう。リジィお婆ちゃんなんて言ったら、お茶に塩を入れられそうだ。
「オルバスが氏族会議に向かったにゃ。たぶんリーデン・マイネを動かすためにゃ」
「ある意味、ニライカナイの危機でもあります。ネコ族の強気を見せつけるだけでいいんですが……」
リジィさんが小さく頷いてアルティをあやしている。
それは分かっているのだろうが、間違いが起こるとも限らないと思っているようだ。
だけど、長老の話を聞く限り、一方的な戦になるはずなんだけどね。
「残った俺達も色々とやることがあります。その仕事をしながらオルバスさん達の無事を龍神に祈ることになるんでしょうね」
「漁は大切にゃ。漁が私達ネコ族の暮らしを支えてくれるにゃ」
本来は漁民だからねぇ。戦士であったのは遥か昔の事だから、今更の事にも思えてくる。リーデン・マイネを持ち出すことなく、漁をしていたいものなんだが……。
「残った俺達で頑張ることになります。動力船が少なくなりましたからね」
俺の話を聞いているんだろうな。アルティを見つめているが、小さく頷いてくれた。アルティ達には苦労を引き継がせたくないものだ。
俺とナツミさんの子供だから尻尾はないけど、ネコ族のトウハ氏族としてカヌイのおばさん達にも認知されている。
将来は、ネコ族の若者に嫁ぐのだろうが、孫には尻尾があるのかもしれないな。
カヌイのおばさんの話では、海人さんの子供はネコ族と変わりが無かったそうだ。
「アオイとナツミの娘なら、将来はよりどりみどりにゃ。この島で幸せに暮らせるにゃ」
「そうならいいんですが、ちゃんと育てられるかどうか……」
「だいじょうぶにゃ。島の皆がちゃんと見てくれるにゃ」
それって、子供の教育は島全体で行うってことなんだろうか?
父さんが、近所の親父達にも怒られて育った、と言っていたのと似た感じなのかな?
俺も浜で遊んでいる子供達の手本となれるようにしないと、後々色々と言われそうだ。
軽い寝息が手元から聞こえてきたところで、家形の中のハンモックに寝かせてあげる。隣に、リジィさんも赤ちゃんを寝かせたから、鳴き声が聞こえるまでは漁の準備ができそうだ。
甲板に戻って、延縄の仕掛けを新たに作り始めた。
雨期は曳釣りをしたかったが、数を出すには延縄の方に分があるし、待っている間に今魚釣りをしてもいいだろう。
それでも、バレットさんやオルバスさんが抜けた穴を埋めるのは難しいだろうが、何もしないよりは遥かにマシだ。
どうにか小さな浮きを付け終わったところでパイプを取り出すと、リジィさんがお茶のカップを渡してくれた。
まだナツミさん達は戻らないけど、一息いれようか。
「やってるな。アオイぐらいだぞ、次の漁に備えているのは」
「ぼうっとしてると、津波を思い出しますからね。細かな仕事をしてた方がいいんです。どうぞ上がってください」
オルバスさんが、ザバンで浜から戻ってきたようだ。
朝から今後の話をしていたらしいが、俺には声を掛けなかったところをみると、氏族内部の話ということなんだろう。
「まったく面倒な話だ」
リジィさんからお茶のカップを受けとったオルバスさんが嘆いている。
どうやら、漁に出る船の割り振りを考えていたらしい。
「氏族内で動力船の配分を少し変えることにした。しばらくはリーデン・マイネに乗ることになるから、その間トリティとリジィをアオイに預けても良いだろうか?」
「例の話しですね。それは構いません。他の船も似た感じですか?」
ナリッサさんはケネルさんの船に移動するらしい。お腹が大きいから丁度良いんじゃないかな。グリナスさんはバレットさんのところに移動するのも、何となく頷けるところだ。
そうやって10隻ほどフリーの動力船を作って、津波で動力船を失った連中に分配するということだ。
「まあ、少しは不満もあるだろうが長老の決定だからなぁ。少しぐらい文句は出るだろうが、従ってくれるだろう」
「そうなると、次の動力船を新たに作らねばなりませんね」
「俺やバレットはアオイに頼んでいたカタマランを作るつもりだ。これから先の10年は自由気ままにバレット達と獲物を競いたかったんだがな」
速いカタマランって奴だな。要するに少し早いけど子育ても終わったから、これからは仲間と競って過ごそう、なんて野望をいまだに持っているということだ。
「大陸の干渉が無いのであれば早めに戻ることですね。でも、造船所はどこも制作に追われてるはずですから、戻ってきてもこのトリマランでしばらくは過ごすことになると思いますよ」
3人で大笑いをしたところで、オルバスさんがカタマランに戻って行った。船を引き渡すことになるから、引っ越しの準備を始めるのかな?
ナツミさん達が帰ってきたところで、オルバスさんの話しを教えると、すでに女性達の間でもその話が始まっていたようだ。
「私達はアオイの船にゃ! あの操船が楽しめるにゃ」
「噂通りね。私としては助かるわ。トリティさん達が来てくれるなら、子守も頼めそうだし、私も漁に参加できるわよ」
子育てに飽きたわけじゃないと思いたい。だけど嬉しそうなナツミさんの顔を見ると、やはり子育ては大変なんだと改めて思ってしまう。
トリティさんは荷物を甲板において、隣のカタマランに出掛けた。詳しい話をオルバスさんから聞いてくるのかな。
リジィさんは、マリンダちゃんと一緒に昼食の準備を始めたようだ。
「今回は食料の購入制限はなかったわ。商会としては魔石を得るためだから、かなりの量を積み込んできたみたい。いつも通りの買い物だけど、ザバンを2艘買って桟橋作りの台船に加工してもらっているわ。魔石4個の船外機付きよ」
かなりの買い物だけど、少しは魔石を残してあるんだろうか?
その辺りを遠回しに聞いたら、上級、中級を1個ずつ残しているらしい。お財布代わりの革袋には金貨が残っていると言っていたから、次のリードル漁までは少しぐらい漁果が減っても十分な暮らしはできそうだ。
これも買って来たわよ。と最後にタバコの包を2個渡してくれた。ついでに銀貨を数枚渡してくれたから、漁具はこれで買えばいい。もっとも釣り針と道糸のような物ばかりだから、銀貨1枚あれば十分だ。残ったお金で酒を数本買い込んでおくかな。
昼食は、いつものように米の団子の入った魚のスープだ。やはりリジィさんが監修するといつものスープと味が違うな。
マリンダちゃんも首を傾げているのは、どこが違っているか考えてるんだろう。ある程度、経験がものをいうのかもしれない。将来は美味しいスープを作れるんじゃないか。
「早めに動力船を譲ってやりたい。俺達の荷物を預かってくれんか?」
「午後から手伝います。大きいですから入るところがないということはないでしょう」
オルバスさんの頼みに、即答で答えると嬉しそうに頷いたのはトリティさんだった。早く操船したいんだろうけど、出掛けるのはオルバスさん達の出発を見送ってからになるだろう。
「今夜の氏族会議にはアオイも参加だ。俺達がリーデン・マイネに乗っている間は、可能な限り氏族会議に出てくれ。ケネルを残しては行くが、ケネルの相談相手がいないからな」
「出るのは構いませんが、判断はケネルさんと長老に任せれば良いんですね」
「十分だ。できれば石の桟橋を何とかしてくれ。これはバレットも同じ意見だ」
浮き桟橋もいいが、やはりザバンで買い物ということが問題なんだろう。ナツミさんが作ってもらっているという船外機付きのザバンを活用できそうだ。
それから数日後。俺達の見送りを受けてリーデン・マイネが入り江を静かに出て行った。
リーデン・マイネの姿を初めて見たが、俺達のトリマランと似た構造だ。一回り大きい感じだが、あの船の速度を出せる船はナツミさんが水中翼船を作るまでは無かったらしい。
赤い吹き流しをなびかせて進んでいくトリマランは、甲羅を伏せたような屋根を全て銅板で覆っているということだ。火矢程度では火事にもならないだろう。
一方的な戦となったというのも頷ける話だ。
とはいえ、それは数十年も昔の話。現在の海戦が前と同じように進められるとは限らない。
無事に帰ってきて欲しいな。
また一緒に、銛を競うことができればいいんだけどね。




