M-097 惨状
翌朝、明るくなって周囲の惨状が少しずつ見えてきた。
島と島の間には、潮流によって帯状に島から剥ぎ取られた残骸が浮かんでいる。藪のようなものでもスクリューに巻き込んだらちょっと困ったことになりそうだ。
少し、残骸が落ちつくまで、動くことができないんじゃないか?
とりあえず、食料と水はたっぷりある。
マリンダちゃんが簡単な朝食を作り始めたけど、昨夜と同じであまり食欲は無いんだよな。
赤ちゃんにお乳を与え終えたのだろうか? ナツミさんが家形から甲板に出ると、周囲の惨状に思わず口を押えている。
それでも、双眼鏡を使って周囲の島を観察し始めた。
どう見ても、3mほどの高まで海水を被って木々を押し倒したような光景が見えるだけだと思うんだけどね。
「島の南面は酷いけど、北面は倒れた木も少ないみたい。氏族の入り江は南西向きだったよね」
「ひょっとして、まともに被害を受けてるかもしれないってこと?」
「西を向いてるだけ少しはマシよ。とはいっても、入り江のカタマランはかなり流されてるでしょうね。3mほどの津波だけれど、どれぐらいまで被害が出たのかしら」
桟橋は全滅だろう。炭焼き小屋は何とかなったかもしれないな。長老のログハウスは怪しいところだ。族長会議を行った建物は完全にアウトだな。
店もダメだろうし、船に乗らずにログハウスで暮らしている家族はどうなっただろう。あまり高い場所ではなかったような気がするな。
「氏族の半数は漁に出てたんじゃないかな? 早いところ帰らないといけないだろうけど、周囲は残材が帯になってるよ」
「避けながら進むしかなさそうね。幸いスクリューの位置は、水面からかなり下だから、残骸を巻き込むことはないと思う。でも、バウ・スラスタは止めといた方が良さそうよ」
水中翼船ということで、通常のカタマランよりもスクリューの取り付け位置が下になってるのか。不幸中の幸いって奴かもしれない。
とはいえ、何が浮かんでるか分からないから、ゆっくりと進むことになるんだろうな。
食事が終わったところで、俺は船首に立った。
偏向グラスのサングラスを掛けて、浮いていた長い棒を持つ。小さな流木ならこれで突けば動かせるだろう。
笛を口に咥えたまま、前方を睨む。
トリマランの速度は微速も良いところだ。どうにか歩く速さ程度なんだが、この速度で氏族の島に戻るには3日は掛かるんじゃないかな?
とはいえ、急がば回れともいうぐらいだから、安全を確認しながら進もう。
夕暮れが近づいたところで、アンカーを下ろして船を固定する。
海底の大きなサンゴは痛手を受けたみたいだな。ひっくり返っているテーブルサンゴがあちこちにあるようだ。
船首から船尾の甲板に移動すると、ナツミさんがお茶のカップを渡してくれた。
マリンダちゃんも操船楼から下りて、カマドの前にいるから夕食の準備をしているのかな?
「朝から進んで島を2つだ。流木が多いし、海底もかなり変わってるね」
「明後日には、何とか着けるんじゃないかしら。でも、海底の様子が変ったとなると漁場が変化するわよ」
ナツミさんも少し心配な表情を見せている。
例の2割増しどころか、被害の状況によっては漁獲が半減しかねない。かろうじて、ホクチ氏族の漁場はさほど影響が少ないんじゃないかな。
「問題だな。早い内に、ギルドと連絡を取らないと、困ったことになりそうだ」
「これだけの被害だから、大陸も少し被害を受けてるでしょうね。商船の運行に支障が無ければ良いんだけど……」
それも問題だ。氏族の備蓄を考えると10日程度は何とかなるだろうが、1カ月を超えるとなると食事が一気に貧弱になってしまう。ある程度は周辺の島から野生のバナナも取ることができるだろうが、どの島も3mは水を被っているからなぁ。枯れてしまう木々もあるんじゃないか?
夕食は米団子のスープだ。あまり食欲は無いんだが、きちんと食べておかないと島に戻ってから苦労しそうだからね。
どう考えても重労働が待っている気がする。
食後に、おかず釣りの竿を出してみたけど、全く当たりがない。魚もどこかに避難してしまったのかもしれないな。
「魚はどっかに行ってしまったにゃ!」
「戻って来るとは思うんだけど……。明日も試してみよう」
おかずが釣れなくてマリンダちゃんは残念そうだ。保冷庫に一夜干しがあるんだが、それを食べようとは思わないんだよね。
保冷庫の魚は生活の糧と、割り切っているのかもしれない。でも、全く釣れないとなれば手を付けてもいいんじゃないかな。
津波に逢ってから4日目の昼下がり。どうにか、氏族の島に帰り着いた。
島を北から南に巡って入り江を見た時だ。思わず開いた口が塞がらないほどの衝撃を受けた。
桟橋がどこにもない。
かろうじて石作の桟橋の残骸が、かつてそこに桟橋があったと分かるぐらいだ。
砂浜から奥にあった建物もだいぶ被害を受けている。氏族の皆が力を合わせて
仮住まいの掘立小屋を建てているところだった。
入り江のカタマランは20隻に満たない。まだ帰らないカタマランもあるのだろうが、これではリードル漁さえ思うようにできないんじゃないか?
俺達が船を停めるのは一番南の桟橋だけど、これでは適当に停めるしかなさそうだな。
ゆっくりと入り江を南に進んでいくと、見慣れたカタマランが2隻停めてある。
「父さんのカタマランにゃ! 兄さんのカタマランも無事にゃ」
操船楼のマリンダちゃんも気が付いたみたいだ。
ゆっくりと2隻のカタマランに寄せてトリマランを停めた。
アンカーを下ろした俺を待ち構えていたのはオルバスさんとグリナスさんだった。とりあえず甲板のベンチに腰を下ろして貰い、お茶を飲みながら状況を聞いてみた。
「見た通りだ。俺はバレットと北で漁をしていたんだが、突然水の壁が押し寄せてきた。トリティの操船でどうにか乗り切ったが、2隻は波をかぶってしまった。嫁が何人か流されたがどうにか見つけることができた。とはいえ、怪我の程度がひどい。カヌイの婆さん達が容態を見守っているらしい」
がっくりと頭を落として、オルバスさんが呟くように教えてくれた。
グリナスさんの方もあまり表情が優れないな。
「俺達は漁場を移動している最中に遭遇した。カリンが水の壁に突っ込むように進んだのが幸いしたようだ。同行した1隻は転覆してしまった。なんとか岸に引き寄せて元に戻したんだが、魔道機関は2度と動こうとしなかった」
それでも命が助かっただけ良しとしなければなるまい。津波は、家族さえも他人と思えと言われているぐらいだからな。
「島の被害はかなりひどいですが、亡くなった人は?」
「長老が1人に、氏族の数人が無くなった。重傷は10人を超えているし、軽傷者は数え切れん」
それでも動けるものは頑張ってるんだな。俺も明日から頑張らねばなるまい。
「とりあえずアオイが無事で良かった。今夜、氏族会議で明日からの仕事を振り分ける。しばらくは漁も出来んが、先ずは氏族の島を復旧せねばなるまい」
オルバスさんがカタマランに帰っていく。家形の中に入って、すぐにザバンを漕いで行った。桟橋が無いと不便だな。先ずは、桟橋を何とかしなくちゃならないだろう。
「あれ? マリンダちゃんは」
「さっき、カリンと一緒に浜に向かったよ。母さん達が浜で皆の食事を作ってるんだ」
様子を見に行ったということかな?
そういえば、食料は足りてるんだろうか? 高台に備蓄するよう言っておいたんだけどね。
「途中でおかずを釣ろうとしたんだけど、全く当たりが無い。入り江はどうなんだろう」
「誰も、竿を出してなかったな。だけど、こんな状態もあるからだろう。おかずを釣るなら夜になってからやるんだぞ」
しばらくは休んだ方が良さそうだ。
この状態では、商船が来ても魚を渡せないだろうから、漁で得た魚を供出してもいいんじゃないかな。少しは食事にバリエーションが出るんじゃないか。
「だが、漁場を早くに探さねばならないぞ。サンゴ礁がかなり破壊されている。今までの漁場がそのままということはないからね」
「それは父さん達も心配してたな。『氏族の島も大事だが、トウハ氏族は漁で暮らす氏族だ』と言ってたよ」
そうなると、漁をしながら漁場を確認する連中と、氏族の島を復旧する連中に分けなければならないだろうな。
長老が1人無くなったと言ってたけど、氏族会議は紛糾しそうだ。上手くまとまればいいんだけど……。
「俺達若手の仕事が問題だな。石の桟橋は早いところ何とかしなくちゃならないだろうし」
「俺達の桟橋も、ですよ。燻製小屋や保冷用の小屋も直さなくちゃならないでしょうね」
出来れば、漁に向かう組になりたいけど、そうもいかないだろうな。
それに、リードル漁までに復旧が終わるとも思えない。動力船の数が減っているのも問題だ。リードル漁に向かう時には2家族は引き受けねばなるまい。赤ちゃんが小さいのも心配ではある。
考えれば考えるほど、気持ちが沈んでしまう。
とりあえずパイプに火を点けて甲板に立ち、もう一度島の惨状を眺めることにした。




