M-093 南方の異変
どうにかニライカナイの漁獲が安定したころ、ナツミさんのお腹が大きくなってきた。
トリティさんが、次のリードル漁の前には生まれるだろうと教えてくれたけど、果たしてどっちが生まれるのかな?
こちらの世界にやってきて、すでに8年が過ぎている。
25歳だから、友人の中では既に父親になった奴もいるんじゃないかな。
マリンダちゃんが色々と世話をしてくれるのがありがたいところだ。でも、「次は私にゃ!」なんて言ってるから、意外とその時の対応を学んでいるのかもしれない。
「これで、お前も父親だな。長老が喜んでいたぞ」
「はあ、俺に父親が務まるかちょっと心配になってます」
オルバスさんが、笑みを浮かべて俺の肩を叩く。
「誰も最初から父親として生まれるわけではない。子ができて初めて成れるんだ。少しずつ父親になっていくはずだ」
なんとなく、分かるような分からないような話だな。とはいえ、ちょっと安心できる話でもある。
ここは、頑張って漁に勤しまなければなるまい。
「グリナスや、ネイザンの2人目の嫁達も、少しずつトウハ氏族に馴染んできたようだ。オウミとナンタ氏族からだから、少しは習慣が違うだろうからな」
「仲は良いようですよ。頑張って漁をしているようです」
オルバスさん達は、つい最近カタマランを交換したばかりだ。今度は8個の魔石を使う魔道機関だから、少し遠くまで漁に出掛けているらしい。
「東に行った連中は、もうすぐ帰って来るだろう。数日休んで、今度は南に出掛けるそうだ。島のカタマランの数が寂しくなったとバレットが嘆いてたぞ」
「サイカ氏族の漁が少しずつ上向いているようですから、トウハ氏族も少し漁獲を押さえることになるでしょう。東と、南の出漁日数を押さえることも考えなければなりません」
トリマランのベンチから腰を上げると、タバコ盆の素焼きの器にカマドの炭を入れる。
自分のパイプに火を点けたところで、タバコ盆をオルバスさんに手渡した。
オルバスさんがパイプに火を点けていると、バレットさんが顔を出す。
「アオイは漁に出るかと思ってたが、居てくれて助かったぞ。気になる話を聞いてきた」
オルバスさんからタバコ盆を受け取って、バレットさんもパイプに火を点けている。一服したところで話してくれた内容は、南の海の異変だった。
「リードルの数が半減しているそうだ。もっとも、半減しても元々が海底を埋めるような数だからなぁ。例年通りに魔石を得ることができららしいが……」
俺とオルバスさんは、驚きで言葉も出ない。
そもそも魔石がネコ族の暮らしを支えているのだ。魔石を売った収入を蓄えて動力船を買う。その動力船で日々の暮らしを支える漁業を行っているのだからね。
「ナンタ氏族だけの話しか?」
「そうだ。ホクチやオウミ氏族では例年通りとのことだし、俺達トウハ氏族の漁場も変わりはねえからな」
となれば、漁の方はどうなんだろう?
その辺りの事を聞いてみると、今までの漁場であまり見ない魚が獲れるそうだ。あまり見ないと言っても、普段の漁ではたまにしか取れない魚が豊漁だということだから、見掛けの漁獲が変化するほどではないらしい。
「潮流が変ったわけではないらしい。どちらかというと魚の回遊が変化したのだろうと長老が言っていたぞ」
「魚が回遊場所を変えるでしょうか? 潮流や水温に変化があれば少しは違ってくるんでしょうが……」
ん? 水温か……。海水の性質が変わったならばありそうな話だな。
「バレットさん。南の方に、煙を上げる島はあるんでしょうか?」
俺達が考え込んでいた時、家形の中からナツミさんが現れた。お腹が大きくなってきたから、俺のトランクスを愛用してるんだよね。ゆったりしたワンピースはトウハ氏族の女性が愛用している品だ。
「だいぶ大きくなったな。それなら男だろう。トウハの良い銛打ちになれそうだ」
バレットさんが、大きくなったお腹を見て笑顔になる。
同族意識が強いから、子供は氏族の宝とみなされるんだよね。
「ナツミの問いだが、煙どころか火を噴く島があるそうだ。だいぶ南らしいが、その周辺の海域には、ハリオの群れがいつもいると聞いたことがあるぞ」
「たぶん、その島……、私達は火山と呼ぶんですけど、その火山活動が活発化したのが原因だと思いますよ」
よっこいしょ、と言いながら身を屈めて、ココナッツのカップに注いだ酒を配ってくれた。
いつもはマリンダちゃんがしてくれるんだけど、生憎と商船へ買い出しに出掛けているからね。
ナツミさん自身は、お茶を入れたカップを持っている。俺の隣に腰を下ろしたところを見ると、退屈凌ぎに俺達の話に加わるようだな。
「済まんな。ところで先ほどの話だが、もし、ナツミの言うように火山だとするなら、今後の見通しはどうなんだ?」
「私も専門家ではありませんから、よくわかりません。ですが、このまま沈静化すれば昔通りになるでしょうし……。最悪の場合は島が爆発します」
爆発と聞いて、2人の表情がこわばった。2人が俺を見る目が少し怖くなるな。
「俺達がこの世界に来る前の島では、そんな話がたまにあったんです。何もない海に突然火山が現れて、数日後に跡形もなくなった……。という話もあるくらいでした。
問題は、その海域が漁場でもあるということなんでしょうが、ナンタ氏族の命には代えられません。たぶん以前より火山の活動が活発になっているでしょうから、昔の姿に戻るまでは他の海域で漁をすることが一番だと思います」
「長老と相談せねばなるまいな。次の族長会議でナンタ氏族に忠告することもできるだろう」
「ナンタ氏族の伝承も聞いた方が良さそうだ。火を噴く島が過去にどんな影響をもたらしたか、ナンタ氏族の長老なら知っているはずだ」
過去と言っても、せいぜい数百年ということだから、大きな火山活動の伝承が無いかもしれないな。
意外と商会ギルドの方が記録があるかもしれないぞ。
後で確認してみるか。
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バレットさんがナンタ氏族の南の海域の異変を教えてくれてから3か月ほど経った頃、南の海域で10日程の漁を終えて帰ったきたネイザンさんとグリナスさん達が、家族連れで遊びに来てくれた。
トリマランの家形は大きいから、嫁さん達は子供と一緒に屋形の中でおしゃべりを楽しんでいるようだ。
俺達は甲板のタープの日陰の下で、のんびりとワインを傾ける。
「やはり魔石8個の魔道機関は高速を安定して出せる。次のカタマランは少し形を大きくしたいが、魔道機関はこれで十分だろう」
ネイザンさんの言葉にグリナスさんも頷いている。
漁自体には魔石6個の魔道機関でも十分だが、漁場までの往復時間を短縮させるには他の方法がないからねぇ。
「アオイに教えて貰った曳釣りの仕掛けは上手くいったぞ。仲間よりも3割は漁獲を上げることができたと思っている。仲間にも教えたから、あの仕掛けを使う連中が増えるかもしれんな」
枝針のハリスの長さを変えるだけなんだから、それほど大それたことではないと思うんだけどな。
ネコ族の悪いところは唯一つだけだ。何事も忠実にこなす。そこに変化を求めないというところがある。
海人さんも苦労したと思うな。
でも、頑固というわけではない。実例を示せば納得してくれるんだからね。
そういうことだから、漁法に変化を求めるなんてことは、絶対に自らはやらないんだよな。
「アオイはどの辺りで漁をしてるんだ?」
「東の海域ですよ。燻製台船を繋いだ起点の島から北に2日というところです。漁場が結構ありますよ。この間の漁では3YM(90cm)近いブラドを突きました」
「余り漁場を荒らさないでくれよ。俺達だって突きたいからな」
グリナスさんが笑顔で言葉を繋いでくれた。
たくさんいたから、あれならラビナスでも突けるんじゃないかな。だが、通常の銛では苦労するだろうから、大物用の銛を作ってやるか。
22歳になっているから、銛の腕も一人前だ。オルバスさん達を目標にしているからまだまだ腕を上がられるに違いない。
「それと、不思議な魚の群れを見たぞ。カリンが描いたのがこれなんだ」
グリナスさんが小さなバッグから折った紙を取り出したのを見て、思わず目を見開いてしまった。
どう見ても竜宮の使いだ。特徴的な長いひげのようなものを描いているし、帯のように胴長の姿は間違いようのない形だからね。
「俺の身長の3倍はあったろうな。龍神の子供に違いないと慌てて酒を供したんだ」
ネイザンさんの言葉に、グリナスさんも頷いている。
竜宮の使いを群れで見たとなれば、そんな気持ちにもなるだろう。
「5日程体を休めて、次は北に行ってみるつもりだ。アオイがかつて突いたガルナックのいた海域だが、今度は俺達で突くぞ!」
「ナツミさんがそろそろでなければ同行したいところですが……」
「しばらくは島にいるんだな。帰りには祝いの魚を突いてくるつもりだ。それでも生まれてなければ、俺達が突いてくるから心配しないで待っているんだぞ」
最初の恩を忘れていないようだ。
石垣ダイでなくても良いから、大きいブラドが欲しいな。
皆で夕食を取って、グリナスさん達が帰って行った。
残った俺達3人は、甲板で夜風に当たりながら、お茶を頂いている。
友人達が今の暮らしを見たら、のんびりとした平和な暮らしに見えるかもしれないけど、結構仕事が多いんだよね。トリティさんやナツミさんのご飯を何倍食べてもメタボにはならないんじゃないかな。
「竜宮の使いを見たと、ティーアさんが教えてくれた」
「グリナスさんも同じことを言ってたよ。群れを作っていたらしい」
ナツミさんはちょっと心配そうな表情をしている。もう直ぐ生まれるんだからあまり心労をかけたくはないところだ。
「最悪も考えた方が良いのかもしれない。バレットさん達が来たら、そう教えておいた方が良いのかも……」
最悪っていうと、島の爆発ってやつか!
それほど事態は悪い方向に進んでいるのだろうか。




