M-087 素潜り漁は皆でできそうだ
「もう少し、速いなら浮かぶのに……」
残念そうな表情でマリンダちゃんが屋根から下りてきた。
ポットから竹の水筒にお茶を注いでいるところを見ると、上で2人で飲むのかな?
「はい!」と、ベンチでパイプを楽しんでいる俺にも、カップのお茶を渡してくれる。
「そんなに遅いとも思えないけど?」
「ティーア姉さんは2ノッチより上げてるはずにゃ。でもこのトリマランは1ノッチ半てとこにゃ」
時速12ノットというところかな? これぐらいが俺には丁度いいな。前方を進むカタマランの航跡もそれほど気にはならないからね。
このお茶を頂いたら、新しく手に入れた釣竿にガイドを取り付けておこう。北にこの速度で進めば、少しは獲物の型が良くなるんじゃないかな?
島の主力が島から1日程度の距離で漁をしているのに対して、俺達は更に外側に向かうことにしている。まだ見ぬ魚もいるんじゃないかな。
北にはあまり来ていないから、少しは風景が変わるかと思っていたんだが、千の島というだけあって、どれも氏族の周囲と変わりがないように思える。
それでも、カタマランで3日程度の距離までは、大まかな海図があるのだ。島のちょっとした特徴と、周囲の水深、サンゴの穴や崖で現在地をおおよそ知ることができるらしい。
もっとも、バレットさんとオルバスさんが同行してるんだから、航路を間違うことは無いだろう。
ある意味、安心できる航海ということになるんだろうな。
夕暮れが近づいてくると、前方に小さな島が見えてきた。どうやらあの島近くに停泊する感じだな。
「どうにか1日半というところにゃ。2ノッチに上げれば2日の距離を進めたにゃ」
家形の屋根から下りてきたマリンダちゃんはちょっと残念そうな表情をしている。
「リードル漁が終わったら、東の漁場で曳釣りができるよ。乾期も終わりだからね」
「ちょっとの我慢なら良いにゃ!」
俺の話を聞いて急に元気になった。
停泊場所を探し始めたようだから、おかず用の竿を出しておくか。
3隻のカタマランに挟まれる形でトリマランが動きを停めたところで、屋根伝いに船首に向かい、アンカーを下ろす。
甲板に戻ったら、マリンダちゃんが釣竿を船尾から出していた。
ナツミさんも操船楼から下りてカマドに鍋を掛けている。果たして今夜の夕食は何が出てくるんだろう?
夕食はパエリア風のリゾットだった。少し酸味のあるスープにはバナナが入っている。健康には良いんだろうが、酸味のあるスープは少し苦手なんだよね。
「明日は、この辺りで漁をするのね?」
「昼食前は素潜りで、午後は根魚を狙えるらしいよ。たまにシーブルの群れが回遊してくるそうだから、青物練りの竿も準備しといた方が良いかもね」
俺の話を聞いて2人がうんうんと嬉しそうに頷いている。素潜りはできないけど釣りなら協力してもらえそうだ。
明日の漁の話しで盛り上がっていると、豪雨の音が近づいてきた。バタバタとタープを雨粒が叩きだしたところで家形の中に入る。
明日は、漁を頑張らねばなるまい。
翌日は、昨夜の豪雨の痕跡すらない。朝からカンカン照りの天気だ。
素早く朝食を済ませて素潜りの準備を始める。
型が良いらしいから、先端は1本もので行こう!
「トリマランを移動するわよ! あちこちにサンゴの穴があるらしいんだけど……」
2人で操船楼に上って行ったけど、良い場所があるのかな?
出来れば深くて広い穴が良いんだけどね。
ゆっくりとトリマランを進めながら、マリンダちゃんが偏向グラスのサングラスで海中を確認しているようだ。
やがて、トリマランが停船する。どうやら2人の目に適ったサンゴの穴を見付けたようだ。
マリンダちゃんがアンカーを下ろしたところで、屋根の上を歩いて帰って来た。
ん? ザバンを落とした音がしなかったけど……。
「いよいよ素潜り漁ね。頑張らないと」
家形の中から出てきたナツミさんはビキニにマリンシューズ姿だ。足には短いフィンを履いているし、顔にはマスクを付けている。
背伸びをして屋根裏から俺の銛を物色してるけど……。
「あの……、ひょっとして素潜りをすると?」
「そうよ。これ、貸してね?」
銛先が2つの銛は、最初に使ってたやつだ。中型以下を突くなら丁度良いんだけど、ナツミさんに銛が使えるんだろうか?
「2人で頑張って突いてくるにゃ!」
「途中で交代するね」
マリンダちゃんの声援に、ナツミさんが銛を手にして嬉しそうに答えてるけど、すぐに飽きるかもしれないな。銛は奥が深いんだからね。
とりあえず、シュノーケルを咥えたところで海に飛び込んだ。
続いて水音がしたのは、ナツミさんが飛び込んだんだろう。果たして1匹ぐらいは突けるんだろうか?
魚を突けなくとも、海中散歩を楽しむことはできるんじゃないかな?
とりあえずは漁を始めることにしよう。
先ずはサンゴの穴の周囲を巡りながら状況を確認する。直径30mほどの穴の深さは15mほどあるんじゃないかな? 周囲のサンゴ礁の水深は5mほどで、穴の縁はそれほど鋭い傾斜ではない。
テーブルサンゴが穴の下の方にまで続いている。小魚がたくさんいるから、それを食べる大型もいるってことになるな。
息を整えて一気に穴の底にダイブする。
穴の途中にあったサンゴの裏に大きなカサゴが隠れていた。
一端海上に出て、銛のゴムを引きながら息を整えると、さっきのサンゴを目指す。
再び海上に出た時には、銛の先に大きなカサゴが刺さっていた。
トリマランに戻って、甲板にいたマリンダちゃんにカサゴを渡した。
「わぁ、大きなバッシェにゃ! これでナツミに並んだかもしれないにゃ」
ん? 並んだってことはどれだけ突いたんだ。
「はい! これで3匹目ね。今度はマリンダちゃんの番よ」
ナツミさんが反対側から甲板に上って来たけど、銛の先に40cm近いブラドが刺さっている。
俺より上手いってことか?
俺の立場ってものもあるんだけどね。この先頑張らないと。
昼食までの獲物は15匹を超えていた。その内、5匹はナツミさんが突いたんだけど、俺が7匹だったことを考えると、ナツミさんの腕は恐るべきものなんだろうな。
「ナツミさんが銛を使えるとは思ってなかったな」
「賄いのおばさんが海女だったの。海中での心得をいつも話してくれたのよ。中学生の頃は一緒に潜ったことだってあるの」
本職の手ほどきを受けたってことか。
でも、海女さんは銛は使わないんだけどね。
「これで父さん達より一歩先を行ったにゃ! 午後は釣りを頑張るにゃ」
マリンダちゃんは保冷庫の魚を見てにんまりしている。
とはいえ、かなり日差しが強いんだよね。釣れるとしたら夕刻からじゃないのかな。
甲板の板を外して釣り座を作るとナツミさん達が竿を下ろした。俺は船尾で青物狙いの竿を出す。
たまにバヌタスというカサゴの種類が掛かるようだけど、本当にたまにだな。
夜に備えて、昼寝でもした方が良さそうだ。
他の船も釣りを止めたようだ。
そんな状況を見て、俺達もハンモックで横になる。あまり釣れないんじゃ仕方がない。
3時間ほど昼寝を楽しみ、ナツミさん達が夕食を作り始めたから、釣りは俺一人になる。
昼にはほとんど釣りにならなかったけど、やはり日が落ち始めると途端に食いが良くなる。
数匹釣り上げたところで、ナツミさんが捌いてくれるから、今夜は一夜干しを作れるかもしれないな。
出来上がった夕食を頂いた後は、本格的な夜釣が始まる。
氏族のためにも頑張らねばなるまい。2割増しが売値ということになったから、目標管理はし易くなったはずだが、それに見合った漁をこなさないといけないんだよね。
「急に当たりが無くなったにゃ!」
「変ね。この穴の魚を釣り切ったわけじゃないんでしょうけど……」
釣竿をを2人が片付け始める。
確かに、急に当たりが遠のいた。こんなことが起きるのは、魚達が物陰に隠れたということなんだろう。
自分の竿を片付けたところで、大物用の銛を屋根裏から取り出し、銛先を見る。
しばらく使っていなかったが、銛先には錆びもない。
「どうしたの? 急に銛を持ち出して。しかも、それって大物用よね」
「うん! 急に魚が釣れなくなったよね。ひょっとしてと思ってね」
「おっきなのがやって来たのかも!」
マリンダちゃんは直ぐに分かったみたいだな。それを考えてるんだけど、他の穴に移動しなければ良いんだけど。
「ハタかしら? クエも考えられるわね」
「どちらも大きいからね。明日になれば分かるんじゃないかな?」
だが大物だとしたら、この銛だけでだいじょうぶだろうか?
ハンモックで横になっても、そんなことばかりが脳裏に浮かぶ。
「それで、リードル狩りの銛まで使うの?」
「準備だけは必要じゃないかな? 使わなければそれまでだけどね」
翌日。屋根裏からリードル漁の銛を持ち出した俺を見て、ナツミさんが笑っている。
備えあれば憂いなし。大型リードルを狙う銛はさすがに牛刀なんだろうけど、通常のリードルを狙う銛は、二回りほど大きな銛だからそれほど違和感はないんじゃないかな。
朝食を済ませ、お茶を頂いたところで、サンゴの穴の偵察を始めることにした。
今日も、ナツミさん達がビキニに着替えているところを見ると、ブラドを突くつもりなんだろうな。
ここは少しでも大物を突かないと俺に矜持にも関わってきそうだ。
あれほど小魚が群れていたサンゴの穴はひっそりとしている。
不思議な光景に、少し底を目指して潜っていく。
10mほど潜っただろうか。 の崖の一角が崩れて、大きな隙間を作っている。その奥で俺を睨んでいるのは、大きなハタだった。
どう見ても、2mは超えているぞ。
ハタの頭は固いから銛さえも弾くと聞いたことがある。
体の三分の一は隙間から出ているから、側面を狙うことはできるんじゃサンゴないかな。




