M-077 神亀が教えてくれた帰り道
夕食をたっぷり頂き、翌日の朝食は雑炊になる。
初日は昼食は無かったけれど、2日目以降からは蒸したバナナが昼食になった。
夕暮れ前に近くの島近くにトリマランを停泊させて、砂浜に石を積み上げる。渚近くではないから波に崩されることも無いだろう。石が無ければ流木を積み上げることにした。
「目印ってことだね」
「簡単だけど砂浜なら目立つでしょう? いい加減な海図ではコンパスだけでは怪しいからね」
トウハ氏族の本拠地である島を発ってすでに4日目が経過している。
平均時速は25ノット程度とすれば、すでに1400kmほど島を離れたことになる。今のところ、魔石10個を使った魔道機関は軽快な動きをしているようだ。
万が一の時にはバウ・スラスタ用の魔道機関を転用できるらしい。もっともそうなれば島への帰還は2倍以上の日数が掛かってしまいそうだけど、帰れないということにはならないんじゃないかな?
どうにか石と流木を積み上げた目印を見ながら、自分の美的センスに満足する。
文化祭で見た、美術部の前衛芸術に比べれば、目の前の作品が遥かに優れている感じもしないではない。美術的な価値だけでなく、航行上の重要な役目も持っているんだからね。
ひとしきり満足したところで、ザバンを操ってトリマランに帰る。船尾でマリンダちゃんが竿を出しているけど、何か釣れたかな?
船首にザバンを引き上げたところで、厳重に固縛しておく。ナツミさんの操船はかなり荒いからね。落としたりしたら大変だ。
「終わったの? ありがとう。今日で4日目だけど、島は続いてるわね」
「千の島とも呼ばれていたぐらいだ。だけど、いつかは尽きるんだろうね。でないと太平洋を横断してしまいそうだ」
俺の言葉にナツミさんが笑い声を上げる。マリンダちゃんはキョトンとした表情だから、後でナツミさんに説明を求めるんだろうな。
そんなマリンダちゃんに釣れたか銅貨聞いてみた。
「釣れたにゃ! もう捌いて焼くだけになってるにゃ」
「凄いね。昨日は大きかったけど。今日のも?」
「氏族の桟橋より2倍は大きいにゃ!」
嬉しそうに答えてくれた。やはり誰も竿を下ろしたことが無いってことなんだろうな。ほとんど入れ食いらしい。
しばらくして、俺の前に30cmを越える大きな焼いたカマルが出てきた。今夜のおかずは豪勢だな。
食事が終わると、3人でワインを楽しむ。
この海域にいるのは俺達3人だけだけど、1人じゃないってことがこれほど安心感を持てるのに気が付いた。
俺とナツミさんだけだと、少し寂しいだろうな。
おしゃべりで元気なマリンダちゃんの存在がこれほどありがたいとは思ってもみなかった。
翌日は、日が登らない内に東に向かってトリマランを進める。
まだまだ周囲に島が見えるから、大洋を目にできるかどうかかなり怪しくなってきたようにも思える。
島を発って7日目の事だ。
周囲の島がまばらになってきた。水深も少し深くなったようで、俺達が航行している場所の深さは20mを越えている。
「アンカーのロープは30mあるから今のところは浅場を使えば停泊できそうね」
「余り島に寄るのも問題だぞ。帰る方向を見失いかねない」
そんな話で、7日目の停泊場所は島ではなく、海の真ん中だ。南北の島ともに2km以上離れているし、生憎とコンパスの差しす方向に近場の島が無かったんだよな。
「水瓶の1つが空になったわ。もう2つあるけどギリギリね」
「雨でも降れば良いんだけどね。雨期なんだから降っても良さそうに思えるけど」
「そんな時もあるにゃ。乾期に雨がたくさん降ることもあるにゃ」
要するに、雨の少ない雨期ってことなんだろうか?
出来ればそろそろ降ってほしいけどね。
8日目は、俺の願いが届いたのか朝から豪雨だった。
水を羽織武容器やポット、鍋を甲板に並べて雨を受ける。たちまち鍋に溜まったから、カマドで沸かしたところで水筒に貯える。
ナツミさん達は水中翼を使った高速航行ができないのが不満らしい。だけど15ノットほどで進んでいるんだからカタマランより速度は出てるんじゃないかな。
その日の夕方、トリマランを停泊させようとアンカーを下ろしたら30mのロープがピンと伸びてしまった。
慌ててアンカーを引き上げて、ロープを追加してアンカーを下ろす。どうやら水深35mほどに達しているようだ。
「アオイ君あれを見て!」
船尾の甲板に向かおうと家形の屋根を歩いていた俺を、ナツミさんが呼び止めた。
ナツミさんの伸ばした腕の先は黒々とした海が広がっている。
その先には島の影さえ見えなかった。
「千の島の果てということなんでしょうか?」
「そのようね。外洋だからうねりがあるわ。そのうねりがこの辺りまで広がってる」
そういえば、トリマランが前後に揺れている。うねりが確かに伝わってるんだろう。
「明日、ゆっくりと眺めましょう。ようやくニライカナイの東端を見ることができたわ」
かなり大きな群島海域と見ることもできるな。東西2千kmを優に超えている。
旅の終わりが分かったところで、ワインを酌み交わす。と言っても、1人3杯というところだ。ここで二日酔いは嫌だからね。
翌日はからりと晴れて碧空が広がっている。
朝からナツミさんとマリンダちゃんが、家形の屋根に乗って双眼鏡で東を眺めている。何度も確かめるように見てるところを見ると、やはり島が無いということなんだろうな。
簡単な朝食を終えたところで、東に向かってトリマランを進めた。
1時間ほど経っても島が見えないし、水底は黒々として底を確かめることもなさそうだ。すでに千の島を越えて大洋に入ったということなんだろうな。
突然、ナツミさんがトリマランの方向を変える。今度は西に向かうようだ。東の端を確かめた以上、長居することは無いだろう。
海流に流されて氏族の島に戻れないこともあり得るからね。
「ちょっと舵をお願い!」
操船楼からナツミさんが下りてくると、家形の中に入って行く。
直ぐに戻ってきたけど、手に2つのビンを持っている。
「上手く行けば日本に届くかもしれないわ。いつになるか分からないけど、これも連絡手段の1つよ」
ビンを海に投げ込んだ。
手紙を入れたビンらしい。上手く町の連中に回収されると良いんだけどね。
ナツミさんは、あのビンを流したくてやって来たのかな。それなりに楽しく暮らしていることを両親に知らせたかったのかもしれない。俺の事も少しは書いてくれただろうから、上手く行けば親父達にも俺の事が分かるだろう。
「さて、今度は上手く帰れるかどうかね。アオイ君の目印が見つかれば良いんだけど……」
「上手く見つからない時はホクチ氏族の漁場を通るはずだ。西に真っ直ぐ行けばいずれは氏族の島に帰れるさ」
すでに投げ入れたビンは、北に向かって流れて行ってしまった。
やや南に進路を変えて昼過ぎまで進むことにした。
夕暮れ時に船を停めた場所は、水深が40m近い場所だった。西から東に向かって潮が流れているんだろうか?
遠くに島が見えるから、明日はあの島を目標にするんだろう。
島を発って10日目。俺達は帰路についているのだが、島影はかなりまばらだ。コースが正しいかどうか疑問に思えるけど、とりあえず東に向かってトリマランは進んでいる。
朝晩は速度を落とすけれど日中は水中翼船モードで進んでいるから、夕暮れ前には見慣れた光景が俺達の前に現れている。
水深は20mほどになったことで少し安心する。後は俺の作った目印を見付けられればいいんだけどね。
11日目は、西に向かって進みながら、南北の島についても砂浜に目印が無いかを確認しながらの航海だ。
おかげで実際に進む距離はそれほどでもないのだが、ナツミさんもこのまま見つからないと不味いと考えているのが手に取るように分かる。
突然、トリマランが浮き上がった。
速度からして、水中翼船モードになったわけではないんだが……。
「神亀にゃ! トリマランを神亀が持ち上げてるにゃ」
マリンダちゃんの叫びに、船尾のベンチから腰を上げて後ろを見た。
なるほど、マリンダちゃんの言う通り、神亀の甲羅の上にトリマランが乗っている。
「神亀さんに任せましょう。この状態じゃ操船は無理だわ」
魔道機関を停止させて、ナツミさんが操船楼から下りてきた。
確かに何もできそうもないな。ココナッツの実を割って、とりあえずの休憩が始まる。
「南に向かっているわ。やはり外洋に出た時にかなり流されたんじゃないかしら」
「正しいコースを教えてくれるのかな? それなら助かる話だね」
2つほど島を越えたところで、神亀は深場に潜って行った。
この場所が俺達が西から進んできた場所ということなんだろうか?
「あったにゃ! アオイの作った目印にゃ」
家形の屋根でオペラグラスを使って周囲を見ていたマリンダちゃんが、北の島の一角に向かって腕を伸ばしている。
小型双眼鏡でナツミさんが砂浜を眺めて、ほっとした表情を見せると俺に双眼鏡を渡してくれる。
砂浜に焦点を合わせると、流木と石を積み上げた目印を見付けることができた。
やはり外洋に出た時に北に流されたみたいだな。神亀は俺達にそれを教えてくれたに違いない。
「これで安心できるね」
「後はまっすぐに西に向かうわ。進んできた位置が分かったから、明日は速度を上げるわよ」
ナツミさんも心細かったんだろう。目印を見付ける前と後では表情さえ違って見える。
それにしても神亀は俺達にだいぶ力を貸してくれる。
見返りは必要ないんだろうけど、この先を考えると何かの暗示を示しているようでもあるな。
だけど、今は素直に神亀に感謝しよう。
夕食後にワインを楽しんだ時も、神亀の分としてカップに1杯の酒を海に注ぐことにした。




