M-072 水中翼船だと!
グリナスさんの男の子のお祝いをするために、朝早く起こされた2日後、俺達はトリマランで南に向かうことになった。
マリンダちゃんとラビナスが一緒に行けるということで、朝早くから押しかけている。
雨期の気温は、夜でも25℃を下回らないから、ハンモックと漁の道具だけを持ってきたらしいが、出港間際に慌てて着替えを持ち込んでいる。
心配そうに甲板から見送るトリティさんとリジィさんに手を振って、俺達はオルバスさんのカタマランから離れると、入り江の出口を目指す。
今のところ天気は良いから、魔石6個を使用した魔道機関のカタマランとの速度の違いを確かめることもできるんじゃないかな。
南の海は何度も往復しているから、ナツミさんも慣れているだろう。
入り江を出ると、数隻のカタマランが南に向かって行くのが見える。
追い越すつもりなんだろうな、先にいるカタマランよりも西に進んでいるようだ。
「南にコースを変えたら速度を上げるわ。一応問題は無いと思うんだけど、ちゃんと座ていてね」
ナツミさんが、後ろを振り返って大声を上げる。そんなに大声でなくても聞こえるんだけどね。
苦笑いの表情のままで、了解を告げるとナツミさんが真顔で頷いている。
ひょっとして、とんでもない速度が出るってことか?
「ラビナス、ベンチに深く腰を下ろしておくんだぞ。ナツミさんが注意するってことは、それだけのことが起こるってことだ!」
「魔道機関を強化したと聞いてますけど、それほど速度が出るとは思えないんですが……」
まあ、それが一般的な考えなんだろう。家形の屋根に乗っていたマリンダちゃんも操船楼の中に入って行ったから、始めは慎重を期す考えなのかもしれないな。
「速度を上げるわよ! ……1ノッチ、およそ12ノット(約時速20km)というところかしら」
それほどの速度じゃないな。前のカタマランより少し速いぐらいだ。
「1ノッチ半に上げるわ。……これが1ノッチ半よ」
急に速度が上がった。16ノット(約時速30km)近くに上がっている。
先に見えていたカタマランがだんだん近くに見えてきた。向こうの連中は驚いているんじゃないか?
「いよいよ、2ノッチよ。ちゃんと座ってるのよ!」
何か起きるんだろうか?
魔道機関が強化されても、スクリューの推進力は船に合わせるべきだと思うな? バランスが崩れると船体に負担が掛かって最悪破壊しかねない。
いきなり、体が浮いた。
エレベーターに乗ったような軽い浮遊感が伝わったぞ。ラビナスも驚いたんだろうな。不安そうな表情で俺に顔を向けている。
「浮かんだよな?」
「体がちょっと浮かんだ気がしましたが、今は前と変わりありません。でも、左右の水しぶきが半端じゃありませんね。航跡も少し変化してます」
それだけじゃない。水面までの高さが変っている。この状態で船が進んでいるとするなら……、これって、水中翼船なのか!」
「2ノッチ半に上げるわよ。安定しているようだから少しぐらいなら動いてもだいじょうぶよ!」
操船楼からナツミさんが俺達に振り返って教えてくれたけど、ちゃんと前を見ていて欲しいな。
さらに速度が上がる。どう見ても30ノット近い速度だ。
先を進むカタマランをたちまち追い越し、南に向かってトリマランは進んでいく。
カタマランの連中はさぞかし驚いているに違いない。俺だってまだ心臓がドキドキしているぐらいだからね。
ラビナスも顔を青くしていたが、少しずつ平静を取り戻しつつあるようだ。
「カタマランの2倍以上で走ってますよ。これなら、2日の距離を1日もかからずに航行できます!」
「だけど操船は難しそうだな。それにこのトリマランを作るのもかなり難しいだろうね。素潜りの時に船の下を見てごらん。大きな翼があるはずだから」
東の果てを確認するには良い方法だが、トリマランの特徴である浅い海での航海に支障があるんじゃないかな?
水中に突き出した翼の大きさを確認した方が良さそうだ。
「このままで進むわよ。予想したよりも安定してるわ。さすがドワーフの誇る職人さんってとこね」
そんなことを言いながら、操船楼を下りてきた。ということは、現在舵を握ってるのはマリンダちゃんということになるんだが、だいじょうぶなんだろうか?
「はい、お茶でも飲んで落ち着きなさい」
カップにお茶を注いで俺達に渡してくれたけど、本人は小さな竹筒にお茶を注いでいる。2個あるところを見ると操船楼に持って行くんだろう。
「水中翼船だったとは思わなかったな。でも、翼がぶつかったら大破しかねないよ」
「それは、私の勘に頼ることになるけど、ヨットのセンターボードほどの長さだから、海の色で判断できるわ。船体がギリギリ浮かんでいる状態なの」
もっと浮かせたかったということなんだろうか? 俺としてはそれでも心配したいところなんだけどねぇ。
「直進性に重点を置いたから、この状態で舵を切ると大きく旋回することになるわ。舵を細かく切るようなら速度を落とせばいいんだけどね」
「一応、島が多いんだから気を付けて操船して欲しいな。それと、豪雨の時は止めた方がいいよ」
ニコリと笑顔を見せて、ナツミさんは操船楼に戻って行った。
俺とラビナスで顔を見合わせながらため息を吐く。確かに時間は短縮できると思うんだが、無事に着くのか心配になって来るな。
そんな俺達の気持ちを無視するかのように、トリマランは南に向かって滑走していった。
南に向かって進む船団や、帰って来る船団に何度か会うことがあったが、皆甲板に出てこっちを見ているんだよな。
ラビナスが手を振っているんだが、応える者は誰もいない。かなり驚いているに違いない。
南に向かうカタマランもそれなりの速度は出してるんだろうが、易々とおいぬいていくからねぇ。操船楼の2人はわくわくした気持ちで操ってるに違いないけど、ベンチに腰を下ろしている俺達は気が気じゃ無いというのが本音のところだ。
トリマランの速度が急激に落ちた。
思わず操船楼を見上げた俺達に、豪雨が近づいてるとマリンダちゃんが教えてくれた。
豪雨は嫌いだけど、何となくほっとした表情になるのは仕方がないことだろう。
ラビナスに手伝ってもらいながら、甲板にタープを張る。
家形から竹竿を伸ばして、帆桁を頂点に帆布を張ると屋根ができる。ベンチに空いた穴に2mほどの竹竿を立てて家形から伸ばした竹竿を受ければ、豪雨になってもタープがつぶされることは無いだろう。
作業が終わって、家形の壁際に置いてあったベンチに移動して腰を下ろす。
直ぐに、バタバタと大粒の雨がタープを叩き始めた。
「このぐらいの速さが俺には丁度良いですね」
「だよねぇ……。だけど、操船楼の2人には言っちゃダメだよ」
本音と建て前は使い分けなければいけないって、教えるのも問題がありそうだな。だけど、この世界で暮らすためには、それが大事なのかもしれないな。
正直、ほっとしたからパイプに火を点けてのんびりと過ごす。雨が激しいけど凍時期だから仕方のないことだ。前のカタマランは甲板にいても濡れることが多かったが、これだけタープが大きく甲板をほとんど隠すような構造だから、安心してパイプを楽しむことができる。
豪雨の時に調理するのも大変だったろうけど、トリマランのカマドは半ば家形の中に入った感じだから、全く濡れずに調理ができるんじゃないかな?
「ところで、銛の腕は上がったかい?」
「潜んでるのは突けますけど、動いてるのはまだ無理です。でも、傷を付けた相手は必ず突くことを心がけてます」
ラビナスの銛先を見せてもらうと、かなり研いだ跡が分かる。柄を持って、ぐるりと回しながら穂先の位置を確認する。少し曲がっているようだな。
トリマランが停まったら、少し補正してやろう。
「ちょっと、歪んでるな。柄を回すと分かるだろう。先端の描く円の大きさをなるべく小さくするんだ。それを直すだけでも狙いが正確になるぞ」
俺の話を聞きながら、うんうんと頷いている。
そろそろ自分で銛を作る年代だ。俺がどうやって銛を作るか、それを順を追って話し始めると、聞き逃さぬように真剣な表情で聞いている。
時折質問を受けるんだけど、必ずしも答えられるものではない。俺の銛の経験が銛を作る上で反映されることもあるのだ。
俺の場合は……、そう言って経験で作る部分を説明する。
「え~と、日暮れ前には着くって言ってたにゃ!」
「なるべく大きな穴を見付けて欲しいな」
「だいじょうぶにゃ。良い場所を見付けるにゃ」
マリンダちゃんが嬉しそうに返事をすると、カマドに炭を入れて鍋を乗せている。
すでに昼を過ぎているんだろうか?
時計を渡してしまったし、この雨だからなぁ。晴れていれば、おおよその時間が分かるんだけどね。
「とりあえず、銛を使うのは明日だ。豪雨でも素潜りをするぞ」
「今夜は根魚ですね。ちゃんとリール竿を持ってきましたよ」
ラビナスが取り出した仕掛けを見て、釣り針を見る。少し鈍ってるな。それだけ数を上げたということなんだろうが、釣り針を研ぐのも大事な漁師の仕事だ。
俺のタックルボックスを取り出して、細目のヤスリで針先を研ぐ。
「釣り針も研ぐ必要があるんだ。漁が終わったら釣り針を研いで油を塗っておくんだぞ」
「油は塗ってましたが、研いだことはありませんでした」
今後は、きっと良く研ぐだろう。研げばそれだけ掛が良くなるはずだ。
「とはいえ、これだけ先端が鈍ってるんだから、数は上げたってことだな」
「常に10匹近く上げてます。作って頂いてありがとうございました」
次は、自分で仕掛けを考える番になるだろう。
枝針の間隔、針の大きさ、ハリスの太さ……。根魚釣りの奥は深いと爺様が言ってたな。




