M-071 トリマランに引っ越しだ
1時間も経たぬうちに、ナツミさんがトリマランを操って帰って来た。
どう考えても大きすぎると思うのは俺だけなんだろうか? 操船楼も横幅が広くなっているから2人でゆったりと座れそうだ。
家形の屋根も少し高くなっているように見える。屋根裏を大きくしたんだろうな。雨期には魚の開きを屋根裏に上げるからそれも考慮したんだろう。
カタマランに船首から細い船体が前に伸びているからまさしくトリマランなんだろう。
「少し慣れが必要ね。カタマランよりも舵が効きづらいわ」
そんなことを言いながら操船楼からナツミさんが下りてきた。
「大きいにゃぁ。甲板で宴会ができるにゃ!」
「この甲板は、この大きさで板を外せるのよ!」
甲板の真ん中に1.5mほどの四角い穴が開くようだ。
「これなら豪雨でも濡れずに根魚が釣れるわ!」
マリンダちゃんに説明しているナツミさんを、俺達は呆れた表情で眺めていた。
「アオイの嫁は変ってるにゃ!」
「一応、俺の事を考えてくれたからだと思いますよ」
トリティさんにそう言ってけど、そうであったら嬉しいんだけどね。
「さて引っ越しよ!」
ナツミさんの言葉に、俺達がカタマランから荷物を移動する。
それほど荷物があるわけではない。3時間も掛からずに荷を運び終えると、最後に舷側の曳釣り用の竿を取り外してトリマランに取り付ける。
この竿には苦労したからなぁ。次の竿も早めに作っておく必要があるかもしれない。
「屋根裏、家形の戸棚、床下収納……、皆確認したわ。操船楼のコンパスと時計も回収したし、ベンチの中も見といたよ」
「銛と竿は運んだな。オルバスさんに貰ったベンチも運んである。残りはザバンだけだ。海に浮かべて置けばナツミさんが戻るまでにトリマランに搭載するよ。場所は同じで良いのかな?」
頷いてるところを見ると、同じ方法で甲板に引き上げるんだろう。
ザバンを固定しているロープを解いて、海に浮かべる。そのまま少し離れた場所まで泳いで移動したところで桟橋にロープで固定した。
その間に、今まで暮らしたカタマランが小さな台船を曳いて商船に向かって進んでいく。
船外機が特許になるとは思わなかったな。余分な出費をしないで済みそうだ。
桟橋で体を乾かしていると、ナツミさんが帰って来た。
2人でザバンに乗り込み、トリマランの甲板に上がる。今度はトリマランを動かしてオルバスさんの船に近付けなくてはならない。
どうにか一段落した時には昼をすっかり過ぎていた。
「終わったかにゃ?」
そう言って、トリティさんがお茶とチマキを差し入れてくれたのが嬉しかった。
とりあえず、甲板の真ん中に座り込むと食事にする。家形の中の片付けはこれからだろうし、漁の道具をしまい込むには使いやすさも考えないといけないだろうな。
食事が終わったところで、リール竿を持ってザバンに乗り込む。
今夜は宴会になるだろうから、入り江の出口付近で魚を釣っておこう。
日が暮れたところで、トリマランの甲板に皆が集まった。タープを張れば雨期の豪雨もこれならそれほど濡れないだろう。
バルタスやカマルが調理されて出て来るし、ワインも2本買い込んできたからね。ワイワイ騒いでいたら、バレットさんが現れた。
「今度のはかなりでかいな! でかいと言えばカリンはどうなってる?」
「そろそろ生まれると言ってたぞ。リジィが付いてるから心配はあるまい」
「何だと! 直ぐに知らせてくる」
慌てて桟橋を走って行ったのは、嫁さん達に知らせるためなんだろうな。
しばらくすると、グリナスさんを連れてバレットさんが再び現れた。
「こっちで飲んでろ! と言われてしまったぞ。まあ、俺達に手助けはできないからなぁ」
溜息混じりの言葉だけど、それは仕方のないことなんだろう。
それよりもどちらが生まれてくるかが楽しみだな。
たまにマリンダちゃんが出掛けて行って、俺達に状況を伝えてくれるのだが、今夜中に生まれるとも限らないからねぇ。
「やはり工事が残ってしまったか。今回は誰も神亀を見ていない。すでに神亀から見れば工事は終わったと見てるんだろうな」
「工事をしているときにグルリンの大群を見たぞ。あの水路で群れがこっちに来るかもしれんな」
バレットさん達の話を聞きながらパイプを楽しむ。バレットさんも魚の群れを何度か見たと言っていた。となると、南の漁場は有望なんじゃないか?
「アオイには感謝しないとな。前のカタマランなら水路まで2日で到達できる。それに小さな台船に魔道機関を乗せるなんて誰も考えたことは無いだろうよ」
「明日はバレットも氏族会議に出られるな? 誰を乗せるかを話しあわねばならん」
「ケネルも一緒だ。3人集まれば少しはマシな案が出るんじゃねぇか?」
オルバスさんが苦笑いで応じながら、バレットさんのカップに酒を注いでいる。
夜半になって宴もお開きになり、俺達は家形の中に入ったのだが、確かに広い。一応二間になっているが、その間は荒い目の網のようなカーテンだから無くてもいいようなものだ。
奥の部屋の左側にハンモックが張ってあり、右手には床から5cmほど高さがある台になっている。
「竹製のベッドよ。床よりもクッションがあるから、背中が痛くならないと思うんだけどなぁ」
「その日の気分で変えるんだね。今日は?」
「当然、試さないといけないでしょう」
2人で横になったけど、確かに弾力がある。タオルのような厚手の布を下に敷けばこれで十分に思えるな。ハンモックは昼寝をするには丁度良いけど、寝るには容易に寝返りがうてるこっちがお勧めだな。
ドンドンと家形の扉を叩く音で、俺達は跳び起きた。
Tシャツに短パンを履いた俺に、ナツミさんが頷く。カーテンを開いて扉を開けると、グリナスさんが立っていた。
「生まれたぞ! 男の子だ」
「良かったですね。バレットさん達には?」
「今からだ。先ずは父さん達とアオイに知らせてからだと思ってな」
それじゃあ! と言って桟橋を走って行ったけど、まだ星空じゃないか。今日は豪雨が来ないかもしれないな。
そんなことを考えながら、カマドの熾火でパイプに火を点けた。
後から甲板に出てきたナツミさんに男の子だと伝えると自分の事のように、俺に飛びついてきた。
「良かったわね。今度は私達かしら?」
ナツミさんの言葉に、思わず顔を赤くしたけど、ひょっとして……。
「出来ちゃったとか?」
「まだまだ先かな。でもそろそろ欲しくなってきたわね」
ホッとするというか、がっかりするというか、複雑な胸中だ。
ココナッツをわってカップ2つに中身を分けると、カリンさんの努力に乾杯する。
「グリナスさんにも困ったね」
「それだけ嬉しかったんじゃない? ほら、帰って来たけど……3人ね」
一緒に来たのはバレットさんに、もう1人の嫁さんだろう。直接の我が子ではなくとも、一緒に暮らしてきた娘さんだからね。
「酒を作っといた方が良いのかもしれないな。どうせオルバスさんやバレットさん達は家形を追い出されてくるに違いないから」
「そうね。蒸留酒を買っておいて良かったわ。悪いけど、ココナッツジュースを作っておいてくれない」
数人で飲むならココナッツ3つは必要だろうな。
小さな鉈でココナッツを割っていると、桟橋を歩く音が聞こえてきた。やって来たみたいだ。
オルバスさんのカタマランに乗り込んできたけど、俺が起きているのに気付いたようでトリマランの甲板に乗り込んできた。
「何だ、起きてたのか?」
「グリナスさんに起こされちゃいました。男の子だそうで、おめでとうございます」
俺が割ったココナッツをナツミさんが受け取って、錫製のポットにジュースを入れている。
すでに酒が入っているらしく、ポットを両手で持ってくるくるとかき混ぜると、俺達の前に小さな錫のカップを並べそれに注いでくれた。
ナツミさんが1人1人にカップを渡すと、バレットさんが簡単な祝辞をグリナスさんに与えて乾杯する。
後は、飲むだけなんだけど……、足りるかな?
「今度はアオイの番だな」
「こればっかりは授かりものですからね」
直ぐにそんな話になるんだよな。
だけど、それだけ俺達が氏族の中に入っている、ということでもあるのだろう。
とはいえ、俺達に子育てが上手くできるとは思えないんだよな。
「宴会の肴はアオイに頼みたいけど、お願いできるか?」
「グリナスさんのためですからね。ティーアさんの時に出掛けた場所に行ってきます」
「バルタックってことか? まったくあれを見た時には驚いたもんだ。俺からも頼んだぞ!」
バレットさんがそう言いながら背中をドン! と叩くもんだから、飲んでいた酒が気管支に入ったようでしばらく咳が止まらなかった。
俺より一回り小さい体なんだが、力はあるんだよな。
「俺達のカタマランで2日の距離だ。船を替えたばかりだがだいじょうぶなのか?」
「性能は前のカタマランを越えるはずです。今日にでも準備を整えて明日には漁に向かいましょう」
初の出漁が祝いの肴を獲るためというのも、何となく嬉しくなる話だ。
とはいえ、今は雨季だから獲物がいるかどうかは分からないが、努力して探さねばなるまい。
そのまま朝を迎えてしまったけど、今日はのんびりしていよう。
ナツミさんもトリマランを早く動かしたかったようで、丁度良いと言ってくれた。
甲板で銛を研いでいると、ナツミさんがカゴを背負って商船に行くようだ。隣の船からマリンダちゃんとトリティさんも一緒に付いて行った。
昨日も買い込んできたけど、今日も出掛けるんだ。女性の仕事は色々と大変らしい。




