M-054 曳釣りの問題点は
朝食後のお茶を飲み始めた時になって、ようやく朝日が上がって来た。まったく良くもこんなに早起きをしたものだと感心してしまう。
「さて始めるぞ。南に位置してくれ。1MM(300m)ほど離れれば影響はないだろう」
オルバスさんの言葉に頷いてベンチから腰を上げる。
俺が甲板に戻った時には、先ほどまで一緒にお茶を飲んでいたオルバスさんのカタマランが島を後に動き出した。
急いで船首に行こうとハシゴを上がろうとしたら、カタマランが強引に船首の向きを変え始めている。
「アンカーを上げといたぞ。次は何をする?」
「そうですね。仕掛けを準備しますか」
操船楼に2人は狭いかもしれないけど、このカタマランの操船を覚える必要があるからな。ナリッサさんはナツミさんと一緒のようだ。
先ずは3本の曳釣り用の竿を用意する。次に竹竿を展開するのだが、曳釣り用の竿のガイドをきちんと通した道糸にヒコウキを結び、その後ろのハリスにプラグと弓角を結び付けた。
「これでこちら側の準備が完了です。反対側も同じように作ります」
仕掛けの結び方まで教えておかないと、後々困ったことになりそうだからね。船尾の竿には、新たに作った竿を横に取り付けておいた。常時曳釣り用の竿にテンションを掛けたくないとのナツミさんから依頼で作った物だ。長さは2mにも満たないけど、左右に展開する竿と同じように竹材を密に組んで作った物だから細く見えても十分な強度を持っている。
「西に向いたよ! 半ノッチだから3ノットも出てないわ」
ナツミさんが甲板の俺達に顔を向けて、カタマランの状態を教えてくれた。
歩くよりも少し早い感じだな。投入したところで速度を微妙に変えていくんだろう。
道糸を洗濯バサミの内側に挟み込んで洗濯バサミを竿の先端に付けた金具まで細いロープで移動する。仕掛けを投げ入れた後で、ヒコウキを落とし道糸をドンドン伸ばしていく。
「道糸は10FM(30m)ほど伸ばしておきます。リールには20FM(60m)近く巻いてありますが、これは掛かった後の魚とのやり取りを考えての事です」
「あんな所に、道糸を挟んで魚が掛かった時に困らないのか?」
「あの洗濯バサミが役に立つんですよ。掛かればあれが外れます」
説明しながら3本の仕掛けを下ろして一段落。後は掛かるのを待つだけだ。
船尾のベンチに腰を下ろしてパイプを使い始めた俺達に、操船楼から下りてきたナツミさんが冷たいお茶を配ってくれた。
保冷庫に入れといたんだろう、良い具合に冷えている。
「ナリッサさんがしばらく操船してくれるわ。合図したら速度を落としてと頼んであるからだいじょうぶよ」
お茶のカップをナリッサさんに届けたところで、俺の隣にナツミさんが腰を下ろした。
今のところは晴天だが、季節が季節だけに俺達は水着なんだよな。さすがに女性達は上に薄手のワンピースのような代物を着てはいるけどね。
サングラスに俺の帽子を被っている。帽子が飛ばされないように顎紐をいつの間にか付けたようだ。
操船櫓には屋根があるから、大きなつばのある野球帽のような代物が良いのかもしれないな。
バチン! と洗濯バサミが道糸を離す音がした。左舷の竹竿がピンと元に戻っているから、急いで左舷の釣竿を手にする。
残り2本の仕掛けを、ナツミさん達が急いで巻き取ってくれる。
体をのけぞるように反らせて大合わせを行い、リールで道糸を巻き取っているのだが、
少し小型かな? あまり引き込む様子もない。
そのままどんどん巻き取って、最初の獲物を甲板にタモ網も使わずに取り込んだ。
バタバタと暴れてる魚の頭にナツミさんが棍棒で一撃を浴びせる。後は任せといていいだろう。
仕掛けを再度投入し、舷側から伸ばした竹竿にセットする。他の2本の仕掛けも再度投入することになるが、どんな大物が掛かってくるか分からない以上、その都度残りの仕掛けを引き上げるのは仕方がないことなんだよな。
「幸先は良いが、型がちいさいな」
「ですね。できればあのギャフを使いたいです」
操船楼の後ろにある倉庫の扉にタモ網とギャフを置いているんだが、ギャフをあまり使わないんだよな。やはり、近場の漁場には大きな奴がいなくなってしまったんだろうか?
「小さかったね。でも回遊魚ならもっと大きいはずよ。群れから離れたのかしら?」
「たまたまってこと?」
どうやら魚を捌き終えたようだ。俺の隣に座ったナツミさんも俺達と同じ思いらしい。だが、ナツミさんの言い方だとシーブルのような回遊魚ならそれほど型落ちしないということにならないか?
再び、鋭い音が右舷から聞こえてきた。
ヤグルさんが左舷の仕掛けを巻き取りにかかる。ナツミさんも船尾の竿にとりついたから、余裕をもって掛った竿を手にした。
道糸がぐんぐん伸びていく。さっきの獲物とはまるで異なる引きだ。
リールのドラムを親指で押さえつけながらブレーキをかけて獲物の引きを何とか耐えて、引きが弱くなったところでリールを巻いていく。
「大物だ! 少し速度を落としてくれ」
大声を上げると幾分船足が遅くなった。これで道糸を切られる心配はなさそうだ。
ドラムのブレーキとリールの巻き上げで少しずつ道糸を巻きとっていく。
「ヤグルさん、ギャフを使えますか?」
「あの大きなフックだな。生憎と使ったことが無い。教えてくれればその通りにやるぞ!」
「魚の下にフックを下ろして、一気に引っかけるんです。そのまま甲板に引き上げてください」
「分かった!」という声が後ろから聞こえてきた。
たぶんナリッサさんも操船楼から後ろを見てるんじゃないかな? 旦那さんの雄姿を見られるかもしれないからね。
ヒコウキが現れたところで、竿を舷側の穴に戻して、道糸を手繰る。急な引きがあればそのまま手を放して再びやり直せばいい。
ヒコウキを甲板に置けば、その先は6mほどのハリスだ。慎重に手繰ると魚体が見えてきた。
俺の隣にヤグルさんが現れゆっくりとギャフを沈める。
ギャフに誘導するように手繰ったところで、「ヤァ!」という気合の入った声と共にギャフが魚体を捕らえて、そのまま甲板に持ち上げられた。
暴れる魚に棍棒を振り下ろしたナツミさんは、魚の口からプラグを外してそのまま木箱の上に乗せている。
再度仕掛けを投入したところで、パイプを楽しむ。
「今度は、前の2倍を超えてるぞ。あれが数匹釣れればたいしたものだ」
「次はリールを使ってみますか? リールのドラムを親指で押すようにすれば引き出される道糸にブレーキがかかります。引きが弱くなったとみれば巻き上げてください。竿を上手く使って道糸が緩まないようにすれば魚は逃げられません」
「そうだな。やらせてもらおうか。前に乗った船ではこんなシーブルは掛からなかったからな」
何事もやってみないと、どんな感じか分からないからな。
獲物を捌き終えたんだろう。ナツミさんが俺達に片手を上げて操船楼のハシゴを上っていく。
直ぐに、ナリッサさんが降りてきたから、操船の交代ということだな。
昼過ぎまで西に向かって進み、簡単な昼食を取った後は少し南に下がった場所を東に進む。
夕暮れ前に竿を畳むと、近くの島の入り江にアンカーを下ろした。
2隻のカタマランを寄せたから夕食は皆で取ることになるようだ。マリンダちゃんとラビナスが船尾でおかずを釣り始める。
「どうだ? こっちはシーブルを6匹上げたぞ」
「こっちは、9匹です。さすがは聖痕の保持者だけの事はありますね。あの大きさのシーブルは初めて見ます」
「本来の曳釣りは、アオイの方法らしい。カイト様に教えられたがあまり理解できなかったということなんだろうな。型は揃うが数が以前より落ちていることは確かだ」
標準的な仕掛けをそのまま使っているということなんだろうか? 曳釣りは漁法の中ではかなり難しい方に当たると爺様が言ってたな。
ヒコウキや潜航板の角度やハリスの長さ、曳く道糸の長さ、それに弓角やプラグの形、色まで気を遣わねばならんとも言っていた。
「結構、面倒な釣りではありますね。その日の天候でプラグの色を変えることも重要でしょうし、ハリスの長さや道糸を伸ばす長さも考えねばなりません」
「それで3本の仕掛けの道糸の長さを変えてるのか? 確かに釣るための工夫がいる漁法なんだろうな」
とはいえ、一応の目安値と言うものもあるのだ。オルバスさんの曳釣りはまさしくその方法を使っているのだろう。
大釣りはできないかもしれないが、外れはない。それはそれで良いようにも思えるな。
食後にカタマランの甲板で4人でワインを楽しむ。
ヤグルさんも次のリードル漁で、曳釣りの道具を揃えると話してくれた。
「あの大きさのシーブルを見たら、やはり曳釣りをしたくなるな。雨期にはあまり素潜りもできないから、大物を狙うならこれが一番なんじゃないか」
「とはいえ、問題もあるんです。どう考えても1家族では無理な漁法です。ある意味、仲間との楽しみぐらいに考えていた方が良いのかもしれません」
どう考えても甲板に2人以上必要な漁法だ。それに操船だって必要だから、最低でも3人、出来れば4人以上が望ましいんだよな。
「アオイの言う通りだろう。現状では仲間と一緒になるしかないが、2人目の嫁を貰えば、家族の漁でも何とかなる気がするな」
「それでも問題がありますよ。ギャフを女性が扱えるでしょうか?」
それが一番の問題でもあるんだよな。タモ網は何とかなっても、ギャフはある程度力のいる道具だからね。
今回の9匹だって5匹はギャフを使っている。型が小さくなったとは言え、やはり曳釣りはギャフの出番が多い漁法ではあるんだよな。
3日間の曳釣りで21匹の成果は上出来なんじゃないかな?
氏族への上納を済ませた残りをヤグルさんと2等分したところで、今回の曳釣りは無事に終えることができた。
そろそろグリナスさん達も戻ってくるだろう。
次の出漁は、それからでいいかもしれないな。




