M-050 神亀という存在
水路の邪魔なサンゴを移動するのは、思ったよりも疲れる仕事だ。1時間おきの休憩が、サンゴを1つ運ぶ都度になってしまった。
遅々として進まない工事だけど、5日も過ぎるとそれなりに作業の成果を見ることができる。水路の一部に真っ白になった古いサンゴが見えてきたのだ。
と言っても、その長さは20mにも達しない。工事の区間は1200mもある。
「カタマランを水路から遠ざけたから、島近くだけでなく深場にもサンゴを移動できそうだぞ」
「サンゴの海の中にもいくつか穴があるし、水路から外れる深場にも移動できそうだな」
夕食後に、ネイザンさんのカタマランに集まって、明日の仕事を確認する。
ネイザンさんの統率は中々じゃないかな。
皆の意見をきちんと聞いて、明日の段取りを話してくれる。
俺達が頷いたのを見て、ネイザンさんが笑顔を見せた。
「それにしても水路は時間がかかるな。入り口のサンゴの積み上げもどうにか水面に顔を出したところだ。オルバスさんの話では、3FM(12m)ほど離してもう1組の標柱をつくるそうだ。水路が伸びる方向をそれで確認できるということだな」
「雨期の豪雨でも進路を見失わないようにしておくってことだろう。竹竿も、後々には石を積み上げるんだろうな」
明日の段取りが終わると、酒を飲みながらの雑談が始まる。
ココナッツジュースを蒸留酒で割ったやつだから、カップに半分ほど頂いて皆の話を隅の方で聞くことにした。
ナツミさん達は家形の中で、奥さん連中と楽しく過ごしているようだ。おもしろいことに双六のようなゲームがある。成人した男性はあまりやっているのを見たことが無いけど、トリティさん達もたまに遊んでいたから、ナツミさんもルールを覚えたに違いない。
家形の中が急に賑やかになってきた。どうやらゲームが終わったみたいだな。奥さん連中が甲板に出てくると、それぞれの旦那を回収して自分達のカタマランに帰っていく。
ネイザンさんに挨拶すると、俺もナツミさんが乗り込んでいるザバンに急いだ。
雨期だから、いつ豪雨がやってくるか分からない。星も見えないような夜なら、早めに戻っておいた方がいい。
家形に入りハンモックに体を預けると直ぐに眠気が襲ってくる。一日中、体を動かしていたからなぁ。それだけ疲れが溜まっているんだろう。
激しいカタマランの揺れと、海底から響いてくる衝撃音で飛び起きたのは良いのだが、そんなことをハンモックでしたから、背中から床に落ちてしまった。
急いで衣服を整えて家形から甲板に出ると、すでにナツミさんが甲板で南をジッと眺めていた。
「何なんですか!」
「あれが原因みたい。でも、隣のカタマランを見て。男性はともかく、トリティさんやリジィさんの姿は、祈りの姿よね」
ほとんどの連中が南を見ているところで、俺だけが周囲を見るのもおかしな話しではあるけど、確かに胸に両腕を合わせて少し頭を下げる仕草は祈りの姿に違いない。
となると、この異変の正体が祈りの対象ということになるんだろうな。
南に目を向けると何かが海中を高速で進んでいるようだ。大きなウネリが起こって、俺達のカタマランを揺らしている。
潜水艦でも俺達の世界からやって来たんだろうか? だけどあんな速度でサンゴの海域に向かったそれこそ大事故が起こってしまいそうだ。
ズズズーン……、と海中から振動が足元に伝わって来た。サンゴに衝突した衝撃なんだろうが、ここまで響いてくるとはね。200mほどは離れているはずなんだが。
「何なんだ?」
思わず腕を伸ばしてナツミさんに聞いてみたけど、ナツミさんは首を振るだけだった。
俺達が工事をしていた水路に小島が浮かんだのだ。ごつごつした岩には海藻も付いているけど、あんな岩は水路になかったはずだ。
現れただけでも不思議なのに、その島が北に向かって動き始めた。
数百mほど離れたところで島が海底に消えたと思ったら、再び高速で動く物体の発生するうねりが俺達のカタマランを揺らし始めた。
「あれが神亀にゃ。カイト様の子供達は自由に神亀を呼んで一緒に遊んだと言われてるにゃ」
「俺達の工事が捗らないから助けてくれるんでしょうか?」
「神亀は氏族に豊漁をもたらすと言われてるにゃ。昔から私達を助けてくれる存在なら、アオイの言う通りかもしれないにゃ」
何度かサンゴの海に突っ込んでいった神亀は、ゆっくりと北に向かって去って行った。
翌日、先行して調べてきた連中の話では1MM(メム:300m)近く、真っ直ぐな水路ができているとのことだった。
作業が始まる前に、俺もナツミさんと状況を見に出かけたんだが、まるで海底をブルドーザーで整地した感じに見える。
あの巨大なウミガメが体当たりしたんだから、サンゴ礁は簡単に壊れてしまうだろう。
俺達は可能な限りサンゴを残そうと考えてんだけど、神亀は気にして無さそうだ。
「あれだと、カゴを持って行かないとダメだろうな。サンゴがばらばらになっている」
「深さも問題ですよ。それと横幅も確認した方が良さそうです」
一気に工事が進んではいるのだが、状況を確認してから再開した方が良さそうだ。
手分けして状況を確認したところで、朝食を取りながら仕事の段取りを始める。
ネイザンさんが皆の調べてきた内容を水路の図面に落としてメモしている。一通り終わったところで俺を呼んで意見を求めてきたけど、ネイザンさんの判断で十分なんじゃないかな。
「やはり横幅が足りませんね。水深の浅い部分はなくなりましたが、サンゴの残骸が底に広がってるのも何とかしたいところです」
「東側から横幅を削って行こう。神亀があれをやるんだから、少し強引に進めても良さそうだ」
「一応、オルバスさんには伝えておいた方が良いですよ。後で叱られないとも限りませんから」
朝食が終わると、ネイザンさんとオルバスさんが、少し離れた場所で何やら話をしている。サンゴの破壊をある程度認めて貰おうということなんだろうな。
何度か言葉を交わしたところでオルバスさんがネイザンさんの肩を叩いたところを見ると、頑張れ! との事に違いない。
俺達のところに戻って来たネイザンさんが、サンゴを数個に分割することは可能だと、話してくれた。数個に分けるだけでも運搬は遥かに楽になる。
「アオイ達は海底のサンゴの片付けを頼みたい。マリンダとナリッサ姉弟が手伝ってくれると言っていたぞ」
「それなら捗りそうですね。それでは、昼に状況を知らせます」
オルバスさんの船に俺達のカタマランを横付けしているから、直ぐにカタマランに戻るとナツミさん達が準備をしていた。
潜るのはマリンダちゃんとラビナスのようだ。とはいっても、ナツミさんとナリッサさんも水着を着てるから途中で何度か交代することを考えているんだろう。
「サンゴを掴むからグンテがいるぞ。全員持ってるの?」
「さっき確認して、渡してあるからだいじょうぶよ。帽子も被ったし、水筒も2つ保冷庫に入れたからね。足の保護だって問題なし!」
靴下に樹脂を塗ったようなマリンシューズは、素潜りには必携の品だ。誰もがいくつか持っているはずだからそれは心配しなかったんだけど、ナリッサさんの履いてるのは新品のようだ。ずっと潜ったことが無いのかもしれないな。
「ザバンは私とナリッサさんが最初よ。カゴに入れてくれれば、ロープで引き上げるわ」
「了解。でも、1艘は近くに置いといてくれないかな。でないと休むところが無いんだよね」
素潜り漁だってザバンが近くにあるだけで、体を休めることができる。
何度も潜水しながらの作業には是非とも海面で体を休ませられる浮体が欲しいところだ。次の工事には簡単な物を作ってくるとしても、今はそんなものが無いんだから、1艘を近くに置くことで対処したいところだ。
2艘のザバンがカタマランを離れると、俺達も海に飛び込んでザバンに掴まりながら水路に向かう。
すでに入り口の工事は始まっているみたいだ。海面から数十cmほどにサンゴが積み上げられている。
水路に入ったところで、俺達はサンゴの残骸を集めるために海に潜った。海上から手カゴがロープで下ろされてきたから、カゴにどんどんサンゴの残骸を投げ込んでいく。
それにしても、派手に破壊した感じに思える。サンゴがばらばらになって、大きなものでも50cmにも満たない。
なるべく丁寧にサンゴの残骸を、下のサンゴの上から取り除けば、白いサンゴの水路になってしまっても、再び色鮮やかなサンゴが生育してくれるだろう。
そんな細やかな作業は俺には向いていないから、大きな破片をひたすら集めることに専念することにした。
神亀が水路工事を手伝ってくれた翌日の夜は何事も無かったが、2日後の夜には再び神亀の水路への突入が始まった。数回の突入が鈍い振動でカタマランに伝わったところで、小島のような甲羅を見せて北に去って行った。
「さらに南に半MM(150m)ほど水路が伸びている。このまま神亀が水路工事を手伝ってくれるなら、数年もせずに水路が完成するぞ」
「このままでは資源の枯渇を考えてくれたのかもしれません。それを考えると、氏族周辺の漁場の一時的な禁漁区も考えることも必要に思えるのですが」
「もっともな話だな。ケネルの順番が終わったところで俺達で考えることになりそうだ」
トウハ氏族の漁場をバレットさん達と調べていたから、それを元に話し合うんだろう。神亀が出てきた以上、資源の枯渇は現実味を帯びてきたということなんだろうか?
翌日の昼過ぎに、北からカタマランの船団がやって来た。
水路を挟んだ西側に船団が停泊したところで、ザバンが下ろされ俺達の状況を確認し始めたようだ。
海面に顔を出すと、メリッサさんが操るザバンじゃなくて、カリンさんとグリナスさんが俺に笑顔を向けている。
「だいぶ進んでるな。これほど早くできるとは思ってなかったぞ」
「神亀が協力してくれてる」
「神亀だと! 見たんだな?」
俺の言葉に驚いているようだ。
とりあえず簡単に説明したけど、納得してくれたんだろうか?
「それなら、俺達も見ることができるかもしれないな」
カリンさんと顔を見合わせながら頷いている。近頃はとんと姿を見せなくなったと聞いていたから、トリティさん達も初めて見たのかもしれない。
その辺りは帰島に道すがら聞いてみよう。




