M-045 北の組が帰って来た
氏族の島に戻った翌日は、商船が来てないので獲物をナツミさん達が世話役のところに持って行った。そこで報酬を受け取り、その足で燻製小屋に行くみたいだ。
2回も往復してたから結構な報酬を貰ったんだろうな。
のんびりとカタマランでくつろいでいる俺達の傍ではマリンダちゃんがオペラグラスで入り江に入ってくるカタマランを確認している。
まだ、北と東の組は戻ってこないみたいだな。俺達のカタマランの動力は強化されてるけど、グリナスさん達の魔道機関は魔石6個だから、あまり無理をすることもできないんだろう。
夕暮れまで入り江を監視していたマリンダちゃんは少しがっかりしていたようだが、明日には帰って来るんじゃないか。いつもよりは速度を上げて向かったに違いないからね。往復で俺達より2日は掛かっているとみるべきだろう。
氏族の島に帰島して2日目の夕暮れ近く、2隻のカタマランが入り江に入ってすぐに分かれたのが見えた。
「父さんのカタマランにゃ! 北の組が帰って来たにゃ」
屋根から入り江を監視していたマリンダちゃんが近づいてきたカタマランに両手を振っている。
どうやら無事に帰ってきたようだ。となると、グリナスさんも今夜か明日には帰って来るんじゃないかな。
俺達のカタマランのすぐ後ろにオルバスさんのカタマランが停泊して桟橋にロープを繋ぐ。
面倒な停泊作業を終えると、俺達のカタマランに皆でやって来た。人数が多いから、甲板に座るとリジィさん達がワインやココナッツジュースを配っている。
「早かったな。やはり競争してきたのか?」
オルバスさんが笑い顔で聞いてきた。
「ナツミの操船をレミネィ達が感心してたにゃ。サンゴの海をナツミの先導で越えたぐらいにゃ」
リジィさんがオルバスさんに報告すると、トリティさんが嬉しそうな表情を見せる。いまだに張り合っているんだろうか? トリティさんも少女時代の心をそのまま持っているのだろうな。
「そういうことなら、問題ないにゃ。操船が得意なら、他が不得意でもまったく問題ないにゃ」
俺には問題がありすぎるように思えるんだが、トリティさんにとってはバレットさんの嫁さん連中を感心させたことで折り合いが取れるのかもしれない。
「それで、どうだった?」
「良い漁場が広がっていました。1つ問題がありまして、途中にサンゴが発達した場所があるんです。バレットさんは迂回することを嫌がっていました」
「そこで、ナツミの操船の腕を披露したってことか。だが、バレット達が嫌がる場所で、しかも迂回を嫌ったとなれば問題だな」
オルバスさんが考え込んでしまった。トリティさんは操船の腕を披露したいのか目を輝かせている。
リジィさんは笑みをを浮かべて2人を見ているから、昔からあんな感じだったんだろう。
「確認した状況はバレットさんが海図にまとめています。詳細はバレットさんが報告してくれると思いますが、俺は良い漁場だと思っています」
「そうだな。俺の方も良い漁場を見付けたぞ。とはいえ、やはり距離が問題だ。アオイの言うように拠点を作るか、それとも大きな船を作るかということだろうな」
「リードル漁の台船よりも大きな船になりますよ。燻製小屋を2つ作れるほどの大きさが必要です。それに支援船として焚き木の調達船と燻製を運ぶ船も必要になります」
「運搬船はカイト様も考えていたから長老達もアオイの考えを理解はできるだろう」
とりあえずは無事に帰れたことを祝おう。
途中でオルバスさん達が獲って来た魚がトリティさん達の手で調理される。リジィさんも料理が上手だけど、トリティさんだって負けてはいない。2人の味の違いを食べ比べながら、ナツミさんの料理がどちらに近くなるのか楽しみになってきた。
ナツミさんが途中で漁をした報酬をトリティさんに手渡している。三分の一で95Dと言うんだから、銀貨3枚分をあそこで稼いだということになるんだろうな。
夕食が終わると再びワインが出て来る。リジィさんとマリンダちゃんはハンモックをオルバスさんのカタマランに運んでいたから、今夜からナツミさんと2人きりの暮らしに戻ることになる。
皆が帰った後で、船尾のベンチにナツミさんと腰を下ろす。
小さな錫のカップでワインを飲みながら、これからの暮らしを話し合う。やはり、次のリードル漁まではリジィさんの世話になりたいらしい。
「リジィさんは、そろそろ1人でだいじょうぶと言ってくれるけど、まだまだ自信がないわ。次のリードル漁は2カ月ほど先よね。それが終わった時が免許皆伝になるのかしら」
「魚を捌くのも失敗しなくなったし、ご飯も炊けるようになったんでしょう? 俺には十分に思えるけど」
「大きさが揃うと良いんだけど、大小交じりだと中々思うようにいかないのよ。もう少しって感じかな」
リジィさんも苦労したんだろうな。だけど、ナツミさんに氏族の女性の仕事を一通り教えてくれたトリティさんとリジィさんには頭が上がらない。個人的な頼みは優先してやってあげるしかなさそうだ。
だいぶ夜が更けてきたところで、家形の中に入る。
今夜はナツミさんと2人だけだから服を脱いで横になった。
入り江の小波でカタマランが小さく揺れる。ナツミさんが小さな声を上げているけど、外には聞こえないだろう。
それよりも……、ナツミさんの爪は切った方が良いんじゃないかな?
翌日。俺の隣にいたはずのナツミさんの姿が無かった。早起きしてお茶でも沸かしてるんだろうか?
体を起こしてシーツを見ると、血痕が付いている。やはり……。
「あら、早いのね。ちょっと待ってね」
ナツミさんが家形の中を覗いて、俺の様子を見て入って来た。
棚の中からココナッツの殻を持ち出すと、俺の背中に塗りだした。ココナッツミルクなのかな?
「ちゃんと爪を切ったから今夜はだいじょうぶよ。今日はTシャツを着ててね。そうすれば分からないわ」
そう言って、シーツに【クリル】の魔法を使って血痕を消してしまった。
やはりあの爪は凶器ってことだったんだな。でもかなり浸みるぞ。跡に残らないか心配になってきた。
短パンTシャツ姿で、サンダルを履いて甲板に出る。
短パンのベルト通しにカラビナでポーチを下げる。ポーチに付いてるベルトにパイプを挟んでおけるし、俺のアーミーナイフと硬貨の入った革袋、それにタバコの葉を入れる小さなポーチが入っているから、素潜りを行わない時にはこれを下げていれば困ることはない。
船尾のベンチに腰を下ろすと、ナツミさんがお茶を入れたココナッツのカップを渡してくれた。ココナッツは意外と多目的に利用できるな。いつもココナッツのカップを10個ほどキープしてカゴの中に入れておくみたいだ。汚れても【クリル】で綺麗になるし、ヒビが入ったり、欠けたりしたら浜の焚き火に使うこともできる。
「今日は、グリナスさん達が帰って来るかな?」
「たぶんね。やはり魔道機関が強化されていないとスピードは出せないみたいだ」
パイプを取り出して、カマドから炭を1つ取り出すとタバコ盆の素焼きの容器に移しておく。灰を被せておけばしばらくは火種として使えるんだから便利だよな。
パイプに火を点けていると、オルバスさんが自分の船の船首から俺達のカタマランに飛び乗って来た。
軽く朝の挨拶を済ませると俺の隣に腰を下ろしてパイプを取り出した。
ナツミさんがココナッツのカップに入ったお茶を差し出すと、頭を下げて受け取っている。
「だいぶ、起きるのが早くなったようだな。ところで……」
オルバスさんの話は、根魚を釣る竿と仕掛けを1揃い作って欲しいということだった。
「リジィも頼みでは仕方あるまい。俺よりはアオイの方が増しに作れるからなぁ」
「ひょっとして、ナリッサさんの婚礼用と?」
俺の問いに、オルバスさんが小さく頷いた。
リードル漁はカタマランを手に入れるチャンスでもある。毎年何隻かが作られるのだが、それは新たな夫婦誕生にもつながる話でもあるのだ。
ナリッサさんも相手がいるってことになるのかな? それならおめでたい話になるんじゃないか!
「リジィさんには俺達が散々世話になってます。俺達の贈り物として渡せるようにしておきます」
「そうか! ならこれで……」
オルバスさんが取り出した銀貨を押し返した。それだと俺達からの贈り物にはならなくなってしまうからね。
「それでは俺達からはトリティと相談になるな。済まないがよろしく頼んだぞ」
ナツミさんにお茶のお礼を言って、オルバスさんが自分の船に飛び移って行った。
家形の中に入って行くオルバスさんをナツミさんと眺めているのに、互いに気が付いて思わず笑みを浮かべる。
「そういうことなら、ちゃんとしたものを贈らないといけないわね。ティーアさんの釣竿を見て欲しがる人もいるみたいよ」
「根魚なら、手釣りよりも簡単だからね。それに2人で釣ればそれなりに数を揃えられる」
たとえ数匹でも、3日も夜釣りを行えば10D以上の収入になるのだ。2人きりになって始める漁師生活は不安定らしいからな。少しでも夫を助けることができるんじゃないかな。
マリンダちゃんが朝食を告げに俺達のカタマランにやって来た。
今日は何をして過ごそうかと考えながら、オルバスさんの船の甲板に向かう。
商船も来ないし、グリナスさんもまだ帰らないんだよな。たぶん昼過ぎにはなるんだろうから、のんびりとハンモックで昼寝でもするか。




