M-034 トリマランの欲しいわけ
氏族の島から漁場までは丸1日というところだ。夕暮れ近くにサンゴの崖を見付けて、船団を解く。
各カタマランが100mほどの距離を取ることになるのだが、俺達の船は一番西になる。
これがどんな結果をもたらすかは俺にも分からないが、とりあえずは仕掛けを流そう。
グリナスさんに作ってもらった浮きは小さなカゴにヤシの繊維をたっぷりと詰め込んだものだ。それに短い竹筒を刺して、全体を樹脂を塗って固めてある。
浮きに点けた丸い輪に延縄のロープを結び、竹筒に2mほどの竹竿に赤い布を結んで船尾より海に投げ込んだ。
ゆっくりと浮きが西に流れていく。細いロープには3mおきに2mほどの枝張りを伸ばしているから、餌を針に点けて順番に投げ入れた。
枝針2本ごとに小さな浮きを付けているから延縄が沈むことはないだろう。
10本の枝張りを付けたロープが西に向かって流れて行ったところで、ロープのはしを船尾に結び付けた。
明日の朝が楽しみになって来たぞ。
一仕事が終わると、船尾のベンチで根魚用の仕掛けを準備する。
食後3時間ほどは竿を下ろせるんじゃないか? 幸いにも天気は持ちそうだ。
「夕食にゃ!」
おかず釣りができなかったから、バナナ入りの炊き込みご飯に、燻製にしたカマルの切り身が浮かんだスープだ。
置き竿にしてでも、おかずを釣るべきだったかもしれないな。
明日は、もう少しおかずが増えるだろうけどね。
「あれで、釣れるの?」
「一応、延縄だよ。西に50mは伸びてるはずだ。朝夕に引き上げれば、何匹か掛かってるんじゃないかな?」
「道糸がロープにゃ。他の連中は細い組紐を使ってたにゃ」
「道糸が細いと、指を切るかもしれません。ロープならそんなことにはならないでしょう」
とはいえ、引き上げ時にはグンテを使うことになるだろうな。だけど、何も掛かってない時には……。俺も組紐を道糸に使おうかな。
夕食が済んだところで、今度は根魚釣りを始める。
まだ眠るには早い時間だからね。数匹釣れれば上出来なところだ。
結果は、ナツミさんが3匹に俺が2匹。明日は頑張らないと聖痕の御利益が疑われそうだ。
ナツミさんがバヌトスを捌いた時に、身を薄く切りすぎたらしく、翌日はバヌトスの切り身が焼かれていた。
スープにもバヌトスが入っているはずだから、ちょっとよだれが出てしまいそうだ。
俺達が喜んでいる姿を、リジィさんが呆れた表情で見ているけど、やはり食生活は充実したい。
「ナツミさん手伝ってくれないかな?」
「昨日仕掛けた延縄ね。いいわよ」
ゆっくりとロープを引く俺の隣で、ナツミさんがタモ網を持って待ち構えている。
ロープに魚が暴れる手ごたえが伝わってくるから、1匹は確実だ。さて、何が掛かったんだろうか?
2本目の枝針が何の抵抗もなく上がって来た。ロープにぐいぐい引きが伝わってくるところを見ると、次の枝張りってことだろう。
ロープを慎重に手繰って枝針のハリスを手にすると、魚の引きに合わせて少しずつ手繰っていく。
銀色の魚体が水面直下に見えてところで、ナツミさんがタモ網を沈めた。タモ網に魚体を誘導するように頭を入れたところでナツミさんがタモ網を引き上げた。
バタバタと甲板を打つ魚の頭にリジィさんが棍棒を振るった。1発で大人しくなったぞ。
とりあえず甲板に放っておいてロープを再び手繰っていく。
「4匹は滅多に掛からないにゃ。さすがは聖痕持ちにゃ!」
「ナツミさんお願いしますね。その間に仕掛けを流します」
リジィさんが感心して4匹のシーブルを見ている。型としては50cmほどで少し小さい気がするんだけどね。
昨夜、失敗したバヌトスの切り身を釣り針に付けて、再び延縄を流す。
終わったところでナツミさんの方を見ると、嬉しそうな顔をしていたから、リジィさんの合格を得られたんだろう。
一仕事が終わったところで朝食が始まる。
ごはんには焼き魚の切り身が乗ってるし、アラで作ったスープも良い味を出している。
夕刻の延縄の成果によっては1匹を夕食用に使ってもいいんじゃないかな。
「昼までは素潜り漁なのね?」
「そうなるね。サンゴの崖が低いと言ってもそれなりの段差がある。ブラドにとっては良い隠れ家だ」
お茶を終えたところで、家形の屋根らから銛を取り出す。
先端が1本物の短い銛だ。それでも、2.4mほどの長さがあるから、数十cm程度は問題なく突ける。
操船楼の下に作った倉庫から買い物カゴを持ち出して装備を身に着けた。
最後に銛を握って、甲板から左舷に飛び込む。
甲板から手を振る2人に片手を上げると、サンゴの崖に沿って西に泳ぎ始めた。
結構魚が多いのだが、大きな奴がいないんだよな…。30cm程度のブラドばかりが目に着く。
そんな中から大きな奴を選ぶのは中々神経を使う。
目標を決めたところでゴムを引き、ゆっくりと銛を伸ばしながら近づいていく。
50cmほどの距離で銛を握った左手を緩めると、銛が狙いたがわずブラドのエラ近くに突き立った。
急いで柄を握ると、海面に向かって浮上する。
シュノーケルの管に入った潮を勢いよく噴き出して、新鮮な空気を肺に入れる。息を整えながら俺達のカタマランを探して泳いでいく。
長く延縄を西に伸ばしているから、カタマランには北から接近する形になるな。これでは数は期待できそうもないが、見上げた空はいくつもの雲が流れている。
昼過ぎには豪雨がやってきそうな雰囲気だ。
6匹目のブラドをナツミさんに渡して甲板に上がろうとしたら突然の豪雨がやってきた。
リジィさんは、帆布の屋根の下にいたけど、ナツミさんは獲物を受け取ってくれたからずぶ濡れになってしまった。
木箱の上にブラドを乗せて手慣れた手つきで捌くと、保冷庫の中に放り込んだ。だいぶ慣れてきたようだ。とはいえ、リジィさんは首を振っているから、もう少し腕を上げないとダメってことなのかな?
甲板に上がったところで、シャワー代わりに雨を浴びる。海水で濡れた体に丁度いいのだが、出来ればもう少し雨量を絞ってほしいところだ。
1分も浴びずに、帆布の屋根の下に退散する。
「はいにゃ!」リジィさんが渡してくれた布で体を拭きながら、ベンチに腰を下ろした。2個あるベンチのもう1つは、カマド近くに置いてリジィさんが座っている。
「素潜りはこれで終わりです。もう少し経ったら、延縄を引き上げますよ」
「昼はどうかにゃ?」
ちょっと懐疑的な表情をしながらも、お茶のカップを渡してくれた。
家形からナツミさんが出てきて、リジィさんの隣に座る。着替えてきたみたいだけど、短パンにラッシュガードは、引き上げる時に濡れることを前提にしているようだ。
「ブラドの型が小さいわね。シーブルはそこそこなんだけど」
「たまたまなんじゃないかな。今日は崖沿いで漁をしたんだが、明日は北のサンゴ礁を探ってみるよ」
「それなら、ロデニルを獲ってきて欲しいにゃ」
確か大きなイセエビのような奴だった。この辺りにもいるのかな?
カゴ漁をする連中以外は商船にロデニルを持ち込まないとのトウハ氏族のルールがあるのだが、自分達で食べる分には何の問題も無いということだ。
ブラドを探してた時に何匹か見掛けたから、明日はロデニルも突いてくるか。焼いて食べたら美味しそうだ。
3人で激しく海面を叩く豪雨を眺めながらお茶を頂く。
こんな時にはお菓子も欲しくなるな。というより、昼を過ぎてるからお腹がすいたのかもしれない。
「昼食は、もう少し待つにゃ」
俺のお腹が鳴ったのに気が付いたリジィさんが口を押えながら教えてくれた。
なんだか子供を相手に言ったような感じだったな。ナツミさんは横を向いて肩を振るわせている。
昼食は、ちょっと焦がしたチャーハンにスープを掛けたようなものだったけど、少し辛めのスープに焦げたご飯が良くなじんでいる。
かなり味が濃いんだけど、ナツミさんも嬉しそうに食べているところを見ると、ここでの暮らしも馴染んできたのかもしれないな。
この世界に来て、すでに3回目のリードル漁を行ったから、1年半が過ぎている勘定だ。向こうに世界だとしたら、高校は卒業している歳だ。
そろそろ真剣に自分の将来をこの世界で考えなければなるまい。すでに元の世界に戻れるなんてことは考えていない。
偶然にこの世界に紛れ込んだとなれば、帰れるのも偶然ということになる。時の流れが同じとも限らないからなぁ……。
「昼食を終えたら、引き上げてみようか?」
「そうね。たくさん掛かってるかもしれないね!」
俺達の漁はまだまだ続く。夕暮れ前にはこの豪雨も上がるんじゃないかな? 東の空が少し明るくなってきている。
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3日間の漁を終えて氏族の島にカタマランを連ねて進む。
今日も豪雨だけど、これだけ良く降るもんだ。空には一体どれぐらいの水があるのか考えてしまう。
「やはり雨期ってことなんだろうな」
俺の呟きに、ナツミさんが顔を向ける。いつ見ても美人だから今でもドキッ! とsるけど、高校時代の姿と1つだけ変わったことがある。健康的な日焼けはこの世界では仕方のないことなんだろう。
「あまり気にしない方がいいわよ。トウハ氏族は銛の腕を競うんだから。雨期が空ければアオイ君の腕が振るえるんじゃない?」
「と思いたいけど、まだまだだね。次のカタマランに向けて頑張らないと……」
「次は、トリマランよ。でないとアオイ君も困るでしょう?」
どういうことなんだろう? 思わずナツミさんの横顔を見てしまったけど、ナツミさんは豪雨の中に消え入るように見える島影を見つめたままだった。
まあ、ナツミさんに任せておけば問題はないんだろうが、トリマランとなると、かなりの出費が予想されそうだ。
少なくとも3年後を目標にしたいな。リードル漁で上級魔石を3個以上手に入れられるなら、15個程度にはなるだろう。金貨15枚ならナツミさんの要求に対応できるんじゃないか?
「往復20日の航海をしたいの。それで、東を確かめられるわ」
「千の島の果てを見たいと?」
俺の問いに、ナツミさんが小さく頷く。
太平洋を、こんな小舟で渡ろうなんて考えてはいないだろうな? 片道で10日ということは、トウハ氏族の漁場の2倍の距離だ。
そこまで到達しても、同じような景色が広がっているのだろうか?
グリナスさんに、東に船を進めたらどうなるか、以前聞いてみたことがある。その答えは島が無くなるとの事だったが、それを確かめたものは誰もいないようだ。
ナツミさんはそれを確かめたいということなんだろう。
その先に何があるかは、確かに行ってみないと分からないだろうな。




