M-020 白いカタマラン
氏族の島に帰ったところで、オルバスさんにカタマランを引き取りに向かうことを告げると、ナツミさんと一緒に桟橋を駆けて行った。
危うく、ナツミさんが契約書の写しを忘れるぐらいだったんだよな。それでも、石の桟橋を歩く時には、俺達に自然に笑みが浮かぶ。
商船に乗り込んで、ナツミさんが引き取りの手続きをしている間に、ワインを3本買い込む。2本はお祝いに飲むだろうし、残った1本はナツミさんと俺達の船で楽しもう。
「お酒は買えたの? なら、カタマランを動かしてみるわ」
「ちゃんと動かせるかな?」
「基本はボートと同じよ。でもカタマランは操船が難しいと思ってバウ・スラスタを付けてみたんだけど」
ほらほら! とナツミさんに押されるようにして商船の船尾に歩いたところで、カタマランに乗り込んだ。
カタマランの操船は、家形の左後方にある背もたれの低い椅子に座って行うのだ。開放的なコクピットという感じだな。前方には窓があるし、屋根だってあるんだが、背中部分には何もない。
豪雨に操船したらずぶ濡れ間違いなしだろうが、屋根があるから直接雨に打たれることはない。少しは我慢ってことなのかもしれないな。
「出発するわよ。ロープを解いてくれない?」
「了解! ……終了だ!」
ヨイショ! とナツミさんが、屋根に上るハシゴを使って操船櫓の椅子に座る。
指示されるままに商船と結ばれていたロープを解いたところでナツミさんに報告する。
「ゆっくり進むわね」
甲板の後部にあるベンチに座った俺に、振り向いて教えてくれた。軽く片手を上げて了解を告げると、首を後ろに向けながらカタマランを後進させる。
30mほど商船から離れたところで、周囲に他の船が無いことを確認すると、船首だけを南に向けた。
早速、バウ・スラスタを使ったみたいだ。なるほどね。こんな風に動くんだ。
南に向かってゆっくりと進んでいくんだが、他のカタマランが木肌に透明な樹液で塗装してあるのに対して、このカタマランは木肌を白く塗った後に他のカタマランと同じように樹脂を塗ったみたいだ。おかげで目立つことこの上ない。
俺達の船に向かって手を振る人達に、両手を振って答えていると、オルバスさんのカタマランが見えてきた。
3人が船尾で俺達の船を眺めているけど、この塗装だからなぁ。呆れてるんじゃないか?
ゆっくりと速度を落としながらオルバスさんのカタマランの隣に横付けすると、衝突干渉を抑えるための竹籠を船と船の間に2個落としておく。
それが済んだところで、オルバスさんが投げてくれたロープで船首と船尾を結んでおく。最後にアンカーを投げ込んで終了だ。
「船体に塗装したのか。余りやる者はいないが、自分の船が直ぐに分かるも都合が良さそうだな」
「船首の目印が綺麗にゃ。これがアオイの目印にゃ?」
そんな目印を入れたのかな? 体を伸ばして船首に目を向けると黒く描かれていたのは桜の花だ。ひょっとしてナツミさんの家の家紋なんだろうか?
「太い横木は動くようだな。カゴ漁をする連中が同じような横木を付けている。重いものを甲板に引き上げる時に役立つそうだ。それが役立ちそうな獲物がいないこともない」
ちょっとしたクレーン代りのつもりなんだろうが、それを使わないと引き上げられないとはどんな獲物なんだ? 大型のクエがいるんだろうか。
そんなところに、ナツミさんが操船櫓から降りてきた。
2人でオルバスさんの甲板に移動したところで、改めてオルバスさん達にお礼とお願いをすることになる。
「今まで、ありがとうございました。とりあえず2人で暮らすことになりますが、今後とも漁の手ほどきはよろしくお願いします」
「ああ、大丈夫だ。グリナスよりは安心できるが、獲物の処理や食事はトリティが心配している。しばらくは一緒に漁をすればいい。前に話したように俺の船にリジィ親子を乗せる。漁の間はリジィをお前達の船に乗せれば少しはトリティも安心できるだろう」
俺の肩をバシ! と叩きながらの言葉だ。たぶんアザになってるんじゃないかな?
でも、それだけ俺達が新しい船を持ったことを喜んでくれたに違いない。
「俺はリジィ達を迎えに行ってくる。引っ越しと宴会の準備は頼んだぞ!」
桟橋を歩いていくオルバスさんを見送ると、ゴザに包んである俺達に荷物を運び始める。
マリンダちゃんも手伝ってくれるから直ぐに終わってしまった。屋形の中にある棚にナツミさんが荷物を整理している間に、銛を天井裏から引き抜いて1本ずつ移動する。
残ったのは2本の竿だ。
「マリンダちゃん。今までのお礼に、これをあげるよ」
「これって、夜釣に使う竿にゃ!」
おかず釣りの竿は直ぐに分かったけど、夜釣用の竿はリールが付いているからね。仕掛けも、胴付き仕掛けと浮き釣り用を添えてあるから、カマル釣りにも使えるはずだ。
「ティーア姉さんも持って行ったにゃ。あれと同じにゃ!」
「大事に使うにゃ。今から使うなら、ティーアよりも上手くなれるにゃ」
竿を持って喜んでいるマリンダちゃんに、トリティさんが頭を撫でている。うんうんと頷きながら聞いているマリンダちゃんは早く使いたいって感じだな。
「娘2人にここまでしてもらってありがとうにゃ」
「これまで俺達の世話をしてくれたじゃありませんか。これぐらいはさせてください。それに船は違ってもしばらくは一緒に暮らしたいと思っています」
俺に礼を言ってくれたけど、礼ならこっちが言わなければなるまい。まったく包丁を握ったことが無いと言っていたナツミさんが、魚を8割方も捌けるようになったんだからね。
「魚を捌くのはリジィ姉さんが教えてくれるはずにゃ。後は料理を教えないといけないにゃ」
「お願いします!」
俺の言葉に、ニコリと微笑む。やはりあの時のスープは問題があるとトリティさんも思っていたようだ。
そんなところに、ナツミさんがヒョイ! とカタマランを跳び越えてきた。
「色々と買物があるわ。一緒に来てくれないかしら?」
「良いよ。ついでに背負いカゴも買わないとね」
トリティさん達に、出掛けてくると言い残して再び桟橋を歩く。
メモを見ながらぶつぶつとナツミさんが呟いている。下を見ないで歩くからヒヤヒヤものだ。腰を抱くようにして歩くことになったけど、誰も見てないよな?
商船に到着したところで、最初に背負いカゴを購入し、俺が背負うことになった。店員と一緒に棚を巡りながらナツミさんが次々と背負いカゴに商品を入れていく。
どうにか買い物が終わった時には、ナツミさんもおまけして貰った手カゴに荷物が満杯になったほどだ。
銀貨数枚が必要になったけど、これは仕方のない出費だろう。
ついでにタバコを3包を購入する。まだ1包残っているけど、老人が小遣い稼ぎに編んでいるザルを買わないといけないからな。料金と一緒に渡せば喜んでくれるらしい。
「ザルは明日でいいね。明日からちゃんと暮らせるかなぁ?」
「しばらくは無理だと思うわ。私は一度もご飯を炊いたことが無いのよ。アオイ君もそうでしょう?」
うん、と頷く。そうだよな。お米や調味料、それに食材は買ったけれど、俺達はそれを使って料理をしたことが無いんだよね。
「オルバスさんのカタマランにリジィさんというトリティさんの義理の姉さんがやってくるらしいよ。ナツミさんにはリジィさんが魚の捌き方を教えて、料理をトリティさんが教えるって言ってた」
俺の言葉に、ナツミさんが天を仰いだ。
「まぁ、頑張らなくちゃならないわ。ようやく魚が捌けるようになったから、今度は料理ということね」
「お願いします」とナツミさんに言葉を掛けると、うんうんと頷いている。何事も前向きなのは、やはり性格なんだろうな。
ナツミさんが調理を何とかものに出来た時が、俺達の巣立ちになるんだろう。
桟橋に戻ってくると、オルバスさんのカタマランの甲板を通って、俺達のカタマランに戻り荷物をしまい込んだ。
まだまだ足りない気がするから、一度トリティさんに見て貰った方が良いのかもしれないな。
新たに買い込んだハンモックを屋形の中に吊り、バッグの中から取り出したランプを天井の梁から吊るした。
ソーラー式のランプだから、使える内に使った方が良いだろう。
外には提灯のようなランプが2つ置いてある。あれはナツミさんが魔法で光球を作らないと役に立たないからね。
「このワインは持って行くよ」
「そうね。1本でいいんじゃないかしら。もうすぐグリナスさん達も帰ってくるから、その時にもう1本を頂きましょう」
まだ夕暮れまでにか間があるから、屋根裏から釣り竿を取り出して船尾で釣りを始める。餌は俺が釣り竿を取り出していると、マリンダちゃんが釣り竿を担いで届けてくれた。
いつもはグリナスさんとやっていたけど、今後はマリンダちゃんと一緒に釣ることになるのかな?
夕暮れまでに数匹を釣り上げたところで、1匹を餌用に頂いた。これで自由に釣りができそうだ。
残った魚をカゴに入れてトリティさんに渡そうと隣のカタマランに行くと、見知らぬ若い男女が座っていた。
「ナツミを呼んでくるにゃ。リジィ姉さん達がやってきてるにゃ!」
トリティさんにカゴを手渡すと、直ぐに俺達のカタマランに戻る。屋形の中にいたナツミさんに声を掛けた。
「リジィさん達が来たの! それじゃ、挨拶しないと」
ホイ! とワインのボトルを渡してくれた。夕食の後はこれになるんだな。1杯ぐらいなら酔うことはないだろう。
2人でオルバスさんのカタマランに乗り込んでいくと、オルバスさんが俺達に座るように甲板を指差した。
「さて、これで揃ったな。トリティ、そろそろ料理を並べてくれ」
「今日は、いつもより品数が多いにゃ」
トリティさんの言葉に、思わず唾を飲み込む。
トリティさんは料理上手だからなぁ。さて、何が出てくるんだろう?
カマルの切り身を入れた炊き込みご飯に、ブラドのスープ。未熟のマンゴウを使った一夜漬けに、さっき釣り上げたカマルの唐揚げだ。
料理を取り分けて、皆で食事を始めたところで、オルバスさんが俺達をリジィさん達に紹介してくれた。
リジィさんは、やさしい目をしたおばさんだ。トリティさんが姉さんと呼ぶぐらいだから、トリティさんより年上なんだろうけど、俺には同い年にしか見えないな。
リジィさんの2人の子供は、ナリッサさんというナツミさんと同年代娘さんとラビナスという16歳の息子さんだ。
「この2人が隣のカタマランの持ち主だ。アオイにナツミという。歳はナリッサと同じだが、聖痕の持ち主だけの腕はある。とはいえ、この辺りの海域で漁をするのはまだ無理だろうし、魚を捌くのもあまり上手くない。リジィ、教えてやってくれんか?」
「だいじょうぶにゃ。直ぐに上手くなるにゃ」
リジィさんがナツミさんに顔を向けて頷いている。ナツミさんが「よろしくお願いします」と頭を下げてるから何とかなるかもしれないな。
「ナリッサとナツミには料理を教えるにゃ。でも、ザバンはどうするのかにゃ?」
トリティさんがオルバスさんに確認している。
「それなら、俺達が使っていたザバンを進呈します。小型のザバンがカタマランの船首に乗ってますから」
「そうしてくれるとありがたい。となれば、ラビナスには素潜りの道具を揃えないといけないな。それは俺に任せておけ」
食事が終わったところで、ワインを頂く。いつもより上等のワインだから、トリティさんもゆっくりと味わっているようだ。
明日は無理だろうけど、明後日にはグリナスさん達が帰って来るんじゃないかな?
どんな獲物をし止めて来るか楽しみだ。




