M-019 ハリオの突き方
グリナスさんと一緒に3回ほど漁を行ったところで、グリナスさんは親元を離れて友人達と漁をすることになったようだ。
婚礼の航海と呼ばれる、新たにカタマランを作って嫁を迎えた連中だけの漁を行うらしい。
「狙いは、ハリオだ。アオイは前に突いたが、早々ハリオを突けるものではない。グリナスに1匹突ければよいのだが……」
ちょっと心配そうな表情で、オルバスさんが呟いた。
最初の素潜りで突いた奴だったな。シマアジだから狙い難いのは理解できる。あれは追い掛けて突けるものじゃないからね。
「あいつ等のことだ。ハリオを突いた者達にその突き方を教えて貰うことだろうが、アオイのところにやって来た時には、教えてやってくれよ」
「はぁ、でも銛の使い方は教えられても、突き方は教えられませんよ」
パイプを取り出しながら、俺の言葉に笑みを浮かべる。
木枠に入った素焼きのお椀のようなものに入った炭からパイプに火を点けると、ゆっくりとパイプを吸っている。
「グリナスがそれを知るのは、いくつになってからになるかな? 確かに突き方は個人差がありすぎる。となれば、心掛けということになるんだろうな」
「となると、待つことが大事! ということになりますね」
俺もパイプを取り出してタバコを詰める。
朝早くに水汲みを終えたから、今日はのんびり過ごせるからね。
「待つことか……。一言で言えばそうなるな」
「何だ何だ? 何を待つんだ?」
野太い声に桟橋を見ると、バレットさんがカタマランに乗り込んでくる途中だった。カリンさんの事が気になるのか、グリナスさんにのところに嫁いできてから頻繁に遊びに来るんだよな。
そんなバレットさんに、オルバスさんがここに座れと手で合図を送っている。
「アオイにハリオの突き方をどうやって教えるかを聞いていたんだ。それがさっきの言葉だよ」
「ハリオを突くのは、待つことが大事ってか? ……んん、確かに待つことになるな。だが奴らの事だ。必死になって追い掛けるに違えねえぞ」
ワハハハ……。2人で顔を見合わせて大笑いをしている。
「バレットにゃ。お茶が無いからこれでいいにゃ!」
トリティさんが用意してくれたのはココナッツジュースに蒸留酒を混ぜたものだ。口当たりは良いんだけどかなり強いんだよな。
「すまんな」なんて言いながらバレットさんがカップを受けとって美味しそうに飲み始めた。
「それができるようなら、ハリオもフルンネも容易だろう。やはり聖痕は伊達じゃねぇってことなんだろうな」
「それぐらいなら教えても構わんだろう?」
「だな。朝早くに俺んところにやって来たんだが、使う銛と下から突けとまでは教えたんだが……。肝心なところを忘れてたな」
「半数が突けるかもしれんな。前回は8人中1人だったのが嘆かわしいところだ」
「長老も嘆いていたぞ。『トウハの銛に突けぬものなし』は昔の言葉になってなってしもうたと言ってたな」
カガイと呼ばれるネコ族の集団お見合いの場で、そんな歌が披露されたらしい。素潜り漁で大物を突くことがトウハ氏族の誇りということなんだろうな。
「まあ、連中がやってきたら、さっきの話をしてやってくれ。俺も忘れていたと言えば、少しは考えてくれるだろう」
バレットさんに頭を下げて了承を伝えると、俺の肩をバシ! と叩いて笑顔を見せてくれた。
グリナスさんが数人の友人を引き連れて俺のところにやって来たのは、夕食のおかずを桟橋で釣っている時だった。
やはりハリオの突き方ということだったから、ハリオは、魚体を追うのではなく、向こうから近づくのを待つことだと教えた。ただ待てば良いというのでは、理解できないだろう。銛の腕は俺を遥かに超えているんだから、ちょっとしたアドバイスで十分に思える。
「それで、いつ出掛けるんですか?」
「明日の昼になる。長老から新しい銛先も貰ったからな。アオイの忠告通りに突いてみるさ」
何と言っても新婚同士の連中だからね。数日の漁は楽しいものになるんだろうな。
出掛ける連中の健闘を伝えると、皆俺に手を振って桟橋を戻って行った。
数日後が楽しみになってきた。
夕食を食べていると、オルバスさんが『やって来たか?』と問いかけてきた。
桟橋での経緯を話すと、うんうんと頷いている。
「教えたのかにゃ?」
「心掛けだ。『待て!』と教えるぐらいなら問題あるまい?」
トリティさんが苦笑いで頷いている。グリナスさんにそれで理解できたかを考えてるようだけど、少しは息子の腕を信頼してもいいんじゃないかな? それとも、いくつになっても子供は子供ということなんだろうか。
大きなハリオを突いてきたなら、さぞかし喜んでくれるに違いない。
ティーアさん達も今回は一緒に出掛けるらしいから、オルバスさんの子供が2人も参加する。トリティさんとしても、ちゃんとハリオが突けるかは気になるところなんだろうな。ましてや、前回の参加者達でハリオを突けたのは1人だけだったということだからね。
とはいえ、こっそりと後ろを付いて行くことはできないらしい。
風習ということなんだろうな。じっと帰りを待つことになるんだそうだ。
「南の島の向こう側で漁をしながら待ってるにゃ。良型のカマルが釣れるし、たまにはシメノンもやってくるにゃ」
「ブラドもたくさんいるんだったな。そうするか!」
帰ってきたら、すぐに結果が知りたいということなんだろう。そうなると、南の島が賑わいかねないぞ。
翌日。朝食が済んだところで俺達は南の島へ向かった。
氏族の暮らす島から30分ほどの距離にある島なんだが、この島から北は禁漁区になる。トウハ氏族の住む島は龍神も住んでいるらしい。その島の近場で漁をするのは避けるべきだということで、4方向に島1つ分が禁漁区に指定されている。とはいえ、おかずを釣るのは良いらしい。
島の南はサンゴ礁が発達して、大きく広がって、あちこちに直径10mほどの大きさ穴が開いている。その穴を巡りながら素潜り漁ができるし、底が砂地の穴は夜釣りでバヌトスも狙える。それに、穴を縫うように大型のカマルが回遊しているらしい。
「先ずは素潜りだ。水深が2mにも満たない場所があるから、足を保護するのを忘れるんじゃないぞ」
「これがありますから大丈夫ですよ」
足に履いたフィンで甲板をペタペタと叩いてアピールする。オルバスさんはソックスのような物を履いているが、軍手と同じ太い糸で編んだような代物だ。あれでも十分役立つんだろう。要は裸足でなければ良いということだからね
銛先が2本の銛は長さが2.4mほどだから、こういう場所での素潜り漁には丁度良い感じだ。
銛を持って海に飛び込み、海面付近を泳ぎながら水中の獲物を探す。
ちらりとブラドがサンゴの陰に隠れたのを見付けて、海底にダイブする。水深が3mほどだから、それほど苦ではないな。
潜りながらゴムを引いて銛の柄を握りしめる。
枝サンゴが交錯している奥に、潜り込んだブラドを見付けたところで左腕を伸ばして銛をブラドに近付けた。
左手を緩めると、銛の柄が手の中を勢いよく滑って、ブラドの鰓付近に銛が命中した。
銛の柄を寝かせるようにしてサンゴの奥から獲物を引き出すと、急いで海面に浮上する。
シュノーケルで海水を噴き出すのを見たんだろう。ナツミさんがザバンを漕いで近づいてきた。。
銛先からブラドを引き抜いてザバンに投げ込むと、再び獲物を探す。
4匹目の獲物を突いたところでザバンの船首に乗り込むと、ナツミさんが「ご苦労様」と言いながら水筒のお茶をカップに注いで渡してくれた。
「やはりブラドが小さいね。30cmぐらいのばかりだ」
「数が出るならそれでいいんじゃないかしら? 夜釣りも数が出るかもよ」
大物を狙うのも良いけれど、中型をたくさん突く方が良いのかもしれないな。その辺りの加減は生活費に密着することになりそうだから、よく考えなければなるまい。
15分ほどの休憩を取って、再び素潜り漁を再開する。
何とか10匹を突いたところで、トリティさんの笛が聞こえてきた。今日の素潜り漁はこれで終了ということだろう。
カタマランにザバンをロープで繋いでいると、真新しいカタマランが船団を作って南に向かうのが見えた。甲板に飛び乗って両手を振ったけど、どれがグリナスさんの船かは分からないな。
それでも、船団の連中が俺達に手を振ってくれてるのが分かる。
彼らの大漁を祈らずにはいられない。
「後ろから2番目がグリナスの船にゃ。ちゃんと分かるように操船櫓に布をなびかせてたにゃ」
「ティーアさんもどれかに乗ってたんでしょうね。たくさん獲れればいいんですが」
「まぁ、ハリオが突けなければフルンネを突いてくればいい。それでも長老は頷いてくれるだろう」
さて、どうなるかな?
そんな俺達の思いは、あの船団の連中にも伝わっているんだろう。船団が南の海に消えていくのを俺達はジッと甲板で眺めていた。
俺とオルバスさんで突いたブラドは20匹を超えている。トリティさんの見守る中、ナツミさんが次々とブラドを捌き、マリンダちゃんがそれをカゴに入れている。熱帯の日差しはきついから、夜まで干すのは控えるんだろう。でも、日干しでも良いように思えるんだけどなぁ。
ナツミさん達が獲物を捌いている間に、おかず釣り用の竿を出して小魚を釣ることにした。夜釣りの餌の確保もしなければならないし、大きければ夕食のおかずにもなる。
2時間ほどで10匹ほどの魚を釣ったんだけど、カマルとも異なる青魚だ。大きいのを3匹ほどトリティさんが素早く裁いて、残りは餌用に短冊切りにして小さなザルに入れている。
どうにか終わったところで、蒸したバナナとお茶が出てきた。これが昼食兼おやつになるのかな?
・
・
・
3日間の漁を終えたのは、氏族の島にカタマランを曳いた商船がやって来たのを見たからだ。
たった1隻だけを曳いてきたのを不思議そうな表情でオルバスさん達が眺めていた。
ひょっとして! とナツミさんが双眼鏡で見てみると、直ぐに笑みを浮かべたぞ。
「やっと出来たみたいよ。あれは私達のカタマランだわ」
「なら、直ぐに帰らないとな。3日もすればグリナス達も戻ってくるはずだ。今度は3隻で漁ができるぞ」
昼前に捕らえたブラドは、内臓を取り去ったところで保冷庫に入れたようだ。商船に直ぐに売れるから一夜干しをするために開く必要はないとのことだ。
頭を落とすのだけは上手だとトリティさんが言ってたから、ナツミさんが頑張っている。と言っても十数匹だからね。10分も掛からないはずだ。
魚を捌いたところでカタマランが氏族の島に向かって進む。
俺の隣にナツミさんが腰を下ろして、嬉しそうな表情で商船を眺めていた。支払いは終わってるけど、新たな生活を始めるには色々と用意するものがあるんじゃないかな?
「心配そうな顔をしなくてもだいじょうぶよ。ティーアさんに何を用意したらいいか、ちゃんと聞いてメモにしてるんだから!」
自信たっぷりに教えてくれたけど、漁をする上で必要な物だってあるに違いない。
その辺りは、グリナスさんに教えて貰おうかな。




