M-006 トウハ氏族入り
「龍神の咢に噛まれた跡が聖痕となる。これは代々伝えられた通りのことじゃ。カイト様が亡くなって30年ほど過ぎておるが、あの方の左腕には、その聖痕があったのをワシらは目にしておる。
ネコ族の我等トウハ氏族に、様々な漁を教えてくれたと、わしらの爺様が言っておったぞ。その上、単なる氏族の集まりとしての自治ではなくニライカナイという国まで作ってくれたお方じゃ」
「カイト様は、わしらと同じような容姿ではなかった。丁度、オルバスの後ろにかしこまっておる少年のようじゃった。
当時の長老は、『人間族でありながら聖痕を持つなら、我らの血が混じっておるからなのじゃろう』と言うて、トウハ氏族に迎え入れたと聞く。
わしらも同じじゃ。氏族に加えるに、いささかの不都合などありはせぬ。アオイ達をトウハ氏族の一員として迎えるぞ」
「わしらネコ族の中から、2人の聖痕の保持者が現れる事は、今までの伝承で分かっておる。今はナンタ氏族の者が持っておるそうじゃが、トウハ氏族に再び聖痕を持つものが加わるのは嬉しいことじゃな」
真ん中の長老がそんなことを言いながら、左右の長老と顔を見合わせて頷いている。
それほどの効力があるんだろうか?
この聖痕を持って不漁続きにでもなれば、島から追い出されかねないな。
「だが、動力船も持たぬのであれば、漁をするにも問題がありそうだな」
「それもある。直ぐにでも動力船は手に入れられるだろうが、俺達の漁場と漁を教えねばなるまい。それにアオイの嫁は俺達の流儀を良く知らぬ。動力船を持ってもしばらくは教えねばなるまい」
「トリティはカイト様の血を引いておる。上手く教えることも出来るだろう。わしらからの願いとして頼まれてほしい」
現状ではナツミさんの包丁捌きは絶望的ということなんだろう。だけど、トリティさんがカイトさんの縁続きと言うことは、やはり年代が合わないよな。海人さんとは、別人ということになるんだろうか。
「アオイが動力船を持つまでは俺が預かることで了承してくれ。それ程先の話では無さそうだからな」
「それで良いじゃろう。オルバスがアオイ達を見付けたのじゃ。一人前にするまでは責任を持つのじゃぞ」
これで俺達もこの村の仲間って事なんだろう。人口1500人程度の村社会らしいが、老人を大切にしているようだから、老後の心配もしないで済みそうだ。
船に戻ると、皆が心配そうに俺達を迎えてくれた。
オルバスさんの話を聞くと、安心して俺に笑顔を向けてくれる。
グリナスさんが俺の腕を掴んで肩をポンと叩いた。
「明日から頑張らなくちゃな」
俺にとっては兄のような存在になるんだろう。ティーアさんはナツミさんのお姉さん的な存在ってことになるな。マリンダちゃんは妹になるんだろうが、その妹にもいろいろと教えを乞うことになりそうだ。
トリティさん達がナツミさんを屋形の中に連れて行くと、俺達3人が甲板に残る。
ココナッツの殻に透明な酒を入れて、ココナッツミルクで割ったものをオルバスさんが作り、それを3つのココナッツの殻に分けて俺達に渡してくれた。
一口飲んでみると、少し甘みのある酒のようだ。この辺りではこれが主流になるのかもしれない。
「晴れて、氏族の仲間になったとなれば、少し氏族の取り決めを教えねばなるまい。結構色々とあるからその都度教えることになるが、ほとんどは獲物を商会に売った後の分配に関してだ。
半分が動力船の持ち主になる。残った半分をお前達で分配することになるぞ。その代わり、総売り上げの1割の村への上納と、お前達の衣食住は全て動力船の持ち主である俺が賄うことになる」
食事を頂けるだけでもありがたいところだ。少しずつ配布して貰ったお金を貯めれば動力船も買えるんだろう。
ネコ族の成人は16歳との事だ。14歳から半人前として漁の報酬を分配して貰えるらしい。俺は17歳だから、成人として認められるんだろう。
病気と怪我は老人達が調合した薬を使うか、村から少し離れて住んでいる、カヌイという集団のお世話になるらしい。癒しの魔法を使えると言ってたけど、どんな魔法かは分からないな。とはいえ、何となく怪しい感じがしないでもない。
「後は、年に2回ほど俺達氏族が一所で漁をする。大きな巻貝を獲るのだが……、これはその時にでも詳しく話そう。まだかなり先になるな」
貴重種なんだろうか? それともその時期にだけ、深海から上がって来るってことかな? 大きなと言うのがどれぐらいなのか分からないけど、事前に漁の仕方は教えてくれるんだろう。
翌日は、朝から色々とやることがあるらしい。
マリンダちゃんは、真鍮で出来た水の貯蔵容器に水場から水を汲んでいる。
グリナスさんは短い竹の棒をどこからか仕入れてきて何やら始めたようだ。何を作っているのか聞いてみたら、シーブル用の竿らしい。今までよりも少し細めの竿を使えばなんとかなると考えたようだな。
傍に置いた4mほどの竹竿はどう見ても釣り竿なんだろう。
「これはアオイの釣り竿だ。船尾や桟橋で子供達が釣ってるだろう? 昔は潜って魚を突いたらしいが、竿を使って釣りを始めたのはカイト様らしいな」
「貰ってもいいんですか?」
「ああ、これが終わったら船尾で釣ろうぜ。それまでに仕掛けを作っときな」
ゴザの中からタックルボックスを取り出して、道糸を竿に付ける。それほど大きな魚が掛かるとは思えないから、5号もあれば十分だろう。先端に撚り戻しを付けて、1mほどのハリスを結ぶ。2号ハリスなら30cmほどの魚でもゴボウ抜きが出来そうだ。釣り針は少し大きな奴を結んでおく。
浮きはピンポン玉より小型の中通しのものだ。楊枝のような枝を差し込んでウキ下を調整できる。
「あら、釣りをするの?」
「グリナスさんと、船尾で釣るんだ。ナツミさんは?」
「マリンダちゃんと一緒にザバンの練習よ。カヌーより細身だから、ちゃんと練習しないと転覆しちゃいそうで……」
ザバンを使って広範囲に銛を突くんだった。そういうことなら、ちゃんと覚えなくちゃならないだろう。
「頑張ってくださいよ!」
「だいじょうぶ。こう見えても運動神経は良いんだから!」
取り合えず、2人を乗せたザバンは入り江の中に進んでいったけど……、本当にだいじょうぶなんだろうか?
形はカナディアンカヌーに似ているから、それなり安定はしているのだろう。
「出来たか? うん、それなら丁度いいな。餌は、これを使うんだ」
カタマランの甲板を蓋のように開けると、中から魚の切り身を取り出した。横幅が1cmもないけど、長さは3cmほどだから、短冊切りというやつだな。皮の部分を薄く剥いで作ったみたいだ。
竿に巻き付けた仕掛けを解いて、針に餌を付ける。皮から通して皮に抜く。縫い刺しという餌の付け方だが、グリナスさんが俺の付け方をちらりと見て頷いている。この世界でも餌の付け方は同じなんだな。
「狙いは、カマルだ。ウキ下は短い方がいいぞ」
「となると、こんなもんですかね」
ほとんど撚り戻しに付くほどだ。タックルボックスに会った楊枝を刺して、余った分を折り取っておく。
船尾には箱の形をしたベンチがある。昨日までは背当て板があったんだが、どうやら取り外しができるみたいだな。今日は単なる箱だから足を海に投げ出すようにしてベンチに座る。
結構、魚がいるみたいだな。餌を突く動きが浮きに伝わってピクピク動いてる。
そんな動きを見ていると、突然浮きが海中に消し込んだ。
素早く手首を返すと、青物特有の引きが伝わってくる。この引きは初めてだな。ベンチに立ち上がって、一気にごぼう抜きした獲物は……、カマスのような魚だった。
バタバタと甲板を叩いているカマスに、屋形から顔を出したティーアさんが棍棒を振り上げて頭を叩いた。
確かに大人しくはなったけどねぇ。いいのかな?
「さすがだ。今度は俺だぞ!」
グリナスさんが同じように甲板にカマスを釣り上げる。
釣り上げては、棍棒でポカリを繰り返してたけど唐突に当たりが止まってしまった。どうやら群れが去ったんだろう。
グリナスさんと保冷庫を覗くと十数匹のカマスがカゴに入っている。
「さすがは聖痕だな。これだけ釣れたのは初めてだ」
「2人で釣ったからですよ。俺一人では無理ですからね」
釣り竿を片付けていると、ナツミさん達が帰って来た。ラッシュガードが濡れているから何度か転覆したに違いない。やはり練習は必要なんだろう。
「だいぶ上手くなったわよ。転覆したのは最初だけだったわ」
ナツミさんの横で、マリンダちゃんが指を2本出してるから、2回転覆したってことだろうな。
「帰って来たにゃ? それじゃあ、一休みしたら始めるにゃ」
どうやらカマスの捌き方を練習するみたいだ。ナツミさんが天を仰いでいるから、かなり厳しい特訓になるのかな?
トリティさんが獲物を取り出してナツミさんを呼び寄せると、魚の捌き方の講習が始まる。
大きく包丁を振り上げて「えい!」ってやってるけど、その姿を見ている女性達は少し引いている感じがする。
ナツミさんがトリティさんのようになるまでの道は、厳しくて遠いような気がしてきたな。
皆でナツミさんの包丁裁きを目を丸くして見ていたけど、どうにか終わったようだ。開いた魚をカゴに入れて、女性達が桟橋を浜に向かって歩いて行った。
まだ昼過ぎだけど、バーベキューをするのかな?
「やはり、しばらくはトリティが教えねばなるまい。あの歳で魚を捌けないのも珍しい限りだ。アオイの嫁なのだからもう少しは……」
オルバスさんの呟きが、この場にいる連中の総意でもあるようだ。でも、ナツミさんは嫁では無くて先輩なんだけどね。
最初の勘違いを夏海さんがおもしろがって『このままいくんだからね!』と言って俺を黙らせてしまった。
未婚の場合は男女別々の暮らしというのも世界にはあるらしいから、それを避けたかったんだろう。周囲に人間は俺とナツミさんだけだから。
少し遅れて、俺達も浜へと出かけることになった。帽子を被ってオルバスさんの後に付いて桟橋を歩いて行く。
浜では男達が細長い焚き火を囲んで、色んな魚を串にさして焼いている。
ビーチェさん達が他のご婦人方と一緒に魚を串に刺すと、男達がそれを焚き火で炙り始める。
「良い型のカマルじゃないか。どこでこれを?」
「アオイとグリナスでカタマランの船尾で釣り上げたらしい。いつもなら小型なんだが、が全く底が知れん」
「船着き場でか? たまに釣れるが、これほど型は揃わねぇ」
そんな漁師仲間の話を聞きながら、タバコに火を点ける。
「それが聖痕か……。親父に聞いた通りだな。すると、やはり……」
カイトと同じという言葉が続くんだろう。
やはり、あれほど魚が獲れるというのはこの腕に埋まった円盤のせいなんだろうか?
だとしたら、あまり苦労せずにこの世界で暮らせそうだ。
もしもカイトさんが海人さんだったなら、俺達は再びあの町に帰ることはできないのかもしれない。その時には、ナツミさんと一緒にこの島で一生を過ごすことになるのかもしれないな。




