N-126 ネダーランド王国からの使者
「この若者が?」
「いかにも、トウハ氏族の聖痕の持主で我らの導き手でもあるカイトじゃ」
チラリと客人を眺めると、小粋なボタンのたくさん付いたシャツを着ている。隣の男は護衛なんだろうか? 短剣を帯びているな。
短い髭は何となく滑稽だが、この場所にいるという事はネダーランド王国でそれなりの地位にいる人物のようだ。
「見れば人間族のように見えますな。我らとネダーランドに来る気はないかな? 聖痕持ちであれば国王も喜んで迎えられると思いますが?」
「生憎とトウハ氏族に連なる者。大陸へ渡ることは考えておりませぬ」
そんな俺の言葉をニヤニヤしながら聞いている。どうも気にくわない奴だな。
「一応、ガリオン王国との決着を付けることができました。ネコ族の皆さんにはご協力を感謝いたします。ところで、あのリーデン・マイネを我が軍にお譲り願いたいのですが……」
なるほど、大陸としては俺達が過分の軍備を持つことを嫌うという事になるんだな。
一応の戦の決着をつけた以上、俺達の海上戦力は彼らにとって脅威という事になるんだろう。
だが、これは交渉でもある。
そもそもネコ族に軍備は必要ないはずだ。姿なき海賊の話で俺達の動向を監視していたガリオン王国よりはマシって事になるのかな?
「俺に言われても困ります。あれは前宗主国であるガリオン王国が、我らの版図をかすめ取る所業を防止するために作りしもの。そのような事態が今後起こらぬようにして頂ければ問題は無さそうですが……」
俺の言葉にニヤリと笑うけれど、それは俺達を見下しているに他ならない。
「海賊を防ぐのは我らの務めと考えます。ガリオン王国滅亡でその動きが活発とのうわさもありますからね」
今度は俺が笑う番だった。含み笑いを漏らしながら、パイプにタバコを詰めて囲炉裏で火を点ける。
プカリと煙を吐き出して、男の姿を良く見た。
どれほどの地位なんだろう? 着ている服装は木綿ではなく絹のようだ。左手にはいくつかの宝石を付けている。
横に置いているのは片手剣だが、それを抜いた時には、俺達が銛で一突きって事を知っているようだ。
場慣れしているようだが、護衛を1人とは豪胆な奴だな。歳はバルテスさんより年上のように見えるが、護衛の男はエラルドさんよりも年上に見えるぞ。
「海賊であれば我らで対応できるでしょう。ネダーランド王国のお世話になるのはこれからのお付き合いを長く続けるうえで我らの矜持が問題です」
「我らの要求は前にお話しした通りで良いのですが……」
「それでも、商船の取引で莫大な税が入り込むはずです。我らの税など無視できる程にね。俺達が魔石を商船に供給し続ける限りです」
「それでは、リーデン・マイネを譲らぬと?」
俺に鋭い眼光を放ちながら問い掛けてきた。
「訪ねる相手が違ってませんか? リーデン・マイネはトウハ氏族の物。決めるのは長老会議です。それに譲るのであれば買値を示すべきとも思います。我らがリーデン・マイネⅡを作れるだけの値段をね」
男だけでなく、小屋にいた全ての男達が俺を見た。
そんなに驚く事なのかな? 欲しいんだったら売ってあげれば良いだけだ。そのお金で2番船を作れば問題ないと思うのだが?
「はははは……。さすがは聖痕の持主。確かにその方法がありましたな。最初の船を作った以上、次も作れるわけだ。これは私も考えませんでした。
そうなると、ネダーランド王国の要求はもう一つ増える事になります。2度とリーデン・マイネを作らぬこと……」
この要求は少しおかしくは無いか?
懐柔を図っていると言うよりは恫喝だ。俺達を完全に自分達の勢力下に置きたいという事になるぞ。そうなると税の約束など絵空事になってしまいかねない。
リーデン・マイネに代わる物を考えなければネコ族の黄昏がやって来ないとも限らない。
「我らの願いはネコ族の繁栄じゃ。長く幸せな世が続けば良い。我等の意見は堂々巡り、将来のトウハ氏族、いやネコ族を導くカイトに全ての判断を委ねるぞ」
長老の言葉に男達が頷いているけど、それって責任の丸投げじゃないのか?
とはいえ、言いくるめられるような気もしないでもない。ここは条件闘争に移るか、それとも海戦も辞さぬ構えで行くかのどちらかだな。
「使者殿におたずねします。我らネコ族ははるか昔には大陸で生活していた事をご存じのはず。今は平和にこの海域で漁をして生活をしていますが、我らの暮らしは今後どのように変わりますか?」
「国王の被護の元、平和な暮らしとなるでしょうな。そのためにも、氏族の島に何人かの役人を派遣する事が検討されています」
自治をもぎ取る考えか……。ネコ族を完全に支配下において将来は魔石を独占するって事になるんだろうな。莫大な利益が生まれる事を今度の王国は知っているようだ。
「リーデン・マイネはお譲りしましょう。あのような武装を持つ動力船は作らぬとこの場で誓う事もできます。さらに、王国が我らに仮の約定で示した魔石の数を2倍にする事も問題ありません」
俺の言葉に段々と客人の顔がほころび始めた。
「とは言え、あれだけの船です。我らの家財道具も積んでありますから、引き渡しは後日でよろしいでしょうね。さらに、ネダーランド王国が我らからタダで船を召し上げたと、他の王国から陰口を叩かれるのも問題でしょう。島の発展のために硝石と硫黄を分けて貰えませんか?」
俺の要求に首をかしげている。
どうやら、化学は発展していないようだ。魔法のせいで自然科学が学問として見向きもされないんだろうか?
「タルでお渡しでいるでしょうが、何にお使いなさるおつもりで?」
「硝石は肥料にもなります。あまり知れれていませんけどね。硫黄は虫除けですね。まあ、船の代金として見合った分を届けて頂ければ良いですよ。最後に、役人は必要ありません。我らネコ族は約定を守ります。相手が破らない限りですが……。後は、王国への助言ですが、ギルドを甘く見ない方がよろしいかと、これは辺境のネコ族の者が言う言葉ですからあまりお気になさらないでください。ですが、一応伝えておきます」
「自治を継続なされると……。それはネコ族の総意と考えてよろしいのでしょうか?」
「種族会議は我らトウハ氏族の族長会議にネコ族の行く末を託しておる。長老会議はカイトに交渉権を委ねた。カイトの言葉が我らの総意じゃ」
長老の言葉に男が押し殺した笑いを漏らしている。
リーデン・マイネを取り上げる事ができれば、後はどうにでもなると考えているようだ。さらに、俺達が2番船を作らないとの言葉質を取っているから、それを約定に盛り込めば良いと思っているのだろう。
「もっと紛糾するのではと思っておりましたが、カイト殿の英断に感謝いたします。商船で約定書を明日にでも作るつもりです。交渉の全権を国王より頂きましたから、私の判断がネダーランド王国の意思と考えていただいて問題ありません」
笑顔で俺達に挨拶をすると男が小屋を去って行った。
さて、これからが大変だぞ。
「王国の使者は商船に帰ったようだ。カイト、今の話を分りやすく説明しろ!」
途中まで使者を送って行ったグラストさんが小屋に入ってくるなり俺に詰め寄った。
長老達は相変わらずにこにこしているが、他の男達はグラストさんに賛成のようだ。
ここはきちんと説明しておく必要があるだろうな。
「簡単に言うと、今度の王国は俺達を王国の民としたかった、と言う事です。約定書は自国民なら破棄できますからね。俺達を魔石を得るために働かせるつもりではないかと思われます」
「それが、役人を送ってやつか? とんでもない話だ」
「だが、先ほどの話の流れでは、カイトが了承しているようにも思えたが……」
「いや。カイトは否定していたぞ。じゃが、リーデン・マイネについてはあのような武装を持った船は作らぬと言っていた。つまり、同じ形の船は作れるということじゃな」
おもしろそうな表情で長老が呟いた。パイプに火を点けて後を続ける。
「ある意味、カイトは我らの自治を脅かすことは許さぬと断言している。しかし、リーデン・マイネの引き渡しに応じることで相手はどうにでもなると判断したということじゃな」
「それが合点がいかぬ事だ。リーデン・マイネを引き渡して如何にネコ族の自治を守れるのだ!」
エラルドさんにしては珍しく声を荒げている。
そろそろ俺の腹案を話した方が良さそうだ。
「マイネがいます。それに、リーデン・マイネの代金に頂く品物が俺達の切り札になるでしょう。自治と言うよりも独立する事も可能ですよ……」
マイネと神亀の関係。これだけでもリーデン・マイネを恐怖に落としこめるだろう。何といっても水中の巨大なウミガメを倒す方法なんてないからな。
後は、代償として貰う代物だ。硝石、硫黄に木炭があれば黒色火薬が作れる。
ドワーフの金属加工はかなりの腕だ。十分に初期の大砲を作れるだけの下地ができている。
ローデン・マイネよりも平たい船になりそうだが、片舷に3門の小型の大砲を据えれば、この時代では途方もない軍船に仕上がるだろう。
「王国の締め付けは、じわじわと俺達を押さえつけ始めるでしょう。最初は約定を守るでしょうから、その範囲で動く事になるでしょうね。ですが、約定を破った時には……」
「王国に反旗を掲げるのか……」
「できるのか?」
「3年程は掛かるのではないかと……」
俺の言葉に皆が頷く。十分だと言うことだろう。
好戦的な種族ではないが、理不尽な仕打ちには反撃する手があると言う事を知っていれば良い。
その手段は、時が経てば経つほどに充実することになる。
「今のカイトの言葉を聞いて、明日の約定書に調印すれば良い。今頃は得意げに約定書を書いているだろう」
長老の言葉に皆が笑い声を上げる。
何年後かに訪れるであろう、王国との争いの行方が今回よりも一方的な戦で終わることをどうにか理解してくれたようだな。




