N-110 はえ縄漁の成果
翌日、ハンモックで良い気持ちで寝込んでいた俺を起こしたのはリーザだった。
寝ぼけた頭で懸命に注意を自分に促す。すでに2度程ハンモックから落ちている。
「着いたにゃ。ラディオス兄さんも漁の準備を始めてるにゃ!」
「分かった。……俺が最後?」
小屋の中を見渡すと、ハンモックは吊られているのだが人影は無い。俺が最後なんだろうな? そんな事を考えながらも衣服を整えて甲板に出る。
「起きたな。漁場に着いたが、さて、どうやって仕掛けを流すんだ?」
「すでに他の2隻は始めたようですね。互いの仕掛けが絡まないように距離をおく必要があるんですが……、これ位離れていれば十分でしょう。俺達も、始めますか」
エラルドさんにそう答えると、大きな3段重ねのカゴを持ち出してきた。
船尾の真ん中にある板を横にスライドさせて、動かないようにクサビを挟んで固定する。
3つのカゴには浮きと組紐それに枝針の仕掛けが分けて入れてあるが、すでに1つの大きな仕掛けとして組み立てられているから、枝針に餌を付けて投入して行けば良い。
「ちょっと面倒ですが、エラルドさん達にも手伝って貰いますよ。エラルドさんは枝針に餌を付けて投入して行ってください。グラストさんは組紐が絡まないように仕掛けを枝針の投入に合わせて組紐を伸ばしてください。俺は組紐の送りに合わせて浮きを投げ込みます」
最初に投入する浮きは目印になるものだから、少し大きくて竹竿の先に俺のシンボルと赤い紐が付いている。固定式のはえ縄だから15mの細いロープでアンカー代わりの3kg程の石を結んである。
サリーネ達の作ったカマルのぶつ切りを準備して、ゆっくりと船を東に移動しながら仕掛けを投げ入れて行った。
1本目を張り終えると、次の仕掛けを投入していく。
最後の目印用の浮きを投げ入れた時には、朝日がすでに昇っていた。
「結構時間が掛かるが、慣れればそれ程でも無かろう。それで、どれ位待つんだ?」
海水で手を洗ったエラルドさんがベンチに腰を下ろして俺に聞いて来た。
「そうですね。昼過ぎに引き上げましょう。夕暮れ前に再度仕掛けます。明日の朝に引き上げれば良いでしょう」
甲板には朝食が並び始めた。船を停めてアンカーを下ろしたようだから、皆で一緒に食べられるぞ。
簡単な朝食でも皆で味わうと美味しく感じる。夕食には獲物の塩焼き位は増えるのかも知れないな。
「これも、待つ漁だな。昼過ぎまで何をするんだ?」
「そうですね……。曳釣りでもしますか? 東に向かって曳いて行き、昼前に反転して帰ってくれば丁度良いです」
俺の言葉にグラストさんの目が輝いてるな。まだまだ俺達と気持ちが変わらないんじゃないか? その反面、エラルドさんは慎重派だから大人びた貫禄が年齢に見合うんだけどね。
食事が終わったところで、仕掛けを準備する。
ゆっくりと船が動き出して、ラディオスさん達の船に近付くと、曳釣りを始める事を伝えた。
直ぐにラディオスさん達も準備を始めたようだから、準備が終わるのを待つ間に俺達も両舷の竹竿の先にある洗濯バサミに仕掛けを通して横に張りだしておいた。
リール竿は竿掛けに差してあるから、船が動き出したら仕掛けを投入するだけになる。
「カイトの始めた曳釣りを真似する者が多くなったな」
「ああ、大物が釣れるという口コミもあるんだろう。酒を飲みながら両手で大きさを自慢する者も多くなった」
そんな事を言ってるけど、本人達もそうなんじゃないかな。
他の2隻に白旗が上がったところで、ブラカを吹いて出発を合図する。
人が歩く速さよりもやや速い速度でトリマランが東に進む。ラディオスさん達は少し南にカタマランの位置を変えたようだ。やや後ろに下がった位置だから、釣果が分かるだろう。
5分程進んだところで、左右にヒコウキ仕掛けを投げ入れる。船尾の1本には潜航板だ。これで様子を見ながら仕掛けを変えていこうと思う。
朝方は晴れていたのに、今は小さな雲があちこちに散らばって見える。とは言っても雲の位置は高いし白い雲だ。しばらくは豪雨はやって来ないだろう。
麦わら帽子を被ってサングラス姿なのは全員お揃いだ。
冷たいココナッツジュースを飲みながらベンチでパイプを楽しむ。操船はサリーネとライズが行っているらしい。
リーザと2人のご婦人は俺達と同様にベンチでジュースを飲みながら世間話をにゃあにゃあ言いながら話しているぞ。
パチン! と指を鳴らすような小さな音に、俺達3人は素早く腰を上げた。
「掛かったのか?」
「大物ですよ。引き込まれそうです。他の2本を巻き上げてください」
「速度を少し落とすにゃ!」
バタバタと忙しいが、大物と聞いて目の色が変わるんだから、根っからの漁師で魚好きなんだろうな。
だが、何が掛かったんだろう? 今までにない引きだぞ。
ポンピングしながら道糸を巻きあげるんだが、ややもすると巻いた長さよりも道糸が伸びていく。
片足を船尾に掛けて体を後ろに反らしながらひたすらリールを巻き続けた。
やがて、引きが急に弱まる。とは言っても糸を巻く重さには変わりないから、向こうの力が尽きたんだろうか?
最後の力を温存してる感じだな。慎重に取り込まないと後が大変だぞ。
ヒコウキを取り上げれば残りは5m程のハリスになる。うっすらと透明な水底に白い魚体が見えた。底ものでは無さそうだが……。
「エラルドさん。ギャフをお願いします」
「ああ、分かった。あれだな」
ギャフかそれとも銛かで迷うところだが、ギャフでダメなら糸を離して再度引き寄せれば良い。
ギャフが海中に下ろされたところで、ゆっくりとギャフの上に魚を誘導していく。
「オリャァ!」
掛け声とともにギャフが引き上げられ、魚体にしっかりと刺さったところを、グラストさんも一緒になって魚を引き上げ始めた。船尾の切れたところから魚体を引き上げ、マジマジとその姿を見る。
「フルンネか? いやあ、でかいな」
「ちょっと下がるにゃ!」
甲板でバタバタと動いているフルンネにビーチェさんが棍棒を振っておとなしくさせる。
氏族の中で夫婦げんかの話を聞かないのは、普段から嫁さん達の棍棒さばきを目にしているせいなのかも知れないな。
あれだけ暴れていたのが一発でおとなしくなったぞ。
嫁さん達がフルンネをさばいている間に、俺達は再び仕掛けを投入した。
3人で顔を見合わせてニコリと笑う。幸先が良いってことは、次も大物が期待できそうだ。
・・・ ◇ ・・・
数匹の獲物はいずれも1mを越えている。
今度は本命のはえ縄にどれだけの獲物が掛かっているかだ。
ライズとリーザが小屋の屋根に上って、仕掛けを繋いだ浮きを探す。
周囲の島との位置関係を見ると、この辺りになりそうなんだが……。
「あったにゃ!」
ライズが最初に見付けたようだ。リーザが双眼鏡で旗の印を確認している。
「サリーネ、浮きの近くでトリマランを反転してくれないか。船尾から仕掛けを回収する!」
「了解にゃ!」
船尾側の鎧戸を開けてサリーネが答えてくれた。
さて、釣れただろうか? 釣れたとしたら何が掛かったのか楽しみだな。
ゆっくりと仕掛けを引いて来ると、直ぐに強い引きが伝わってきた。
長く暴れていたのだろう、それほど抵抗せずに水面に上がってきた魚をタモですくい上げる。
「グルリンじゃねえか! 良い形だぞ」
甲板に上がった魚を見てグラストさんが呟いた。
「ああ、だがまだまだ次がありそうだぞ」
エラルドさんが俺の手元を見て言った。
俺とエラルドさんが組紐を引いて、仕掛けを2つのカゴに巻き取るように入れると、グラストさんは仕掛けを手繰って必要ならばタモ網を使って魚を取り込んでくれた。
「10本だったな。それで6匹なら大したもんだ。次も期待できそうだな」
そんな言葉に気を良くして次の仕掛けを引き上げる。
今度は5匹だったが、まあこれでも大漁と言えるんじゃないかな。
場所を移動して、再び仕掛けを投入する。今度引き上げるのは明日の朝になるな。
少し北に移動すると、サンゴ礁との境界近くにアンカーを投入して船を固定する。
嫁さん達は夕食の支度に掛かり、俺達は舷側から根魚釣りの仕掛けを投入して根魚を狙う。
餌はカマルの切り身だから、バヌトスというカサゴの一種が釣れるんじゃないかな?
幸先良く、グラストさんが釣り上げたバヌトスは直ぐにさばかれてスープ鍋に入ったぞ。その後に俺とエラルドさんが釣った魚はそのままの姿で唐揚げにされているようだ。
良い匂いが漂ってくるたびにごくりと喉が鳴る。
そんな俺達を見かねたのか、ビーチェさんがチマキモドキを1個ずつ渡してくれた。
「今夜はご馳走にゃ。それまでそれを食べて我慢するにゃ!」
まだまだ時間が掛かるって事らしい。
俺達は顔を見合わせて、チマキモドキを頂くことになった。
「はえ縄は確かに引き上げるのが大変だな。あれを4個繋いだらかなりの重さになりそうだ。とても1家族の漁とは言えんな」
「カイトの作ろうとしている巻き取り器の出来栄え1つと言うところか。だが、獲物を考えると、曳釣りと選択肢が分かれそうだぞ」
釣れたのは、シーブルとグルリンだ。曳釣りも同じような種類の魚が掛かるから、確かに迷うところではある。
今回のはえ縄では精々60cm程の獲物だったが、マグロだってはえ縄で釣るんだから、たまたま群れの魚が小さかったのだろう。
それなりに釣れると分かればそれで良い。後は選択する漁師の好みもあるからね。
「できたにゃ!」
おかずの皿がいくつも甲板に並ぶ。俺達も仕掛けを巻き上げて食事を取ることにした。運よく今日は豪雨がやって来ない。
空には少しばかり星も見えるから、雨季は終わりに近付いているのだろう。




