N-107 サイカ氏族のチマキ
朝食を終えたころを見計らって、隣のカタマランからエラルドさんがやってきた。
船尾のベンチに2人で腰を下ろし、サリーネが運んでくれたお茶を飲みながら雑談をする。
「サイカ氏族の長老がカイトに会ってみたいと言っていたぞ。サイカ氏族の聖痕の持ち主はナンタ氏族に合流したそうだ。サイカ氏族の再起を図るための資金集めを南方の漁で捻出するつもりのようだな」
実際にサイカ氏族が大陸の王国から追われたわけではない。その恐れが極めて高いことから先行して移動したのだが、依然として氏族に掛かる税金は有効なのだそうだ。
不慣れな漁でその税金を納めなければならないから、サイカ氏族の筆頭漁師は大変だな。
「サイカの若者達も俺達の漁具を見て、その違いに目を丸くしている始末だ。やはり小魚をたくさん釣っていた連中なんだろう。釣り針の大きさに驚いていたな」
「小魚も釣れるんでしょうが、この周辺ならば最低でも根魚釣りが基本になります」
パイプを咥えながら俺の言葉に頷いている。
「たぶん、昼過ぎにやってくるはずだ。根魚釣りなら東のサンゴの穴が狙い目だろう。距離もそれほど離れておらんし、実績もあるからな」
「仕掛けと漁場を教えておきます。長期的に見れば彼らにも素潜り漁をして貰いたいですね」
「それはバルトス達に頼んでおいた。カイト達は根魚釣りと、浮き釣り、それにシメノン釣りを教えてやってくれ」
サイカ氏族の若者が乗ってきた船はかなり小さい。横幅が1.8m程だし、長さも7.2m程だ。小屋はあるがあれでは横になるのもかなり窮屈じゃないかな。
せめて、ラディオスさん達が最初に乗っていた船位あれば良いんだけどね。
明日出掛けるはえ縄漁のために小魚を船尾で釣っていると、老人と10人の男達が俺を訪ねてきた。
長老は一目でわかる年寄りだけど、残りの男達の年代は俺より若いものからバルトスさんより年上に見える者までいるぞ。
とりあえず、ベンチを片付けて甲板に座って貰った。
ライズ達がお茶のカップを運んで戻ったけれど、小屋の扉付近で俺達の話を聞くつもりなんだろうな。
「確かに、ネコ族の姿ではないのう。だが、聖痕を持つと聞いておるが……」
「これが聖痕と呼ばれるものですが、いつの間にか付いていました。不思議な生物と遭遇した時に腕に激痛が走り、その跡にこれが残ったのです」
老人に左腕を差し出すようにして聖痕を見せる。
途端に、老人の目が大きく見開かれた。
「2つの聖痕を見られるとは……。だが、聖痕を持つならば、姿が違っていても、ネコ族の血を色濃く引いているのじゃろう。トウハ氏族が栄えるわけじゃ」
「大陸の話は聞き及んでいます。危機を未然に防ぐ努力は大変だと思いますが、頑張ってください」
「まあ、それは同じ種族の力添えもあることじゃ。しばらくは厄介になることになるじゃろう。そこで、我らの暮らしをたてるためにも、トウハ氏族の漁法を教えてくれぬか?」
老人に頷いたところで、釣りの道具を取り出すと男達が座った中にそれを持ちこんで説明を始めた。
根魚、青物とシメノンを説明し、竿とリールの説明をすれば一通り教えたことになるだろう。
「根魚であれば1YM(30cm)以上。青物であれば1YM半(45cm)以上が釣れます。大物の場合は、引き上げるのにタモ網や金属製のカギで引き上げます。獲物をさばいて一夜干しにしたり、保冷庫で保存するのは嫁さん達の仕事ですね」
「やはり。俺達の漁具ではこの辺りの漁は無理なようだ……」
男達が下を向いてしまったぞ。
やはり一度一緒に行かないとダメかも知れないな。場所はエラルドさんが行った場所ならそれほどの距離ではない。
ラディオスさん達も一緒に行ってくれるなら3家族を連れて行けそうだ。
「俺達の漁はこの船を見ても分るように家族が一緒に行動します。実際に見なければ分らないこともあるでしょう。どうです、一緒に出掛けませんか?」
「ありがたい話だが、俺達の船は小型だ。一緒に向かうのは難しい」
「義兄弟達に相談してみます。漁によっては2、3家族が1つの船に乗り込みますから何家族かは一緒に行けますよ」
「俺達も賛成だ。兄さん達もカイトの事だからと言っていたぞ。これで5家族が一緒に行ける」
ラディオスさんとラスティさんが俺の隣に腰を下ろした。
たぶんエラルドさん達が寄こしたんだろうけどありがたい話だな。
「仕掛けは俺達のを使えば良いし、餌はこれから釣れば良い」
「餌釣りから教えて貰うのだな。トウハ氏族の業法は我らの漁法とはかなりことなるようじゃ」
ラスティさんの言葉に、サイカ氏族の長老が言葉を繋げる。
後はサイカ氏族の男達と船尾で釣りを始める。数本の釣竿で始めたから、かなりの数を釣り上げた。
大きな獲物を2匹ずつ皆に分けて、残りを5等分して餌にする。
開いて切り身を作るのは、根魚釣りを始める時で良いだろう。
明日の朝食後に家族で来てくれ、と念を押して分れたのだが果たして上手く釣れるかな?
翌日、朝食を終えて待っていると小さな動力船が俺達の傍にやってきた。嫁さんと子供を俺達の船に乗せると、動力船をエラルドさんのカタマランに結んで俺達の船にやってきた。
他のカタマランにも同じようにして乗り込んでいる。
桟橋を作るのは早い方が良いな。ようやく15m程に伸びてきたから、もう少しなんだけどね。
「カドネンだ。嫁は1人でリーネという。子供はサンデスとカロレム、10歳と6歳になる」
「カイトです。操船櫓にライズとサリーネ、それに隣がリーザです」
リーザがカドネンさんの嫁さんと子供達を小屋の中に案内する。
直ぐに歓声が聞こえてきたのは小屋が予想外に大きかったからに違いない。
「出港は嫁さん達に任せますから、ここで座っていれば良いです。操船は女性の仕事というのがトウハ氏族の習慣です」
「俺達も同じだが、これほど船が大きいと操船が難しいのではないか?」
「俺には自信が無いですが、嫁さん連中は簡単に動かしてますよ。大きさの割は簡単なんでしょうね」
カドネンさんはバルテスさんよりも年上に見える。昨日訪れたサイカ氏族の中では、他の男達よりも少し年上に感じたから、カドネンさんが10組の家族を実質仕切っているんだろう。
リーザがテーブルに、お茶とパイプ用の火種を用意してくれた時、ブルカの音が聞こえて来た。
慌てて席を立って僚船と結んだロープを解き、アンカーを引きあげる。操船櫓に合図をして船尾に戻ると、リーザが白旗を掲げている最中だった。ゆっくりと、トリマランが後退して船首を入り江の出口に向ける。
「ブラカで合図を送るのか? とすれば、あの白旗は準備完了というわけだな」
「そうです。俺達の漁は何隻か一緒に出ることが多いので、こんな合図にしてます。次のブラカの音で出発です」
ベンチに腰を下ろしてパイプを取り出した時に、2度目のブラカが鳴った。操船はサリーネ達に任せておけば安心だから、このままのんびりと過ごすつもりだ。
「かなり速いな。こんな速度で漁場に行くのか?」
「まだこれからです。先導している白い吹流しの船に船速を合わせて行きます。この船だとかなりの速度が出ますよ」
入り江を出て行ったん南に向かって進んだが、島から1km程のところで進路を東に取った。今度は真っ直ぐ東へ向かうだけだから、どんどん速度が増していく。
「軍船よりはやいのか?」
「競ったことはありませんが、これで、巡航速度でしょう。更に速度を上げることもできますが、この海域だと他の船団もいるでしょうから……」
たぶん2ノッチまで魔道機関を上げているんじゃないかな?
自転車よりも速い感じだから、時速20km近く出ているんだろう。
「これだけの速さで進んでも揺れがほとんど無いのか!」
「この船の特徴でしょう。甲板が広いですから色々と便利ですよ」
そんな話をしていると、操船櫓の後ろの鎧戸が開いてライズが顔を出した。
「雨が来るにゃ。急いで小屋に移動するにゃ!」
片手を上げて了解を告げると、お茶のカップとパイプの火種を持って、帆布の屋根の下に移動する。
小屋に入らずとも、ここなら濡れることは無いからな。
5分もしない内に、土砂降りの雨が襲って来た。小屋の中はリーザが窓を閉めているだろうから問題は無い。中が静かなのは、子供達がハンモックにでも寝てるのかも知れない。
「雨が降っても濡れないのか。俺達の船では小屋に入りきれずに、外でゴザを被ってしのぐのだがな」
「濡れるのはあまり良いものじゃありませんからね。トウハ氏族も少し前までは似たようなものでしたよ。今は、操船を櫓の上で行っていますから、素潜り漁でもしない限りほとんど濡れることはありません」
操船櫓は試行錯誤で出来たようなものだからな。今では氏族の動力船のほとんどが同じような櫓を作って動かしている。嫁さんをずぶ濡れの中で操船させるのは男としての矜持が許さなかったのだろう。
昼近くに、サリーネが扉から顔を出して、俺達に小屋に入るように声を掛けて来た。
言われるままに小屋に入ったのだが、カドネンさんの思っていた小屋の大きさよりも遥かに大きかったようだ。
「こんなに広いのか?」
「約2FM(6m)四方に少し足りないくらいです。奥にもう一部屋ありますよ。操船櫓も、この小屋から出入りできますから、濡れる心配もありません」
昼食は、バナナチマキにご飯を混ぜたような代物だった。バナナの葉で包んであるのだが、魚醤で下味が付いたご飯とバナナの甘さが上手く合っているな。日本で売り出せば軽食にもなるスイーツとして人気が出そうだぞ。
「奥さんに頂いたにゃ。後で作り方を教えて貰うにゃ!」
「そうだね。これなら夜食にもなりそうだし、保冷しておけば長く持ちそうだ」
そんな俺達の話を満足そうな顔でカドネンさんが聞いていた。
たぶんサイカ氏族の工夫なんだろう。そうなると他の氏族の料理も食べてみたい気がするな。色々と工夫をしているに違いない。




