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「……いつかはばれると、思っていたんだ」
と、恵梨は言った。
やはり、いきなり最初から直接杉浦に聞くのは勇気が足りなかったので、事情をある程度は知っていそうな恵梨に聞いてみたのだ。恵梨は、あっさりとそれを肯定してくれて、美雪は却って驚いてしまった。
閉店後のパン屋だ。もう掃除も終わったので、二人で残ったパンをおやつにして、お喋りをしながらお茶を飲んでいたところだった。
店長もいたけれど、閉店してすぐに出かけてしまったから、美雪と恵梨の二人きりだ。
だから、チャンスのような気がして、美雪は今朝鈴子から聞いたことをそっくり恵梨に話して聞いてみた。
そうして、返って来たのがそういう言葉だった。
「水原くんだけが有名人だった時ならともかくとして、今は、晃までが注目され始めたでしょ? それなのに、二人が一緒にバンドをやっていたことを隠そうって思っても限界があると思うんだ。今まで、何も言われないのが不思議。二人の間に何があったのか、そもそも、どうして《BE》が解散することになったのか、私にはそこまで踏み込む権利はないし、知ろうと思っているわけじゃないの。でも、知りたくなくても知っちゃう時ってあるんだよね。私の場合は、従兄弟が晃と友だちでね、その関係で知り合ったんだけど、水原くんが一人でデビューした時は結構ショックだったみたいよ。すごい荒れてた。だけど……」
「はぁいっ、こんばんはーっ!」
恵梨のしんみりした口調を遮るようにして、ものすごい場違いな奇声を上げて現れたのは、言うまでもなく話題の主の杉浦だった。
恵梨は溜め息をついて、立ち上がる。
「うるさいわよ、晃」
せっかく始まりかけていた話を中断されてしまった形になって、美雪はちょっと残念だった。
だが、杉浦の前でその過去の話を聞こうとするほど、美雪は神経が太くない。
「晃、あんた、今日は地方に行っていたんじゃないの?」
「ん、行っていましたよ。でも、美雪ちゃんに会いたいのでとんぼ返りして来ました。褒めてくれる?」
「馬鹿なことほざいているんじゃないわよ! こんなの褒めることないわよ、美雪ちゃん。褒めたら図に乗るんだから」
「ひっでー。恵梨ってば、冷たいよなー。その言い方はないんじゃない? 俺のこのけなげな行動力を少しは認めてくれてもいいと、思うんだけど?」
「あんたのくだらない理屈に付き合っていたら、夜が明けちゃうでしょ。あんたのすっ飛んだ行動や言動には、それでなくても疲れるんだから。ホント、成長しないわね」
「……恵梨って冷たい」
上目遣いになって、空中に「の」の字を書いている。そういうのは、子供みたいだ。
恵梨が杉浦は成長しないと言うのも、わかるような気がして、美雪は思わず笑いを漏らす。
「私があんたに冷たいのは、別に、今に始まったことじゃないでしょ。それより、そんないい加減な仕事態度でいいの? 新進気鋭のプロデューサーさんとして」
一瞬、杉浦の顔から表情が消えた。
だけど、すぐに彼はいつもの掴み所のない笑顔を作っていた。今のは美雪の目の錯覚だったんじゃないかと思うくらいの短い瞬間、彼は、確かに鋭い視線で何かを見つめていた。
これは、どういうことなのだろう。
杉浦は何を隠そうとして、表情を取り繕っているのだろう。
しかも、友だちだって言っている恵梨の前で、何を隠したいのだろう。
「……仕事ね。ちゃあんとやっていますよ。あいつらも、もうすぐツアーが始まるしね。今度は、ツアーも全国に同行するんだよ。俺、ステージには関係ないのにね。今日の仕事は、仙台でプロモーションだったんだけどさ。終わったら直帰だったの。あいつら、夜のラジオのナマあるからね。別に、放り出して来たわけじゃないよ」
くすくすと、笑って。
恵梨は曖昧な笑顔でうなずいて、また、溜め息をついた。
そんな恵梨を見やってから、杉浦は美雪を振り向く。
「美雪ちゃん、今日はうちまで送るからね」
そんな何気ないことがやたら嬉しくて、美雪は、さっきまでの疑問なんかどっかに行ってしまった。
単純、なのかもしれないと、思う。
たとえ、美雪の家がここからほとんど離れていないとしても、そういうのって、何となく嬉しいものなのだ。
「へえ、美雪ちゃんの家って、本当に五十嵐さんとこの近所なんだね。とすると、バイトに入るまではあそこのお店の常連だったってところかな」
杉浦は一人で楽しそうに喋りながら、美雪の一歩先を歩いている。
「そうでしょ?」
話しかける隙を見つけられなかった美雪を、いきなり振り向いて杉浦は問いかける。
考え込んでいた美雪は、慌ててうなずいた。
「だよねぇ。俺さ、いろいろ文句言うけど、五十嵐さんのパン、好きなんだ。店に来て、俺が食べるのがひとつも残ってないとめちゃくちゃ腹立つんだ。売れ残りがない方がいいに決まっているのにさ。何て言うかさぁ、店長の人柄が出ている感じがするんだよ。あったかくて、ふわふわしていて。俺、ずーっと迷惑かけまくりなのはわかっているんだよ。恵梨が怒るのも、知ってる。でも、まだ踏ん切りつけられないことがあってさ」
いい加減まずいかもなぁ、見捨てられるかなぁ、などと、つぶやいている。
そういう口ぶりからわかるのは、表向きには文句を言いながらも、杉浦は恵梨のことがとても好きなのだということだ。恵梨だけではなく、彼女の父である店長のことも、同じだろう。それは、美雪の知らない重い何かがあるからこそ、杉浦は恵梨たちを頼っているのだ。
「手、つなごうか?」
荷物、持ってやろうか? とでも言っていそうなニュアンスの、素っ気ない言い方で言って、杉浦は美雪の方に無造作に手を差し出した。
うわ、何か嬉しい。
妙にかっこよく決めて見せているかと思えば、すごく不器用な子供みたいなことを言い出す。
どっちも素敵だな、と、そう、思って。
「……へへっ」
照れ隠しに笑いながら、美雪は杉浦の手を掴んだ。
けっこう、ごついかもしれない。
ちょっと驚いて見上げる。
杉浦は、不思議そうに美雪を見返した。
「……何?」
「結構、おっきいですね……」
「あ、俺の手? そんで、ごついでしょ。俺、ギター弾くからさ。ある程度は大きくないとね、コードを押さえられないのでございますよ」
「……ギター、弾くんですか」
既にわかっていたことだけれど、杉浦の口から初めて聞くことだった。
だから、初めて聞いたふりをして、美雪は今日聞いたいろいろなことを思い返した。
慎がデビュー前に組んでいた《BE》というバンドのギタリスト。それは杉浦なのだと、はっきりと恵梨は言った。その後、どうなったかは杉浦が来たことで聞けなくなってしまった。けれど、それだけは間違いのない事実なのだ。
でも、杉浦はそのことを話してはくれない。
美雪が聞かないからかもしれないけれど、あまり話したい内容ではないことくらいは、何となくわかるものだ。
杉浦が言おうとはしないこと。慎が思い出話としてはぐらかしてしまうこと。
そうまでして隠しておきたい《BE》とは、二人にとってどんな存在だったと言うのだろう。必死になって隠さなければいけないのなら、そこに何が起きたのだろう。
それを、知りたかった。
けれど、知ってしまうことで何かが壊れるのは、とても怖かった。
「そう、弾くよ。まあ、今は自分でプレイしたりするわけじゃないけど、メロディーを作る段階では、ギターを持つことの方が多いんだ。他の部分は、基本的にはプログラムを組んでやっちゃうんだけどね。何て言えばいいのかな、ギターの方がしっくり来るんだよ。……あ、そうだ。美雪ちゃんは、ギター・サウンドとコンピューター・サウンド、どっちが好み? 慎のファンなら、ギターの方が好きかな。あいつ、生音好きだし。そういうライブするし。すっげープログラムされた音運びでライブを作り上げるくせに、どこかでアナログなんだよな。でも、最近流行っているのは打ち込み系が多いような気もするけど」
「……うーん、どうかなぁ。私は、自分で気に入ればそれでいいタイプだから。そういう仕事をしている杉浦さんに言うのは気が引けるけど、よくわかんないんだ。そういうの。流行っているものや、自分が聴いて楽しそうなものを適当に聴いているって言うか……。作っている人には、申し訳ないのかも」
「ま、普通はそういうもんかもね。うーん、簡単に言うとね、どっちかって言うと、慎が作る曲っていうのはギターが中心になっているじゃない。ライブを見ればわかるけど、ナマで聴いた時にすごく響かせるメロディーを作るでしょ。それは、わかるよね? でも、俺がやっていることは、打ち込みが中心だってこと。こう、何て言うのか、耳障りのいい感じ。どーんと、スコーンと突き抜ける感じ? 俺自身の好みとしては、もっとギターを入れてベースも響かせたいところなんだけど、それは彼らのコンセプトとは違う方向性だからね。あ、それとさ、知ってるかな? TURBOのデビューの時のキャッチコピー。未来を先駆けるツイン・ボーカリスト、だよ? 悪いけど、俺、笑っちゃったよ」
笑っちゃったよ、って、その人たちはあなたがプロデュースしているのでは? と思ってしまう。そもそも、杉浦の言い方では何となくしか音のイメージは掴めない。けれど、突っ込みを入れはしなかった。
慎のことを話す杉浦はどこか寂しそうで、その眼差しはどこを見ているのかわからないくらいに遠くを見ているような、そんな気がしたから。
「TURBOの新曲、聴いた? そろそろ、テレビとかで流れ始めているとは思うんだけど。シャンプーのCMで使っているんだってさ」
さもつまらないことのように、まるで他人事のように杉浦は言って、足元の小石を蹴飛ばした。
近くの標識のポールにぶつかったそれは、人通りのあまりない住宅街に甲高い音を響かせた。
「あんなの、俺の曲じゃない」
押し殺したような低い声で、杉浦は言った。
そのまま美雪の手を離した杉浦は、自分が蹴飛ばしたさっきの小石の所まで行って、それを拾い上げようとでもするかのように腰をかがめる。
「杉浦さん……?」
「俺が書きたいのは、俺が弾きたいのは、あんなんじゃないんだよ。あんな曲が書きたくて、飛び込んだ世界じゃない。人の心を上滑りして、一時だけの流行で忘れられて行くようなメロディーが、作りたかったわけじゃないんだ。綺麗な言葉を並べた、覚えやすいメロディー。それが、今の俺のカラーになっている。あれがKOU-Fの作る音なんだ。杉浦晃が目指すものとは、違うんだよ。だけど、そうして行くしかないんだ。やっていることと、求めていることは食い違っている。俺が欲しいのはもっと違う音なのに。自分のやっていることが、時々わからなくなるよ。リズムに言葉を乗せて、音を重ねて、気が狂いそうになる。でも、俺はそれを続けているんだ。どこか冷めた目で、自分を見ながらね」
それは、杉浦が初めて見せた本音の部分だった。
いつも笑顔ではぐらかしている彼が見せた、影の部分。
新進気鋭のプロデューサーと呼ばれながら、そういう自分に戸惑いを感じている。受け入れられずにいる。今の彼は、そんなふうに、見えた。
「慎が羨ましいよ。妬ましいって言った方が、正しいのかもしれないくらいだ。俺が望む音を、遠い昔に俺が作りたいって思っていたサウンドを、今、あいつは一人で作り出している。俺が底辺で無様にもがいているうちに、あいつはトップまで登りつめて行った。それは才能だし、今更、俺が追いつけるはずがないことはわかっている。所詮自分が悪いんだってわかっていても、悔しいんだ」
確かに、杉浦が作っている曲と、慎の作る曲は全然違う。美雪には、杉浦が前にどういう音楽を作っていたのか、それは知らない。けれど、でも、杉浦自身が言うほど、今の彼の曲が価値のない曲だとは思えなかった。
本当に価値がないなら、評価されない。皆が聴くとは思えない。それを思えば、今の杉浦だって、充分に評価されていると思うのに。
それでも、彼は。
本来の自分が求めているものとは違う方向性の音楽を作ることに、大きな疑問を持っているのだ。
杉浦が慎の組んでいたバンドのメンバーであるのだとしたら、ギタリストであるのだとしたら、それもわかる気がする。今、彼が携わる打ち込み系の曲は、その方向性が全く違うものだということくらいは、美雪にだってわかるのだ。
杉浦の言葉から、わかること。想像できること。
彼にとって、《BE》はまだ存在しているものなのかもしれない。慎と一緒に作った音は、今でも変わることのない永遠の夢として彼の中に残っているのかもしれない。だけど、それを認めたくないのかもしれない。
「たった一度かもしれなかったチャンスをつぶしたのは、俺なんだ。今更、誰を責めることもできない、自分が悪いんだ。だから、もう何も言えない」
押し殺した、低い声のつぶやき。
けれど、その日、杉浦と交わした会話は、美雪の記憶に長く残ることになった。
美雪が杉浦のその言葉の意味を知るのは、まだ先のことだったけれど。
今の美雪には、彼の言葉を黙って聞いていることしかできなかった。
何があったのか知らなくても、こんなふうに二人で過ごすことができるなら、他には何も要らなかった。そして、それが普通に続いて行くのだと、美雪は思っていた。
けれど。
思いもかけないところから、それは崩れて行くことになる。
杉浦が隠そうとしていたこと。浮かべている曖昧な笑顔の影にひそめた、いくつもの想い。
杉浦と慎との関係も、《BE》の解散の理由も、全部が見えたのは。
たった一人、全てを知る慎の口から知らされたのだ。




