世界の終わるそこそこ前〈中〉
その日の授業を僕は久しぶりに真面目に聞いた。ノートを丁寧に書くためだ。そして授業というのは真面目に聞いていれば内容は案外理解できるものなのだと思い知った。
ちなみに芹沢さんは国語の授業中本当に眠っていた。そのせいか、今日の体育では男女同一のグラウンドで行う長距離走を元気に駆け抜けていた。僕よりタイム良さそうだ。
昼休みの頃には芹沢さんは完全復活しており、女子グループでなにやら笑い合っていた。僕の噂話でないことを切に願う。願っていたせいか食べるのが遅くなり、恋人とのランチを終えた彼にどつかれたのは余談である。
そんなこんなで結局休み時間などに芹沢さんに話し掛けることも出来ず今日の六時限目も真面目に受けた後。即ち放課後がやってきた。
僕が机のなかに押し込んだ教材類をカバンに流し入れていると頭を柔らかい布ではたかれた。彼かと思い後ろを振り仰ぐと、芹沢さんが立っていた。頭を叩いた柔らかい布はどうやらマフラーだったようだ。
「準備遅いねー。もしかして全部持って帰ってるの?」
「うん。まあ家で勉強するわけでもないけど」
芹沢さんはそれでも感心するように僕の手元を見ていた。僕はなんだか照れ臭くなって粗相をしないよう細心の注意を払いながら最後の教材をカバンに入れ、閉める。
芹沢さんは僕が立ち上がるのを確認するとマフラーを整えながら言った。
「んじゃあ、帰ろっか」
「え……」
僕は面食らう。一瞬何を言ってるのか理解できず、それが一緒に下校しようと誘っているということに気付くと、僕は余計に驚愕した。芹沢さんの方から誘ってくるなんて考えもしなかったのだ。
僕の反応に彼女は眉根を寄せ、不機嫌そうに言った。
「なによ、不満でもあるの?」
「いやそんなまさか! そうだね、帰ろっか」
僕は内心かなり焦った。ここで機嫌を損ねたくはない。そして恋人にも見える僕達の振る舞いが気になり思わず周囲に視線を走らせる。
だが今の時期カップルはいくらでも居るのでたいして気にもならないらしく周囲は至って普通といった様子だった。この前恋人が出来たばかりという彼だけが興奮していたのが目につく。
僕は彼を気にしないように努めながら、前を行くチェック柄のマフラーをコートの背に張りつけた彼女を追い掛ける。
昇降口を出ると、芹沢さんが口を開いた。
「明日で終業式だね」
「うん。いつもより早いって言ってるけど、去年どうだったっけ?」
僕は応えつつ首を傾げる。長期休暇に入る日付なんていちいち覚えちゃいない。
芹沢さんは記憶を手繰るように虚空を見上げ、一つ頷いた。
「多分例年より早いよ。クリスマスは学校あった気がするもん」
「そういえばそうだったかも」
芹沢さんがそう言い、僕は同調した。確かにそんな記憶がある。でもクリスマスなんて恋人と子供のためにあるような日なんて思いだしたくもない。サンタさんが居ないことを知っている彼女居ない暦が人生と同じ僕はそう口のなかで罵った。
芹沢さんは僕の思考を読んだかのような絶妙なタイミングで言う。
「クリスマス彼女と過ごしたことないんでしょ」
ギクゥッ
という音が出たように思う。芹沢さんは僕の様子を観察し図星だったことに満足したふうな微笑を浮かべた。
「もしかして、彼女出来たことないとか?」
「……うん」
僕はうなだれるついでに頷いた。そしてふと芹沢さんにも訊ねてみる。
「芹沢さんは、彼氏出来たことある?」
「あるよ」
あっさり認められ、僕は衝撃を受ける。その一方で慌てて芹沢さんは可愛い娘だから持て囃されて当然だと自分に言い聞かせる。
芹沢さんは苦笑を浮かべて、気まずそうに言った。
「あー、ゴメン。その期間って三日くらいだし、厳密に付き合ってたなんて言えないかもしれないけど」
僕はそれを聞いて安心したりはしないけれど、興味はそそられた。芹沢さんが振ったのか、振られたのか。それは何故か、などということを。
質問が口を突いて出ようとしたところで慌てて飲み込んだ。いくらなんでも失礼すぎる。過去のことをあれこれと詮索するのはよくないだろう。
しかし芹沢さんは深呼吸して、言った。
「ね。昔の彼氏の話、聞いてくれる? いい加減誰かに聞いてほしかったんだ。みんな気を遣っちゃってさ」
僕はなかなか首を縦に振れなかった。芹沢さんの表情を見ていれば分かる。かなりつらい出来事だったのだろう。なのに、なぜ芹沢さんは僕に聞かせようとしたのだろうか。
気付けば、僕はこう言っていた。
「芹沢さんが話したかったら、話して。途中で止めたくなったらいつ止めてもいいから。僕はいつでもちゃんと聴くよ」
芹沢さんは僕の妙な言いように訝しげな顔をしたが、やや安心したように表情を緩めた。
そしてとつとつと、それを話しはじめる。目の前の信号が点滅を止め、赤になったのを僕は見た。




