第一章 夕刻の首
婚礼用の控室には、花嫁を落ち着かせるものが揃っていた。
薔薇の香油。蜂蜜を落とした水。泣いて腫れた目を冷やす銀の匙。壁には、代々の王女が婚礼前に読んだという聖句が金文字で掛けられている。
花婿が七人来た時に使うものだけがない。
「座りなさい」
母は私の向かいへ腰を下ろした。
聖堂では七人が地下の旧兵舎へ連れて行かれている。重い扉が閉まる音は、控室まで聞こえた。参列者には軽食が配られ、式が再開されるか、処刑が始まるか、知らせを待っている。
化粧台の銀皿には、私が落とした指輪が載っていた。白い絨毯の毛が一筋、内側へ貼りついている。今朝、侍女が指へ通す練習をさせた時には、これほど重い輪ではなかった。
私は婚姻簿へ署名する自分の名を、前夜に六度練習した。クラウディア・リーデン。いつもの公文より少し小さく、花嫁らしく見えるように。署名のあと、バルドへ消去液の使い方を教えようとも考えていた。彼があの私信を書いたのなら、初夜に愛を確かめるより、まず隠した文が本当に二人だけのものだったか聞きたかった。
その予定を考えたのは、私一人だった。バルドも、母も、手紙を書いたラウルさえ、今日の婚礼について私より先に別の使い道を決めていた。
「立っていたいのです」
「その靴で?」
私は座った。
母の命令へ屈したのではない。婚礼靴を作った職人へ屈した。踵の高さだけで女王への忠誠を示そうとした人物である。
「バルドを呼び戻します」
母は蜂蜜水へ触れもしなかった。
「六人は今夜、身分を確定する。あなたは彼と誓約を済ませなさい」
「身分を確定する、というのは」
「第三条を適用します」
「死刑ですね」
母は返事をしなかった。言葉を柔らかくしても、首は柔らかく落ちない。私は婚礼の袖を膝へ広げ、金糸の一箇所を爪で押した。
「彼らが本当に面頬を着けたなら、異議の内容は虚偽ではありません」
「王冠が認めたのはバルドです」
「事実は、認定の後から変わりません」
「第三条は、異議が真実かどうかを要件にしていない」
母はいつも、議論の終わったところから話す。
扉が叩かれた。入ってきたのは三人だった。宰相エドムント、軍務卿、そして婚礼衣装のまま手を後ろへ縛られたバルドである。近衛隊長が縄を解こうとしたが、バルドは首を振った。
「そのままで結構です」
母が言った。
「あなたが騒ぎを収めれば、すぐ外せます」
黒玻璃の装具と印を他人へ渡し、その使用を王冠へ隠した。認定者であるバルドには、第二条の嫌疑がある。六人と同じ死刑ではないが、ただの付き添いでもなかった。
「六本ほど首も外すつもりでしょう」
「口を慎みなさい」
「慎んで半年前に口約束を信じました。二度は要りません」
バルドは私へ一礼した。両手が後ろにあるため、頭を下げただけでも転びそうになる。軍務卿が肘を支えようとすると、彼は避けた。
「殿下。先ほど申し上げたとおり、求婚は取り消します」
「私も式を止めました。そこは合意しています」
「助かります」
求婚を断られた直後の会話としては、ひどく実務的だった。私は、この男から三年間の返書をもらったと思っていた。私の書いた一文を何日も考え、あの簡潔で不器用な答えを返した人だと。
違った。
「恩赦と婚姻を交換したのですね」
「はい」
「誰の提案ですか」
「俺です」
母は否定しない。
バルドは続けた。
「王冠が俺だけを騎士にするなら、残りを詐称者じゃなく従兵として赦せと頼みました。代わりに爵位を受け、殿下へ求婚する。陛下は了承なさった」
「書面は」
「ありません」
「なぜです」
「女王の言葉に、証人を要求するほど長生きしたくなかった」
「結果として短くなりそうですね」
軍務卿が咳払いした。バルドの口元がわずかに動いた。
母だけは、私たちの会話に何の不都合も感じていないようだった。
「六人は従兵ではありません。自ら英雄を名乗った」
「逮捕状を見つけた後です」
「罪を犯す理由があれば、罪でなくなると?」
「少なくとも、あなたの娘を騙して結婚するよりはましだ」
近衛隊長の手が剣へ動いた。
私は母より先に言った。
「バルド。あなたは手紙も書いていませんね」
彼は黙った。
沈黙で答えを得た気になるのは、私の悪い癖である。今回は、本人の口から聞くことにした。
「書きましたか」
「署名はしました」
「本文は」
「前線からの報告を集めたものです」
「誰が文章にしたのです」
バルドは、閉じた扉を見た。地下へ連れて行かれた六人のうち、誰かがその先にいるように。
「ラウルです」
予想していた答えだった。予想していたことと、平気で聞けることは同じではない。
私は膝の上で、金糸をもう一度押した。硬い糸が爪の脇へ食い込む。
「すべて?」
「作戦については俺が決めた。医療はオド、装備はハーゲン、北方の地形はサミルが話した。あいつが聞いて、まとめた」
「余白の短い返事も?」
バルドは今度こそ私を見た。
「俺は、殿下が寝ているかどうかを気にしたことがない」
宰相が目を伏せた。軍務卿は天井を見た。母の前で、娘がどのような私信を受け取っていたか、全員が急に知りたくなくなったらしい。
「承知しました」
私が言うと、母は小さく息を吐いた。
「ならば、なおさら問題はありません。あなたが愛したのは騎士の働きであり、その働きを代表するのがバルドです」
「私の感情まで法定代理できるとは、褒賞令に書きませんでした」
「王族の婚姻に、感情は不要です」
「不要なものを、なぜ母上が決めるのです」
母の指先が、卓上の銀匙へ触れた。匙は一度だけ皿へ当たり、澄んだ音を立てた。
宰相が間へ入った。
「陛下。広場にも話は伝わり始めています。認定者以外を本日中に処刑すれば、軍の一部が反発します。黒玻璃の騎士を見たという地方からも、異議が出るでしょう」
軍務卿も渋い顔で頷いた。
「バルドの旧部隊を王都へ入れぬよう命じましたが、命令を誰まで聞くかは保証できません」
母は二人を順に見た。国の安全ではなく、自分の命令がどこまで届くかを測る目だった。
「何日必要です」
「一月は」
「長い」
「二十日」
「十日です」
宰相は口を閉じた。母の提示する二択には、たいてい最初から三つ目が用意されている。
「十日後、公開審問を行います。黒玻璃の騎士を一名、王冠が再認定する。それ以外は第三条に従う」
「一名しか認めない前提では、審問ではありません」
「褒賞令を変える評議ではありません」
私は宰相を見た。彼は困ったように眉を寄せたが、否定しなかった。
緊急停止を採決させるには、軍、地方領、王都自治組合から一人ずつ提案者を出し、全評議員を王都へ集めなければならない。三者は褒賞金と軍権をめぐって、戦後ずっと互いの席にさえ着こうとしなかった。十日では足りないと、母はよく分かっている。
バルドが一歩前へ出た。近衛の縄が鳴る。
「十日あれば十分です」
「何をするつもりです」
「俺一人が騎士だったと証明します」
「先ほど七人で名乗ったばかりです」
「あいつらは俺に従った。俺の命令で、面頬を着けた。それなら罪は俺にある」
「あなたが認定者なら、罪にはなりません」
「だから、六人は生きる」
彼はすでに結論を出していた。自分がすべてを引き受ければよい。婚姻も、英雄も、仲間が望むかどうかも。
母とよく似ている。
「バルドを戻しなさい」
近衛が彼を連れて行く。扉を出る直前、私は呼び止めた。
「ラウルは、北門の返書も書きましたか」
バルドの足が止まった。
ほんの一瞬だった。だが、戦場で命令を出し続けた男が、歩き方を忘れたように見えた。
「本人に聞いてください」
扉が閉じた。
母はようやく蜂蜜水を口へ運んだ。
「十日後までに、一人を選びなさい」
「夫を選ぶつもりはありません」
「一人を選べば、残る五人は恩赦します」
計算が合わなかった。
七人から認定者を一人引けば、死ぬのは六人である。
母は私が気づくのを待った。
「六人ではないのですか」
「一人は、別の罪で裁きます」
銀匙が、静かに皿へ戻された。
「北門を閉じた罪です」




