中立地帯
本庄組の事務所へ戻ると、山崎が声をかけてきた。
「おかえり。あれ? 親分は?」
「あ、ああ……」
このようなシチュエーションが、俺は昔から苦手だ。即興で適切な言い訳を考える頭脳も無ければ、相手を巧みに誘導する話術も持ち合わせていない。何とか繕ってみようと頑張れば頑張るほどに、どこかでボロが出てしまうものだ。
とはいえ、本庄からは釘を刺されている。
『この話はホンマに内緒やからな? 山崎たちにも気取られたらあかんで』
おそらく、村雨耀介との交渉は若頭以下、子分たちにも秘密で行うのだろう。知らせてやっても良いのではという思いもあったが、山崎が俺の五反田残留を強く望んでいる以上、難しいのかもしれない。
(ここでバレたら、横浜へ帰れなくなる!!)
意を決して、俺はできる限りの虚辞を並べ立てた。
「ちょっと1人にさせてくれってよ。何か、買い物があるとか何とか、言ってたな」
「……で、お前だけ帰って来たというわけか」
「ああ。『プライベートな買い物だから、先に帰ってろ』って。家族にプレゼントでも買うんじゃないのか?」
「そうか。わかった」
意外にも、すんなりと納得したような返事をよこしてきた若頭。しかし、俺にやりかけだった仕事の再開を指示した後、彼は首を傾げながら静かに呟いていた。
「あの人が、1人で買い物……? うーん。珍しいな」
ドキッとしてしまった。
本庄組長は普段、単独で外出するということを一切しない。出歩く際には、子分を必ず同行させる。これは襲撃や暗殺といった不測の事態に最大限対処するための、彼なりの習慣だと思う。
やはり、あらゆる方面から恨みを買っている自覚があるのか。自ら調理した食事以外には決して手をつけない点も含めて、本庄は異常なまでに用心深く、警戒心が強い男であった。
そんな本庄に長年仕え、常に忠を尽くして働き続けてきたのが山崎だ。違和感をおぼえて当然だろう。
「……」
幸いにも山崎は、それ以上の追及をしてこない。ただ、自分の言い訳がまずかったと気づくのに時間はかからなかった。同時に、もっと出来の良い嘘をつけば良かったと心底後悔した。
(どうにか、バレねぇようにしないと)
心の中で懸念を滾らせながら、俺は事務所の雑用を黙々とこなしていった。うしろめたい隠し事を抱えているせいか、心が重い。考えてみれば五反田で過ごす最後の時間であるが、そんなことはどうでも良かった。
普通なら、この日限りで別れを告げる本庄組の事務所に名残惜しさを感じ、世話になった組員たちに感謝の詞を伝えるべき場面のはず。だが、俺にそんな精神的余裕は無い。
いつもとは違う“怪しさ”を感づかれぬよう、何も言葉を発することなく、誰とも話すことなく、ただ約束の刻限が来るのを待つだけ。とにかく、気が気でなかった。
やがて、4時間後。
「待たしたな。ほな、行くか!」
戻ってきた本庄に導かれて、俺は再び事務所を出た。
おそらく、もう二度と五反田へ来ることはないだろう。自分はこれから、横浜の村雨組へと復帰するのだ。本庄組で過ごした1ヵ月はそれなりに色濃かったため、若干の名残惜しさが残った。しかし、悔やんではいられない。
(これからの事を考えなくちゃな……)
果たして、村雨との交渉は上手くいくのか。仮に快調に進んだとしても、あの世にも恐ろしい残虐魔王が俺を許すのだろうか。バケツをひっくり返したかのような不安の念が、それ以外の情念をはるかに上回っていた。
都道の大通りで拾ったタクシーに揺られ、目的地へと向かう間も、俺の緊張は絶えない。車内には冷房が効いているというのに、不思議と額に汗が浮かんでしまう。
明らかに、いつもとは違う精神状態だった。
「……」
握りしめた拳を微かに震わせていると、隣の本庄が声をかけてくる。
「ん? 緊張しとるんか?」
「いや、別に……」
「ま、無理もないわな。こういうのは場数をぎょうさん踏まんことには、慣れへんものやさかい。よく『人』っちゅう字を手のひらに10ぺん書いて飲み込んだら治まるなんて言われとるけど、あんなんは所詮迷信や。不安になる時は不安になる。それが人間やで」
俺の肩をポンと叩いた後、本庄は言った。
「せやけどな、涼平。そないに心配せんでええ。お前は必ず、横浜へ戻れる。わしかて手ぶらで来たわけちゃう。この時のために、とっておきの“切り札”を持ってきてん。そいつを渡したら、村雨は絶対にこっちの要求を呑む……いや、飲まざるを得んやろうなあ。大丈夫や。きっと上手くいく。フフッ」
励ますついでに、不敵な笑みを浮かべた五反田の蠍。
どうやら、交渉に際して手土産を持参しているらしい。権謀術数に長けた策略家というだけあって、その辺は抜かりが無いのだなと率直に思った。さぞかし凄い“切り札”なのだろう。
(……任せるしかねぇか)
どんなに悩んだところで所詮、俺の力では解決できぬ問題だ。本庄の交渉術に頼って話をつけてもらう以外、現状を打開する術は無いのである。
ならばいっそ、己の運命を委ねてみようではないか。そう心に決めた俺は、夜の首都高を駆け抜けるタクシーの車窓を静かに見つめ続けたのだった。
「おう、着いたでー!」
そのように過ごしていると、ついつい時が経つのを忘れてしまうものである。移り変わる外の夜景に目が眩み、うとうとし始めていたところを不意に起こされた。
「あ、ああ」
「早よう降りぃ。時間に遅れたら、向こうの心象を悪くするかも分からへん」
運賃の支払いは、疾うに済ませたようだ。本庄に促され、俺はゆっくりと車の外に出てゆく。すると、視界に飛び込んできたのは大きな日本家屋だった。
「すげぇ……」
江戸時代の城郭を彷彿とさせる白漆喰の外壁に、何重にも積まれた瓦の屋根。玄関の上には赤い提灯がズラリと並び、その脇には大きな白地に黒の筆文字で『馬橋』と記された看板が掲げられている。
ため息と賛辞が思わず同時に漏れてしまうほど、荘厳な造りの料亭だった。本庄曰く、ここが村雨との会談の場であるという。
「元禄の頃からの老舗でのぅ。鯉料理を作らしたら日本一の名店や」
「げ、元禄?」
「何や。知らんのかい。綱吉が将軍やっとった頃やで」
聞き慣れぬ単語の登場に、首を傾げつつ聞き返してしまった俺。当時はあまりにも無知で、元号はおろか歴史全般がまったくもって分からない。話題の中で飛び出した徳川綱吉なる人物についても、まるで初耳。
(もうちょい、社会の授業を真面目に受けとけば良かったな……)
小学生の頃から、ずっと勉強をおざなりにしてきたツケがまわってきたのであろう。まさに、自業自得。恥ずかしいやら情けないやらで、俺の両頬はみるみるうちに紅潮していった。
そんなこちらの姿を見た本庄は、吹き出すかのごとく失笑する。
「おいおい。さすがに阿呆が過ぎるやろ。こんなん、中坊の歴史の教科書にも載っとる話やで? 卒業したお前が知らんでどないすんねん。開いた口が塞がらんわ」
どんぴしゃり。わざわざ書くまでもなく、図星であった。
「……」
痛い所をピンポイントで突かれたせいか、返す言葉が浮かんでこない。一方、本庄はなおも続けてくる。
「ええか? これからの時代はのぅ、わしらヤクザも頭が良うなきゃ食っていかれへんのや。ぎょうさん学を蓄えて知識を肥やして、政治家や役人みたいな国のエリート連中とも対等に渡り合っていかなあかん。ちっぽけなシノギでやってけるほど、平成の世は甘ないで!」
勉強して、教養を身に着けること――。
今まで薄々に気づいてはいたが、やはり喧嘩が強いだけではいけないのか。ヤクザの価値とは即ち戦闘力だと思っていた俺にとって、本庄の言葉はあまりにも意外というか、いかなる想定にも当てはまらぬ衝撃的なものであった。
(マジかよ……けど、そもそもヤクザって、ほとんどが中卒じゃねぇか)
だが、こうも真剣な表情で言われたのでは、素直に受け入れる他ない。心の中で僅かに湧き起こった不服の念を堪えつつ、俺はコクンと頷きながら返事をした。
「……ああ、わかったよ」
すると、本庄は満足そうな眼差しを向けてくる。
「せや。とにかく、涼平。お前は勉強することやな。ハタチになる前に出来るだけ色んな本を読んで、教養を広う身に着けるんや。そうしたら、時代に置き去りにされることもあらへんさかいのぅ」
そう言って、店の中へと進んでいった組長。さっそく置き去りにされぬよう、俺も慌てて暖簾をくぐり、後をついてゆく。
「いらっしゃいませ」
「おう。予約しとった本庄や」
「本庄様、お待ちしておりました。お部屋の方へご案内いたしますので、こちらへどうぞ」
出迎えたのは、和装の仲居。作り笑いが顔に貼りついた風な中年女性だった。この店の従業員の中では、いわゆるベテランの域に入るのだろう。彼女は恭しい所作と共に、俺たちを店の奥へと先導する。
(それにしても……すげぇ店だな)
照明は古めかしい行燈で、天井に等間隔で吊るされている。床には赤い絨毯が敷かれ、かつて父の葬儀で足を運んだ川崎の寺院を想起させる、非常に絢爛な内装だった。また、壁には金箔が散りばめられていて、至る所に日本画と思われる絵が飾られている。
普通に歩くだけでも、どこか胸が高揚してしまう空間だ。予約の部屋はかなり奥にあるらしく、入り組んだ廊下の曲がり角を何度も曲がった。おそらく、店自体が相当広いのかもしれない。
そんな中、ふと本庄が尋ねてくる。
「涼平。わしがこの店を選んだのは、何でやと思う?」
やけに声のボリュームを潜めて問うてきたので、少し疑問に思ったが、なるだけシンプルに答えてみる。
「……高い店だからか」
「まあ、それもあんねんけどな。決め手になったのは、もっと深い理由やで」
「深い理由?」
いったい、何があるというのか。自分なりにあれこれ考察を試みたものの、適切な解答はいまいち浮かばない。村雨耀介と交渉を行う場として相応しい所以が「老舗の高級料亭だから」の他に、見つからなかったのである。
(うーん。何だ? わっかんねぇなあ)
やがて、答えに窮して沈黙する俺を見かねたのか。本庄は、静かに明かした。
「お前は知らへんと思うが……ここ浅草一帯は、中川会の領地とちゃうんやで。仕切っとるのは関東岸根組っちゅう、これまた老舗の的屋での。中川とも煌王とも、他の何処とも程良う距離を置いとる組や」
関東岸根組の歴史は古く、その起源は江戸時代後期にまで遡れる。
浅草神社の例大祭で神輿をかつぎ、出店を営んだ香具師の寄合集団が前身だという。それが時を重ねる中で現在のようなヤクザ組織の様相を呈するようになった、と本庄は語る。
「俗に『火事と喧嘩は江戸の華』って言われとるように、そらぁもう、江戸は荒くれ者が多い町やった。浅草かて例外とちゃう。特に祭りともなったら皆、気持ちが大きなるさかい、必然的に揉め事も増える。神輿の見物客同士でしばき合うやら、出店の並び順をめぐって小競り合いになるやら。で、そんな時に活躍したんが岸根組や」
客同士のトラブルを仲裁し、場合によっては暴力を用いて両者を成敗する。そうした“祭りの治安維持”を岸根組が担い始めたのが1820年代で、当時は十一代将軍・徳川家斉の治世。いわゆる化政文化が花開いていた頃だ。
「その頃は幕府も台所事情がキツうて、江戸の町を守る人手も足りん状況やったらしゅうてな。南町奉行所がその土地の極道者に刀と名字を与えて、罪人の召し捕りを行わしたのは有名な話やで。岸根組も、そんな中で勢力を強めていったってわけや。せやさかい、東京で代紋を掲げとる組の中じゃあ岸根がいちばん古い」
「中川会よりもか?」
「当たり前やがな。中川が旗揚げしたのは戦後やで。いまの会長が三代目で、襲名してからそんなに日が長いわけでもない」
それに対して、関東岸根組の組長は1998年当時で十二代目。その時点で六代目を数えていた名古屋の煌王会よりも、ずっと古い。言うまでもなく、名門の所帯といえよう。
ただし、構成員の数は大して多くはないようで、話によるとたかだか100人前後。万単位の兵力を誇る中川会、煌王会とはまるで比べ物にならない。戦争になれば忽ち、木っ端微塵に潰されてしまう規模である。
数の上ではあまりにも小さい独立組織の支配地域が、どうして交渉を行うのに適しているのか。疑問を呈した俺に、本庄は耳打ちするかのごとく小声で答えた。
「さっきも言った通り、岸根は他のどの組とも距離を置いとるさかい。中川の直参であるわしにとっても敵やし、煌王の村雨にとっても敵。せやからそのシマに足を踏み入れる以上は、わしも村雨も危険を冒すことになるわけや。『下手すりゃ、岸根の人間に命とられる』っちゅう危険をな」
自分と相手が背負うリスクを等しくする――。
そうすることで互いに公平な条件下で話し合いができるという、本庄なりの配慮だった。
もし、仮に交渉の場が五反田であったなら、村雨は話に乗ってこなかったと思う。何故なら、そこはれっきとした中川会の領地。煌王会系組長の村雨が単身で訪れるには、いささか不都合が過ぎるところであろう。
ちなみに、前日の時点で中川会上層部が横浜侵攻計画の中止を決定しているため、本庄は横浜の地を踏むことができない。それゆえに「中川会領ではなく、なおかつ煌王会の勢力圏でもない」土地として、浅草が選ばれたのである。
説明を聞いた俺は、素直に感服してしまった。
「……あんた、マジで凄ぇな。そこまで考えてたなんて」
「当然やろ。こんくらいの工夫なんざ」
そんな会話を繰り広げているうちに、俺たちは部屋の前へとやって来た。襖右隣の脇の柱には「松の間」と記された看板が、ぶら下がっている。きっと、ここが店の中で最も格式高い場所なのだろう。
(なんか、緊張してきたな)
身震いする俺には目もくれず、仲居の女性が戸の前に跪く。
「失礼いたします。本庄利政様と、そのお連れ様がお見えになりました」
すると、部屋の中からは覚えのある声が聞こえてくる。
「呼び出しておいて、こうも長々と待たせるとは……私も舐められたものだ!!」
紛れもなく、あの男だった。
巷ではオリンピックが話題でございますが、
ちょうど1998年は長野ですね。
涼平君も、TVで日の丸飛行隊を
応援したのでしょうか。
……それはさておいて(笑)。
次回、ついに2人の組長が
激突します!!