やっと帰れる?
「それって……村雨組に!?」
「当り前やがな」
驚きのあまり、言葉を失ってしまった。
前日、たしかに俺は本庄から、横浜へ帰りたいか否かを問われている。それに対し、素直に「帰りたい」と答えた。胸中は複雑であったが、できるだけ誠実な答え方をしたつもりである。
ただし、あくまでも将来的な話だと思っていた。
今すぐにでも帰りたいという願望は、その時の俺の中には最早存在していなかった。前日に山崎から諦めるよう諭されたことも大きいが、やはり情勢が情勢である。
煌王会と中川会の即時開戦は避けられたにせよ、両組織の間に何時、どこで、何が起こってもおかしくはない緊迫感は未だに持続中。今にも燃え上がらんばかりの調子で、火種が燻ぶり続けているのだ。
「いやいや、帰れるわけねぇじゃん……」
山崎が言った通り、これを機に村雨組とはきっぱりと縁を切って本庄組の盃を貰い、いずれ帰国の途につくであろう絢華だけを迎え入れた方が、現時点における最も適切な選択なのではないか。そんな結論に達してしまっていた。
ところが、本庄は平然と言ってのける。
「帰れるに決まってるやんか。宿命なんやし」
まったく理解できない。そのような言い方をされても、まるで頭に入ってこない。そもそも目の前の男は、自分が言っていることの意味を理解しているのだろうか。
大きくため息をつきながら、俺は尋ねた。
「はあ……簡単に言うけどよ。どうやって帰るってんだ?」
「なんや。喜ばへんのか。ずっと戻りたかったとちゃうんかい。手ぇ、叩いて嬉しそうにするもんやと思っとったがのぅ」
「喜ぶも喜ばないも、今の状況で帰れるとは思えねぇんだが」
「手打ちにするんや。なあに、シンプルな話やで」
思わず、素っ頓狂な声が出てしまう。
「は!?」
手打ち――。
これは極道の世界において、和議を結ぶことを意味する用語。相手組織の解散や組長の引退、もしくはシマの割譲など、様々な条件と引き換えに抗争を終結させるのだ。ごく稀に、無条件で行われる場合もあるのだが。
しかし、ここで手打ちを持ち出す理由が分からない。
元を正せば、今回の発端は村雨組の里中が勇み足でカチコミをかけたことにある。交通事故風に喩えるならば、本庄組は9対1の比率で“被害者”であり、立場的にはかなり優位なはず。
「ど、どういうことだよ……」
つい数時間前、単独で横浜を制圧すると表明したばかりではないか。随分と唐突な変わりように、俺は呆然とするしかなかった。しかし、本庄はあっけらかんとした様子で説明をよこしてくる。
「ええか? 手打ちにするっちゅうても、こっちが詫びを入れるわけちゃう。こっちの話を向こうに吞ませるんや。そいつを村雨が受け入れさえすれば、里中の件は水に流したる。で、呑まへんのやったら『さもなくば本格的に戦争やったるぞ!』なんて、ちらつかす」
「その条件が俺のことを許すってことか」
「せや。ま、他にもあるんやけどな」
どうやら、事態の鎮静化をカードに交渉を行うつもりのようだ。しかしながら、俺の疑問は消えなかった。
「でも、上手くいくのか? 簡単にまとまるとは思えねぇよ」
「まとまるやろ。なんぼ残虐魔王いうても、可愛い子分の命を天秤にはかけられへんやろうしのぅ」
里中のことを言っているのだな、と瞬時に悟った。現状、彼は一緒に連れてきた取り巻きの組員と共に、中川会に身柄を拘束されている。かなりハードな拷問を受けたものの、まだ処刑されてはおらず、赤坂の本家屋敷に監禁中。
要求を呑ませるための人質として用いるには、まさしく格好の存在である。
「……なるほどな」
かつて横浜の地で目にした村雨の言動から、彼が子分を慈しむ男だということは明白。自然と、納得がいってしまった。里中の身の安全が保証されるのであれば、俺を組に戻すことも了承せざるを得ないはずだろう。
「たしかに。良い作戦かもしれないな」
「せやろ?」
大きく頷いたこちらの反応に満足した本庄は、揚々と話を続けた。
「実はのう。今日の夜、村雨と会うことになってん。浅草の『馬橋』っちゅう老舗の料亭でな。そこに涼平、お前も連れて行こう思うとる」
「えっ!?」
「あまり大きい声では言われへんのやけど、わしは横浜にもコネがあっての。そいつに頼んで仲立ちしてもろうたんや。幸か不幸か、向こうも青天の霹靂やったみたいで、こっちの誘いにすんなり乗ってきよった。この偶然は活かさなあかん」
またもや、言葉を失ってしまった。
本庄が横浜に人脈を持っていた事実もさることながら、まさかこの日のうちに会う予定だったとは。曰く「村雨との交渉は極秘で、中川会本家に悟られるとまずい」とのことだったが、あまりに急が過ぎる。
思いもしなかった展開に思考が追い付かず、俺はひどく間の抜けた表情をしていたと思う。
「涼平。驚かしてすまんな。せやけど、お前が横浜へ戻るにはこれが最後の機会なんや。いまを逃したら、もう二度と村雨の敷は跨がれへん。惚れた女の所へ帰る、ラストチャンスっちゅうわけや。いろいろ思う所はあるやろうけど、覚悟を決めてくれ。頼む」
「あ、ああ……分かったよ。でも、あんたは良いのか?」
わずかに首を傾げた本庄に、思い切って尋ねてみた。
「俺が横浜へ戻っても。たしか、組の人手が足りないんだったよな。前に言ってたじゃねぇか。『今は1人でも多く兵隊が欲しい』って。そんな時に俺が抜けて……五反田を離れて、マジで大丈夫なのか?」
すると、答えは即座に返ってくる。
「ええに決まってるやろ」
困惑する俺の肩をポンと叩き、彼は言った。
「昨日も話したやんけ。男っちゅうのは、惚れた女のために体張ってこそ値打ちが生まれる生き物やて。兵隊なんか、これからいくらでも集められるわ。お前は、自分のことだけ考えときぃ」
「……」
「まあ、ええわ。わしはこれからちょいと、支度があるさかい。先に事務所へ帰っとれ。7時になったら迎えに来るからの。それまでに用を済ましといてくれ。あ、そうそう。この話はホンマに極秘やからな? 山崎たちにも気取られたらあかんで」
そう言葉を残すと、本庄はどこかへ行ってしまった。1人残された俺は来た道を戻りつつ、先ほどのやり取りを頭の中で再度、考察してみる。やはり、唐突すぎて理解に時間がかかってしまう。
兎にも角にも、雲行きが怪しく思えてならなかった。
いくら本庄が交渉事に長けた策略家だとしても、あの残虐魔王を説き伏せることが、果たして可能なのだろうか。村雨が目先の利益に踊らされるような男でないことは、俺もよく分かっている。
美味しい話を餌として持ちかけ、食いついたところに毒を打ち込む――。
今までに数々の街を手中に収めてシマを広げてきたという、サソリの常套手段。これが村雨相手に通じるのか、否か。考えれば考えるほどに、不安の波がこみ上げてくる。
また、懸念の材料は他にもあった。
本庄は午前中、自らの子分たちを前にして「横浜を制圧し、村雨組を潰す」と宣言した。これでは、先ほど「手打ちする」と俺に対して語った内容と、明確に相反する。
どうするつもりなんだ……?
モヤモヤとした疑念を抱えながらも、俺は事務所へと戻っていった。
次回、あの男が久々に登場!?
いつも応援いただき、
ありがとうございます(∩´∀`)∩
暑い夏ですが、
励みになっております。




