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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第5章 横浜制圧計画
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予想もしなかった展開

 ところが、翌朝。


 いつものように山崎と事務所へ顔を出すと、オフィス内が微妙な空気感に包まれていた。皆、口をぽかんと開けて呆然と佇み、何とも言えない表情をしているではないか。


「……」


 入ってきた若頭の姿にも気づかず、無言で宙を見つめるだけ。そんな彼らの様子に、ただならぬ異変を察知したのか。山崎が問う。


「ん? お前ら、どうした?」


「あっ、カシラ! おはようございます!!」


 ようやく入室を悟った組員たちは、慌てて挨拶をして頭を下げた。冷房がまったく効いておらず、室内が妙に蒸し暑い。そのせいか、彼らは額に汗をかいている。明らかにいつもと違う空気感は、俺にも伝わってきた。


(ああ、これは何かあったな)


 そう心の中で呟いた俺を尻目に、山崎が前波に尋ねる。


「親分は?」


 軽くため息をついた後、前波は声のトーンを落として答えた。


「……本家に呼ばれてます」


 その瞬間、小刻みに頷きながら返事をする。


「あっ、なるほどな。そういうことだったか」


 ヤクザの世界において、二次団体の組長が親組織に朝イチで呼び出しを受けるということは即ち、決して尋常ではない事態の発生を示す。抗争が始まっただの、警察が家宅捜索ガサを入れてきただの、大抵は良からぬ理由であることが多い。


 1ヵ月も本庄組で生活していたので、その辺の事情は嫌というほどに知っていた。


(もしかして……煌王会と戦争になったのか?)


 開戦の前に村雨組単体を計略により叩き潰し、その後で煌王会全体と全面戦争に持ち込む。これが、昨日のミーティングにおける本庄組長の“想定”だったはず。


 一連のプランを実行に移す前に、煌王会の方から先に仕掛けてきたのか。または、急報を知った村雨組長が単身で殴り込みをかけてきたのか。あるいは、どちらにも当てはまらぬ不測中の不測の事態が起こったのか。


 憶測は尽きなかったが、その時点では真相を確かめる術がない。妙な胸騒ぎを覚えつつも、俺は出来るだけ心を落ち着かせ、いつも通りの日課を粛々とこなした。


「……」


 やがて、2時間後。組長がやってきた。


「お前ら、変更や! 計画変更!」


 随行の組員がドアを開けて早々、険しい顔で言い放った本庄。間髪入れずに、彼は居並ぶ俺たちに告げる。


「関西との戦争な、ぜんぶ白紙に戻る事になったわ」


 その重苦しい声は想像よりも深く、俺の脳に突き刺さった。他の連中も同じだったようで、口をあんぐりと開けて唖然としている者が殆どだったと思う。まさに、急展開。


(白紙に戻る? どういうことだ!?)


 まるで、理解できなかった。いったい、何があったというのか。理由わけを尋ねた子分たちに対し、本庄は静かに語り始める。


「どうも、裏で糸を引いてる奴がおったらしいねん」


 曰く、前の晩から未明にかけて、赤坂の中川会本家にて拘束した里中の“取り調べ”が執り行われたとのこと。煌王会との折衝を行うに先立って、彼が握っている村雨組内部の情報を吐かせるためだ。


 如何なる経緯で、五反田を襲撃したのか?


 そこに麻木涼平がいるという事実を何処で、知ったのか?


 襲撃に際して、村雨組長からの指示ないし命令はあったのか?


 他にも、中川の本家としては知りたいことが山ほどあったらしい。彼らにとって里中は、あまりにも都合の良い情報源なのだ。ゆえに、詮議は苛烈さの色を極めた。


 バケツに溜めた水の中に顔を押し込まれるという拷問を受けた彼は、やがてある事実を漏らしたという。


「あいつ、半泣きでゲロしよったわ。『麻木涼平が五反田にいる』っちゅう話は、馴染みの事情通から買うたんやと。そいつが、里中に吹き込んだらしいねん。『麻木は小さなカタギの工務店で働いてて、その屋号名は“本庄総業”』って」


 つまり、間違った情報を鵜呑みにした結果、里中は中川会の直参に手を出してしまったというわけだ。意外な真相に驚く俺たちに、本庄はさらに続ける。


「ちなみに、全部あいつの独断だったそうやで。組長の村雨には、何の説明も報告もせーへんかったと。いま、ちょうど日本に帰ってきてるって話やけどな」


「里中が村雨を庇ってる可能性は?」


「あらへんやろ。人間、窒息死するか否かの瀬戸際で嘘なんかつかれへんって。よほど根性のある奴やったらちゃうかもわからへんけど、あいつは骨なしや。ちょっぴり痛めつけただけで、すぐに組の情報をペラペラ喋りよったさかいな」


「なるほど」


 山崎も、すぐに納得したようだった。


 俺自身、横浜にいた頃に村雨邸で下っ端の組員たちが「ぶっちゃけ、里中の兄貴は大したタマじゃない」と陰口を叩く場面を何度か、見たことがある。ずば抜けた洞察力と観察眼を持つ本庄が言うのだから、きっと間違いはないのだろう。


「せやけど、こっからが問題やねん。里中は、事情通の言葉を信じて五反田の工務店にカチコミかけた。せやけど、実際はヤクザの事務所。それも中川会のとこやった。これが何を意味するか、分かるよな」


「……その事情通とやらが、里中に嘘の情報を教えた?」


「正解や」


 本庄は大きく頷いた。


「なんぼ里中がアホやゆうても、腐っても極道。こっちが中川の直参やと分かっとったら、手は出さんかったはずや。ガキ1人の身柄を押さえる対価としちゃあ、デカすぎるさかいな」


「ええ。奴にとって涼平は確かに憎き相手ですが、それを捕まえるためだけに戦争を起こすなんて。さすがに馬鹿げてる。普通は考えられませんよ」


「せやろ? わしは思うんや。里中にデタラメを吹き込んだ事情通は、それが分かっとって、敢えて偽情報を教えたんちゃうかと」


 その瞬間、山崎がパチンと指を鳴らす。


「あっ! もしかして、警察サツ……!?」


「おう。察しがええのぅ。その通りや」


 嘘の情報を掴ませた、“馴染みの事情通”――。


 本庄によると、その正体は警察官だという。さらにハードな拷問を受けた里中が、すべてを自白したとのこと。


「あいつ、静岡のマル暴と密かに通じとったらしいねん。向こうの刑事の1人が、里中と持ちつ持たれつの間柄でのぅ。組の内情をバラす代わりに捜査の情報を流してもらったりと、それなりに上手くやっとったみたいやわ。まあ、静岡は斯波のお膝元やさかい、行ったり来たりしとるうちに繋がったんやろうな」


「しかし……持ちつ持たれつだったのに、どうして嘘を教えたんでしょうか?」


「その刑事が里中と付き合っとったんは、あくまでも利害の一致。おどれの目的に合ってたからや。わしが思うに今回、そいつは『ここで裏切った方が得がある』て判断したんやろ。こればっかりは本人に直接聞いてみな、どうにもならへんけどな」


 組長と若頭の会話に黙って耳を傾けていた俺だったが、頭の中でピンとくるものがあった。


(あっ! そういえば……!?)


 先月、芹沢が逮捕された際のニュース報道。本来であれば、横浜市内で発生した事件なのだから神奈川県警が捜査すべき案件である。しかし、テレビでは「静岡県警暴力団対策課が逮捕した」と伝えられていたではないか。


 すぐさま本庄に指摘してみると、予想通りの言葉が返ってくる。


「それも、里中の企てやろ。横浜の開科研は村雨組の所有物件やさかいのぅ、中で流血沙汰が起こっても普通は揉み消されてまう。おまけに村雨耀介は、神奈川の県警のお偉いさんとズブズブの関係。あいつらが横浜で何をやらかしても、捜査は形だけしか行われへん。なのに警察が動いたっちゅうことは、誰かが垂れ込んだと考えるのが自然やろ」


 里中が協力関係にある静岡県警の刑事に情報を流し、芹沢を逮捕させた――。


 その時点では本庄の“仮説”に過ぎなかったが、リアリティーは十分すぎるほどにあった。話は続いてゆく。


「里中と警察の癒着は理解できます。しかし……それまでの協力関係を破棄してまで、警察が得たかったメリットとは何でしょうか?」


「ええ質問やな。答えはずばり、抗争の勃発や」


「こ、抗争の勃発?」


「せや。さっきも言うた通り、伊豆には斯波一家の本部がある。中川と煌王のドンパチが始まったら当然、そこも戦場になる。警察としては、願うたり叶うたりやんけ。抗争に関わるヤクザを東も西も関係なく片っ端からとっ捕まえて、自分らの手柄にできるんやさかいな」


 本庄組をカタギの建設会社と誤解するというマヌケな出来事の裏に、まさかこのような陰謀があったとは。山崎同様、俺も愕然としてしまった。にわかには信じ難い話であったからだ。


「少なくとも、中川の本家はそう思っとるみたいやぞ。せやから、今回の横浜の件はいったん、白紙化されることが決まってん。わしとしても、甚だ悔しい話やけどな」


 警察が奸計をめぐらせていると、100%確定したわけではない。だが、可能性が少しでもある以上、中川会本家としても慎重に判断せざるを得ないのだろう。


 関西への侵攻を始めれば、警察の思う壺になるかもしれない――。


 それが当時、関東一円の裏社会を仕切っていた中川会三代目会長・中川なかがわ恒紘つねひろの考えだった。巨大組織のトップとして物事を長い目で見るならば、実に妥当な選択である。


 しかし、一方で現場の人間がすんなりと承服できるかといえば、話は別だ。


「じゃあ、戦争の話は無くなるんですかい?」


「そんな! せっかくのチャンスだったってのに!」


「いくら何でも、急すぎやしませんか?」


 騒ぎ始める組員たち。どうやら皆、これから始まるはずだった抗争を利用し、武名を上げようと考えていたらしい。


「親分。警察がどうだろうと、うちの組が煌王会にカチコミかけられた事実に変わりはねぇんですよ? このまま黙って見てろと言うんですか? このままケジメをつけずに、引き下がるおつもりですか!」


 前波に至っては顔を真っ赤にして、声まで荒げている。いつも冷静沈着な男にしては珍しい姿だが、その気持ちには共感できた。以前、彼はこんなことを言っていたのだ。


 たしか、2人で大井町へ買い物に出かけた時だったか。


『現状、ヒラの組員の中では俺がいちばん長い。と言っても、まだまだ幹部扱いはしてもらえてねぇけどな』


 その時には笑い飛ばしていたが、実際にはとてつもないほどの焦りと、コンプレックスを抱いているはずだ。ゆえに、今回の決定は前波にとって、手柄を立てて出世する機会を奪われたも同然といえよう。


「何とかならないんですか!?」


 拳をギュッと握りしめ、前波はさらに詰め寄る。


「おい、いい加減にしろ。さっき、事情は聞いたろ」


「カシラは悔しくないんですか? 領地シマに土足で踏み込まれて、事務所に弾まで撃ち込まれて……それなりの“返し”をしてやるのが極道ってもんでしょ!」


 怒りを爆発させる前波に対し、どうにかして宥めようとする山崎。そんな2人の言い合いは、本庄の一声によって制された。


「わかった! もうええ!」


 ざわつき始めた室内が、瞬く間に静かになる。


「皆、組のためを思うてくれてるんやな。お前らの気持ちは、わしが一番よう分かっとる。そやさかい、安心せい。わしかて、このまま引き下がろうとは微塵も考えてへん!」


 わずかな間を置いた後、本庄は言った。


「わしらはこれから、横浜を制圧する!」


「し、しかし……戦争は本家に止められたのでは?」


「もちろん、戦争以外のやり方で進めるんや。本家に迷惑をかけへん方法で、あの街を手に入れる。ほんなら、シノギもケジメもどっちも取れるやろ。一石二鳥やないけ」


 困惑する山崎を尻目に、前波たちは歓喜の声を上げる。


「よっしゃあ! そう来なくっちゃ!」


「さすがです!」


「それでこそ俺たちの親分だ!」


 戦争以外のやり方で、横浜を制圧する――。


 とはいえ、どのような手筈があるというのか。つい先日、商店街を潰して大井町を手に入れたように、今期もまた何かしらの謀略をめぐらせるのだろうか。俺には、まるで想像もつかない。


(何を考えてるんだ……?)


 心の中で首を傾げながら、その日は時間が過ぎていった。


 組長が自室に戻った後はトイレ掃除に荷物の整理、来客へのお茶出しと、普段と同じ雑用の仕事再び、静かに片づけていくだけ。特に誰かと必要以上の会話を繰り広げる事も無かったので、あっという間だった。


「……」


 どのくらい、経った頃だろうか。廊下に積み上げられた空の段ボール箱を解体していると、不意に背中をポンと叩かれる。振り返ると、そこには本庄が立っていた。


「おう。ちょいと散歩でも行こか」


「あっ、ああ……」


 手招きして、付いてくるように促す本庄。俺を外へ連れ出す気らしい。作業はまだ途中であったが、彼の命令とあらば、断るわけにはいかない。慌てて立ち上がり、後を追った。


 そんな本庄は事務所を出た瞬間、ボソッと呟く。


「何や、どんよりしとるのう」


 この日の品川区の天気は、曇り。彼が新聞で読んだ予報では快晴だったが、どうも外れてしまったようだ。野外で何かする予定だったのか。モノクロームの空に不満げな表情を浮かべながら、組長は足早に歩いて行った。


 遅れぬよう、こちらも歩みを進める。


 事務所前の細い路地を東に進み、差し掛かったT字路を左に曲がって大通りへと出た俺たち。住宅街の閑静な雰囲気は、気づけば多くの車が行き交う賑やかさへと変わっていた。


「どこへ向かってるんだ?」


 ふと行き先が気になり、前を歩く本庄に尋ねてみる。しかし、返ってきたのは思いがけない言葉だった。


「……涼平。これから、お前を元居た場所へ戻す」


「えっ!?」


 驚きと当惑が入り混じり、俺は言葉を失ってしまう。そんなこちらの様子にはお構いなしで、本庄はさらなる言葉を紡いでくる。


「帰る時が来たんやで……村雨組へ」


 俺の運命が、大きく動き出そうとしていた。

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