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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第2章 ふたりの異端者
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朝食後の不意討ち

 翌朝。


 俺の肩はひどく重かった。前の番に組長と話し込んだ疲れが、どうも抜けなかったのだ。やはり、緊張というものは体に悪いらしい。


 あちこちが痛い。まさに、最低の寝起きだ。出来る事なら、このまま布団にくるまって眠っていたいが、そうもいかない。トランシーバーの呼び出し音が響く。発信の主は無論、絢華。さっさと部屋まで来いという。


「わかったよ。いま、行くから」


「早く来なさい。1分以内に」


 人使いの荒い女である。だが俺は、自然と嫌な感情はおぼえなかった。おぼえなくなっていた、と書いた方が適切だろうか。昨夜、あの父娘の事情を知ってしまったからだと思う。俺が想像していたよりもずっと、絢華は壮絶で重苦しい過去を抱えている。ならば支えになってやろう、と柄にもない事を考え始めていた自分がいた。


(さて、行くか)


 俺は起き上がると、大きくの伸びをしてから歩き出した。部屋を出てからは、移動と同時に軽くストレッチもした。すると、どういうわけか全身の疲れがみるみるうちに解れていく。


 昔からそうだ。多人数を相手に喧嘩してきた夕暮れ時も、初めて路上強盗をやらかした夜も、俺の肉体の回復は早かった。ある意味、特異体質なのではないかと思った日もあったが、実際の所は「若さゆえの特権」なのだろう。それが年齢を重ねて来れば、だんだんと疲れが消えにくくなるものだ。


(まったく……嫌だねぇ……歳を取るってのは)


 そんなことを考えながら、俺は絢華の部屋にたどり着いた。


「遅いわよ。あなたって、いつもトロいのね。ほら、さっさと起こしてちょうだい!!」


 文句を言われたが意に介さず、俺は絢華を車椅子に移して洗面所へ向かい、顔を洗わせてやった。


「なあ。今日から親父さん、名古屋に行くって知ってるか?」


「……知ってるわよ」


「そっか」


「秋元から聞いたわ。何でも、本家からの呼び出しみたいね。ご苦労様なこと」


 絢華が少しずつ、俺に口を開くようになってきた。昨日まではこちらが話しかけても、殆ど無言。ちょっとの相槌が返って来れば、良い方であった。


 口だけでなく、心も開いてくれれば良い――。


 最も、それにはもう暫く時間がかかりそうなのだが。


「おはようございます。麻木君、代わりましょうか」


 やがて、やって来た秋元とバトンタッチする。彼女が、絢華の車椅子のハンドルを秋元がしっかり掴んだのを確認した俺は、そのまま台所へと向かった。腹を満たすためでもあったが、目的はもう1つあった。


「なかなか、美味いじゃん」


 俺が膳に乗せたのは、鯖の塩焼きにアサリと豆腐の味噌汁。そして、キュウリとナズナの和え物である。皮がパリパリになるまで焼いたサバは、噛んだ瞬間に香ばしい塩味が口いっぱいに広がるコック自慢の一品。ほどよく焦げ目のついた色合いが、食欲をそそる上質な日本料理だ。


 じっくりと丁寧に煮込まれた味噌汁にはアサリが浮かんでおり、こちらも香りと風味が絶妙。また、副菜は作った本人曰く「サラダ」ではなく「和え物」らしい。食べる前に何度も、何度も強調された。普段は無口なコックが饒舌になるくらいだから、よほど重要な事項なのだろう。


 しかし、2階に上がって部屋を開けて、絢華に膳を出す頃にはその説明の内容をすっかりと忘れてしまっていて「これ、めっちゃ美味いよ。絢華も食ってみ?」としか紹介出来なかった。いま考えると、ちょっと申し訳ない気持ちになってくる。


 ところが、さらに申し訳ないのは皿に盛られた料理を見た絢華のリアクションだった。


「魚は苦手」


「……そう言わず、まずは食ってみろよ。脂が乗ってて最高だぜ」


「嫌いなものは嫌いなの。っていうか、脂って何よ? 私が喜ぶとでも思った?」


 この娘は、とにかく否定しなければ気が済まないのだろうか。食わず嫌いな性分であることは秋元から聞かされていたが、どうにかして絢華に食べてもらいたかった俺は一計を案じた。


「わかったよ。だったら、俺が食っちまうからな? めっちゃ美味いのに勿体ない奴だなぁ、お前は」


 箸でサバをひと切れ挟んで持ち上げ、絢華の目の前でわざとらしく見せびらかした。同時に、息を吹きかけて冷ます。


「……」


 一連の動作を前にして、絢華が口を開けたその時。


「ほらっ!」


 彼女の口の中に突っ込む。焼き上がってから時間は経っていないが、充分に冷ましてあるので問題は無い。


「ん!?」


 直後、もぐもぐと口を動かしたかと思うと絢華は俺から箸をもぎ取って、一心不乱に白飯と、サバの塩焼きを食べ尽くした。


「……美味しい」


 ついでに味噌汁と和え物もきれいさっぱり完食すると、大きく息をついて腹を膨らませた。満足そうな表情を見て、俺はさらに言葉を投げかける。


「最高だったろ。ひと口も食べねぇのに『嫌い』って言ってたら、こんなに美味いもんにはありつけないんだぜ?」


「……うん」


 絢華の体には、肉がついていなかった。薬しか摂らない日もあるほど、普段から少食らしいのだが、それには本人の食わず嫌いも関係しているのだろう。昔も今も、女性は極度に細いよりかは適度に肉がついていた方が魅力的だし、健康的だ。


「せっかく、ほら。村雨邸ここには、腕のいい料理人がいるんだからよ。ちゃんと飯を食った方が良いぜ?」


 初めて他人の健康を気遣った自分に驚きながらも、俺は続けた。


「きっと、今日の晩飯も美味いぞ。そうだ。夜は1階で食ってみないか?」


「……考えておくわ。今日はお父様もいないし」


 その日、俺の日課はいつもと違った。


 前日どおり溜まった洗濯物を洗濯槽に放り込んだ後は、下っ端組員に混じって屋敷の門前の掃除。終わったら息つく暇も無く、今度は中庭の手入れをこなす。すべては芹沢の命令だった。彼曰く、秋元も承諾済みだという。


(どういうことだ……?)


 そんな疑問を抱きつつも、とりあえず作業に集中する俺。ホウキで枯れ葉を掃く傍らには、廣田がいた。彼を見るのは初めてでは無かったが、この時間帯に遭遇するのわ珍しい。わずかな合間を見つけて、話しかけてみた。


「なあ、いつもこんな事やってんのか?」


「……黙って働けや。口を動かす前に、手を動かせ」


 そっぽを向いた廣田は、どこかへ行ってしまう。俺は首を傾げた。この前の出来事を彼が未だ、根に持っているのかとも思ったが、それについては昨日、彼の口から「許してやる」と言われている。


(いったい、何だっていうんだ……?)


 昨日までとは違う仕事内容に戸惑いを感じながらも、俺は言いつけられた通りに中庭を掃除した。そして、集めた枯れ葉をビニール袋に詰め終えた時。


「!?」


 7人の男が、こちらへと駆け寄ってきた。そのうち4人は、武器を携えている。


 ナイフ、金属バット、ゴルフクラブ、そして日本刀。どれほどの威力があるかは分からなかったが、男たちの攻撃的な視線からして、俺に危害を加えるつもりで持ってきた事は一瞬で察した。さらに言えば、彼らの顔には見覚えがあった。


「お前ら、こないだの……!」


 すると、中央に居たリーダーらしき角刈りの男がこちらに刃を突きつけながら言った。


「よう、 1週間ぶりだな! 麻木涼平クン!」


 彼らは村雨組の組員。エクスタシーの件でクラブに居た高坂を襲撃し、その後、フェアリーズへ直談判に行った際にも襲ってきた連中である。1度、拳を交えている人間の顔を忘れるわけが無かった。


「何の用だ?」


「こないだはよくも、俺らをあんな目に遭わせてくれたなぁ。今から、その“お礼”をしようと思ってよ」


 すなわち、殴られた復讐がしたいのだろう。俺が逃げられないよう、ぐるりと周りを取り囲んだ男たち。中には今にも殴りかかってきそうな勢いの者もいたが、それを両脇の者がグッと制止していた。


「……どけよ。掃除の邪魔だ。これから、ゴミを捨てに行かなきゃならねぇんだ」


「先に邪魔をしたのはテメェの方だろ」


「ああ?」


 敢えてとぼけてみせた、こちらの態度が癪にさわったのか。角刈りの男は声を荒げた。


「シノギの邪魔をしたのは、テメェだろって言ってんだよ!!」


 さすがはヤクザ。その猛烈な怒鳴り声は、耳にキーンと突き刺さってくるようなインパクトを備えていた。


(やっぱ本職の人間は、啖呵の切り方が上手なんだな)


 だが、臆することはない。俺は冷ややかに反論する。


「フッ、何がシノギだ。お前らが組長に隠れて、コソコソ小遣い稼ぎしてただけの事だろうが」


「うるせぇ! テメェのせいで……俺たちは破門になっちまった。ケジメもつけさせられたしよぉ!!」


 そう言って、角刈りの男は自らの左手を俺に見せつけた。


(うわっ、マジかよ……)


 小指が無くなっていたのだ。先端が明らかに、欠けている。一瞬、ギョッとした。


 指を詰めさせられたか――。


 極道の世界には、“指詰め”という責任の取り方がある。ノミや包丁などをを第一関節にあてて、上から力入れてズパッと切る。


 事業に失敗して、組に損失を与えた時。与えられた任務をやり遂げられなかった時。そして、何らかの原因で親分の不興を買ってしまった時などに「許してもらう」ために、己の指を切断して組長に渡すのだ。


 これで、いちおう“ケジメ”を付けたことになる。ただ、しでかした不始末の内容いかんによっては許してもらえぬ場合もあり、指を詰めた後で、組織からの追放 = 破門になる事例も決して少なくない。


 親父がヤクザだったので、俺は指詰めの文化を知っていた。また、それが何を意味するのかも頭の中に知識としてあった。目の前の男たちの左手をよく見てみると、全員の小指が欠けているではないか。


(なるほど。コイツらは、お許しが出なかったというわけか)


 組の名前を勝手に使い、親分に無断で麻薬の密売に手を出していたのだから、当然といえば当然である。まさに、自業自得だ。ところが角刈りの男は、そうは思っていなかったようである。


「テメェのせいで、俺たちはすべてを失っちまった。今まで苦労して築き上げたモン、すべてだ……この痛みがテメェには分かるか? ああ!?」


 彼らの組での立場が、どのようなものだったかは分からない。エクスタシーの件が起こる以前の実績も、知ったことではない。伝わってくるのは、悲壮感だけ。きっと自分も似た立場になったら、嘆くしかないだろう。復讐心を滾らせるはずだ。ただ、同情はしなかった。


「……分からねぇな」


「んだと!?」


「そうなったのは全部、お前らが招いた結果じゃねぇか」


 ギョッと目を見開いた連中に、俺はさらに言ってやった。


「全部、お前らの自己責任だよ。虫けら野郎どもが」


 己の言葉が、火に油を注ぐ結果になってしまうことは承知していた。しかし、相手の怒りを前に縮み上がってしまうほど、俺は軟弱者ではないし、臆病でもない。言いたいことを我慢して生き延びるよりは、すべてをぶちまけた挙句、殺された方がマシというものだ。少なくとも、当時はそう思っていた。


「て、テメェ!!」


 連中の反応は、予想通りだった。


「もう我慢の限界だ。今日は組長も居ない。俺たちの破門と指の代償ツケ、今からたっぷり払ってもらおうじゃねぇか! 」


「……かかってこいよ」


「死ねやぁ! アサギーッ!!」


 角刈りの男の合図で、彼らは一斉に襲い掛かってきた。

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