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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第2章 ふたりの異端者
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喧嘩必勝作法

「オラァーッ!!」


 怒声を上げ、武器を振りかざして向かってくる男たち。


 一方で、こちらは丸腰。数多い敵方に対して、棒切れの1本も持ってはいない。まさに、絶体絶命の状況である。しかし、俺に勝算が全く無いわけではなかった。俺は正面にいた者に狙いを定めると、その場で軽く跳躍して助走をつけて突進。ラグビーやアメフトにおける“タックル”の要領で、腹部めがけて強烈な体当たりをぶちかました。


 たまらず、その場に倒れ込む相手。


「うおっ!?」


 テイクダウンを奪った俺はすかさず、男の顔面のちょうど真ん中、鼻のあたりを狙って右のストレートパンチを叩き込む。


 ――バキッ!!


 マウントポジションからの打撃。総合格闘技の世界であれば、体勢を維持したままK.Oを狙って連続で殴り続けるところだが生憎、ここはMMAのリングではない。


 顔面への拳撃を受け、男は白眼をむいた。相手の失神を素早く視認した俺は、即座に腰を上げて馬乗り姿勢を解く。そして、彼の頭の右上に転がっていた物を掴むと、へその前で握りしめて構えて見せた。俗に言う“中段の構え”である。


「やるじゃねぇか」


 一瞬のうちに俺に武器を取られた挙句、強烈な顔面パンチを食らって失神した仲間を尻目に、角刈りの男はニヤリとしながら呟く。


「だが、それで俺たちを殺《や》れるってのか?」


 俺が構えていたのはバット。


「……やってやるさ」


「こちとら日本刀《カタナ》を持ってるんだぜ?」


「構わねぇよ」


「おいおい、正気かよ! バット1本で何ができるってんだ?」


 俺を嘲笑うがごとく吹き出した男。釣られるように、周りの者たちも笑い出す。


「……」


 たしかに、不利な状況である。日本刀やナイフといった鋭利な刃物を携えた集団相手に、バット1本で対処しなくてはならないのだ。しかし、ここで立ち向かわなくては、俺には死が待っている。集団で徹底的に痛めつけられた挙句、殺されてしまうだろう。無論、日本刀で斬られるなど、まっぴら御免だ。


 やるしかない――。


 覚悟を決めた俺は改めてバットを構え直すと、目の前に立ちはだかる男たちに言った。


「簡単な話だ。全員、まとめて片づけてやる」


「ああ?」


「ぶっ殺してやるって言ってんだよ!!」


 大見得を切り終わる前に、俺の体は動いていた。いちばん前にいた男の左側頭部に、素早く打撃を叩き込んだのである。


 ――バコッ。


 鈍い音がした。1秒遅れで聞こえてきたのは、悲鳴にならない悲鳴。


「ぐへぇぇっ」


 力まかせで放った、強烈なフルスイング。避ける間もなくもろに食らった男は、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。余談だが、その音は俺が幼少期、親父に連れられて行った長瀞《ながとろ》の山中で誤って、ヤモリを踏んづけてしまった時に聞こえた音と似ていた。


 喧嘩で「武器を持った者と丸腰の状態でやり合う際には、まず最初に相手の武器を奪う」というのも、5歳の頃に親父から伝授された喧嘩の必勝作法である。当時は幼心ながらに笑って聞き流していたが、まさか実戦で役に立つ日が来るとは。心の中で亡き父に感謝を述べつつ、俺は男たちに宣言した。


「今から、お前らも……こうなるぜ。頭をグシャグシャにされて無様に死ぬのが、お前らの末路だ。小指を失くした落ち目のチンピラなんか、バット1本で事足りるってんだよ!」


 足元には、俺に殴り倒された男が転がっている。割れてしまったのか。彼の頭部からは鮮やかな血が流れ出し、地面を汚していた。


「ほ、本気で言ってるのか!」


 俺と対峙する角刈り男の声色は、先ほどとは明らかに違っていた。さしずめ、無残な姿と化した同志を目の当たりにして「こいつはただ者ではない」と悟ったのかもしれない。わずかな変化ではあるが、俺は見逃さなかった。


「どうした? ビビッてんのか?」


「うるせぇ!」


「その割には声が裏返ってるけどなぁ……おい、回れ右すんなら今のうちだぞ?」


 両頬を強ばらせて、沈黙する男たち。中庭の空気は、確実に変わっていた。不意討ちを受けて圧倒的に不利だった、つい数分前までとは対照的に、今度は俺が連中を威圧している状況だ。まさに、勝機。


「……」


 一方で彼らは武器を構えたまま、ジッとこちらを睨んだまま硬直している。俺は軽く、煽ってやった。


「おい、何とか言えよ。ガキどもが」


 その瞬間、相手の目元がピクッと動くのを感知した。自分よりも歳下の、それもキャリア的には格下のはずの相手に「ガキ」呼ばわりされて、怒りが沸点を越えたのだろう。地鳴りのような大音声《だいおんじょう》を上げ、刀を振りかざし、正面から切りかかってきた。


「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁーっ!!」


 しかし、こちらとてまんまと斬られてやるわけにはいかない。ひらりと斬撃をかわすと、一瞬の隙を狙う形で、俺はバットの先端部分で勢いよく男の腹部を小突く。


「こっ、この野郎! おい、何をボサッとしてやがる。お前らもやれ! こいつを殺せッ!!」


 思わぬ一撃で腹部に走った痛みに顔を歪めながらも、どうにか残りの仲間たちに発破をかけた角刈り男。そのまま、乱闘が始まってしまった。


 敵方の人数が最初よりも少し減っているので、1対5。構図だけを見れば相手に分があるが、喧嘩は数ではない。一騎当千という成語が示す通り、たとえ独りでも複数を相手にできる力があれば、何ら問題は無いのだ。


 俺は再び、力の限りにバットを振った。まるで、行く手を阻む雑草を刈り取る農耕のトラクターのような勢いであった。獣に例えるならば、獲物を眼中に捉えた豹か。


「うぐぁっ!!」


 バットが直撃したのは、ひょろりとした体型の組員の顔。彼はゴルフのドライバーを手に持っており、それをちょうど、俺の頭上に振り下ろそうとしていたところであった。


 あぶねぇ……。


 言うまでもなく、間一髪。もしも奴の打撃が俺の頭に当たっていたら、きっと一撃で倒れてしまっていたはずだ。相手の凶器が重かったのが、幸いした。ゴルフクラブの中でもドライバーは質量があり、振り回しにくい。


 痩せ型で非力な体格なら、なおさら扱いづらいだろう。何故、俺への襲撃にあれを選んだのかは分からないが、口から血を噴き出して倒れていた彼が、センスの無い奴だったことは明白である。


「オラァッ!」


 直後、両脇から2人の組員が俺の腕を掴もうと飛び掛かってきたが、俺は彼らを軽くいなし、思いっきり投げ飛ばした。


 ――ドサッ。


 体重が思いのほか軽かったせいか、簡単に飛んでしまった。倒れた2人の顔面に、それぞれバットを叩き込んでおくのを俺は忘れない。


「ぐはっ!!」


「ぐあ!!」


 ところが、その行為が隙を作ってしまったようである。前方から、ナイフを構えた男がこちらに向かってくるではないか。


「もらったああああ!」


 ナイフを握ったその目は大きく見開いており、完全に血走っているのが分かる。


 狂ってんな……!


 されど、俺は冷静だった。走ってくる男の手元を狙って、全力でバットを叩きつけてやった。


 ――バキッ!


 その瞬間、非常に鈍い触り心地がバットの柄を通して、俺の手に伝わった。ほんのわずかであったが、確かに感じることが出来た。おそらくは骨にひびが入って、砕けたのだろう。ふと相手の方を見れば、彼は真っ赤に変色した右手の甲を左手で押さえて、うずくまっていた。


「い、痛ぇ……」


 ナイフは既に、手から離れている。


 俺はそれを蹴って遠くにどかすと、かがんだ姿勢で苦痛に喘ぐ彼の後頭部に、バットを力強く振り下ろす。


 ――ドンッ!!


 またもや、鈍い音がした。


「うっ……うううう……」


 情けない声を上げて、男はその場に突っ伏した。後頭部からは堰を切ったように、大量の血が流れ出てくる。紛れもなくノックアウト。俺の勝利だった。


「さて。次は、お前か?」


 俺はバットを構え直し、角刈りの男の方を向いた。


「麻木涼平……まさかテメェが……ここまでやるとはなァ」


 その言葉と共に立ち上がって体勢を整えた彼は、刀を強く握りしめ、俺に向ける。無機質な金属音がカチャリ、と聞こえた。


「……」


 片手で刃を水平に突きつける男と、両手でバットを構える俺。距離感を保ちながら、互いにけん制するように睨みあい、その場は束の間の静寂に包まれた。自然音だけが耳に入り、一切の余計な音が排除された中庭。このまま、ゆったりとした時間に身を任せられるなら、誰もがそうするであろう。


 しかし、今は戦いの最中。一定の冷静さを堅持しつつも、喧嘩のアドレナリンで興奮状態にあった俺の心は激しく昂ぶっていた。ただ、目の前の角刈り男を倒す。その刹那的な願望だけが、思考を支配していく。


 どうやって挑みかかるか、相手の攻撃をどうやって凌ぐか、それとも避けるか。高揚感と緊張で胸がいっぱいになった時、相手が口を開いた。


「俺はよぉ……死んでも許せねぇんだよ。あの時、テメェが大人しく高坂を引き渡してりゃ……組長のところに殴り込んで来なけりゃ、こうはならなかったんだ! 余計なことしやがって!!」


 小指を失った挙句、破門になったのがそんなに悔しいのか。最初は単なる負け惜しみにしか聞こえなかったが、じっと聞いていると、それだけではないようである。


「俺にはカミさんがいてなぁ……どうしようもねぇ半端者だった俺を愛してくれて、寄り添ってくれた、たったひとりの女だ。再来月には、ガキも生まれるところだってのに……テメェのせいで、無職になっちまった!」


 要は俺の行動が原因で収入減を失った、と言いたいのだろう。哀れみの余地はあったが所詮、こちらの知った事では無い。俺は鼻で笑った。


「フッ。だから、何だってんだよ。同情して欲しいのか?」


 すると、首を大きく横に振る男。


「いらねぇよ、そんなもん。いま欲しているのは……ただ1つだけだ」


「ん?」


 男は刀にもう片方の手を添え、しっかりと持つと、剣先を水平よりも少し下げた位置までずらした。中学生の頃、保健体育の武道の授業中にクラスメイトがああいう構え方をしていたのを覚えている。たしか「下段の構え」だったか。


 もしかしてこいつ、剣道やってたのか――だとすると、目の前の角刈り男は、かなり強い腕を持っている事になる。もしかして、先ほどまでは手を抜いて油断していたのだろうか。


 バットの持ち手に込める力が、自然と強くなった俺。すると、殺気に満ちた声が耳に飛び込んでくる。


「欲しいのは……欲しいのは……」


 俺は、ゴクリと唾を飲み込む。


「テメェの首だーっ!!」


 こちらが驚く間もなく、男は間合いを一気に詰めると、剣を下から斜めに切り上げてきた。


「いい加減にくたばりやがれーっ! アサギィィィィ!!」


 その瞬間、俺は無我夢中でバットを振り下ろした。

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