第七章 妖怪王国食糧事情(三)
三週間後、夜遅くにクマールから電話があった。
クマールが沈んだ声で話す。
「ちょっと、まずいことになりました」
「何だ? 税関で摘発されたんですか?」
「違います。税関を通る前の話です」
「なら、何が問題なんです」
「船が港に着いたところまでは確認できたのですが、そこから連絡が途絶えました」
「おいおい、それは、まずいでしょう。船のは何て名前ですか」
「お肉を積んでいた船はパナマ丸です。船員の代わりの人間の派遣はできますが、もし何かトラブルを抱えていた場合は、対処できる人間は、すぐに派遣できません」
「しかたないな。ちょっと見に行ってあげますよ」
「まことにすいません。船で何が起きているか確認できたら、教えてください」
一人では対処できなかった場合を考えて、八咫さんか翡翠を連れていこうと思った。
別棟シェルターの管理室に電話をすると、説教童子が出た。
「翡翠か八咫さんは、いないか?」
「翡翠は妖怪の登用で、八咫は野暮用とかで、外に出ている」
「そうか。なら、お前は動けるか?」
「手なら空いている。ここでこうして待機しているのも飽きてきたところだ」
「人肉を積んだ船のパナマ丸が、港で連絡を絶った。調べにいかなければいけない。おそらく、何かトラブルを抱えている」
「肉の件に関しては、他人事じゃないな。鬼にとっては重要な問題だ。俺が一緒に行く」
「なら、迎えにいくから、シェルター前で待っていろ」
説教童子を乗せて夜の闇を飛び、苫小牧港に向かう。夜の港は人気がなかった。
道路を滑走路代わりに使う。透明になった戦闘機から、神宮寺と説教童子は降りた。
戦闘機はすぐに空に戻し、透明にした状態で、空中を低速で旋回させる。
夜の港は暗く、また船が何隻も停泊しているので、パナマ丸を捜すのは一苦労に思えた。
「これは、船を見つけるだけでも大変だな」
説教童子が遠見をするように軽く手を額に当て、ゆっくりと首を横に振る。
「あったぞ。パナマ丸だ」
説教童子が駆け出したので、従いて行く。
パナマ丸と船体に名前がある、全長百六十mの白い船があった。
「お前、よく、こんな暗い中で船名が見えたな」
説教童子は暗い笑みを浮べて簡単に話す
「鬼は夜目が利く。それに、これくらいできないと、京都や東京の奴らに簡単に狩られる」
「命懸けで身に付けた芸といったところか」
「そんなところだ」
船の横に着いていた階段を上がって、甲板に下り立つ。甲板から、中に入る扉を手に掛けると、ドアに鍵が掛かっていた。
魔法で鍵を壊そうとすると、むすっとした顔で説教童子が声を掛ける。
「そんな乱暴な真似はしなくても、いいだろう。俺が開ける」
「鍵を開けまでできるのか?」
説教童子が鍵の部分に軽く触れて指を動かすと、ドアが開いた。
(よくわからんが、これも鬼の能力の一つか)
「何だ、随分と慣れているな」
説教童子は素っ気なく答える。
「鍵の一つも開けられないと、隠れる時に苦労するんでね」
船内は明かりが点いていた。
操舵室に行くが、誰もいなかった。船室にも船長室にも、人がいなかった。
「おかしいな。誰もいないぞ」
説教童子が険しい顔で告げる。
「用心が必要だ。微かだが、同族の気配がする」
「船内に鬼が潜んでいるのか?」
説教童子は天井を見上げた。
「いや、船内には、いない。いるとしたら、屋根の上だ」
上空に待機している本体のカメラでパナマ丸を写すと、船尾の屋根の上に張り付く人影があった。
「お前の言う通りだ。船の屋根の上に張り付いている人型の存在がいる」
「やはりか。そいつ鬼だな」
「上にいる鬼が船員を始末したと見ていいだろう」
説教童子が顔を顰めて尋ねる。
「どうする、殺すのか?」
「状況によりけりだな。話ができるようなら、言い訳ぐらいは聞いてもいいぞ」
「俺も、できることなら殺したくはないさ」
「相手は一人だ。挟み撃ちにするぞ。俺が十分後に正面から行く。説教童子は時間を置いて、船の後ろから来てくれ」
「わかった」と説教童子は了承したので、一度、船内から甲板に戻る。
上空からの視界があるのでわかるが、人影は船の屋根を中央に移動していた。
(俺が一人で外に出てきたので、気が付いたか)
神宮寺は気付かない振りをして、屋根へと続く梯子の前に移動する。
人影は梯子の手前に移動して神宮寺を不意打ちするつもりだった。
神宮寺は素知らぬ振りをして、梯子をゆっくりと上がる。
屋根の上に首が出ると、頭部に強力な打撃を受けた。頭蓋骨が割れる音がし、手から力が抜けて、神宮寺の体は下に落下した。
相手の姿が一瞬だが見えた。相手は鬼女だった。鬼女の年齢は三十歳くらい、黒髪を後ろで纏め、褐色の肌をしていた。
頭部に受けた傷は重傷だった。神宮寺は本体から『同胞への癒し』の魔法を送って再生を試みる。
ゆっくりだが、頭の傷が回復していく状態が、わかった。神宮寺の耳が屋根の上で動く戦闘音を拾った。
上空からの視界では、説教童子と鬼女が格闘戦を繰り広げている光景が見えた。
(鬼女よりも説教童子の動きがいいな。説教童子一人でも勝てるだろう)
心配無用と思ったので、複製体の治療に専念する。
二分ほどで戦闘音が止む。頭部を治療するのにさらに三分が掛かった。
治療が終わったので、起き上がって屋根に上がる。
屋根では鬼女がへたり込み、説教童子が見下ろしていた。
「ご苦労。片が付いたようだな。それで、どういう状況なんだ?」
説教童子が不機嫌な顔で説明する。
「こいつの名はカーリー。インドから運ばれてきた女が鬼化した存在だ。羅刹女ってやつだ」
「何だ、クマールの奴。肉だけを運んでいればいいものを、鬼まで運んでいたのか」
「クマールは、鬼だとわかって運んでいたわけじゃない」
「どういうことだ?」
説教童子は冴えない顔で事情を語る。
「カーリーは、未解体の死体として運び込まれた」
「死体が鬼になるのは、よくあることなのか?」
「偶にあるのさ。それで、死体はラップに包まれていただけだった。なので、低温だったが鬼化してカーリーの体は徐々に再生していった」
「それで、船が港に着くのを待って、船員を皆殺しにしたのか」
説教童子が暗い顔で神宮寺に判断を仰ぐ。
「ああ、船員の死体は冷凍庫に置いてあるそうだ。それで、どうする、カーリーを殺すか?」
カーリーの体が、ビクッと震える。
「同族は殺したくないんだろう。辺境魔法学校の教えでは死んだものは無価値だ。だが、生きているのなら価値がある」
説教童子が少々意外そうな顔をする。
「船員を殺したカーリーを、クマールに引き渡さなくていいのか?」
「現場には現場の事情がある。トラブル解決に俺の手を借りたクマールには、引き渡す義理も感じない。船員もこんな仕事をしていれば、こういう事態になる覚悟くらいあっただろう」
説教童子は真剣な表情で確認する。
「なら、俺のほうで引き取ってもいいんだな」
「インドまで帰りたいと言われても困る」
「わかった。なら、カーリーは俺の配下に加える」
説教童子が表情を和らげてカーリーに言葉を告げる。
「神宮寺の叔父貴が仲間に加えてもいいと申し出てくれているが、それでいいか?」
カーリーは、こくりと頷いた。
「何だ、カーリーは日本語が話せるのか?」
「カーリーに日本語は話せない。だが、鬼の王である俺には、鬼であれば心を通わせられる」
「そんなものか」
神宮寺はカーリーと説教童子を乗せて辺境魔法学校まで飛んだ。
辺境魔法学校に帰ると、クマールに連絡を入れた。
「商品に鬼が混ざっていた。その鬼に船員は殺されていた。船員は冷凍庫の中だ。早急に対処してくれ」
「船員を殺した鬼は、どうなりました」
「俺のほうで、適当に処分した」
クマールがほっとした声を出す。
「わかりました。肉の搬入は、なるべく遅れないように運びます」
一週間後に人肉は羊の肉として、別棟シェルターに運び込まれた。
人肉は、八咫さんが経営する焼き肉屋やモツ煮込み屋で『極上マトン』の名前で流通する事態になった。




