第五章 魔物は人の内に棲む(五)
辺境魔法学校に着いたので、葉山さん、八咫さん、翡翠を降ろして、私室に連れてゆく。
「葉山さんと翡翠は、ここで待っていてくれ。八咫さんは一緒に来てくれ。魔法先生に状況を報告して、了承を貰う」
八咫さんがやんわりした表情で発言する。
「魔法先生に会うんやったら、服はしかたないけど、顔は洗っていきたい。杏奈ちゃん化粧道具を借りてもええ」
葉山さんは複雑な表情で応じる。
「わかりました。八咫様お使いください」
八咫さんは顔だけ洗って、葉山さんに化粧道具を借り、簡単に化粧を直す。
神宮寺は私室から秘書課に電話を架けて、魔法先生の居場所を尋ねた。
魔法先生はサロンでお茶を飲んでいると教えてくれたので、地下三階にあるサロンに出向いた。
(さて、ここからが、一つの山場だぞ。是が非でも了承してもらわないと困る)
サロンの席数は一般席が五十に、幹部用の席が十二。一般席の奥に幹部用の個室があった。
部屋は赤を基調とした色で統一されており、壁にはムンクの画風を真似た大きな抽象画が掛かっている。
魔法先生は赤虎さんとお茶を飲んでいた。魔法先生は八咫さんを見ると露骨に顔を歪めた。
(笑っていいですよ、とはいかないか。赤虎さんと一緒か。赤虎さんが味方にまわってくれればいいが、どうでるかな)
神宮寺は丁寧な口調で切り出す。
「こんにちは、魔法先生。親善試合に勝利した恩賞を貰いに来ました」
魔法先生は八咫さんをじろじろみて苦い顔をして、発言する。
「貢献には報いますが、また、馬鹿に高い褒美を要求される気がしてきましたよ」
「八咫さんを俺の秘書として雇用することをお認めください」
魔法先生は非常に渋い顔をした。
「神宮寺くんは、わかっているんですか。八咫さんは京都の人間ですよ」
「でも、今は違います。先ほど、俺の眼で確認しましたが、八咫さんは京都の僧侶を二十人近く殺して京都を出奔しました」
「八咫さんの格好をみれば、わかりますが。でも、にわかには信じられないですね」
「服を汚している血も京都の僧侶の血です。ですから、問題はないと思います」
八咫さんが笑顔で告げる。
「うちは京都と、もう切れました。これからは、神宮寺さんの秘書として、一緒に京都の独善主義者と戦う所存です」
「京都に多大な貢献してきた貴女が、その京都と戦うってね、何があったんですか」
八咫さんがにこにこした顔で告げる。
「色々あって、京都に愛想が尽きました」
赤虎さんが神宮寺の知らない何かの魔法を発動させた。赤虎さんが微笑んで告げる。
「八咫さんの後ろにいる存在は、マーラーね。マーラーとダレイネザルは、敵対関係にありません。魔法先生、神宮寺さんの申し出を認めては如何でしょうか」
魔法先生は不機嫌な顔で渋った。
「京都と切れたと宣言されてもねえ。昨日まで敵だった京都の八咫さんを、辺境魔法学校に出入りさせるには、抵抗がありますよ」
神宮寺は深々と頭を下げた。
「わかりました。八咫さんの行動には、俺が全責任を持ちます。ですから、雇用を認めてください。なんなら、黄金の心臓を提供した分の恩賞も込みでいいですから、是非にお願いします」
「褒美は私なりに考えていたものがあったんですけど」
赤虎さんが穏やかな顔で告げる。
「先生、褒美はあげたいものより、貰いたいものをあげたほうが喜ばれますわ。神宮寺さんの要望を聞いてあげてはいかかですか」
(赤虎さんは味方か、これは心強い。ひょっとしていけるか)
サロンに入ってくる二十人以上の人間が見えた。集団の先頭には険しい顔の常世田とアズライールがいた。
赤虎さんが涼しい顔で声を掛ける。
「珍しいわね。アズライールさんと常世田さんも、お茶に来たの?」
常世田が険しい顔のまま魔法先生に詰め寄って告げる。
「アズライールさんから、辺境魔法学校に京都の人間が侵入したと警備部に連絡がありました。そうして探していたら、サロンから反応があって来てみれば、まさか、侵入者は京都の八咫とは、驚きです」
(ほんとうに、常世田は来てほしくない時に来るな。八咫さんを始末などさせるものか。これは、俺の野望への一歩だ。赤虎さんが味方だ押し切ってやれ)
常世田を見据えて話す。
「常世田さん、アズライールさん、こんにちは。八咫さんは今日から俺の秘書です。今、先生に許可を貰うところです。許可を貰ったら、報告に行こうと思っていました」
アズライールが不機嫌な顔で告げる。
「邪教の手先を学内に招き入れるなんて、正気か神宮寺?」
「勘違いされているようですが、八咫さんは京都と決別しました。今はマーラーの信奉者です」
常世田が真剣な顔をして魔法先生に迫る。
「なにを迷っているんです? 八咫にどれだけ煮え湯を飲まされたと思っているんですか。排除してよろしいですね?」
赤虎さんがにやにやしながら告げる。
「駄目よ、排除しちゃ。ウトナピシュテヌは皆が同格。常世田さんやアズライールさんが、独断で神宮寺さんの秘書を処分したら、大問題よ。ねえ、先生?」
全員の視線が、魔法先生に注ぐ。
魔法先生が苦い表情で口を開く。
「わかりました。神宮寺さんの組織への貢献を認め、八咫さんを秘書としての雇用を認めましょう」
赤虎さんが微笑み、対照的に苦しい顔を常世田とアズライールがする。
魔法先生に向かって再度しっかり頭を下げる。
「ありがとうございます。この神宮寺、八咫さんともども、より組織に貢献していく所存です」
魔法先生は冴えない表情で伝える。
「本当ですよ。期待に応えてくださいね」
魔法先生の決定がすると、常世田が信じられないの顔で意見する。
「その決断は危険です。魔法先生、考え直してください」
アズライールがむすっとした顔で告げる。
「常世田、魔法先生の決定だ。我々は決定には従うべきだ」
アズライールが退出すると、常世田も面白くなさそうな顔をして退出していった。
神宮寺は少しの間を置いてサロンを後にする。私室に戻る傍ら、八咫さんと会話する。
「組織って、貢献できる時に貢献しておくものだな。上手く行ったよ」
「そうやね。でも、神宮寺さんの肝の据わり具合には正直、驚きました」
「常世田やアズライールさんがきた時はちょっと冷りとしましたが、赤虎さんが味方になってくれて助かりました。
八咫さんが微笑み湛えて告げる。
「そうやねえ、赤虎さんには感謝しせんといけんね」
私室で翡翠と八咫さんを待たせて、今度は葉山さんと一緒に私室を出る。
常世田に捉まるとやっかいなので、札幌行きのJRに乗るところまで、葉山さんを送る。
「なんか、忙しない一日だったけど、収穫の多い一日だったよ」
葉山が不安げな顔で語る。
「私は、なんだ、その、まだ心が整理できないよ」
「これからも、思いもかけない事態は、よく起きる。その度に混乱していたら、やっていけないぞ。これからは、そういう時代がやってくるんだ」
「でも、さすがにきょうの成り行きには驚いた。気持ちの整理にも時間がかかる」
「なら、早めに切り替えろ。これは命令だ」
「わかった。早くこの立ち位置に慣れるようにするよ」
神宮寺は葉山さんを送り出すと、電話を月形さんに架ける。
「全て上手くいった。今日、俺は翡翠と八咫さんの二名の強力な仲間を得た。葉山さんにあっては、まだ混乱している様子だから、ケアをよろしく頼むよ」
神宮寺は今日に起きた事件を、簡単に説明した。
「そう、よかったわね。でも、気を付けて、順調な時ほど、落とし穴があるものよ」
「わかっている。全ては俺と世界のためだ」
辺境魔法学校に帰った。その日は、着の身、着のまま辺境魔法学校にやってきた八咫さんのために、学内ネットショップの急ぎ便で、八咫さんの当座の生活に使うものを買っておく。




