第五章 魔物は人の内に棲む(三)
車で移動する最中に、本体に意識を戻して、翡翠に訊く。
「なあ、翡翠。八咫さんたちは、前に勝ったのか?」
翡翠が渋い顔で述べる。
「儂が勝っていたら、空を飛んで逃げたりはせん」
「八咫さんの一行が連絡を絶った。八咫さんがた京都勢に何が起きたんだ?」
翡翠が苦い顔で告げる。
「これは勘だが、八咫は『咎落ち』しとるぞ。『咎落ち』は簡単に言うなら、悪鬼邪心の類に魂を売った状態だ」
「八咫さんが、魂を売った? ちょっと、信じられないな」
翡翠が真剣な顔で語る。
「儂も信じられないが、八咫が『咎落ち』しているなら、不可解な行動に色々と説明が付くんじゃ」
「そうか。八咫さんが『咎落ち』ねえ。これはチャンスかもしれないな」
翡翠が冴えない表情で訊く。
「御大将よ。何を考えているんだ?」
「翡翠の読み通りなら、八咫さんは京都に戻れない。なら、俺が引き取る、いい機会だ。八咫さんほどの実力者なら、是非とも家臣に加えたい」
翡翠は「全く勧められないぞ」の顔で忠告する。
「御大将よ。やめておけ。『咎落ち』した人間を仲間に加えるなんて、危険もいいところだぞ。何を要求されるか、わからん」
翡翠に止められても、神宮寺は八咫さんを仲間に引き入れるつもりだった。
「でも、こういう機会でもない限り、八咫さんクラスの人間は手に入らない。それに、俺の所属している辺境魔法学校は京都と敵対している。八咫さんも引き込むのに、なんら問題はない」
翡翠は嫌そうな顔をして愚痴る。
「なんか、儂は、仕える人間を間違えたかもしれんのう」
「そんなことはないぞ。お前は、よい決断をした。八咫さんにも良い決断をしてもらおう」
意識を車に戻す。車はほどなくして駐車場に着いた。
車を降りると、龍泉寺の付近は異様なほど静かだった。
葉山さんは、車から降魔剣の入った鞘を取り出して、腰に差す。葉山さんが緊張した顔で告げる。
「気を付けろ、神宮寺。血の臭いがする。中で何か、良くないことが起きている」
神宮寺は寺の上空で本体を待機させて、寺に向かう。
寺の玄関を開けると、玄関に黒い袈裟を着た僧侶の死体が二つ、血を流して転がっていた。廊下に眼をやると、廊下にも死体が転がっていた。
神宮寺は土足のまま、廊下を進んでいく。すると、血を流して死んでいる僧侶の死体を幾つも眼にした。
(おもったより、酷い状態だな。京都勢は全滅したとみていいな)
進むに従って、葉山の顔色が悪くなる。死体のあるほうへと進んでいくと、五十畳ほどの大きな広間に出た。大広間には大きな仏像の前に、十人以上の僧侶の死体があった。
血の臭いが充ちた大広間では、白い着物を着た八咫さんが仏像のほうを向いて座っていた。
緊張した顔で、葉山さんが声を出す。
「八咫様ご無事でしたか。いったい何が?」
どこかに隠れていたのか、大怪我をした生駒が現れ、大声で忠告する。
「気を付けろ、葉山。それは、もう八咫様ではない」
生駒の険しい声に葉山さんが驚く。
八咫さんが、ゆっくりと振り返る。八咫さんは口から血を垂らし、白い着物は真っ赤に汚れていた。
八咫さんが優しい顔で葉山さんを下の名で呼び、語り掛ける。
「杏奈ちゃん、早かったな。こないに早いと、着替える時間がないやろう」
葉山さんは目の前で起きている惨劇に狼狽えていた。
「八咫様。これは、いったいどういう状況ですか?」
八咫さんは優しい顔で語る。
「どうも、こうも、あらへんよ。京都勢は、ここで私を残して、討ち死にや。残った杏奈ちゃんには惨劇の証人になってもらおうと思うた。せやけど、来るのが早すぎや。これなら、うちが僧侶を皆殺しにしたと、ばれてまう」
「葉山さんを俺に付けた目的は、遅れてきた葉山さんを事件の当事者にする。そうして、葉山さんの口から偽りの真相を語らせて、全ての罪を翡翠に被せるためか」
八咫さんが残念そうな顔で淡々と述べる。
「そうです。でも、もう、これで意味がなくなってしもうたな」
「八咫さん。貴女の筋書きは壊れた。なら、俺のシナリオに乗ってもらいたい」
八咫さんは、神宮寺の提案に興味を示した。
「なんや、神宮寺さんも、企みがありましたん。どんな、内容ですか?」
「八咫さん、もう、貴女に京都での居場所はない。なら、俺の下で働いてください」
八咫さんは大きな声で笑った。
「わかっとりますか? うちは、魔法先生の敵や。それを味方に組み入れるなんて、魔法先生が許しません」
「大丈夫です。許可は俺が取ります」
八咫さんは神宮寺を睨みつける。
「うちの心は、どうなります。うちは魔法先生が憎い」
「それも、問題ありません。俺は魔法先生を討つつもりです。そのために俺は力のある人間を求めています。八咫さんも配下に加わってくれれば心強い」
八咫さんが懐疑的な顔をする。
「神宮寺さん。ほんまに魔法先生を討てると思っているんですか?」
「俺なら、できます。是非とも俺の計画に賛同してほしい」
八咫さんが涼しい顔で意見する。
「でも、うちを仲間に引き入れると、京都との関係が悪くなりますえ」
「俺は魔法先生を倒すために、京都と手を組むつもりです。ですが、京都の下に着くつもりは、一切ありません。誰を味方に引き入れるかについては、京都から指図は受けない」
八咫さんが、にこっと微笑む。
「京都の連中に嫌がらせをする意味では、神宮寺さんの手下になるのも、ええかもしれんなあ」
「なら、配下に入ってもらえるのですね?」
八咫さんが理知的な顔で申し出る。
「ただし、条件があります」
「なんですか、聞きましょう。仰ってください」
「うちの体は、マーラーとの契約により、人間のものとは事情が違います。この体は、人間の生きた内臓を必要とします。神宮寺さんは、うちが生きた人間の内臓を食べることに、同意しますか?」
「それなら、問題ない。辺境魔法学校の地下には何千何万の死体を保管しています。ここから内臓を抜いて、お渡しします」
八咫さんが意地の悪い顔をする。
「うちな、食事には拘りわりがあるんよ。新鮮な内臓が食べたい言うたら、どうします。神宮寺さんには、用意できますか?」
「葉山さん、降魔剣を貸してください」
葉山さんは躊躇ったが、降魔剣を抜いて、神宮寺に渡した。
神宮寺は降魔剣を持って、八咫さんの前に進む。八咫さんの前で正座をして、神宮寺は降魔剣で腹を割いた。
神宮寺は痛みに耐えて。脂汗を流しながら、そのまま、肝臓を切り取って差し出した。
八咫さんが真剣な顔をして、血を噴き出す肝臓を受け取る。
神宮寺は『同胞への癒し』で傷を塞いでから、申し出る。
「俺の体は人間のものとは違う。肝臓くらいなら、切り出しても体内で再生を始めます。俺の肝臓を食べてください。俺の肝臓が食べられるなら、新鮮な内臓が欲しくなったときに、俺の肝臓を差し出します」
八咫さんは神宮寺の肝臓を口にすると、血塗れになりながら、肝臓を食べた。
肝臓を食べ終わると、八咫さんは機嫌よく口にする。
「神宮寺さんの肝臓は、人間のものとは味が違う。せやけど、食べられるわ」
「なら、俺と一緒に歩んでください。魔法先生の亡き世を作るために。俺と一緒に生きてください」
八咫さんは素っ気ない態度で、簡単に発言した。
「ええよ。神宮寺さんの配下に加わったる」




