第五章 魔物は人の内に棲む(二)
翡翠は火傷を負った体でよろよろと立ち上がり、四つ足で地面を踏ん張り、戦う姿勢を見せた。
神宮寺は外部スピーカーを使って翡翠に話し掛けた。
「もう、よせ。勝負は着いた。俺の話を聞け」
翡翠は怖い顔をして声を荒げて、威嚇する。
「まだじゃ。儂は、負けておらん。勝負は首が落ちるまで、わからん」
「そうだな。実は俺には、弱点がある」
「何だと?」と翡翠が怪訝な顔をする。
「俺は空の上では帝王だが、離陸と着陸の時が弱い。今なら、お前でも勝てるかもしれない」
翡翠が警戒した顔で尋ねる。
「なぜ、今になって儂に、そんな弱点を教える」
「俺の話を聞いてほしいからだ。いつ殺されるかと怯えている相手とは、話にはならんだろう」
翡翠が怒った顔で、きっぱりと述べる。
「儂はお前は恐れたりしない」
「なら、話を聞くのだな」
翡翠の態度が軟化した。
「それは、そうだな。よし、聞くだけ、聞いてやろう」
「俺に仕えて天下を取る気はないか」
翡翠は、むっとした顔で怒った。
「天下取りだと、お前は馬鹿か!」
「馬鹿なのかもしれん。でも、賢い奴に天下を取れた例があるか」
翡翠は不快の表情を浮べる。
「三成の話を言ってるのか?」
「他人の話など、どうでもよい。俺は、俺の天下を取るために家臣を集めている。俺の話に乗る気がないのなら、ここで死んでもらう。だが、家臣になるなら生かしてやる」
翡翠が神妙な顔で聞く。
「それは、脅しか?」
神宮寺は本心を偽り、翡翠を立てた。
「そう取ってもらって、結構。お前ほどの妖怪に何度も勝てると、俺は慢心してはいない」
翡翠がむすっとした顔で告げる。
「わかった。なら、家臣になってもいい。だが、条件がある」
「何だ? 言ってみろ」
翡翠は挑戦するように顔で言い放った。
「儂は妖怪の大名になりたい。木っ端大名ではない。百万石の大名だ。儂を家臣にしたいのなら、米を百万石、持って来い」
「よし、ちょっと待て」
神宮寺は簡単に計算する。
(学校の授業で、一石が百五十㎏と習った。とすると、百万石は十五万tにもなるぞ)
「米を準備するのはいい。だが、お前は米百万石を貰っても使いきれないだろう」
翡翠が、むきなった顔で、威勢もよく発言する。
「儂が一人で使うわけではない。儂だって家臣がほしい。家臣に払う米が必要だ。さあ、百万石の米を用意しろ」
(俺を困らせて断念させるための発言だな。だが、ここまで強気で主張するなら、米を用意してやれば、仲間になるかもしれん)
「翡翠がどれだけ家臣を召抱える気かは知らないが、米は悪くなるぞ。保管場所はどうする気だ」
百万石の米の保管場所を指摘されると翡翠は弱った顔をする。
「それは、そうじゃな。なら、保管場所も用意してくれ」
米の保管場所には当てがあった。辺境魔法学校の近くには二万人が収容できる別棟シェルターと呼ばれる場所があった。別棟シェルターは核戦争時の米の保管場所として設計されており、米を三年間冷蔵保存できる設備もあった。
(別棟シェルターは全部が完成していない。だが、完成間近だったはず。百万石の二十%、二十万石の冷蔵保存なら行けるか)
「さすがに、百万石の米の置き場所はない。だが、二十万石分ならある。米は年二十万石の五回払いで、どうだ。嫌なら保管場所は翡翠が用意しろ」
翡翠が複雑な表情をして告げる。
「二十万石か。三成の奴もそれくらいの石高じゃったの。二十万石でも有力大名には変わりないか。よし、わかった。儂を召抱えたいのなら、二十万石じゃ。用意できるものなら、二十万石を用意してみろ」
神宮寺は複製体に意識を戻す。
葉山が何か喚いていたが「静かに」と強く言い聞かせて、水天宮先生に電話を架ける。
水天宮先生は手が空いていたのか、すぐに電話に出てくれた。
「神宮寺です。お願いがあるんですが、よろしいでしょうか?」
電話越しでもわかるほど、水天宮先生は機嫌がよかった。
「あら、神宮寺さん。お願いって何かしら? 今は気分がいいから、内容によっては、聞いてあげてもいいわよ」
「なら、米を買ってきてもらえませんかね」
水天宮先生が少々の嫌味を込めて語る。
「私に米を買いにいかせようだなんて、随分と偉くなったものね。でも、いいわよ。これから、街まで買い物にいこうと思っていたところだから。それで、何㎏を買えばいいの。二㎏? 五㎏?」
「二十万石分をお願いします。」
水天宮先生の声が途端に不機嫌になった。
「神宮寺さんは、私を馬鹿にしているのかしら」
「馬鹿になんかしていませんよ。五㎏や十㎏の米なら自分で買いに行きますよ。急遽、二十万石の米が必要になったから、お願いしているんですよ」
「二十万石の米って何㎏になるか、わかっているの? そんな量の米を何に使うのよ」
神宮寺は真剣な口調で頼んだ。
「正確には五年で百万石が必要なったんです。なので、今年の分の二十万石分を早急に集めてください。集めてくれたら、恩に着ますから」
「わかったわよ。いつまでに集めればいいのよ」
「できるだけ、早く。できれば、十日以内に」
水天宮先生が険のある声で了承した。
「いいわよ、やってあげるわよ。でも、これは貸しよ」
「ありがとうございます」と口にして電話を切ると、すぐに意識を本体に戻す。
意識を戻すと、翡翠が怪訝そうな顔をして首を傾げていた。
「米の目処が着いた。二十万石で翡翠を召抱える」
翡翠は怒った顔で意見する。
「二十万石だぞ。そんな簡単に、手に入るわけないだろう!」
神宮寺は、きつい口調で話した。
「それは、家臣のお前が心配する内容ではない。俺は、きちんと米を用意する。だから、お前は俺に従え。俺は約束を守る。次はお前の番だ。俺の城に俸給の米があるか、確認しに来い」
「わかった」と翡翠は、むっとした顔をして了承した。
神宮寺は上部キャノピーを開ける。
「そうか。なら、俺に乗れ。どうせ、小さくもなれるんだろう。俺の城まで送って行く」
翡翠は普通の猫サイズになると、駆け寄ってきて中に乗った。
意識を複製体に戻すと、葉山さんが険しい顔で神宮寺を睨んでいた。
「大変だ、神宮寺。翡翠に八咫様たちが負けた。本部になっている蔵王山の麓にある龍泉寺から、生駒の連絡が途切れた」
葉山さんの言葉の意味を一瞬、取りかねた。
「それは、おかしい。蔵王山方面から翡翠は逃げていた。八咫さんたちが取り逃がしたかもしれないが、負けていないはずだ」
事情を理解していない葉山さんが、怒鳴った。
「どうして、翡翠が逃げたなんてわかるんだ。お前は車の中にいただろう」
「車の中にいたけど、戦っていたんだよ。説明は後でするから、龍泉寺に向かってくれ」




