第三章 名ばかり親善試合(五)
「京都側、中堅、葉山杏奈。前へ」
岳泉が出てこなかったので、京都側は実力順に選手を並べていると予想できた。
葉山さんの身長は身長百七十㎝、年齢は神宮寺と同じくらい。動きやすいクリーム色の麻のシャツにデニムのジーンズを穿いて、スニーカを履いていた。
葉山さんは肩まで伸ばした黒髪を後ろで結わえ、腰には降魔剣を佩いていた。細い眉に意志の強そうな目をして、綺麗な唇をして、アンティーク・ドールのように均整の取れた顔をしている。
葉山さんもまた生駒と同じく、開始線よりだいぶ後ろに構えた。
神宮寺は上空から、『鋼龍の鎧』の魔法を準備しておく。
「始め」の審判の合図で葉山さんは降魔剣を抜いた。降魔剣を構えた葉山さんが、なにやら小さな声で呟く。よく聞こえないが、魔法を詠唱しているのだと思った。
神宮寺は黙って相手の魔法が完成するのを待った。
葉山さんの後ろに光る三面六臂の仏像の姿が透けて見えた。仏像の姿が陽炎のように消えた。葉山さんの姿も消えた。
気配を感知する魔法を発動させようとした。だが、遅かった。
背中から胸にかけて、強い痛みを感じる。心臓の辺りから剣の先が深々と突き出ていた。神宮寺は『鋼龍の鎧』を発動させる。剣が引き抜かれる前に中途半端な形で魔法が発動した。
結果、剣は抜くことも押し込むこともできずに停まった。神宮寺は苦し紛れに、背後にいるであろう葉山さんに、回転するように裏拳を放った。背後に葉山さんがいた。
葉山さんは降魔剣に固執せずに刀を放すと、ステップを踏んで距離を取った。葉山さんが神宮寺の一挙手一投足に注意を払っていた。
「いってえな」正直な感想だった。心臓と肺を貫いた刀は、神宮寺の体を焼くように強い魔力を発していた。
神宮寺は背後に手を回す。『鋼龍の鎧』を部分的に解除し、肉を柔らかくして、剣を引き抜いた。
『同胞への癒』を発動させ、傷を塞ぎながら降魔剣を見る。
降魔剣は美しい輝きを持つ細身の剣だった。剣からは強い魔力を感じた。
(これ、やっかいだな。封じておこう)
神宮寺は片手で剣先を、片手で鍔を持って『金属粘性増加』魔法を降魔剣に発動させる。
降魔剣から神宮寺の魔力に反発する強い力を感じた。だが、神宮寺に複製体の手に力を入れて剣先を押す。
神宮寺がありったけの魔力を送ると、降魔剣に掛かった魔力が音を上げた。
降魔剣は柔らかい粘土棒のように、ぐにゃぐにゃと剣先から曲がってゆく。剣先を鞠状にして剣として使えなくする。
(よし、どうにか魔力を込めたら、曲がったな)
神宮寺は剣としても用をなさなくなった降魔剣の刃の部分を持って、柄の部分を葉山さんに向ける。
「危ないんで、細工をさせてもらいました。ただ、これは高い刀のようなので返しますね」
「返す」と口にしても、葉山さんは降魔剣を取りに進んではこなかった。
葉山さんは、神宮寺をきつく見据えていた。ただ、葉山さんの顔には、恐れと焦りの色が滲んでいた。
葉山さんが腰に下げていた独鈷を構えて、戦う姿勢を見せたところで「それまで」と八咫さんが声が飛ぶ。
葉山さんと審判が八咫さんを見、八咫さんが冷静な顔で告げる。
「心臓を貫かれても死なず、降魔剣を曲げるような人が相手では葉山さんでは敵いません。敗北申請をします」
葉山さんは悔しそうな顔を八咫さんに向けるが、八咫さんは気にしていなかった。
神宮寺は審判に歩み寄った。すると、審判がビクッとした顔して一歩下がる。
神宮寺は柄の部分を差し出して頼む。
「なんか、葉山さん、俺から降魔剣を受け取るのが嫌なようなので、これ、審判から返してもらえますか。俺が貰っても、燃えないゴミにしかならないんで」
「ああ」と審判がおっかなびっくり神宮寺から降魔剣を受け取り、葉山さんに返還する。
「勝者、神宮寺」と主審が緊張の篭った声で発言する。
ダレイネザルは金属を扱う神様の一面がある。金属を扱う神様の使徒たるウトナピシュテヌ相手に金属製品の武器を使っての攻撃は賢い選択肢とは言えない。降魔剣が曲がった理由も、ダレイネザルの加護があったらだ。これが神木から削り出した木剣なら、こうはいかなかった。
(さて、ここからが、本番だ)
次の相手は、生駒や葉山さんとは格も違えば武器も違う。魔力が篭った炎の使い手だ。
ウトナピシュテヌはウトナピシュテヌの心臓を溶かして破壊する『同属殺し』が存在する。魔力の篭った強い炎なら、苦戦するかもしれない。
(俺の本体は高度九百mにいるから、死ぬ心配はないんだけど、こちらから手が出せないからな。次も、物分かりがよくて、勝ちを譲ってくれる相手ならいいんだけど)
京都側の席を見る。葉山さんを慰める生駒の姿が見えた。敵はあと一人。
「京都側、大将、岳泉義経。前へ」
年季の入った黒い僧衣を纏った大柄な髭面の岳泉が立ち上がる。岳泉の年齢は五十代。新人の触れ込みだが、怪しかった。
岳泉が試合場に入る前に、八咫さんに強い調子で頼む。
「八咫様。この岳泉に、情けは無用。死しても、試合を止めてくださるな」
「覚悟はわかりました。京都の意地を見せてやりなさい」
遂にわからず屋が来た。最も来てほしくない人間が来たと苦く思った。
岳泉は開始線に近い位置に陣取って、神宮寺を睨みつける。
「始めの合図」があると岳泉が堂々と前に歩いてくる。
神宮寺は黙って、岳泉が近くに来るのを待った。
神宮寺に手が届く位置に岳泉が来る。岳泉が怖い顔で述べる。
「前の二試合を見せてもらった。やはり、貴殿からは動かぬか。こちらを舐めておるのか」
「どう、戦おうと俺の自由。指図される覚えはなし」
「そうか、なら、これではどうだ」
岳泉は両手で神宮寺の肩を掴む。力は入っていない。岳泉は険しい表情をして、はっきりとした大きな声で真言を唱え始める。岳泉の後ろに憤怒の明王である不動明王が透けて見える。
神宮寺は上空から耐火魔法である『火龍の鎧』を発動させて、複製体に送る。
透けて見える不動明王の眼が、ぎらりと光った。
岳泉が叫ぶ。
「不動明王火炎呪」
神宮の足元から激しい炎が吹き出た。大量の焼けた砂を浴びせられたような熱さが全身を襲う。
(耐火魔法の上から炎を浴びているのに、なんていう熱さだ。体が熔けるようだ)
地面をのたうち、火を消したい衝動に駆られる。でも、気力で押さえる。噴き出る汗はすぐに蒸発する。
岳泉はさらに声を上げて再び真言を唱える。不動妙の背後に見える炎が燃え上がる。
岳泉の力はこんなものではない。まだ熱くなると直感した。体が保てなくなる。
神宮寺は黄金の心臓から湧き出す魔力を複製体にがんがん送って、『火龍の鎧』の耐火能力を上げる。
岳泉は二度で駄目なら、三度。三度で駄目なら四度と、しつこく真言を唱えて炎の勢いを上げて来る。
神宮寺は身を焼かれる暑さに耐える。身悶えしそうになる苦しみにひたすら耐える。
複製体なので死ぬ展開はならない。だが、もし、体の中に黄金の心臓があったなら殺されていたと感じた。
岳泉を見ると、岳泉にしても全力なのか、顔に苦痛が浮かべていた。おそらく、体が耐えられる以上の魔力を不動明王から引き出している。岳泉は死ぬ気で神宮寺を討とうとしている。
命を懸けた我慢比べの様相を呈していた。
「岳泉さん、あんた、強いよ。でも、これは勝負なんだ」
神宮寺は岳泉の心意気を褒めると共に奥の手を使った。神宮寺はジェット燃料からの魔力補給に、手を出した。燃え上がるジェット・エンジンから魔力が溢れるばかりに神宮寺の黄金の心臓に流れ込む。
黄金の心臓に流れる魔力を、どんどん下の複製体に送った。途端に体が涼しくなった。
体験してわかった。不動明王の炎を普通の一般的な耐火魔法では防げない。だが、それは両者の実力が同じ場合だ。
不動明王の力は果てしないものかもしれない。されど、岳泉はただの人間である。どんなに努力しても、不動明王の力を百%は使えない。
対する神宮寺は人間ではなく、人間の限界を超えた存在である。人間を超えた存在プラス魔力補給型ジェット・エンジンの力が加えられれば、岳泉が引き出せる不動明王の力を大きく上回った。
神宮寺は涼しい顔で岳泉に限界が来るのを待った。
岳泉が汗だくになり、膝を突く。体全体で息をする。それでも岳泉は不動明王の真言を唱えた。
十分後、試合終了時間が来て「それまで」の主審の合図が来ても、岳泉はまだ不動明王火炎呪を止めなかった。
神宮寺にとっては意味をなさない威力でも、審判にとっては脅威らしく近づけない。
岳泉の顔には決意があった。
(ああ、この人は、死ぬ気なんだな)
神宮寺は岳泉を殺させないために審判に頼む。
「なんか、このおじさん、必死なんで、声を聞こえていないみたいですね。ただ、勝敗は決めたいので、どっちの勝か、宣言をお願いします」
どちらが勝ったかなど、誰が見ても一目瞭然だった。
主審は他の審判二人を目配せして、諦めた顔をして勝敗を告げる。
「勝者、神宮寺」
勝敗が決した。勝負は終わった。




