第三章 名ばかり親善試合(三)
対抗戦に備えて魔法のレパートリーを増やしておく。生駒の銃弾を無力化するために『気体粘性増加』を学ぶ。
魔力が篭った弾丸にどれほどの効果あるかはわからない。だが、空気密度を変え、粘性を高めてやれば、弾丸は真っ直ぐ飛ばなくなる。しかも、変更後の密度が均一でなければ、曲がり方が出鱈目にランダム化する。
狙いが正確であればあるほど、ズレに苦戦するはずだ。
葉山対策に『金属粘性増加』を覚えておく。葉山の最大の武器が降魔剣にあるのならば、降魔剣を曲げてしまえばいい。こちらも降魔剣にいかほどの魔力が篭っているかわからないが、降魔剣を無力化できれば勝てる。
岳泉対策には対魔法の炎用に『火鼠の防衣』の上位呪文『火龍の鎧』を取っておく。『火龍の鎧』は『鋼龍の鎧』より防御力は落ちるが、耐火能力は『火龍の鎧』のほうが上だった。
不動明王の炎がどの程度まで熱いかわからない。だが、ウトナピシュテヌ用の耐火呪文を覚えるには時間が難しいので妥協でもあった。
京都勢が札幌入りした情報が知らされた。神宮寺は辺境魔法学校から飛び立ち、札幌を目指す。
札幌にある新しくできたビル型の温泉旅館に京都勢は泊まっていた。八咫さんの部屋はわかっていたので、上空から視野を増強して八咫さんの部屋を覗く。
写真で見た八咫さんが、そこにいた。八咫さんは窓際の席に座って窓を開けて涼んでいた。向かい側の席が開いていたので『複製体』の魔法を唱えて、八咫さんの向かいに複製体を作る。
急に何もない空間から男が現れたのだが、八咫さんは驚いた様子はなかった。
八咫さんが窓の外に目を向けたまま、優しく発言する。
「女性の部屋にノックもなく急に現れるとは、行儀の悪い人やねえ」
「辺境魔法学校の神宮寺です。アポイントなしの訪問は詫びますよ。でも、正直に名乗って正面からやってきたら、会ってくれましたか」
八咫さんは気分を害した様子もなく答える。
「頭が固い人ばかりやからな、無理やろうね。そんで用件は、なんですか?」
「こちらの要求は、二つ。一つ、月形弥生の殺害を諦める。一つ、対抗戦では勝ちを譲って欲しい」
八咫さんは柔和な顔で外を見たまま穏やかな調子で述べる。
「たいそうな要求やね。なんで、うちらが遠く北海道まで来たかわかっとりますか? 全勝して、京都の威信を示すと共に、月形弥生の首を取る。それが目的ですわ」
神宮寺は切に頼んだ。
「お亡くなりなった僧侶に関しては残念ながらとしか申し上げられません。でも、強いて言うなら、月形さんの恋人の命を奪わなければ、命までは取られなかったのに、と申しましょうか」
八咫さんがちょっとだけ視線を神宮寺に向けて、やんわりと訊いてくる。
「人ならざるものを討った京都が悪い、と仰りますか?」
「奪うものである以上、奪われる覚悟も必要かと思いますがね。ですが、ここで明日の対抗戦で俺が京都勢の命を取れば、ますます状況は泥沼になります。こちらとしては命を取らないので、これで終わりにしていただきたい」
八咫さんは神宮寺に向き直る。八咫さんは気負わず、肘をついて興味なさそうに話す。
「うちな、正直に言いますと。京都の威信とか、どうでもいいんです。月形弥生の首にも固執しません。亡くなった僧侶かて他人ですわ」
言葉通りなら非常に良い感触だった。うまくいけば神宮寺の案を呑んでくれそうな空気があった。
あまりにも、交渉が上手くいきそうなので、逆に疑いたくなった。
(八咫さんは態度を偽っているのかもしれない。俺も丸め込んで帰すつもりか)
「本当ですか?」
八咫さんは冷たい視線を向けて発言した。
「ただ、仲間を救いたいと願い、敵の懐に飛び込んだ神宮寺さんの覚悟には興味があります。神宮寺さんが戦い傷つく覚悟を見せて欲しい」
八咫さんの言葉は軽くはないと感じた。けれども、八咫さんの提案を了承するなら、場外乱闘にはならないと感じた。京都は負けてもまっすぐに帰ってくれる。
(敵の指揮官は俺の想像と違って柔軟な人間なのか。でも、ここまで物わかりが良いと疑いたくなる。真意は別のところにあるのか)
疑ったが、八咫さんの本心から出た考えなら尊重しない手はない。
「では、俺が戦いで傷ついても、京都の人間に手を出さなければ、手打ちにしてもらえるんですね」
八咫さんは涼しい顔で発言した。
「ええよ。手打ちにしたる」
八咫さんははっきりと承諾の言葉を述べた。
神宮寺が礼の言葉を述べようとする前に、八咫さんが動いた。
八咫さんは右手の中指と人差し指を揃えると、神宮寺の複製体に目掛けて降り下ろす。何をされたかは分からなかったが、体の正中線に鋭い痛みが走った。
立ち上がろうとすると、神宮寺の複製体が左右に分かれた。斬られた、とその時に初めて知った。耳が音声だけを拾う。
緊迫した若い女性の声がした。
「八咫様、大丈夫ですか。侵入者だ。八咫様をお守りしろ」
廊下を走ってくる足音が、いくつも聞こえた。
八咫さんの穏やかな声が響く。
「杏奈ちゃん、心配は要らんよ。もう、片付いた。辺境の人間が挨拶に来ただけや」
真っ二つになった体から熱が伝わる。体が魔力を帯びた炎で焼かれている。そこで、複製体からの情報が途切れた。
(さすがは魔法先生と戦って生き延びてきた猛者だ。油断したつもりはないけど、一瞬で体を両断されて、切断面から焼かれた)
八咫さんは神宮寺と話しながら、葉山杏奈が部屋に近づいてくる気配を察知していた。
(俺との密談を誤魔化すために、俺の複製体を破壊しただけならいいが)
果たして八咫さんは、神宮寺が複製体だと知って両断したのだろうか。もし、複製体だと知らなくてやったのなら、八咫さんに殺意があった状況になる。
(辺境の人間にあっては人ならざる者。だから、殺しても構わない。そう考えて攻撃をした、との見方もできる。どっちだ? 偽者と知っていて破壊したのか? どちらでもいいと思って破壊したのか?)
前者と後者では意味合いが違ってくる。
(謀議は成立したのだろうか?)
もし、八咫さんが真意から「ええよ」と了解したのならば、京都勢に怪我をさせては密談の意味がなくなる。
だが、八咫さんに約束を守る気がないのなら、神宮寺だけが苦しい思いをする。それに、手出しできない神宮寺が敗れるかもしれない。
(八咫さんの真意は、どこにある?)
神宮寺は空を飛び辺境魔法学校に戻る。神宮寺は空の上で、八咫さんの真意を測りかねた。




