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辺境魔法学校  作者: 金暮 銀
【クーデター編】
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第一章 月形事変(五)

 事務所の中は荒れてはいなかった。酒の匂いもしない。ただ、ゴミ箱にはよくわからない薬の空きシートが大量に捨ててあった。


(おいおい、まさか、服薬自殺の最中だったとか、いわないよな。自殺なんて、やめてくれよ、月形さん)


 月形さんの顔を見る。疲れている様子があったが、具合は悪くなさそだった。今にも死にそうといった状況でもない。

(服薬自殺の線は、ないか。まさか、病気なのか)


「どこか具合が悪いところがあるなら、正直に教えて欲しい。市内の医者に診察を拒否されているのなら、俺を頼ってくれ。水天宮さんに頭を下げて、診察してもらえるように頼むから」


 水天宮さんは神宮寺と同じウトナピュテヌであり医学に精通した魔法医だった。神宮寺にライバル意識を持っているが神宮寺から頭を下げれば、診察くらいはしてくれる。


 ダレイネザルの魔導師は普通の人間と違い、健康な者はいない。健康は、十年は掛かる魔法を短期間に修得する代償だった。


 月形さんが事務所の応接セットにあった長ソファーに、体を横たえるような姿勢で座る。

「やっぱり、どこか悪いのかい。今から車を飛ばせして辺境魔法学校に行こうか? こう見えても、俺には部下がいるから、車はすぐに出せるんだよ」


 竜胆には悪いが、月形さんを少しでも楽をさせたい思いがあった。

 月形さんが冷めた顔で椅子を勧める。


「行儀が悪いけど、今はこのほうが落ち着くから。この姿勢を採っただけよ。神宮寺君も座ったら」

 席を勧められたので、向かいの席に腰を下ろした。


 言い訳が口を突いてでた。

「事務所開きの時は、来られなくて御免。俺も卒業後は新しい環境に慣れる必要があって忙しかったんだ」


 月形さんが冷静に構えて発言した。

「神宮寺君、粛清官になったんだってね。おめでとう。事務所開きの時にお祝いを貰ったけど、お返し、まだだったわね。もし、私を殺しに来たのなら、いいわよ。殺しても、お礼代わりに黙って殺されてあげるわ」


 聞きたくない言葉だった。だが、月形さんからある種の(あきら)めとも覚悟とも取れる何かを感じた。

(月形さんが犯した罪は、軽くはないのかもしれない。少なくとも、粛清官がやってくる理由にたるだけの不始末を仕出かした。月形さんは不始末の重みを理解している)


 神宮は唾を飲む。口が渇くような感覚がした。

「お俺は月形さんを守りたい。だから、正直に教えて欲しい。月形さんは、いったいなにをやったの?」


(そうだ、俺は強くなったんだ。もう、学生の頃の神宮寺とは違う。友人の一人くらいは救ってみせる)


 月形さんが素っ気なく発言した。

「人を一人、殺したわ」

(おかしい。呪い屋が人を一人ぐらい殺しても、一回で呪い屋組合から目を付けられたりはしない。相手が同じ呪い屋組合の人間でも、だ)


 職業柄、同じ呪い屋組合の人間が、仕事でぶつかる場合がある。その場合は、組合で調停を持つ。

 だが、どちらか一方が調停を拒否した場合は戦いになる。それでも同じ組合員同士では命まで取り合わないのが慣例だった。殺した場合でも、金で解決するのが普通だった。


「まさか、不殺対象者リストの人間を殺したのか」

 殺人が自由の呪い屋組合でも、殺してはいけない人物がいる。辺境魔法学校と繋がっている権力者だ。

 芽室夫妻も、不殺対象者の道警本部長を殺害したために呪い屋組合を除名されている。


 月形さんが寂しげに微笑んで告げる

「前にも話したわよね。私には、人間ではない恋人がいたって。あれは、本当の恋だった」


 月形さんの話を聞いた覚えがある。月形さんは東京魔法大学の付属校である東京魔法学校の元生徒であり、人間ではない恋人との不純異性交遊が原因で放校になっていた。


 月形さんが悲しみを帯びた顔で語る。

「彼はね、私の目の前で殺されたの。殺した相手は京都寺社魔法学院から東京魔法学校に派遣された僧侶だった。だから、私は、私から恋人を奪った僧侶をロシア人暗殺者を使って殺したのよ」

(普段は感情を表に出さない月形さんが悲しんでいる。よっぽど辛い思い出なんだな)


 告白衝撃だった。だが、呪い屋組合が月形さんを切ろうとした事情は理解した。

 月形さんが殺した僧侶が東京魔大学校に席を持つ京都の僧侶なら、月形さんは東京魔法大学と京都寺社魔法学院を同時に敵に回した。


 二つの大きな組織から呪い屋組合に圧力が掛かった。たかが、一組合員のために二つの組織と敵対したくなかった呪い屋組合は、月形さんを切り捨てようとした。

 されど、他の組合員の手前、圧力が掛かって組合員を始末したで格好が付かない。そこで、神宮寺に殺させ「辺境魔法学校の判断でした」と内向きに公表したかった。


 竹富組合長が卑怯だとは思わない。組合長であればこそ、組合を守らなければならない。

 残念だが、呪い屋組合の組合員より、京都寺社魔法学院や東京魔法学校の組合員のほうが質が高い。辺境魔法学校の支援があれば別だが、そうでないなら、正面からの戦いを避けたい相手だ。


(呪い屋組合ではどうにかならなくても、俺なら、どうにでもできる。どうにかしてやる。そのための力だ)


「事情は、わかった。月形さんが死ぬ必要はない。俺が月形さんを守る。守るから、早まった真似はしないでほしい。俺の動きを待って欲しい。俺がきっとどうにか対処する」


 仲間の時に力を使う時が来たと感じた。あの、かつてした苦い思いを、もうしなくていいと意気込んだ。


 芽室夫妻は殺しておいて月形さんを助ける行為は筋が通らないかもしれない。だが、神宮寺には曲げられない道理があり、譲れない感情があった。

 感情は理屈を曲げる。理屈を曲げるだけために犠牲を払う必要があるのなら、甘んじて払おう。


 月形さんが孤独感も露に語る。

「そう、でも、私も守っても、いいことなんて一つもないわよ。私はただの疫病神よ」


 月形さんの表情を見て、なおのこと守りたいと感じた。

(俺には、月形さんを見捨てられない。見捨てたら蒼井さんや小清水さんに申し訳ない)


 学生時代お世話になったから。共に危険な試練を潜り抜けたから。同窓生だから。

 理由は幾つもある。だが、どの動機も、辺境魔法学校人間なら取るに足らない理由なのもかもしれない。


 理屈を超えた思いが神宮寺の胸にあった。

(もう、失うのは、たくさんだ。俺は過去の俺じゃない)


「疫病神かどうかは、月形さんが決める話じゃない。守りたい俺が決めればいい。俺が女神といえば月形さんは女神なんだよ。俺は俺の価値観で生きる。たとえ、誰になんと非難されようとも」


 月形さんが、ふっと笑う。

「なに、それ? 私を口説いているつもり?」


「どうとってもらっても構わないよ。でも、俺は俺がやりたいようにやる。そのために得た力だと、俺は信じる。俺はもう力のない出席番号十五番ではないんだ」


 月形さんが醒めた顔で確認する。

「神宮寺君は私を守りたいって、本当に思っているの? もし、そうだと言うなら、神宮寺君の本当の気持ち、当ててあげましょうか?」


 月形さんの醒めた顔を見て頭の血が引いていく。

 爆炎魔法でも手榴弾でも恐怖を感じなかった神宮寺だが、月形さんの発する言葉には怖れのような感情を抱いた。


 神宮寺は本心を隠すようにムキになった。

「本当の気持ちってなんだよ。恋とか打算とかじゃないよ。俺は本当に月形さんが心配だから、月形さんを守りたいと思っていんるんだよ」

 話してして焦っていると感じた。なぜ、焦りを感じているのか、わからない。


「違うのよ」と月形さんは冷たい瞳で神宮寺を見据える。

 聞きたくない言葉が出ると予感した。でも、逃げられないと感じた。震えそうになる体を気合いで黙らせる。


 月形さんは澄ました顔で淡々と語る。

「私が女神? 守りたい? 違うわ、神宮寺君は私を大して好きでもないし、守りたいわけでもない。神宮寺くんはね。自分を救いたいのよ」

 神宮寺は言葉を失った。


 月形さんは冷静な顔で言葉を述べる

「神宮寺くんが救いたい対象は、自分なのよ。かって、弱くてなにもできなかった神宮寺くんよ」


 月形さんは辛辣(しんらつ)に言葉を続けた。

「人は過去を変えられない。神宮寺君は力を手にして、強い強いと自分を騙して、過去の自分を(いや)したいのよ。私を救いたいわけじゃない。本当は過去に戻って、弱かった自分を救いたいの」


 本心を言い当てられた気がした。反論のできない言葉に神宮寺は黙る。

 月形さんは、ものの本質を突く時がある。まさに今がそうだと痛感した。月形さんの言葉には思いあたる記憶が多々ある。


 自分の救済が本質なら芽室夫妻を殺害しても気にならず、月形さんを特別扱いする理由もわかる。

 芽室夫妻は神宮寺の過去と繋がりがない。神宮寺の救済に繋がらないから、どうでもよかった。


 対する月形さんは神宮寺の過去と深く関わりがある。月形さんを救う決断は、神宮寺自身の救済になる。

(俺は俺を過去から救いたいだけなのか?)


 手を組んで額に当てる。神宮寺は思案する。月形さんに指摘される言葉を噛み締めると、実感できた。


 その上で、神宮寺は一つの結論を出した。

「月形さんの言葉は当っているよ。でも、それでもいいだろう。俺は俺を救い月形さんも救う。そこにはなんの不利益もない。月形さんは俺の弱さを利用したらいい。ここは、そういう世界だ」


 月形さんはソファーにきちんと座り直して横の席を空ける。

「そう、なら、いいわ。利用させてもらうわ」


 月形さんは微笑む。本当の女神のような微笑だと胸が高鳴った。

(月形さんは俺を救ってくれようとしているのか)


 なにが救済になり、なにが救済にならないのか。誰が誰を救っているのか、わからない。だが、進むべき道は決まった。後戻りはなしだ。


「為したいことを為すがいい」神宮寺の黄金の心臓が語った気がした。

 神宮寺は席を立ち、月形さんの横に座り直す。


 月形さんの事務所で朝を迎えた。月形さんを守る理由はできたと感じた。

 理由が神宮寺の救済のためのものでも、月形さんによる打算でも問題はない。理由ができた事実が大事だった。


(俺は月形さんを殺させはしない。理由は、なんだっていい。今は俺が守りたいから守る。それでいい)

 神宮寺は辺境魔法学校に戻り、月形さんを助けるために活動を開始した。


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