第一章 月形事変(三)
夜になり、円山公園近くにある蟹料理屋で懇親会が開かれた。
呪い屋組合の役員は七名。粛清官室からの主席者は十名。会費は全額、呪い屋組合の負担なので、懇親会というより、内情は接待に近かった。
宴会場に足を運んで席に着いた神宮寺は、なんとなく思う。
(呪い屋組合も、辺境魔法学校と良好な関係を維持するのに大変だな。辺境魔法学校と繋がれば、充分な見返りがある。どちららがどちらを利用している関係でもないから、苦にもならないのかもしれないけど)
辺境魔法学校が後ろ盾になっているからこそ、呪い屋組合は大きな顔ができた。辺境魔法学校の実質支配地域だからこそ、ダレイネザル系以外の魔導師を北海道から排除して仕事を独占できる。
魔法学校がある地域では学校のある地域を、その系統の魔導師たちが支配していた。辺境魔法学校がある北海道では、京都寺社魔法学院系の魔導師は仕事ができない。
法的にはできる。だが、ダレイネザル系の呪い屋組合に潰されるのが落ちだ。逆にダレイネザル系の魔導師が京都で開業しても、京都寺社魔法学院系が潰しに来る。
東京だけは例外的に東京魔法大学以外の魔導師にも開業の道は開かれている。しかし、東京は激戦区であり、開業は容易ではなかった。
呪い屋組合の組合長は、四十代の男性だった。髪は薄く、小太りで髭を生やしていた。
名前は竹富和馬と名乗った。竹富組合長の挨拶が終わり、乾杯の合図が響く。
「それでは、呪い屋組合と辺境魔法学校の益々の発展を願って、乾杯」
乾杯と口々に叫び、酒宴がスタートする。神宮寺は酒は飲まずに、ジンジャー・エールを口にする。
竜胆も室長が飲んでいないので酒を控えていた。
料理は品数も多く味もよいので、粛清官室の人間は喜んでいた。ウトナピシュテヌになった神宮寺は、味覚が変わったせいか、蟹をあまり美味いと思わなかった。それでも、他の粛清官が喜んでいるので満足した。
(このような集まりなら、粛清があるたびに参加してもいいだろう。ずっと辺境魔法が学校に篭っている粛清官室の人間にも、いい気晴らしになる。他の粛清官たちには、ほどよい息抜きになるだろう)
当たり障りのない話題で懇親会は続く。
それとなく他の粛清官を見ると、皆、呪い屋組合の接待を気楽に受けて、楽しそうだった。
ここら辺は、付き合いと割り切って、適当に話を合わせておく。それくらいの芸当は神宮寺にもできた。人を殺するよりは気分も楽だ。
(気を使ってもらえるおかげで、苦痛は感じない。竹富組合長は接待慣れしている。俺にはない社交性だが、組合長ともなると付き合いも大事なんだろうな)
料理が蟹雑炊に差し掛かったときに、竹富組合長が控えめな調子で切り出した。
「神宮寺さん。うちの組合員で月形弥生がおりますが、知っていますか?」
月形さんならよく知っていた。知識のあるなしは、ここでは、さほど重要ではない。
勘が働いた。ここから、月形さんを褒め讃える流れにはならない展開は明白だった。話の流れ的には「札幌に来たついでに、もう一仕事、してもらいたい」の空気だった。
(これ、月形さん、なにかやったな。いったい、なにをやらかしたんだ? 俺の耳に入れておきたい程度ならいいが、どうも、そんな空気じゃないぞ)
神宮寺は月形さんを庇うと決めた。月形さんは辺境魔法学校で知り合った一つ年上の女性だった。
辺辺境魔法学校では小清水さん、蒼井さん、月形さん、嘉納と四人の友達ができた。だが、途中で小清水さんと蒼井さんは脱落して亡くなった。
月形さんと嘉納は、同じ頃に入学して生き残った、数少ない友だった。月形さんには結果として、生き死にが懸った試験で魔道書を選ぶ時に助けてもらった。
月形さんは、忘れているかもしれない。だが、神宮寺は月形さんのおかげで命を繋いだ記録として覚えている。
月形さんは積極的に神宮寺に助けたわけではない。ただ、命が懸った状況では要所要所でしてくれたアドバイスは貴重であり、結果として、神宮寺を助けてくれた。
(月形さんに対して、あの時の恩を俺はまだ返していない)
辺境魔法学校で損得なしで助けてくれる人間は皆無である。神宮寺とて、大差はないと自覚している。
だが、あの掛け替えのない極限の学校生活で抱いた感情は別だ。命の借りは命の救済でいつか必ず返したいと思っていた。失われた命が多い学生生活だったがゆえに、神宮寺は仲間が生きていることの素晴らしさを学んだ。
神宮寺は勤めて笑顔になるように心懸けて答える。
「月形さんなら、良く知っていますよ。俺の恋人です。今はわけあって遠距離恋愛ですが、行く行くは、辺境魔法学校に呼ぼうと思っています。まだ、先の話ですけどね」
友人と答えてもよかった。でも、処分を先送りさせるために恋人と話を大きくした。別に月形さんに否定されても、よかった。人を好きになり、思い込む態度は個人の自由だ。
神宮寺の言葉に竹富組合長の顔が一瞬、凍りついた。他の組合役員も話が止まった。神宮寺は空気を読みきった。
(これ、完全に俺をおだてて、芽室夫妻のついでに、月形さんを非公式に片付けさせるつもりだったな。だが、残念だけど、俺が粛清官室を仕切っている間は、そうはいかないよ)
神宮寺の中にある仲間意識が月形さんを救う決断を強くしていた。
(擦り寄ってくる他人より、生死を共にして、無私の心で助けたくれた友人のほうが大事だ)
場の空気に気付かない振りをして神宮寺は話を続ける。
「その、月形さんがどうかしかましたか?」
意地悪な質問だと思うが、相手の出方を知る必要があった。
竹富組合長が傍から見てもわかるほどの愛想笑いを浮かべて誤魔化す。
「神宮寺さんの恋人ですか。いや、月形さんは、中々よくやっているようですな」
竹富組合長からは「これは、まずい事態になったぞ」の空気がありありと出ていた。
神宮寺は心中で安堵する。
(よし、これで、今日明日で月形さんに危害が及ぶ事態には、ならないだろう。少なくとも俺が札幌にいる間は、月形さんは無事だ。呪い屋組合も、他の粛清官も、室長の恋人を手に掛けたりはしないだろう)
もし、神宮寺の意図に反して誰かが動いたら、神宮寺はタダで済ませる気はない。
ウトナピシュテヌの面子もある。だが、「仲間の仇は俺の仇だ」の思いが胸にあった。
神宮寺は竹富組合長の凍りついた空気を、感づかない鈍感を装って話す。
「そうですか、よくやっていますか。それはよかった。この後も、実は会う約束をしているんですよ。久々に会えて嬉しい限りです。なので、すいませんが、二次会は出られません」
竹富組合長が作り笑いと陽気な口調で誤魔化す。
「神宮寺さんにしても、こんな小父さんたちと飲むより、恋人と飲んだほうが楽しいでしょうね。それなら、無理にはお誘いできませんな」
「ははは」と竹富組合長と神宮寺は互いの腹の内を隠して笑い合った。
締めに胡麻アイスが出て、懇親会が終わりとなる。
機嫌の良い態度を心掛けて挨拶する。
「それでは、今日はご馳走様でした。蟹を久しぶりに食べましたが、美味しい限りですね。これは、こんど辺境魔法学校においでの際は、こちらでお返しをしなければいけませんね」
竹富組合長も微笑んで応じる。
「いえいえ、本校の役員さんから接待だなんて、滅相もない。これからも、よろしくお願いします。呪い屋組合は辺境魔法学校とも神宮寺さんともいいお付き合いを望んでいます」
(俺も、いい付き合いをしたかった。だが、月形さん次第では、そうもいかないんだろうな。でも、守るべきは、知り合いになったばかりの呪い屋組合ではなく、近しい月形さんだ)
とはいえ、庇うといっても限度がある。願わくば庇いきれる範囲の不始末であって欲しいと、神宮寺は強く願った。
神宮寺はタクシーに乗ると、月形さんの事務所に向かった。




