第五章 生存者、勝者、敗残者、それぞれの理由(四)
神宮寺が不思議に思っていると、剣持が口を開いた。
「では、次、神宮寺。ガラス扉の前に」
ついに俺の番が来たと思ったが、魔法先生が割り込んだ。
「待ちなさい。先に十六番のほうがいいでしょう。十五番は、自分の番が来る前に休養を摂りなさい。日直業務の連続で、疲れたでしょう」
たとえ神宮寺が先に死ぬ事態になっても小清水さんには回復時間を少しでも与えたい。
「待ってください。疲れていません。番号も俺が十五で先ですから、俺が先に行きます」
剣持の有無を言わせぬ、鋭い声が飛んだ。
「先生が休めといわれたのが聞こえなかったのか、次は小清水の番だ」
小清水さんが、ゆっくりパイプ椅子から立ち上がった。血の付いた緑色を脱いで、円柱状空間の前のガラス扉の前に立った。
小清水さんの顔からは、狼狽や恐怖が消えていた。覚悟を決めていると感じた。
ガラス扉の鍵が閉まった。小清水さんは黄色い円から距離を置いて、目を瞑った。
小清水さんも、他の生徒の様子を見てきたので、攻撃に走らなければ一分間は安全な時間が存在するのを知っているようだった。
目を瞑っているのも、しっかり六十秒を数えているのだろう。神宮寺は『異界の気配』を掛けて、ただ黙って様子を見守るしかなかった。
六十秒後、ファフブールがゆっくり小清水さんに向って動き出すのがわかった。同時に小清水さんが『遮断の防御円』を唱えた。
小清水さんの『遮断の防御円』が完成したのか、小清水さんを中心に半径三mの円柱状の空間が出現して、小清水さんを結界として囲んだ。
ファフブールが小清水さんに近付こうとするが、円柱状の結界にぶつかると弾かれた。
ファフブールは小清水さんの周りを三周すると、強く結界にぶつかり、結界を突き抜けようとした。
小清水さんが、両手を突き出し、ファフブールを入れないように頑張る。
神宮寺は小清水さんに無言の声援を送った。だが、一分と経たないうちに、小清水さんは床に手を突いた。ファフブールが防御円の結界を破って侵入した。
ファフブールは、二十秒ほど小清水さんの前で停止していた。
月形さんの時のように何も起きない事態を願ったが、無駄だった。ファフブールから槍状の物体が伸びて、小清水さんを背中から一撃で貫き、小清水さんが床に突っ伏した。
神宮寺は、早く扉が開くのを待った。扉は、無情にも中々開かなかった。
ファフブールが黄色い円の中に戻り、ガラス扉が開く音がした。
神宮寺は剣持の指示を待たず、ストレッチャーに小清水さんを乗せようとした。
小清水さんの体は、思ったより軽かった。
「すぐに、医務室に運ぶから」
神宮寺は、それだけ言うのがやっとだったが、剣持が医務室に運ぶのを許さなかった。
「小清水はダメだ。こちらに引き渡せ。お前が月形と教室に話し込んでいる間に、水天宮先生から連絡があった。蒼井の治療が長引くから、これ以上の受け入れは無理であり、マジチェフェルで血が流れすぎたので、輸血用の血液のストックも尽きたそうだ」
神宮寺は、どうにもならないとわかっても、抗議した。
「なぜ、輸血用の血液を充分に用意しておかなかったんですか!」
剣持は厳しい視線で、神宮寺を射竦めるように見つめた。
「先生も、最初に言っておられたはずだ。ここでは平等ではない、と。マジチェフェルを合格できない奴の分を引いて、血液を確保はしている。小清水は退学権利金を納めなかったので、医療特約のオプションも購入していない。小清水を特別扱いする価値は、ない。それに、最後にマジチェフェルを受ける奴は治療を受けられない可能性があるが、最後のほうのお前たちは、内容を知る状況と対策を立てる時間があった。特段に不利だと思わん」
神宮寺は歯を食い縛った。剣持の言葉は納得できないが、辺境魔法学校では正論なのだ。神宮寺はストレッチャーに乗った小清水さんに聞いた。
「小清水さん、血液型は何型?」
神宮寺はO型なので、小清水さんが特殊な血液型以外なら輸血できると思った。輸血で血を抜いた状態で臨める、甘い試練ではない状況も理解している。
小清水さんを助けかった。神宮寺は、小清水さんがいなくなる事態を想定して、あまり親しくならないように心に壁を作ってきたつもりだった。
(なのに、俺は今、このあとのマジチェフェルで死ぬ事態になろうとしても、小清水さんを助けようとしている。完全な矛盾だ)
でも、矛盾する心を止められなかった。
小さい時から魔道師に憧れ、魔道師に成りたかった。何をしても、魔道師に成りたいという強い気持ちはずっと、変わらないと思っていた。
(でも今は、小清水さんを助けたい。俺は、おかしくなってしまったのかもしれない)
神宮寺は、小清水さんが血を、命を、求めてくれる言葉を待った)
小清水さんが血液型を答えず、首を振った。
「もう、いいよ。この傷じゃ、助からないよ。それくらい、わかるよ」
神宮寺は小清水さんの傷を見て、泣きそうになった。
確かに傷は深く、小清水さんの背中から腹に向けて、斜めに貫通している。
小清水さんは苦しそうだが、無理に微笑み、言葉を紡いだ。
「神宮寺君と一緒にお風呂に入った時があったでしょ。あの時、別に私、神宮寺君が求めてきてくれても、よかったんだよ」
小清水さんの言葉を聞いて、涙が頬を伝わった。神宮寺は毎朝、一ヶ月近く一緒に登校し、日直当番をやっていたのに、小清水さんの気持ちに最後まで気付かなかった。
(俺は、こずるい計算ばかりしていたが、結局のところ、馬鹿だったのだ)
小清水さんが最後に天井を見て、僅かに手を空に伸ばした。
「もっと、高い、ところ……」まで言って小清水さんの声が消え、伸ばした手が落ちた。
神宮寺は血で汚れるのも構わず、剣持の腕を掴んだ。
「先生、先生なら『同胞への癒』くらい使えるんでしょう。だったら、使ってください。お願いします。お願いします」
剣持は神宮寺の腕を振り払わなかったが、無言だった。
代わりに魔法先生が、平然と答えた。
「確かに、私も剣持くんも『同胞への癒』は使えるよ。ただ、不合格の単なる人間には、価値がない。価値がない人間に使う魔法は、何一つ持ち合わせていないのだよ。それに、十五番君は、他にも同じ状況になった生徒が出た時は、何も言わなかったじゃないか。つまり、君も私たちと同じ、不平等な人間だという証拠ですよ。まあ、人間、誰しも平等にあれ、なんて言う気は、さらさらありませんけどね」
剣持や魔法先生が重視する「価値」の二文字が、強く心に残った。
魔法先生は、辺境魔法学校に来て初めて、不機嫌な顔をして言葉を続けた。
「だけどね。私は、秘密を守れない人間は好きになれないんですよ。さあ、次は十五君の番です。でも、心理状態が良くないようだから、十分間だけ悲しむ時間を与えましょう」
小清水さんが治療を受けられない原因は、不十分な医療体制のせいだ。でも、小清水さんが助からないのは、マジチェフェルの内容を神宮寺が他の生徒に漏らしていた罰であり、悲しみにくれる十分間も、また罰だと思った。
この時ほど神宮寺は、三つ目の魔法として『同胞への癒』を学ぼうとしなかった事態を後悔した。
魔法先生が作業員に掛ける無情の声が聞こえた。
「十六番の死体は、丁寧に扱ってね。損傷の程度が軽いから、リサイクルします」