第四章 飛べない雛は岸壁に打ちつけられ死ぬ(一)
神宮寺は自室に帰ると、まず二冊の魔道書を、それぞれ子犬のように撫ぜて「いい子だ。いい子だよ」と話しかけた。
傍から見れば、きっと頭のおかしい人間に見えるだろう。だからといって、月形さんがからかったとは思えない。それに、自室は一人部屋なので恥ずかしくもないし、なにせ、他に手段がなかった。
神宮寺はそれからページを交互に捲って、魔道書を撫ぜながら褒めた。さすがにキスしたりはしなかったが、生き物のように可愛がった。
そんな作業を夜まで続けたが、魔法は一向に頭に浮かんでこなかった。でも、神宮寺は諦めずに可愛がりながら、ページを捲り、魔道書を褒めた。
夜寝るときには恥も外聞も捨て「さあ、暗くなったから、寝まちょうね」と赤ちゃん言葉ですら話しかけて、枕元に置いて眠った。
午前、二時、何かの声がして、頭が覚醒した。『異界の気配』の魔道書が喋っている声が聞こえてくる気がして黙って耳を澄ましていると、魔法先生が以前に喋っていたフレーズが、何度も聞かされ覚えてしまったアニメソングのように木霊した。
神宮寺は、頭に浮かんだ言葉を何度も暗誦していた。すると部屋を包んでいる大いなる魔法の力と隣の魔道書から力の存在を感じた。『異界の気配』の魔法が発動したと思った。
しばらくすると、気配を感じなくなった。気配がなくなったのではなく、効果時間が切れたと思った。
一つ魔法を覚えたと思うと、『異界の気配』の魔道書から気配というか、息吹が蝋燭の炎が吹き消されるように消滅した。
「魔道書が死んだ。いや、これは、魔道書の中身が俺の中に入って血肉となったのかな」
神宮寺は、夜中だったが起き上がった。
『異界の気配』の魔道書を綺麗なバスタオルで包み、お礼を言って机の上に置いて一礼。
土曜日、神宮寺は朝になって起きると、もう一冊の魔道書『ダレイネザルの言語』に「魔法を教えてください」と頭を下げて頼んだ。
寮の朝食を持ち出し、捧げ物もしてみた。それでも、『ダレイネザルの言語』の書は、頑なに神宮寺に魔法を示さなかった。
神宮寺は徹底して下手に出て、魔道書を読みながら褒めた。汚れが気になった場所は「綺麗にしまちょうね」と赤ちゃん言葉で話しかけ、綺麗に拭いた。
昼には天気が良かったので、魔道書を片手に、外に散歩に連れ出した。
日当たりのいいベンチのある場所まで来ると「少し、陽に当たりませんか」と新しい恋人にでも話しかけるような口調で声を掛け、そっとページを捲りながら、魔道書を見た。
簡単に魔法を習得した人物たちから見れば、奇行に見えただろう。でも、下手に出て『異界の気配』が覚えられたので、これしかないと思った。
昼を過ぎると、ちょっと魔道書に気を使って疲れたのと、やきもちでも焼くかなと思い、昨日ようやく覚えた『異界の気配』を使った。
『異界の気配』は、魔法がどこに掛かっているかを知る魔法だったが、効果範囲は、それほど広くない。朧げに掛かっている魔法の強さはわかるが、なんの魔法が掛かっているかまでは、わからなかった。覚えてみてあれだが、ちょっと失敗したかなと思った。
もっと蒼井さんのように、派手で、卒業しても使えるよう実用的な魔法にすればよかったかなと、少しだけ後悔した。寮の図書室にも魔道書はある。こうなったら、一向に応えてくれない『ダレイネザルの言語』を諦める選択もあった。
寮にある魔道書は背表紙が日本語ではないので、中身は謎だった。覚えたはいいが『スプーン曲げ』のようなしょうもない魔法だったら困る。
『ダレイネザルの言語』が習得できれば、背表紙を読めるかもしれないのだろうが、『ダレイネザルの言語』ができないからこそ困っているので、問題外だ。
何回か『異界の気配』を使ってみると、訓練すれば、詠唱を短くしたり、捜索範囲を広げたり、絞ったりできそうだと思った。
神宮寺は現在に至って、まずい事態に気が付いた。魔法は覚えても、すぐには使いこなせない。だとすると、訓練の時間まで考えると、今日中に『ダレイネザルの言語』をどうにかしないと、実習までには使いこなせないのではないだろうか。




