第三章 親鳥は歌い、雛たちは騒ぎ出す(五)
週が明けて、授業が始まった。剣持の授業は魔法先生とは違い、まともな日本語で行われた。内容は、初級者向けの魔術理論。
まともな授業なので、倒れる者が出ないため、日直の仕事は学校の日直と変わりがない。
アルバイト料泥棒という言葉が当てはまるほどの暇さだが、辺境魔法学校の資金力は小国の軍事予算並みにありそうなので、黙って貰っておく。
剣持の講義は、教室の生徒の誰もがどこか安心した様子で聞いているようだった。
ここでは安心して聞ける普通の講義なんて、意味はなさない。まともに習えば、魔道師になるのに十年は掛かるのだから。
魔法先生が戻ってくると、また、異世界言語による授業が始まった。時が経つに連れ、倒れる者はいなくなった。
小清水さんとは、その後も、一緒に登下校して日直のアルバイトをした。小清水さんはよく気が付き、要領の良い子だったので、神宮寺は随分と助かった。
高校生活の延長上に今の生活があったら、神宮寺は小清水さんを好きになったかもしれない。小清水さんには、それだけの魅力もあった。
でも、今、通っているのは八~九割の生徒が消えてゆく辺境魔法学校だ。
小清水さんには、関係性を深め、神宮寺を利用しようとする気配はなかった。つまり、辺境魔法学校には向かない人間だ。小清水さんは途中で消えるなと、漠然と感じた。
(小清水さんを守るだけの力は、俺にはない。俺は自分の世話だけで手いっぱいだ)
神宮寺と小清水さんの登下校の時間は累積していった。二人の時間が累積するにつれ、神宮寺は小清水さんと親しくなるのが、心の底に滓が溜まるように段々怖くなっていった。
入学して四週間が経過したところで、講義の最後で魔法先生が宣告した。
「皆さん、四週間の座学、ご苦労さまでした。来週の月曜には、全員参加が必須の実習をします。実習に当り、二階にある図書室の魔道書の閲覧を許可します。月曜日の実習までに魔法を覚えてきてください。それでは、よい週末を」
皆が顔を見合わせるのがわかる。無理もない。
魔道書の読み方も教えてもらえず、魔法の使い方も教えてもらっていないのに、月曜日までに魔法を覚えてこいというのだ。無茶にも、ほどがある。
クラスの動揺を前に魔法先生がいなくなった教室で、剣持が大きな声で言い聞かせた。
「まず落ち着け。お前たちは急に魔法を覚えてこいと言われ、狼狽しているだろう。だが、お前たちは自覚していなくても、もう、ダレイネザルの初歩の魔法を使える段階にいる」
(十年で魔道師どころか、一ヶ月で初歩の魔法が使えるようになっているなんて、尋常じゃないぞ。映画でいうところの、悪の魔道師の手先になって力を与えられた端役みたい)
クラスが静かになったが、大部分の生徒は剣持の言葉を半分は疑っているようだった。
剣持が厳しい表情を浮かべ、厳格な調子で言葉を続けた。
「魔法の覚え方は簡単だ。ただ、魔道書を最初からページを開いて、ずっと眺めろ。そうすれば、魔道書から語り掛けてくるはずだ。ただ、忠告しておく。おそらく、今のお前たちでは、月曜日までとなると、精々読めて二冊。二つ覚えるのが限界だと思え。それ以上は、きっと実習の枷になる。以上だ」
蒼井さんが立ち上がり、教室を去ろうとする剣持に質問した。
「実習って、何をするんですか。どんな魔法を覚えてくればいいんですか」
剣持が突き放しように言葉を投げた。
「その質問には、答えられん。ただ、これは最初の試練だ。死ぬ奴は、ここで死ぬ。以上」
クラスに静寂が訪れた。やがて、生徒の大半が、生徒立入禁止だった二階の図書室へと移動を開始し始めた。
神宮寺と嘉納、小清水さんと蒼井さんも一団となり、図書室に向った。
本当に魔法が使えるようになっているのか疑問だったが、悩んでいても道は開けない。
図書室に向かう階段に行くと、図書室前にあった生徒立入禁止の札が外されていた。
魔道書の図書室と聞いて、どんな立派なものかと期待したが、期待は外れた。図書室は寮にあるものより少し広いスペースに本棚が六脚あるだけ。
ただ、寮と違い、全ての棚が魔道書のコーナーだった。小さな貸し出しカウンターには、水天宮先生が面白くなさそうに座っていた。
寮に置いてある魔道書と違い、背表紙は日本語で書かれていたが、中を開けると、寮の中にあるものと同じく、抽象画で作られた絵本のようになっていた。
「いったい、どれを選べばいいんだろうね」と小清水さんが聞いてきた。
皆が知りたい内容だが、知る者はいない。嘉納が困ったように感想を述べた。
「それが、わかれば、苦労せん。見た目とか、フィーリングで選ぶしかないとちゃうんか。それより、わいは本当に魔法が使えるようになっているかのほうが疑問や」
嘉納の言葉は、当然だ。はたして魔法って、そう簡単に使えるものなのだろうか?
他の生徒もどれを選べばいいのか迷っていると、水天宮先生が不機嫌に述べた。
「早く選んでくれ。読むのは、自室でいいだろう。お前らがいると、私は戻れないんだよ。さっさと選んで、練習に入ってくれ。全く、この後は、夜中の見回りもあるのに」
何人かがさっそく魔道書を選んで、貸出しカウンターに並んで本を借りていった。
月形さんが並んだので、神宮寺は月形さんが何を選んだのか気になり、水天宮先生への質問をするのを装って、月形さんの後ろに並んだ。
魔道書を貸し出すとき、水天宮先生は魔道書のタイトルを読み上げ「この本で間違いないわね」と念を押して貸し出して、処理を進めていった。
月形さんが借りる番になったので、そっと後ろから覗き込んだ。月形さんが借りたのは『ダレイネザルの言語』と『異界の気配』。
もっと、派手で役立ちそうな魔道書は多くあるのに、意外と地味な魔法だった。それとも、月形さんは実習が知識に関する問題だと、山を張ったのだろうか。
月形さんが貸出しカウンターに魔道書を置くと、水天宮先生が「難しいのを選んだな」と小声で感想を漏らした。
だが、月形さんは本を変更せず、貸し出し処理を受けた。
魔道書を持っていない神宮寺に、水天宮先生が不満をぶつけてきた。
「魔道書を持っていないわね。魔道書を借りないのかしら。借りないと、死ぬわよ」
神宮寺は月形さんが何を借りたかったのかを知りたかったので用は済んだが、このまま列を抜けると魂胆を見抜かれ、後ろめたい気がしたので、何気ない質問をした。
「水天宮先生のお勧めの本を知りたいと思って、どれがいいんですかね」
「お勧めですって? そんなの一々、聞かないでほしいわね。私はクジ引きで負けて、貸出係をやらされているだけでも気分が悪いのよ。図書館の司書じゃないのよ。もう、勝手に選んで、死んできなさいよ」と水天宮先生は不機嫌に言い放った。
神宮寺は「すいません」と頭を下げて、その場を去ろうとした。すると、水天宮が背後から、実に嫌味のこもった調子の小声で発言した。
「大嘘吐きの小判鮫野郎が」
神宮寺は、水天宮先生に魂胆をずばり見抜かれたと感じた。
軽蔑されたかと思ったが、水天宮先生が背後から、楽しそうに小声で言葉を続けた。
「だけど、そういうこすっからい奴に限って、ここでは長生きするのよね」